飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

B教授の死ー寺田寅彦ーコイルガンの生みの親

2018-01-09 15:44:18 | 物語

B教授というのは
先日の記事にも登場したC.ビルケランド博士である・・・。
寺田寅彦は言わずと知れた物理学者であり随筆家だ
その二人は懇意であった?!
そして、
C.ビルケランド博士は日本が終の住処となった!

 

表題のコイルガン(電磁砲)の発明者でもある。

何故日本にまで旅するに至ったか?

本人以外知る由もないが、

この随想録には、

その手掛かりがある。

コイルガン(電磁砲)の発明と特許取得が、

その軍事利用が機縁となって、

どこかの国のスパイに追われる身辺となったのが理由だろう。

 

それも第一次世界大戦勃発直後、

百年も前の話である・・・。

そのコイルガン(電磁砲)がレールガンとして、

今やアメリカ海軍によって実用化されようとしている・・・。

ビルケランド博士は

ノルウェーの碩学の物理学者で、

オーロラの解明とその実演を為した人物で、

今で言えば量子の先端気鋭の物理学者とも言えるだろうが、

何度もノーベル賞にノミネートされながら、

日本で客死すると言う哀愁を感じる生涯であった様だ。

 

何故興味を感じたか?

勿論、

コイルガンの発明者であるという驚きもあるが、

荷電粒子の大家で、

オーロラの研究も凄いが、

バンアレン帯を予測した人物でもある。

そして、

先日の気候変動のメカニズムに、

この荷電粒子に依るエネルギーが関係している。

そう確信したからである。

 

今や、

気象操作、

人工地震のメカニズムにHAARPが存在するが、

まさに電磁エネルギーの環境工学である。

うまく使いこなせば、

台風やハリケーンなどの災害消滅にも寄与するが、

反対に、

人工的にそれらを創りだすことが出来る環境工学でもある。

 

太陽は莫大なエネルギーを

惑星に降り注いでいる。

いずれも粒子エネルギーとしてである。

光は同時に粒子だからである。

地球も電磁的エネルギーでバランスを保っている。

全ては電磁的エネルギー抜きには

生きていけない存在で、

天候もまさにその影響を直接の受けていると

考えられる。

 
【転載開始】ウィキペディアより
 
クリスチャン・ビルケランド

クリスチャン・ビルケランド(Kristian Birkeland、ビルケラン、バークランドとも表記される、1867年12月13日 - 1917年6月15日)はノルウェーの物理学者である。

オーロラが太陽からの荷電粒子の大気との反応であることを示し、実験室でオーロラを発生させた。発明家としても、さまざまな分野の特許を得た。世界的な名声を得て、7度ノーベル賞の候補となった。1994年発行のノルウェーの紙幣(200ノルウェー・クローネ札)に肖像が採用され、ノルウェーでは有名な科学者である。

オスロ(当時はChristiania)に生まれた。18歳で最初の科学論文を書くなどの才能を示した。30歳でオスロ大学の教授となったが、その興味は学問にとどまらなかった。1905年サミュエル・アイデと後に大企業となるノルスク・ハイドロの設立メンバーとなった。実用化されなかった発明の例として1900年に電磁力で砲弾を飛ばす電磁砲(コイルガン)の特許をえて、デモンストレーションを行ったが結果は実らなかった。放電による空中窒素の固定の実験もおこなった。

オーロラ研究の分野では1899年から1900年にノルウェーの高緯度地域の探検隊を組織し、地磁気の測定結果を得た。真空中の陰極線磁場の実験で、オーロラを実験室で再現した。1913年に宇宙空間が高速の電子イオンで満ちていることを予測した。

1917年、日本滞在中に東京上野精養軒ホテルで睡眠薬の量を誤って摂取し死去した。自殺したとも言われる。この事件を寺田寅彦は随筆『B教授の死』に書いた。【転載終了】

その碩学の物理学者が、

日本にたどり着き、

最期を終えたということは驚きである。

そして、

今もその影響を受けたと見られるレールガンが、

軍事技術のみならず、

宇宙技術にまで展開されている。

 

核兵器が脚光を浴びているが、

その先にあるのが電磁兵器である。

これから大いに注目浴びる人物だろうと確信している。

それが日本にたどり着き、

日本で最期を得た。

寺田寅彦が今に鮮明に語り(書き)起こしているのは、

何かの予兆を感ずる。

 

【転載開始】※青空文庫より

B教授の死

寺田寅彦

 さわやかな若葉時も過ぎて、日増しに黒んで行く青葉のこずえにうっとうしい微温の雨が降るような時候になると、十余年ほど前に東京のSホテルで客死したスカンジナビアの物理学者B教授のことを毎年一度ぐらいはきっと思い出す。しかし、なにぶんにももうだいぶ古いことであって、記憶が薄くなっている上に、何度となく思い出し思い出ししているうちには知らず知らずいろいろな空想が混入して、それがいつのまにか事実と完全に融(と)け合ってしまって、今ではもうどこまでが事実でどこからが空想だかという境目がわからない、つまり一種の小説のような、というよりもむしろ長い年月の間に幾度となく蒸し返された悪夢の記憶に等しいものになってしまった。これまでにもなんべんかこれに関する記録を書いておきたいと思い立ったことはあったが、いざとなるといつでも何かしら自分の筆を渋らせるあるものがあるような気がして、ついついいつもそれなりになってしまうのであった。しかし、また一方では、どうしても何かこれについて簡単にでも書いておかなければ自分の気がすまないというような心持ちもする。それで、多少でもまだ事実の記憶の消え残っている今のうちに、あらましのことだけをなるべくザハリッヒな覚え書きのような形で書き留めておくことにしようと思う。

 欧州大戦の終末に近いある年のたぶん五月初めごろであったかと思う。ある朝当時自分の勤めていたR大学の事務室にちょっとした用があってはいって見ると、そこに見慣れぬ年取った禿頭(とくとう)のわりに背の低い西洋人が立っていて、書記のS氏と話をしていた。S氏は自分にその人の名刺を見せて、このかたがP教室の図書室を見たいと言っておられるが、どうしましょうかというのである。その名刺を見ると、それはN国のK大学教授で空中窒素の固定や北光の研究者として有名な物理学者のB教授であった。同教授にはかつてその本国で会ったことがあるばかりでなく、その実験室で北光に関する有名な真空放電の実験を見せてもらったり、その上に私邸に呼ばれてお茶のごちそうになったりしたことがあったので、すぐに昔の顔を再認することができたが、教授のほうではどうもあまりはっきりした記憶はないらしかった。

 教授が今ここの図書室で見たいと言った本は、同教授の関係した北光観測のエキスペジションの報告書であったが、あいにくそれが当時のP教室になかったので、あてにして来たらしい教授はひどく失望したようであった。

 それはとにかく、自分らの教室にとっては誠に思いがけない遠来の珍客なので、自分は急いで教室主任のN教授やT老教授にもその来訪を知らせ引き合わせをしたのであったが、両先生ともにいずれも全然予期していなかったこの碩学(せきがく)の来訪に驚きもしまた喜ばれもされたのはもちろんである。しかしB教授はどういうものかなんとなしに元気がなく、また人に接するのをひどく大儀がるようなふうに見えた。

 それから二三日たって、箱根(はこね)のホテルからのB教授の手紙が来て、どこか東京でごく閑静な宿を世話してくれないかとのことであった。たしか、不眠症で困るからという理由であったかと思う。当時U公園にS軒付属のホテルがあったので、そこならば市中よりはいくらか閑静でいいだろうと思ってそのことを知らせてやったら、さっそく引き移って来て、幸いに存外気に入ったらしい様子であった。

 その後、時々P教室の自分の部屋(へや)をたずねて来て、当時自分の研究していた地磁気の急激な変化と、B教授の研究していた大気上層における荷電粒子の運動との関係についていろいろ話し合ったのであったが、何度も会っているうちに、B教授のどことなくひどく憂鬱(ゆううつ)な憔忰(しょうすい)した様子がいっそうはっきり目につきだした。からだは相当肥(ふと)っていたが、蒼白(そうはく)な顔色にちっとも生気がなくて、灰色のひとみの底になんとも言えない暗い影があるような気がした。

 あるひどい雨の日の昼ごろにたずねて来たときは薄絹にゴムを塗った蝉(せみ)の羽根のような雨外套(あまがいとう)を着ていたが、蒸し暑いと見えて広くはげ上がった額から玉のような汗の流れるのをハンケチで押しぬぐい押しぬぐい話をした。細かい灰色のまばらな髪が逆立っているのが湯げでも立っているように見えた。その時だけは顔色が美しい桜色をして目の光もなんとなく生き生きしているようであった。どういうものかそのときの顔がいつまでもはっきり自分の印象に残っている。

 一度S軒に呼ばれて昼飯をいっしょにごちそうになったときなども、なんであったか忘れたが学問には関係のないおどけた冗談を言ったりして珍しい笑顔(えがお)を見せたこともあった。

 ある日少しゆっくり話したいことがあるから来てくれと言って来たのでさっそく行ってみると、寝巻のまま寝台の上に横になっていた。少しからだのぐあいが悪いからベッドで話すことをゆるしてくれという。それから、きょうはどうもドイツ語や英語で話すのは大儀で苦しいからフランス語で話したいが聞いてくれるかという。自分はフランス語はいちばん不得手だがしかしごくゆっくり話してくれればだいたいの事だけはわかるつもりだと言ったら、それで結構だと言ってぽつぽつ話しだしたが、その話の内容は実に予想のほかのものであった。

 自分にわかっただけの要点はおおよそ次のようなものであったと思う。しかし、聞き違え、覚え違いがどれだけあるか、今となってはもうそれを確かめる道はなくなってしまったわけである。

 B教授は欧州大戦の刺激から得たヒントによってある軍事上に重要な発明をして、まずF国政府にその使用をすすめたが採用されないので次に某国に渡って同様な申し出をした。某国政府では詳しくその発明の内容を聞き取り、若干の実験までもした後に結局その採用は拒絶してしまった。しかしどういうものかそれ以来その某国のスパイらしいものがB教授の身辺に付きまつわるようになった、少なくもB教授にはそういうふうに感ぜられたそうである。その後教授が半ばはその研究の資料を得るために半ばはこの自分を追跡する暗影を振り落とすためにアフリカに渡ってヘルワンの観測所の屋上で深夜にただ一人黄道光の観測をしていた際など、思いもかけぬ砂漠(さばく)の暗やみから自分を狙撃(そげき)せんとするもののあることを感知したそうである。この夜の顛末(てんまつ)の物語はなんとなくアラビアンナイトを思い出させるような神秘的なロマンチックな詩に満ちたものであったが、惜しいことに細かいことを忘れてしまった。

「それから船便を求めてあてのない極東の旅を思い立ったが、乗り組んだ船の中にはもうちゃんと一人スパイらしいのが乗っていて、明け暮れに自分を監視しているように思われた。日本へ来ても箱根(はこね)までこの影のような男がつきまとって来たが、お前のおかげでここへ来てから、やっとその追跡からのがれたようである。しかしいつまでのがれられるかそれはわからない。」

「これだけの事を一度だれかに話したいと思っていたが、きょう君にそれを話してこれでやっと気が楽になった。」

 ゆっくりゆっくり一句一句切って話したので、これだけ話すのにたぶん一時間以上もかかったかと思う。話してしまってから、さもがっかりしたように枕(まくら)によりかかったまま目をねむって黙ってしまったので、長座は悪いだろうと思って遠慮してすぐに帰って来た。

 翌朝P教室へ出勤するとまもなくS軒から電話でB教授に事変が起こったからすぐ来てくれとの事である。急病でも起こったらしいような口ぶりなので、まず取りあえずN教授に話をして医科のM教授を同伴してもらう事を頼んでおいて急いでS軒に駆けつけた。

 ボーイがけさ部屋(へや)をいくらたたいても返事がないから合いかぎでドアを明けてはいってみると、もうすでに息が絶えているらしいので、急いで警察に知らせると同時に大学の自分のところへ電話をかけたということである。

 ベッドの上に掛け回したまっ白な寒冷紗(かんれいしゃ)の蚊帳(かや)の中にB教授の静かな寝顔が見えた。枕上(まくらがみ)の小卓の上に大型の扁平(へんぺい)なピストルが斜めに横たわり、そのわきの水飲みコップの、底にも器壁にも、白い粉薬らしいものがべとべとに着いているのが目についた。

 まもなく刑事と警察医らしい人たちが来て、はじめて蚊帳を取り払い、毛布を取りのけ寝巻の胸を開いてからだじゅうを調べた。調べながら刑事の一人が絶えず自分の顔をじろじろ見るのが気味悪く不愉快に感ぜられた。B教授の禿頭(とくとう)の頂上の皮膚に横にひと筋紫色をしてくぼんだ跡のあるのを発見した刑事が急に緊張した顔色をしたが、それは寝台の頭部にある真鍮(しんちゅう)の横わくが頭に触れていた跡だとわかった。

 刑事が小卓のコップのそばにあった紙袋を取り上げて調べているのをのぞいて見たら、袋紙には赤インキの下手(へた)な字で「ベロナール」と書いてあった。呼び出されたボーイの証言によると、昨夜この催眠薬を買って来いというので、一度買って帰ったが、もっとたくさん買って来いという、そんなに飲んだら悪いだろうと言ってみたが、これがないと、どうしても眠られない、飲まないと気が違いそうだからぜひにと嘆願するので、しかたなくもう一ぺん薬屋にわけを話して買って来たのだということであった。

 そのうちにN教授とM教授がやって来た。続いてN国領事のバロン何某と中年のスカンジナビア婦人が二人と駆けつけて来た。婦人たちがわりに気丈でぎょうさんらしく騒がないのに感心した。

 室の片すみのデスクの上に論文の草稿のようなものが積み上げてある。ここで毎日こうして次の論文の原稿を書いていたのかと思って、その一枚を取り上げてなんの気なしにながめていたら、N教授がそれに気づくと急いでやって来て自分の手からひったくるようにそれを取り上げてしまった、そうしてボーイを呼んでその原稿いっさいを紙包みにしてひもで縛らせ、それを領事に手渡しした。そうして、それを封印をして本国大学に送ってもらいたいというようなことを厳粛な口調で話していた。

 領事のほうからは、本国の家族から事後の処置に関する返電の来るまで遺骸(いがい)をどこかに保管してもらいたいという話があって、結局M教授の計らいでM大学の解剖学教室でそれを預かることになった。

 同教室に運ばれた遺骸に防腐の薬液を注射したのは、これも今は故人になったO教授であった。その手術の際にO教授が、露出された遺骸の胸に手のひらをあてて Noch warm ! と言って一同をふり向いたとき、領事といっしょにここまでついて来ていた婦人の一人の口からかすかなしかし非常に驚いたような嘆声がもれた。O教授はしかし「これはよくあるポストモルテムの現象ですよ」と言い捨てて、平気でそろそろ手術に取りかかった。

 葬式は一番町(いちばんちょう)のある教会で行なわれた。梅雨晴(つゆば)れのから風の強い日であって、番町へんいったいの木立ちの青葉が悩ましく揺れ騒いで白い葉裏をかえしていたのを覚えている。自分は教会の門前で柩車(きゅうしゃ)を出迎えた後霊柩に付き添って故人の勲章を捧持(ほうじ)するという役目を言いつかった。黒天鵞絨(くろびろうど)のクションのまん中に美しい小さな勲章をのせたのをひもで肩からつり下げそれを胸の前に両手でささげながら白日の下を門から会堂までわずかな距離を歩いた。冬向きにこしらえた一ちょうらのフロックがひどく暑苦しく思われたことを思い出すことができる。

 会堂内で葬式のプログラムの進行中に、突然堂の一隅(いちぐう)から鋭いソプラノの独唱の声が飛び出したので、こういう儀式に立ち会った経験をもたない自分はかなりびっくりした。あとで聞いたら、その独唱者は音楽学校の教師のP夫人で、故人と同じスカンジナビアの人だという縁故から特にこの日の挽歌(ばんか)を歌うために列席したのであったそうである。ただその声があまりに強く鋭く狭い会堂に響き渡って、われわれ日本人の頭にある葬式というものの概念に付随したしめやかな情調とはあまりにかけ離れたもののような気がしたのであった。

 遺骸(いがい)は町屋(まちや)の火葬場で火葬に付して、その翌朝T老教授とN教授と自分と三人で納骨に行った。炉から引き出された灰の中からはかない遺骨をてんでに拾いあつめては純白の陶器の壺(つぼ)に移した。並みはずれに大きな頭蓋骨(ずがいこつ)の中にはまだ燃え切らない脳髄が漆黒なアスファルトのような色をして縮み上がっていた。

 N教授は長い竹箸(たけばし)でその一片をつまみ上げ「この中にはずいぶんいろいろなえらいものがはいっていたんだなあ」と言いながら、静かにそれを骨壺(こつつぼ)の中に入れた。そのとき自分の眼前には忽然(こつぜん)として過ぎし日のK大学におけるB教授の実験室が現われるような気がした。

 大きな長方形の真空ガラス箱内の一方にB教授が「テレラ」と命名した球形の電磁石がつり下がっており、他の一方には陰極が插入(そうにゅう)されていて、そこから強力な陰極線が発射されると、その一道の電子の流れは球形磁石の磁場のためにその経路を彎曲(わんきょく)され、球の磁極に近い数点に集注してそこに螢光(けいこう)を発する。その実験装置のそばに僧侶(そうりょ)のような黒頭巾(くろずきん)をかぶったB教授が立って説明している。この放電のために特別に設計された高圧直流発電機の低いうなり声が隣室から聞こえて来る。

 そんな幻のような記憶が瞬間に頭をかすめて通ったが、現実のここの場面はスカンジナビアとは地球の反対側に近い日本の東京の郊外であると思うと妙な気がした。

 それからひと月もたって、B教授の形見だと言ってN国領事から自分の所へ送って来たのは大きな鋳銅製の虎(とら)の置き物であった。N教授の所へは同じ鋳物の象が来たそうである。たぶんみやげにでもするつもりでB教授が箱根(はこね)あたりの売店で買い込んであったものかと思われた。せっかくの形見ではあるがどうも自分の趣味に合わないので、押し入れの中にしまい込んだままに年を経た。大掃除(おおそうじ)のときなどに縁側に取り出されているこの銅の虎を見るたびに当時の記憶が繰り返される。大掃除の時季がちょうどこの思い出の時候に相当するのである。

 S軒のB教授の部屋(へや)の入り口の内側の柱に土佐(とさ)特産の尾長鶏(おながどり)の着色写真をあしらった柱暦のようなものが掛けてあった。それも宮(みや)の下(した)あたりで買ったものらしかったが、教授のなくなった日、室のボーイが自分にこの尾長鶏を指さしながら「このお客さんは、いつも、世の中にこのくらい悲惨なものはないと言っていましたよ」と意味ありげに繰り返して話していた。しかしなぜ尾長鶏がそんなに悲惨なものとB教授に思われたか、これが今日までもどうしても解けない不思議ななぞとして自分の胸にしまい込まれている。

 ボーイについて思い出したことがもう一つある。やはりこの事変の日に刑事たちが引き上げて行ったあとで、ボーイが二三人で教授のピストルを持ち出して室の前の庭におりた。そうして庭のすぐ横手の崖(がけ)一面に茂ったつつじの中へそのピストルの弾(たま)をぽんぽん打ち込んで、何かおもしろそうに話しながらげらげら笑っていた。つつじはもうすっかり散ったあとであったが、ほんの少しばかりところどころに茶褐色(ちゃかっしょく)に枯れちぢれた花弁のなごりがくっついていたことと、初夏の日ざしがボーイのまっ白な給仕服に照り輝き、それがなんとも言えないはかない空虚な絶望的なものの象徴のように感ぜられたことを思い出すのである。【転載終了】


不思議な少年!! その119

2012-09-16 12:03:01 | 物語

ゲラサのキリスト者。イエス、レギオン不浄の霊を人より追い出す! 


 唯物論者には、皆目分からない話だろう。尤も、そう言う人は、この物語には興味も示そう筈がないから、敢えて、無視しておこう。 


645809162

<記事に無関係ヨッシーさんより>


 


 そう、魂の実在をなくして、何が聖書か、宗教か、はたまた、UFOか、と言うことになるのである。なんでそこにUFOが登場するのか? と言う疑問には、本題からはずれるので、今回スルーする。言ったもん勝ちであるから、書いておく。


 天国があるなら、魂がある。それは住処であるから、住む主体が必要だからである。単純な理屈だ。勿論、地獄もある。地獄とは魂が決めた住む世界だ。だから、人間であれ、何であれ、生命あるものには魂があるのである。


 魂があれば、その住処を必要とする。天国に至る魂なら問題はないが、そうではない魂は、やはり、住処を求めるのは当然だ。それが自然で合理的である。。


 そう考えているから、ここに書かれていることは、実在も実在、大実在であるのだ。まあ、それを否定したら、聖書であれ、何であれ、狭量の小難しい道徳書にも値しないであろう。


 魂とは何であろうか?


 類推するしかないが、本来、生命とは意識体であろうと思う。従って、偏在する面と固有する部分がある。それらは本来同質のモノではあるけれども、個性を持とうとする部分が固有の意識体であろうと考える。


 魂とはその固有の意識体である。固有の意識体の住処が魂なのだろう。


 意識が個性を有することによって、ドラマが生まれる。生成化育が生ずるのである。その最たるものが人間の意識体であろうと考える。人間の魂はそう言う側面を持って生まれたと考える。


 それ以上は、分からない。創られた魂としての類推はそこまでだが、創った側は目的があるのであろう。それは何か? そこに聖書あるいは、聖言(みことば)があると考える。


 それ以上のことは、何も言えない。


ゲラサのキリスト者。イエス、レギオン不浄の霊を人より追い出す。霊は悪性の動物に入り、動物は、海中に走って入って溺れる。人々恐れてイエスに海浜を去るようにたのむ。弟子たちと共にカペルナウムに帰る。


 朝が来た。キリスト者はゲラサ人の国に上陸した。彼らはそのペラカン人の首都ゲラサに行き、ここで数日留まって教えた。


 さて伝説ではゲラサは死者には神聖なところで、近くの丘陵全体が聖地として知られていた。この附近一帯が埋葬地で、丘には墓が一杯あり、ガリラヤの多数の死者はここに葬られている。


 さて最近死んだばかりでまだ高い段階に昇れない霊は、生前に肉体の家であった肉と骨を納めている墓のほとりに残っている。そのような霊は時々生きている人間に宿り、色々な方法でこれを苦しめる。


 そしてゲラサ全部には憑かれた人々が居り、誰ひとりとしてこれを救うだけの力ある者はなかった。何とかしてこのような隠れた仇(あだ)に逢って、悪霊を追い出す万法を学ばせようと思って、主は外国の教師たちと弟子たちを墓場の中につれていった。


 そして、門に近寄ると彼らは悪霊に憑かれた人に逢った。レギオン(多数)の汚れた者がこの人に憑いて力づけていた。そ;して誰もこれを捉えて鎖につなぐことが出来なかった。どんな頑丈な鎖でもちぎって自由になれるのである。


 さて、汚れた霊は光のなかに住めない、暗いところでさわぎまわるだけである。イエスが来て生命の光を携えて来たから、悪霊全体が攪乱(かきみだ)された。


 その人についているレギオンの首領(かしら)が叫び出した。「あなたイエスよ、あなたインマヌエルよ、どうぞ底知れぬところに入れないで下さい。わたくしどもの時がま集ない間苦しめないで下さい。」


 イエス、「お前たちの数、お前たちの名は?」


 悪霊、「わたしどもの名はレギオン、わたしどもの数は獣類の数だけあります。」


 それからイエスは山々を震わすような声を発し言った、「出て来い、もうこの人にとりつくんじゃない。」


 さて、山や丘はみなここで食を取って居る汚れた動物で満ち、国中の人々のなかに疫病を運び出してまき散らしていた。そして悪霊が住家(すみか)なしに追い出されないように懇願したので、主は言った、


 「出て行って汚れた四足獣にとりつけ。」


 そして彼らと墓の悪霊はみな出て行って疫病の因(もと)となる動物にとりつい これでそこの土地全体が疫病を遁れ、汚れた霊は二度と来なくなった。


 しかし、人々がイエスの行った力あるわざを見てびっくりして言った、


 「若し彼が国を疫病から解放し汚れた霊を.追い払うことが出来るなら、意のままにわれわれの国を荒廃させるような絶大の力ある人だ。」それから彼らは来て、彼がゲラサに留まらないように懇願した。


 そこで、イエスはそれ以上そこに居ないで、外国の教師たちと弟子たちを連れて、舟に乗って去った。汚れたレギオンから救われた人は、海岸に立って、先生と一緒につれて行って下さいと言った。


 しかしイエスは言った、「それはよろしくない、家に行って、人々は神と一緒になればどんなことでも出来ることを、人々に告げるがよい。」


 そこでその人はデカポリス全体に行ってこれを云えた。


 キリスト者は舟に乗って再び海を渡ってカぺルナウムに来た。


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】  


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百十八章 ゲラサのキリスト者。イエス、レギオン不浄の霊を人より追い出す。霊は悪性の動物に入り、動物は、海中に走って入って溺れる。人々恐れてイエスに海浜を去るようにたのむ。弟子たちと共にカペルナウムに帰る。


1) 朝が来た。キリスト者はゲラサ人の国に上陸した。

2) 彼らはそのペラカン人の首都ゲラサに行き、ここで数日留まって教えた。

3) さて伝説ではゲラサは死者には神聖なところで、近くの丘陵全体が聖地として知られていた。

4) この附近一帯が埋葬地で、丘には墓が一杯あり、ガリラヤの多数の死者はここに葬られている。

5) さて最近死んだばかりでまだ高い段階に昇れない霊は、生前に肉体の家であった肉と骨を納めている墓のほとりに残っている。

6) そのような霊は時々生きている人間に宿り、色々な方法でこれを苦しめる。

7) そしてゲラサ全部には憑かれた人々が居り、誰ひとりとしてこれを救うだけの力ある者はなかった。

8) 何とかしてこのような隠れた仇(あだ)に逢って、悪霊を追い出す万法を学ばせようと思って、主は外国の教師たちと弟子たちを墓場の中につれていった。

9) そして、門に近寄ると彼らは悪霊に憑かれた人に逢った。レギオン(多数)の汚れた者がこの人に憑いて力づけていた。

10) そ;して誰もこれを捉えて鎖につなぐことが出来なかった。どんな頑丈な鎖でもちぎって自由になれるのである。

11) さて、汚れた霊は光のなかに住めない、暗いところでさわぎまわるだけである。

12) イエスが来て生命の光を携えて来たから、悪霊全体が攪乱(かきみだ)された。

13) その人についているレギオンの首領(かしら)が叫び出した。「あなたイエスよ、あなたインマヌエルよ、どうぞ底知れぬところに入れないで下さい。わたくしどもの時がま集ない間苦しめないで下さい。」

14) イエス、「お前たちの数、お前たちの名は?」

15) 悪霊、「わたしどもの名はレギオン、わたしどもの数は獣類の数だけあります。」

16) それからイエスは山々を震わすような声を発し言った、「出て来い、もうこの人にとりつくんじゃない。」

17) さて、山や丘はみなここで食を取って居る汚れた動物で満ち、国中の人々のなかに疫病を運び出してまき散らしていた。

18) そして悪霊が住家(すみか)なしに追い出されないように懇願したので、主は言った、

19) 「出て行って汚れた四足獣にとりつけ。」

20) そして彼らと墓の悪霊はみな出て行って疫病の因(もと)となる動物にとりついた。

21) 動物は怒りに狂い険路を下って海中にはまり込んで、みんな死んでしまった。

22) これでそこの土地全体が疫病を遁れ、汚れた霊は二度と来なくなった。

23) しかし、人々がイエスの行った力あるわざを見てびっくりして言った、

24) 「若し彼が国を疫病から解放し汚れた霊を.追い払うことが出来るなら、意のままにわれわれの国を荒廃させるような絶大の力ある人だ。」

25) それから彼らは来て、彼がゲラサに留まらないように懇願した。

26) そこで、イエスはそれ以上そこに居ないで、外国の教師たちと弟子たちを連れて、舟に乗って去った。

27) 汚れたレギオンから救われた人は、海岸に立って、先生と一緒につれて行って下さいと言った。

28) しかしイエスは言った、「それはよろしくない、家に行って、人々は神と一緒になればどんなことでも出来ることを、人々に告げるがよい。」

29) そこでその人はデカポリス全体に行ってこれを云えた。

30) キリスト者は舟に乗って再び海を渡ってカぺルナウムに来た。 

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


CHAPTER 118

The Christines are in Gadara. Jesus casts a legion of unclean spirits out of a man.
The spirits go into vicious animals which run into the sea, and are drowned.
The people are in fear and request Jesus to leave their coast. With his disciples, he returns to Capernaum.

THE morning came; the Christines landed in the country of the Geracenes.
2) They went to Gadara, chief city of the Peracans, and here for certain days they tarried and they taught.
3) Now, legends hold that Gadara is sacred to the dead, and all the hills about are known as holy ground.
4) These are the burial grounds of all the regions round about; the hills are full of tombs; and many dead from Galilee are here entombed.
5) Now, spirits of the lately dead that cannot rise to higher planes, remain about the tombs that hold the flesh and bones of what was once their mortal homes.
6) They sometimes take possession of the living, whom they torture in a hundred ways.
7) And all through Gadara were men obsessed, and there was no one strong enough to bring relief.
8) That they might meet these hidden foes and learn the way to dispossess the evil ones the master took the foreign masters and the twelve into the tombs.
9) And as they neared the gates they met a man obsessed. A legion of the unclean ones were in this man, and they had made him strong;
10) And none could bind him down, no, not with chains; for he could break the stoutest chains, and go his way.
11) Now, unclean spirits cannot live in light; they revel in the dark.
12) When Jesus came he brought the light of life, and all the evil spirits were disturbed.
13) The leader of the legion in the man called out,
Thou Jesus, thou Immanuel, we beg that thou wilt not consign us to the depths. Torment us not before our time.
14) And Jesus said,
What is your number and your name?
15) The evil spirit said,
Our name is legion, and our number is the number of the beast.
16) And Jesus spoke; and with a voice that shook the very hills, he said,
Come forth; possess this man no more.
17) Now, all the hills were filled with unclean animals that fed, and carried forth and spread the plague among the people of the land.
18) And when the evil spirits begged that they might not be driven forth without a home, the master said,
19) Go forth and take possession of the unclean quadrupeds.
20) And they, and all the evil spirits of the tombs went forth and took possession of the breeders of the plague,
21) Which, wild with rage, ran down the steeps into the sea, and all were drowned.
22) And all the land was freed of the contagion, and the unclean spirits came no more.
23) But when the people saw the mighty works that Jesus did they were alarmed. They said,
24) If he can free the country of the plague, and drive the unclean spirits out, he is a man of such transcendent power that he can devastate our land at will.
25) And then they came and prayed that he would not remain in Gadara.
26) And Jesus did not tarry longer there, and with the other masters and the twelve, he went aboard the boats to go away.
27) The man who had been rescued from the unclean legion stood upon the shore and said,
Lord let me go with you.
28) But Jesus said,
It is not well; go forth unto your home and tell the news, that men may know what man can do when he is tuned with God.
29) And then the man went forth through all Decapolis and told the news.
30) The Christines sailed away, re-crossed the sea and came again into Capernaum.

 【続く】


不思議な少年!! その118

2012-09-14 22:58:57 | 物語

先駆者ヨハネ首切らる。その死体をヘブロンに葬る。弟子たち悲しむ。キリスト者夜半海を渡る! 


 なんとまあ、人間の浅ましいほどの煩悩の炎に焼き狂わされた人々が居る。そして、その炎は麗しき幼子をも又、狂わす。煩悩の連鎖である。  


C0243877_1291668

<記事に無関係わたしが造った庭 http://taninoyuri.exblog.jp/18431095/ より>


 


 聖書には、さりげなく書かれてあるヨハネの処刑に至る経緯も、この物語には少し詳しい。そして、繊細である。酒は畏れを麻痺させ、度重なる罪科は良心を涸渇させる。


 権力とそれへの阿りは、狂気の賛歌に酔う。何時の時代でも、成り行きに大差はない。これはまさに無明の連鎖か?


 今に続く闇の連鎖でもある。


 イエスは、信仰の力を顕す。闇は不信の結果、顕れる光の陰である。


 死人が死人の世話が出来る。生ける者は生ける者に仕える・・・・の意味を解する人は幸いだ。



王の饗宴がマカエルスで行われる。先駆者ヨハネ首切らる。その死体をヘブロンに葬る。弟子たち悲しむ。キリスト者夜半海を渡る。


 王の饗宴が死海の東、マカエルスの城砦で行われた。領主ヘロデ、妻ヘロデヤはサロメと共に現われ、宮廷の男女はみなそこに列席した。


 饗宴が終わった頃は、客も廷臣も酒に酔ってしまった。彼らはおどったりはねたりして、まるで子供が遊びたわむれているようであった。へロデヤの娘サロメは王の前でおどった。その容姿の美わしくやさしく愛くるしさは、その時酒で半ば前後不覚となった愚かなヘロデを有頂天にした。


 彼は乙女をかたわらに招いて言った、「サロメよ、お前はわしの心をとろかした。何でもお前のほしいものをやるぞ。」


 乙女は子供らしいよろこび一杯になり、走って行って支配者の言ったことを母に告げた。母は言った、「帰って行って言うのよ、先駆者ヨハネの首を頂戴と。」


 乙女は走って行って、母の言う通りを支配者に告げた。


 そこでヘロデは心ゆるした死刑執行人を呼びよせて言った、「塔に行って番人にお前がわしの権力でヨハネという囚人を死刑に処するために来たと言え。」


 男は行って間もなく帰って来て、死んだヨハネの首を盆にのせて持って来た。そしてヘロデは客の前でこれを乙女に渡した。乙女は離れて立ち、血なまぐさい贈物を見るや、自分の無邪気さがこんな暴行に変わったので、憤然としてこれに手を触れようともしなかった。


 彼女の母は罪に罪を重ねて心が全く石のようになっているので、そこに来てその首を取って高く客の前に上げて言った。


 「これが支配者のやることを憚らずに嘲笑非難するような者の運命よ。」


 一座の酔漢たちは夜叉のような喜びでこの物すごい光景を見つめた。


 首は塔にとりもどされ、死体はヨハネの友人であった聖徒たちに渡された。彼らは棺箱にこれを納めて運び去った。彼らは、ヨハネが初めて伝動をした場所である渡場を通って、これをヨルダン川へになって行った。そしてユダヤの丘の峠を通って、彼らはこれを運んだ。


 彼らはヘブロンの近くの聖地に達した。ここには先駆者の両親の遺骸(なきがら)が葬られていた。彼らはそこにこれを葬ってから立ち去った。


 さてヨハネの死がガリラヤに伝わる、人々は集まって死者を弔うソネットを歌った。そしてイエスと外国の教師、弟子たちは舟に乗ってガリラヤの海を渡った。


 ヨハネの親友なるひとりの律法学者が浜辺に立っていたが、イエスに呼びかけて言った。「先生、あなたのお出でになるところにお供させて下さい。」


 イエス、「あなたは悪人からのがれて安全な隠遁場所を求めるが、わたしと一緒ではあなたの生命はあぶないよ。それは悪人がヨハネの生命をとったように、わたしの生命をもとろだろうから。


 世の狐には安全なかくれががあり、鳥はかくれた岩の間に安全な巣をつくるが、わたしには安らかに頭を横たえるところもない。」


 その時ひとりの使徒は言った、「主よ、死んだ父を墓に葬りますから、しばらくここに留まることをお許し下さい、」


 しかしイエスは言った、「死人が死人の世話が出来る。生ける者は生ける者に仕える。さあ、わたしについて来るのだ。」


 夕暮となった。三隻の舟が海に出て居り、イエスは一番先きの舟にやすんでいて眠ってしまった。嵐が起った。舟は海上で玩具(おもちゃ)のように揺れた。浪は甲板を洗った。頑丈な船頭はみな助かるまいと恐れた。


 するとトマスは先生がぐっすり眠っているのを見つけ、声をかけたので、イエスは目をさました。そしてトマスは言った、「この嵐をごらんなさい、先生はわたしたちをお構いになりませんか。舟は沈むばかりです。」


 するとイエスは立って手を挙げ、人が人にもの言うように、風と浪の霊に話しかけた。すると見よ、風は吹きやみ、浪は震えながら彼の足に接吻した。産みは静まった。


 それからイエスは言った、「あなたがた信仰の人よ、あなたがたの信仰はどこにあるか。あなたがたは話が出来るから、風と浪はこれを聞いて従うだろう。」


 弟子たちはおどろいて、「風や、嵐や浪さえその声に従うとは、この人はどんな方だろう?」と言った。


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            



第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百十七章 王の饗宴がマカエルスで行われる。先駆者ヨハネ首切らる。その死体をヘブロンに葬る。弟子たち悲しむ。キリスト者夜半海を渡る。

1) 王の饗宴が死海の東、マカエルスの城砦で行われた。

2) 領主ヘロデ、妻ヘロデヤはサロメと共に現われ、宮廷の男女はみなそこに列席した。

3) 饗宴が終わった頃は、客も廷臣も酒に酔ってしまった。彼らはおどったりはねたりして、まるで子供が遊びたわむれているようであった。

4) へロデヤの娘サロメは王の前でおどった。その容姿の美わしくやさしく愛くるしさは、その時酒で半ば前後不覚となった愚かなヘロデを有頂天にした。

5) 彼は乙女をかたわらに招いて言った、「サロメよ、お前はわしの心をとろかした。何でもお前のほしいものをやるぞ。」

6) 乙女は子供らしいよろこび一杯になり、走って行って支配者の言ったことを母に告げた。

7) 母は言った、「帰って行って言うのよ、先駆者ヨハネの首を頂戴と。」

8)  乙女は走って行って、母の言う通りを支配者に告げた。

9) そこでヘロデは心ゆるした死刑執行人を呼びよせて言った、「塔に行って番人にお前がわしの権力でヨハネという囚人を死刑に処するために来たと言え。」

10) 男は行って間もなく帰って来て、死んだヨハネの首を盆にのせて持って来た。そしてヘロデは客の前でこれを乙女に渡した。

11) 乙女は離れて立ち、血なまぐさい贈物を見るや、自分の無邪気さがこんな暴行に変わったので、憤然としてこれに手を触れようともしなかった。

12) 彼女の母は罪に罪を重ねて心が全く石のようになっているので、そこに来てその首を取って高く客の前に上げて言った。

13) 「これが支配者のやることを憚らずに嘲笑非難するような者の運命よ。」

14) 一座の酔漢たちは夜叉のような喜びでこの物すごい光景を見つめた。

15) 首は塔にとりもどされ、死体はヨハネの友人であった聖徒たちに渡された。彼らは棺箱にこれを納めて運び去った。

16) 彼らは、ヨハネが初めて伝動をした場所である渡場を通って、これをヨルダン川へになって行った。

17) そしてユダヤの丘の峠を通って、彼らはこれを運んだ。

18) 彼らはヘブロンの近くの聖地に達した。ここには先駆者の両親の遺骸(なきがら)が葬られていた。

19) 彼らはそこにこれを葬ってから立ち去った。

20) さてヨハネの死がガリラヤに伝わる、人々は集まって死者を弔うソネットを歌った。

21) そしてイエスと外国の教師、弟子たちは舟に乗ってガリラヤの海を渡った。

22) ヨハネの親友なるひとりの律法学者が浜辺に立っていたが、イエスに呼びかけて言った。「先生、あなたのお出でになるところにお供させて下さい。」

23) イエス、「あなたは悪人からのがれて安全な隠遁場所を求めるが、わたしと一緒ではあなたの生命はあぶないよ。

24) それは悪人がヨハネの生命をとったように、わたしの生命をもとろだろうから。

25) 世の狐には安全なかくれががあり、鳥はかくれた岩の間に安全な巣をつくるが、わたしには安らかに頭を横たえるところもない。」

26) その時ひとりの使徒は言った、「主よ、死んだ父を墓に葬りますから、しばらくここに留まることをお許し下さい、」

27) しかしイエスは言った、「死人が死人の世話が出来る。生ける者は生ける者に仕える。さあ、わたしについて来るのだ。」

28) 夕暮となった。三隻の舟が海に出て居り、イエスは一番先きの舟にやすんでいて眠ってしまった。

29) 嵐が起った。舟は海上で玩具(おもちゃ)のように揺れた。

30) 浪は甲板を洗った。頑丈な船頭はみな助かるまいと恐れた。

31) するとトマスは先生がぐっすり眠っているのを見つけ、声をかけたので、イエスは目をさました。

32) そしてトマスは言った、「この嵐をごらんなさい、先生はわたしたちをお構いになりませんか。舟は沈むばかりです。」

33) するとイエスは立って手を挙げ、人が人にもの言うように、風と浪の霊に話しかけた。

34) すると見よ、風は吹きやみ、浪は震えながら彼の足に接吻した。産みは静まった。

35) それからイエスは言った、「あなたがた信仰の人よ、あなたがたの信仰はどこにあるか。あなたがたは話が出来るから、風と浪はこれを聞いて従うだろう。」

36) 弟子たちはおどろいて、「風や、嵐や浪さえその声に従うとは、この人はどんな方だろう?」と言った。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


CHAPTER 117

A royal feast is held in Machaerus. John, the harbinger, is beheaded.
His body is buried in Hebron. His disciples mourn.
The Christines cross the sea in the night.
Jesus calms a raging storm.

A ROYAL feast was held in honor of the birthday of the tetrarch in fortified Machaerus, east of the Bitter Sea.
2) The tetrarch, Herod, and his wife, Herodias, together with Salome were there; and all the men and women of the royal court were there.
3) And when the feast was done, lo, all the guests and courtiers were drunk with wine; they danced and leaped about like children in their play.
4) Salome, daughter of Herodias, came in and danced before the king. The beauty of her form, her grace and winning ways entranced the silly Herod, then half drunk with wine.
5) He called the maiden to his side and said,
Salome, you have won my heart, and you may ask and I will give you anything you wish.
6) The maiden ran in childish glee and told her mother what the ruler said.
7) Her mother said,
Go back and say, Give me the head of John, the harbinger.
8) The maiden ran and told the ruler what she wished.
9) And Herod called his trusty executioner and said to him,
Go to the tower and tell the keeper that by my authority you come to execute the prisoner known as John.
10) The man went forth and in a little while returned and on a platter bore the lifeless head of John, and Herod offered it unto the maiden in the presence of the guests.
11) The maiden stood aloof; her innocence was outraged when she saw the bloody gift, and she would touch it not.
12) Her mother, steeped and hardened well in crime, came up and took the head and held it up before the guests and said,
13) This is the fate of every man who dares to scorn, or criticize, the acts of him who reigns.
14) The drunken rabble gazed upon the gruesome sight with fiendish joy.
15) The head was taken back unto the tower. The body had been given unto holy men who had been friends of John; they placed it in a burial case and carried it away.
16) They bore it to the Jordan, which they crossed just at the ford where John first preached the word;
17) And through the passes of the Judean hills they carried it.
18) They reached the sacred grounds near Hebron, where the bodies of the parents of the harbinger lay in their tombs;
19) And there they buried it; and then they went their way.
20) Now, when the news reached Galilee that John was dead the people met to sing the sonnets of the dead.
21) And Jesus and the foreign masters and the twelve took ship to cross the sea of Galilee.
22) A scribe, a faithful friend of John, stood by the sea; he called to Jesus and he said,
Rabboni, let me follow where you go.
23) And Jesus said,
You seek a safe retreat from evil men. There is no safety for your life with me;
24) For evil men will take my life as they have taken John's.
25) The foxes of the earth have safe retreats; the birds have nests secure among the hidden rocks, but I have not a place where I may lay my head and rest secure.
26) Then an apostle said,
Lord, suffer me to tarry here a while, that I may take my father, who is dead, and lay him in the tomb.
27) But Jesus said,
The dead can care for those who die; the living wait for those who live; come, follow me.
28) The evening came; three boats put out to sea and Jesus rested in the foremost boat; he slept.
29) A storm came on; the boats were tossed about like toys upon the sea.
30) The waters swept the decks; the hardy boatmen were afraid lest all be lost.
31) And Thomas found the master fast asleep; he called, and Jesus woke.
32) And Thomas said,
Behold the storm! have you no care for us? The boats are going down.
33) And Jesus stood; he raised his hand; he talked unto the spirits of the winds and waves as men would talk with men.
34) And, lo, the winds blew not; the waves came tremblingly and kissed his feet; the sea was calm.
35) And then he said,
You men of faith, where is your faith? for you can speak and winds and waves will hear and will obey.
36) And the disciples were amazed. They said,
Who is this man that even winds and waves obey his voice?

 【続く】


不思議な少年!! その117

2012-09-11 09:44:59 | 物語

イエス小麦と毒麦の譬えを説明す。譬えで天国の発展を説く。樹木の生長。パン種。かくれた宝! 


 前回の譬えの詳細説明。  


627948129

<記事に無関係

 


 

 付け足す必要はないだろう。 



ピリポの家のキリスト者。イエス小麦と毒麦の譬えを説明す。譬えで天国の発展を説く。樹木の生長。パン種。かくれた宝。山に行って祈る。


 キリスト者がピリポの家に居た時、ペテロはイエスに言った、「主よ、今日話された譬えの意味をわたしどもに説明して下さいませんか。特に小麦と毒麦の譬えをです。」


 そこで、イエスは言った、「神の国は二重性で、外部と内部の姿がある。人間から見れば、神の国は人々、即ちキリストの名を告白した人々から出来ている。種々様々な理由で色々な人々がこの外部の神の国に集まって来る。


内部の神の国は魂の国、心の清き者の国である。


 外部の国は譬えで説明することが出来る。見よ、わたしは君たちが海に大きな網を投げ入れるのを見た。そしてこれを引き揚げると、見よ、色々な魚が一杯で、良いものと悪いもの、大小様々であったが、わたしは良いものを拾い集め、悪いものを投げ捨てるのを見た。


 この外部の国は網で、色々の人間が捕えられるが、選別の日となれば悪い者は投げ捨てられ、良い者は拾い集められる。それで小麦と毒麦の譬えの意味を聞くがよい。


 種子蒔く者は人間の子ら、畠はこの世、良種は光の子、毒麦は闇の子、敵は肉の自我、収穫の日は時代の終り、刈り手は神の使者。


 審判日はすべての人に来る。その時毒麦は集めて火に投げ入れて焼かれる。良き者は魂の御国で太陽のように輝くだろう。」


 するとピリポは言った、「男も女も生命の道を見いださなかったら焔のなかで苦しまければなりませんか。」


 イエス、「火は清める、化学者はあらゆる種類の金屑(かなくず)を含む鉱石を火中に投ずる。無用の金属は焼き尽くされたように見えるが、黄金は一粒(グレン)も失われない。


 どんな人にも焼き尽くされることの出来ない黄金のない者はない。人々の悪事はみんな火に焼き捨てられ、黄金は後に残る。


 内なる魂の御国はこれを譬えで説明することが出来る。


 人の子は出て行って真理の種子をまきちらす。神は能く土に水を注ぐ。種子は生命を示して発育する。初めに葉、次ぎに茎、それから穂、それから穂に熟した小麦。収穫となれば、見よ、刈り手は熟した束を主の倉庫に運ぶ。


 また、この魂の御国は人が肥えた土地に植える小さな種子のようなものである。(この千粒の種子でも僅かに一シュケルの重さもないだろう。)


 その小さな種子が育ち始めて、土をつき抜ける。育って数年たてば大木となって、鳥はその鬱蒼(うっそう)たる葉かげにやすみ、また人々はその蔭(かげ)深き避難所の下で日光や嵐を避ける。


 また真理、即ち魂の御国はパン種のようなもので、女がこれを三斗の粉のなかにかくしておくとしばらくして全体がふくらんで来る。


 また魂の御国は人が見つけて、畠に隠しておいた宝のようなものだ。彼は直ちに行って自分の持ち物を全部売り払って、その畠を買い取る。」


 こう言ってからイエスはひとりで祈ろうと近くの山道に入っていった。


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            



第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百十六章 ピリポの家のキリスト者。イエス小麦と毒麦の譬えを説明す。譬えで天国の発展を説く。樹木の生長。パン種。かくれた宝。山に行って祈る。


1) キリスト者がピリポの家に居た時、ペテロはイエスに言った、「主よ、今日話された譬えの意味をわたしどもに説明して下さいませんか。特に小麦と毒麦の譬えをです。」

2) そこで、イエスは言った、「神の国は二重性で、外部と内部の姿がある。

3) 人間から見れば、神の国は人々、即ちキリストの名を告白した人々から出来ている。

4) 種々様々な理由で色々な人々がこの外部の神の国に集まって来る。

5) 内部の神の国は魂の国、心の清き者の国である。

6) 外部の国は譬えで説明することが出来る。見よ、わたしは君たちが海に大きな網を投げ入れるのを見た。

7) そしてこれを引き揚げると、見よ、色々な魚が一杯で、良いものと悪いもの、大小様々であったが、わたしは良いものを拾い集め、悪いものを投げ捨てるのを見た。

8) この外部の国は網で、色々の人間が捕えられるが、選別の日となれば悪い者は投げ捨てられ、良い者は拾い集められる。

9) それで小麦と毒麦の譬えの意味を聞くがよい。

10) 種子蒔く者は人間の子ら、畠はこの世、良種は光の子、毒麦は闇の子、敵は肉の自我、収穫の日は時代の終り、刈り手は神の使者。

11) 審判日はすべての人に来る。その時毒麦は集めて火に投げ入れて焼かれる。

12) 良き者は魂の御国で太陽のように輝くだろう。」

13) するとピリポは言った、「男も女も生命の道を見いださなかったら焔のなかで苦しまければなりませんか。」

14) イエス、「火は清める、化学者はあらゆる種類の金屑(かなくず)を含む鉱石を火中に投ずる。

15) 無用の金属は焼き尽くされたように見えるが、黄金は一粒(グレン)も失われない。

16) どんな人にも焼き尽くされることの出来ない黄金のない者はない。人々の悪事はみんな火に焼き捨てられ、黄金は後に残る。

17) 内なる魂の御国はこれを譬えで説明することが出来る。

18) 人の子は出て行って真理の種子をまきちらす。神は能く土に水を注ぐ。種子は生命を示して発育する。初めに葉、次ぎに茎、それから穂、それから穂に熟した小麦。

19) 収穫となれば、見よ、刈り手は熟した束を主の倉庫に運ぶ。

20) また、この魂の御国は人が肥えた土地に植える小さな種子のようなものである。

21) (この千粒の種子でも僅かに一シュケルの重さもないだろう。)

22) その小さな種子が育ち始めて、土をつき抜ける。育って数年たてば大木となって、鳥はその鬱蒼(うっそう)たる葉かげにやすみ、また人々はその蔭(かげ)深き避難所の下で日光や嵐を避ける。

23) また真理、即ち魂の御国はパン種のようなもので、女がこれを三斗の粉のなかにかくしておくとしばらくして全体がふくらんで来る。

24) また魂の御国は人が見つけて、畠に隠しておいた宝のようなものだ。彼は直ちに行って自分の持ち物を全部売り払って、その畠を買い取る。」

25) こう言ってからイエスはひとりで祈ろうと近くの山道に入っていった。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


CHAPTER 116

The Christines are in Philip's home. Jesus interprets the parable of the wheat and tares.
He explains the unfoldment of the kingdom by parables: the good seed;
the growth of the tree; the leaven; the hidden treasure. He goes to a mountain to pray.

THE Christines were in Philip's home and Peter said to Jesus,
Lord, will you explain to us the meaning of the parables you spoke today? The one about the wheat and tares, especially?
2) And Jesus said,
God's kingdom is a duality; it has an outer and an inner form.
3) As seen by man it is composed of men, of those who make confession of the name of Christ.
4) For various reasons various people crowd this outer kingdom of our God.
5) The inner kingdom is the kingdom of the soul, the kingdom of the pure in heart.
6) The outer kingdom I may well explain in parables. Behold, for I have seen you cast a great net out into the sea,
7) And when you hauled it in, lo, it was full of every kind of fish, some good, some bad, some great, some small; and I have seen you save the good and throw the bad away.
8) This outer kingdom is the net, and every kind of man is caught; but in the sorting day the bad will all be cast away, the good reserved.
9) Hear, then, the meaning of the parable of the wheat and tares:
10) The sower is the son of man; the field, the world; the good seed are the children of the light; the tares, the children of the dark; the enemy, the carnal self; the harvest day, the closing of the age; the reapers are the messengers of God.
11) The reckoning day will come to every man; then will the tares be gathered up, and cast into the fire and be burned.
12) Then will the good shine forth as suns in the kingdom of the soul.
13) And Philip said,
Must men and women suffer in the flames because they have not found the way of life?
14) And Jesus said,
The fire purifies. The chemist throws into the fire the ores that hold all kinds of dross.
15) The useless metal seems to be consumed; but not a grain of gold is lost.
16) There is no man that has not in him gold that cannot be destroyed. The evil things of men are all consumed in fire; the gold survives.
17) The inner kingdom of the soul I may explain in parables:
18) The son of man goes forth and scatters seeds of truth; God waters well the soil; the seeds show life and grow; first comes the blade, and then the stalk, and then the ear, and then the full wheat in the ear.
19) The harvest comes and, lo, the reapers bear the ripened sheaves into the garner of the Lord.
20) Again, this kingdom of the soul is like a little seed that men may plant in fertile soil.
21) (A thousand of these seeds would scarcely be a shekel's weight.)
22) The tiny seed begins to grow; it pushes through the earth, and after years of growth it is a mighty tree and birds rest in its leafy bowers and men find refuge 'neath its sheltering boughs from sun and storm.
23) Again, the truth, the spirit of the kingdom of the soul, is like a ball of leaven that a woman hid in measures, three, of flour and in a little time the whole was leavened.
24) Again, the kingdom of the soul is like a treasure hidden in a field which one has found, and straightaway goes his way and sells all that he has and buys the field.
25) When Jesus had thus said he went alone into a mountain pass near by to pray.

 【続く】


不思議な少年!! その116

2012-09-10 07:00:00 | 物語

イエス海辺で教える。種子まきの譬え。譬えで教える理由。種子まきの譬えの説明。麦とからすむぎの譬え! 


 すぐれた教師は、たとえ話が上手である。対機説法とはこう言うことを言う。


 つまり、


 人はそれぞれ、同じ言葉でも聞く度量が違うからであろう。  


54a53f06

6a0ac0c5

<記事に無関係:スカイタワーからのゲリラ雨の様子・・ヨッシーさん より>

 


 

 それにしても、魂の教えを込める技は、到底まねの出来ることではない。良く理解できるであろう。 


 譬えで語られてはいるが、最後の審判もよく分かる。これは誰しものに当てはまる話だ。肝に銘じておくことが肝要である。毒麦(からすむぎ)は選別されて、焼かれる。


 つまり、


 この世の悪人は、この世では捨て置かれるが、収穫時期には選別されるというのである。このことは別に表現すれば、天網恢々、疎にして漏らさずと似ている。


 確かに、この世の法律で裁かれる場合も多い。そうでない場合が多いであろう。はたまた、何もお咎めがないばかりか、小麦(善人)が損なわれるように、無実の罪を被る場合もある。


 しかし、最期には峻別されるものだ。うまく生き仰せたとしても、はたして、迂闊には安心は出来ないのだ。やはり、真実に生きると言うことが、いかに重要であるか、悟るものは幸いであろう。 


 まことに分かりやすいし、安心立命とその極意がある。


 時に、物事は深くも浅くも知ることが出来る。それは自由に委ねられているが、出来るならば、実り豊かな人生を歩みたいものだ。 



イエス海辺で教える。種子まきの譬え。譬えで教える理由。種子まきの譬えの説明。麦とからすむぎの譬え。


 イエスは海辺に立って教えた。群衆は殺到して来たので、彼は近くにある舟に乗り、岸辺から少し離れてから、語った。


 「見よ、播く者が種子をまこうと畠に出かけた。彼は惜し気もなくおおまかにまき散らしたから、人の作った固い道に落ちた種子もあった。


 すると直ちにほかの人々の足下に踏みつけられたり、鳥がおりて来て種子をみなついばんでしまった。


 ある種子は土のすくない石地に落ちて育ち、直ちに葉が出て大変見栄えがあった。しかし、土が深くないし、養分がとれないので、昼間の炎熱で焼けて枯れてしまった。


 ある種子はいばらの生えているところに落ちたが、育てる土がないので、やがて無くなってしまった。


 しかしほかの種子は肥えた柔らかな土地に落ちてずんずん大きくなって、収穫時(かりいれどき)になって来て見れば、或ものは百倍、或ものは六十倍、或ものは三十倍になった。


 聞く耳ある人は聞き、さとき心の人は悟るがよい」


 弟子たちは舟に乗って彼の近くにいたが、トマスは尋ねた、「なぜ譬えで話されますか。」


 イエスは言う、「わたしの言葉は教師の言葉のように、二重の意味がある。魂の言葉を知るあなたがたは、わたしの言葉は意味深長であるが、ほかの人には分からない。


 わたしが言うほかの意味は民衆がみな分かるので、その言葉は彼らの食物となり、中身の深い思想はあなたがたの食物である。


 人はすべて手を出して自分の取れる食物をとるがよい。


 それからイエスはすべての人々が聞くように語って言った。「この譬えの意味を聞くがよい。人々がわたしの言葉を聞いても分からない。それで肉の自我が種子をぬすみ取り、霊の生命のしるしが現われて来ない。


 これは人々の踏み固めた道に落ちた種子である。


 ほかの人々は生命の言葉を聞いて火が燃えるような熱心さでみなこれを受け入れ、真理も約束もすっかり分かったように思われる。しかし困難が来る。失望が起る。思想に深みがないから、折角の善意も枯れて無くなる。


 これが石地に落ちた種子である。


 またほかの人々は真理の言葉を聞いて、その価値が分かるような気がする。しかし快楽、名誉、財産、評判などを愛して土地をすっかり塞いでしまうから、種子は育たずに消えてしまう。


 これがあざみやいばらの中に落ちた種子である。


 しかしまたほかの人々は真の言葉を聞いて能くさとり、魂の奥深くこれを埋める。これによって彼らは清き生活を送り、全世界が祝福される。


 これが肥えた土地に落ちた種子であって、豊かに実を結ぶ。


 あなたがたガリラヤ人よ、よく聞いてほしい。いかに畠を耕すべきかを注意するがよい。若し今日聞くところのことを軽んずるなら、種子をまく者は今もあとでも来ないかも知れない。」


 それからイエスはほかの譬えを語った、


 「天国は或る人が貴き種子を播いた畠にたとえられよう。しかし、眠っている間に、悪人が来て、毒麦の種子をどっさり播いて去って行った。


 土地が良いので、小麦も毒麦も生えた。そして僕たちが見ると、小麦のなかに毒麦を見つけたから、畠の持主をさがして言った。


 『あなたは確かに良い種子をまいた。それなのに、どこから毒麦がはえたのだろうか。』


 持主、『誰か悪い者が毒麦の種子をまいたのだ。』


 僕たちは言った、『それでは行って毒麦を根こそぎ引き抜いて火に焼き捨てましょうか。』


 持主、「いや、それはよくあるまい。小麦と毒麦は畠で一緒に育っているから、毒麦を抜くつもりで小麦をそこなうかも知れない。それだから刈り入れ時まで一緒に育てておくがよい。


その時にわたしは刈る者に言を言おう、さあ出て行って毒麦を集めて束にして焼き、それから小麦をみんな集めてわたしの倉に収めてくれ」


 イエスはこれだけ言って舟を棄てて家に帰り、弟子たちも一緒に行った。


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 

第百十五章 イエス海辺で教える。種子まきの譬え。譬えで教える理由。種子まきの譬えの説明。麦とからすむぎの譬え。

1) イエスは海辺に立って教えた。群衆は殺到して来たので、彼は近くにある舟に乗り、岸辺から少し離れてから、語った。

2) 「見よ、播く者が種子をまこうと畠に出かけた。

3) 彼は惜し気もなくおおまかにまき散らしたから、人の作った固い道に落ちた種子もあった。

4) すると直ちにほかの人々の足下に踏みつけられたり、鳥がおりて来て種子をみなついばんでしまった。

5) ある種子は土のすくない石地に落ちて育ち、直ちに葉が出て大変見栄えがあった。

6) しかし、土が深くないし、養分がとれないので、昼間の炎熱で焼けて枯れてしまった。

7) ある種子はいばらの生えているところに落ちたが、育てる土がないので、やがて無くなってしまった。

8) しかしほかの種子は肥えた柔らかな土地に落ちてずんずん大きくなって、収穫時(かりいれどき)になって来て見れば、或ものは百倍、或ものは六十倍、或ものは三十倍になった。

9) 聞く耳ある人は聞き、さとき心の人は悟るがよい」

10) 弟子たちは舟に乗って彼の近くにいたが、トマスは尋ねた、「なぜ譬えで話されますか。」

11) イエスは言う、「わたしの言葉は教師の言葉のように、二重の意味がある。

12) 魂の言葉を知るあなたがたは、わたしの言葉は意味深長であるが、ほかの人には分からない。

13) わたしが言うほかの意味は民衆がみな分かるので、その言葉は彼らの食物となり、中身の深い思想はあなたがたの食物である。

14) 人はすべて手を出して自分の取れる食物をとるがよい。

15) それからイエスはすべての人々が聞くように語って言った。「この譬えの意味を聞くがよい。

16) 人々がわたしの言葉を聞いても分からない。それで肉の自我が種子をぬすみ取り、霊の生命のしるしが現われて来ない。

17) これは人々の踏み固めた道に落ちた種子である。

18) ほかの人々は生命の言葉を聞いて火が燃えるような熱心さでみなこれを受け入れ、真理も約束もすっかり分かったように思われる。

19) しかし困難が来る。失望が起る。思想に深みがないから、折角の善意も枯れて無くなる。

20) これが石地に落ちた種子である。

21) またほかの人々は真理の言葉を聞いて、その価値が分かるような気がする。しかし快楽、名誉、財産、評判などを愛して土地をすっかり塞いでしまうから、種子は育たずに消えてしまう。

22) これがあざみやいばらの中に落ちた種子である。

23) しかしまたほかの人々は真の言葉を聞いて能くさとり、魂の奥深くこれを埋める。これによって彼らは清き生活を送り、全世界が祝福される。

24) これが肥えた土地に落ちた種子であって、豊かに実を結ぶ。

25) あなたがたガリラヤ人よ、よく聞いてほしい。いかに畠を耕すべきかを注意するがよい。若し今日聞くところのことを軽んずるなら、種子をまく者は今もあとでも来ないかも知れない。」

26) それからイエスはほかの譬えを語った、

27) 「天国は或る人が貴き種子を播いた畠にたとえられよう。

28) しかし、眠っている間に、悪人が来て、毒麦の種子をどっさり播いて去って行った。

29) 土地が良いので、小麦も毒麦も生えた。そして僕たちが見ると、小麦のなかに毒麦を見つけたから、畠の持主をさがして言った。

30) 『あなたは確かに良い種子をまいた。それなのに、どこから毒麦がはえたのだろうか。』

31) 持主、『誰か悪い者が毒麦の種子をまいたのだ。』

32) 僕たちは言った、『それでは行って毒麦を根こそぎ引き抜いて火に焼き捨てましょうか。』

33) 持主、「いや、それはよくあるまい。小麦と毒麦は畠で一緒に育っているから、毒麦を抜くつもりで小麦をそこなうかも知れない。

34) それだから刈り入れ時まで一緒に育てておくがよい。その時にわたしは刈る者に言を言おう、

35) さあ出て行って毒麦を集めて束にして焼き、それから小麦をみんな集めてわたしの倉に収めてくれ」

36) イエスはこれだけ言って舟を棄てて家に帰り、弟子たちも一緒に行った。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


CHAPTER 115

Jesus teaches by the sea. He relates the parable of the sower.
Tells why he teaches in parables. Explains the parable of the sower.
Relates the parable of the wheat and tares.

AND Jesus stood beside the sea and taught; the multitudes pressed close upon him and he went into a boat that was near by and put a little ways from shore, and then he spoke in parables; he said,
2) Behold, a sower took his seed and went into his field to sow.
3) With lavish hand he scattered forth the seed and some fell in the hardened paths that men had made,
4) And soon were crushed beneath the feet of other men; and birds came down and carried all the seeds away.
5) Some seed fell on rocky ground where there was little soil; they grew and soon the blades appeared and promised much;
6) But then there was no depth of soil, no chance for nourishment, and in the heat of noonday sun they withered up and died.
7) Some seed fell where thistles grew, and found no earth in which to grow and they were lost;
8) But other seed found lodgement in the rich and tender soil and grew apace, and in the harvest it was found that some brought forth a hundred fold, some sixty fold, some thirty fold.
9) They who have ears to hear may hear; they who have hearts to understand may know.

10) Now, his disciples were beside him in the boat, and Thomas asked,
Why do you speak in parables?
11) And Jesus said,
My words, like every master's words, are dual in their sense.
12) To you who know the language of the soul, my words have meanings far too deep for other men to comprehend.
13) The other sense of what I say is all the multitude can understand; these words are food for them; the inner thoughts are food for you.
14) Let every one reach forth and take the food that he is ready to receive.
15) And then he spoke that all might hear; he said, Hear you the meaning of the parable:
16) Men hear my words and understand them not, and then the carnal self purloins the seed, and not a sign of spirit life appears.
17) This is the seed that fell within the beaten paths of men.
18) And others hear the words of life, and with a fiery zeal receive them all; they seem to comprehend the truth and promise well;
19) But troubles come; discouragements arise; there is no depth of thought; their good intentions wither up and die.
20) These are the seeds that fell in stony ground.
21) And others hear the words of truth and seem to know their worth; but love of pleasure, reputation, wealth and fame fill all the soil; the seeds are nourished not and they are lost.
22) These are the seeds that fell among the thistles and the thorns.
23) But others hear the words of truth and comprehend them well; they sink down deep into their souls; they live the holy life and all the world is blest.
24) These are the seeds that fell in fertile soil, that brought forth fruit abundantly.
25) You men of Galilee, take heed to how you hear and how you cultivate your fields; for if you slight the offers of this day, the sower may not come to you again in this or in the age to come.
26) Then Jesus spoke another parable; he said:
27) The kingdom I may liken to a field in which a man sowed precious seed;
28) But while he slept an evil one went forth and sowed a measure full of darnel seed; then went his way.
29) The soil was good, and so the wheat and darnel grew; and when the servants saw the tares among the wheat, they found the owner of the field and said,
30) You surely sowed good seed; from whence these tares?
31) The owner said, Some evil one has sown the seed of tares.
32) The servants said, Shall we go out and pull up by the roots the tares and burn them in the fire?
33) The owner said, No, that would not be well. The wheat and tares grow close together in the soil, and while you pull the tares you would destroy the wheat.
34) So we will let them grow together till the harvest time. Then to the reapers I will say,
35) Go forth and gather up the tares and bind them up and burn them in the fire, and gather all the wheat into my barns.
36) When he had spoken thus, he left the boat and went up to the house, and his disciples followed him.

 【続く】