O君が急逝した…
急逝だから後で知ることになる…!
悲しみは深い
死が人を悲しませるのは、
音信が断絶するからで、
存在が無になるからではない…
O君は度々体外離脱を経験していた。(そう確信的に語っていた)
それを信じていたし、
そこが、
共有できる友人は極めて少ない。
その意味で同志を失った感覚が大きく、
喪失感が深い。
とは言え、
年に一度も会うということはなく、
今年になってからは電話で話したのも数回だった。
でも、
一度声を聴けば、
話す内容は自ずと分かるという感覚がある。
議論することはほとんどない。
結論がほとんど一致する。
そういう間柄があるのである。
常日頃、
体外離脱を経験している所為か、
死を恐れるとか、
忌み嫌う感覚はほとんどなかった。
これは大したものである。
その体外離脱に関する経験談を彼のブログから一つ紹介しておこう。
今もサイトに存在する。
【転載開始】
ほとんど拙稿『魂の法則』の世界だが、
字義通り理解できるし、
ご縁が出来たのはこのブログを通じてである。
かれはモンロー研究所のヘミシングを通じての体外離脱体験だったようだ。
それについて、
反論も異論もさしはさんだ事は一切ない。
体験がまさに真実であったと納得できたからである。
<X氏と対談、『放射能フリー野菜』の拡販に協力!! 初対面のO氏>
今度は、
本当に還らぬ体外離脱をしてしまった。
もう、
元に帰る気がない様だ。
近時のFacebookで述懐している・・・。
「僕は共産主義体制の日本で生きるつもりはない。その時は、亡き女房のところに逝くよ。」
まさに、
飄然として逝った。
飄然の『飄』は『つむじ風』と読む。
そこが肝胆相照らした友であったかもしれない。
音信が途絶えたことを慙愧の至りだ。
人生は、
たった一人で始まる。
様々なご加護があることは認めるとしても、
この世に投げ入れられた瞬間は一人であることは否めない。
両親や様々な出会いがあって、
道が作られる。
しかし、
逝くときはまた一人である。
一人で生まれて、
一人で逝く。
頼りとするのは、
人生の道すがら『一里塚』をいくつも通り過ぎながら、
エキサイトな出来事を体験する。
そして、
総ては心に体験した想いのみを抱いて逝くことになる。
これは鉄則だ。
どんなに栄耀栄華を尽くしても、
又、
困窮を体験しても、
逝くときは体験した想いのみを抱いているだけである。
それが納得のいくものか?
それとも、
忸怩たるものか?
後悔か?
満足か?
それしかないものと思われる。
彼の人生は細かく存じ上げる立場ではないが、
数少ない対話の中で、
一つの確信がある。
雄々しく生き切った部類に入るだろう。
未練たらしく語った記憶がない。
愛し、
尽くし、
楽しんだ人生であったと確信がある。
ありがとう。
O君。
自由の世界に羽ばたいている事だろう…合掌!
【参考資料】
本日のつぶやき⇒https://twitter.com/hyouhei