飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

臨死体験!その3 あらゆる可能性は同時に存在している!

2015-12-31 13:46:53 | 魂の法則Part2

この臨死体験シリーズは、
各編に続きがある・・・。

表題と融合するには、
その続きを読み進めた方が早いだろう。

多分、字数の関係で一挙転載が難しかったものと察する・・・。
連載終了後、その続きも元ブログから転載する予定・・・。


縁あって、「魂の法則」「愛の法則」を連載させていただいたが、

その縁を取り持って下さったスペイン在住の「人生、波瀾万丈」さんから、

アニータさんの臨死体験の話」を連載したいと思う。

 

簡単に言うと、

過去現在未来は、一点に存在するということだろう。

と言っても、

SF的で分からない人も多いと思われる。

又、中々言葉で表現するにも限界がある。


分かりやすく表現すれば、

バックツーザ・フーチャーではないが、

過去に遡って、原因を取り除けば、

未来が変わっているという類の話であろう。

それが、

過去ではなく、現在の一点でも可能である。



その一点とは、時空を貫いていなければならない。

つまり、ひとつの特定次元に拘泥しているようでは、

実現困難である。

例えば、臨死体験などはその反対で、

この世で存在しながら、あの世とも通じている・・・

同時存在状態である。


その時は、その時点の判断で過去も未来も変わるようである。

勿論、現在も変わることは当然であるとして、

まことに不思議な臨死体験である。

これはリンクの続きを読み進めて頂くとよく分かるだろう。


これは示唆として、

生き方にも大いに参考になる。

過去に因われず、未来を憂えることなく、

現在を一瞬一秒、真剣に生きるということが大切である。

それしかないのである。


とは言え、

そうも行かないのが煩悩(エゴ)の深さかも知れない。

それはそれとして、

方向性は見出すことは出来るであろう。

とにかく、実存の世界はそうなっているということである。


これは唯物論者には理解できないだろう。

彼らは、唯物、つまり、物質主義者であり、その他は無である。

当然、死=無=ゼロ(0)である。

従って、この世×あの世=ゼロ(0)=臨死なのであろうから、

体験など妄想に過ぎない。


実存とは、在りてあるものを言うとすれば、

物質こそ実存であって、その他は無であるとする思考は、

最終的に無になるとの論理帰結であるから、

狭く、寂しいことこの上ない。

真の実存は、

あの世こそ、存在の源流であって、この世はその下流に過ぎない。


臨死はこの世側の観点であって、

あの世からすれば、臨在である。

そうすると、

「あらゆる可能性は同時に存在している!」という意味も、

少しは理解できるというものである。

 

 

【転載開始】

あらゆる可能性は同時に存在している!

2013-07-03 06:50:56 | Cancer/Salud

7月が始まりました。
2013年も前半が終わり、後半に突入してしまいました。

今年に入って、私の身の回りはとても忙しくなっています。
去年もその前も、ずっと忙しかったのですが、ちょっと質が違うんです。
説明すると長くなるし、私もどう説明したらいいのかまだ言葉にならない
状態なので、今回は、詳しくは書きません。

ただ、今までの忙しさは、とても重苦しい感じがしていたのですが、
今年に入ってからの忙しさは、わくわく感と、未来につながる明るい
兆しが感じられるので、私自身の気持ちの問題なのかもしれません。。。

巷に言われている、地球のエネルギーが変わったとか、波動が
上昇している、というのと、関係あるような気もします。。。

さて、昨日7月1日、2013年後半が始まる日ということで、
思い切って、早起きして、山の上から日の出を見ました!
家から一番近い山で、街道沿いにのんびり登る道なので
往復1時間半。。。
ほぼ頂上のところで、日の出が始まりました。
その写真が、一番上です。

山並の上に龍の雲が伸びていて、出てきたばかりのお日さまを
くわえているように見える、なんだか縁起のよい日の出でした。
下がそのアップ。。。



とまぁ、前置きはこれくらいにして・・・。
先日書いた、『選択次第で、癒える・・・』、そして、
一昨日の『私たちは何でも帰られる!』の続きです。

【臨死体験で末期癌が消えた! ③ アニータ・モージャニさんの臨死体験】
から、日本語部分だけ転載します。。。

【転載開始】

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▼ 下記の対訳は、2006年に書かれたアニータ・モージャニさんの公式サイトの
   英文記事 を、ゆうこが許可を得て和訳したものです。、
  上の動画のテキストではありませんが、内容は同じなので、参考にしてください。
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追加質問とアニータの回答 2006年8月       (和訳: ゆうこ )
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この体験談があまりにも驚くべきものだったので、私はアニータさんに追加質問のメールを送りました。
質問の下にあるのが彼女の回答です。 
              ―― 臨死研究協会  ジェフリー・ロング博士 (放射線腫瘍医)

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ジェフリー・ロング博士の質問
-----------------------------------------

1). 素晴らしい文章です!
  今までに英語圏で暮らしたことはありますか?

2). ホジキンリンパ腫だったとのことですが、それは生検で診断されたのですか? 
  どうやって診断されたのですか?

3). すべてのリンパ節腫大が完全に消えたのは、抗癌剤療法を始めてどれくらい後ですか?

4). すでに行われていた検査の結果があなたの選択次第で変わり得たというのは驚くべきことです。
  もしこの世に戻らない選択をしていたとしたら、地球時間で言えば、検査の結果は
  あなたの選択の後に変わっていたのでしょうか?
  それとも採血時 (地球時間で言えば、この世に戻る選択をする前だと思いますが) に
  検査結果に影響を与えていたのでしょうか?   
  これについて、さらなるコメントをいただければ大変ありがたいです。

5). 「このことから、すべての物事は実在しない ということに気づいた (意識が変わったら癌も消えた!)
  と同時に、自分がすばらしくパワフルに感じられるようになり、
  人生に対して全く異なった理解を持つようになりました」 とのことですが、
  これについてもう少しお教えいただければ、癌治療に携わっている医師として大変ありがたいです。

6). あなたの治療に携わった医師たちは、私と接触することに興味を持ってくれるでしょうか? 
  あなたの病気の診断や治療に関する情報の公開には、あなたのご承諾が必要となります。
  もしあなたの医師たちが、あなたの体験をまとめ、症例報告として医学文献に発表する
  気があれば、私は喜んでできるかぎりのサポートをいたします。
  それは確実に貴国における臨死体験への理解の増大につながると思います。

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アニータの回答
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ご返事ありがとうございます。 そしてわたしの英語へのお褒めの言葉も! 

香港は1997年まで英国の植民地でしたので、
わたしは全教育期間を通して、この地の英国系私立学校で学びました。

香港には英国高官の子弟のために設立された学校がいくつもありましたし、
大企業のほとんどは英国人が経営していました。

香港の学校を終えると、わたしは英国マンチェスターでもう少し勉強し、
卒業後、香港に戻りました。

そして、よく似た経歴の男性と、この地で結婚しました。
彼はわたしと同じくインド人で、香港で生まれ育ち、
両親の母国との実際的なつながりはありません。
そしてわたしは香港でずっと働いてきました。

ところで先に進む前に、ちょっとお伝えしておきたいことがあります。
あなたのメールを見て鳥肌が立ったのです。
わたしは臨死体験をした時、自分の未来のあれこれを見たり直感したりできました。
それでわかったことは、「生」 に戻らないといけない理由の1つは、
わたしが人々の生き方に触れ、気づきをもたらすことになっていることでした。

何千、何万という人々に気づきをもたらすことになっているということが、あの意識状態で
とにかくわかったのです。
でも、どうやってそれをやるのかはわからず、
ただ人々に気づきをもたらすような何かをするということだけわかっていました。

そして、それを起こすために自分で何かをする必要はなく、
ただありのまま、人生を楽しんでいればいいのだという感覚がありました。

ところが最近このことを考えていて、
わたしはもう元気になったのだから、何か、ためになる生活をしたいな、
人々に気づきをもたらすために何をすることになっているんだろう…と思っていたのです。

そうしたら今朝、あなたからメールが来て、
「これから何年にもわたって何万という人々があなたの体験記を読み、
気づきを得ることは間違いないでしょう」 とありました。

わたしは自分で何もする必要はないんだと感じさせられていたわけが、今こそわかりました!!
臨死体験こそがそれだったんですね!!!


ご質問についてですが、回答がちょっと長すぎるようでしたらごめんなさい。
できるかぎり明瞭にしたいのです。

今から約3年半前のこと、
わたしは首の付け根が左肩に接する所のリンパ腺が腫れ、針生検を受けました。
結果は 「ホジキンリンパ腫」 と出ました。

そして、他にもまだ検査をしなくてはならないけれど、スキャンでは1A期という診断でした。
こういうことは臨死体験に直接関係がないから不必要だと思って、先日の体験談では触れなかった
のですが、少し詳しく述べてみます。

その少し前に、わたしは親友を癌で亡くしていました。 彼女は胸部に肉腫がありました。
肉腫は手術で取り除かれ、続いて抗癌剤投与を受けました。
抗癌剤療法が始まると、彼女の体調はひどく悪化し、
そのままどんどん悪くなって彼女は亡くなりました。
彼女の家族は、「あれは癌で死んだのではない。抗癌剤で殺されたのだ」と憤りを感じていました。

わたしは彼女が病気の間中ずっと一緒にいて、 彼女が抗癌剤で苦しむ恐ろしい姿を見つめ、
彼女が死んでいく有様を見守りました。
彼女は小学校時代からの友だちで、わたしたちは一緒に大きくなったのです。

彼女が死んだその年に、わたしは癌と診断されて驚愕しました。
仲間の多くも、同じようにショックを受けていました。
わたしは抗癌剤療法が怖くてたまらず、処置を拒否して、
癌治療を専門とする自然療法医に診てもらうことにしました。

最初、リンパ節の腫れは縮んでいるようで、わたしたちはその療法が効いているのを感じました。
わたしは抗癌剤治療を受けなくていいので、大いに満足でした。
でも、癌は小さくはなりましたが、完全に消えはしませんでした。

その時わたしは恐怖心だらけで生きていました。癌への恐怖、抗癌剤への恐怖…。
わたしはダイエットを見直し、腸内洗浄をし、自然療法医がくれたすべての薬を飲みました。

けれども2年前ぐらいから、リンパ節はまた大きくなりだしたようでした。
自然療法医は治療法を変え、薬草の専門家にも紹介してくれました。
それでしばらくは安定したように見えましたが、1年前ぐらいから胸に水がたまりだし、
左腕がむくみだしました。

自然療法医は水を抜いてくれましたが、また水がたまり、
その後数回にわたって除水が行われました。
こうしている間にリンパ組織はますます腫れていき、2006年1月になると、
健康状態が2、3週間で劇的に悪化していきました。

呼吸がどんどん困難になり、いつも息を切らしているようになって、
携帯用酸素吸入器を持ち歩かなければならなくなり、体重は減っていき、
満腹感がいつもあるため食べられなくなり、筋肉が衰えて歩けなくなったため
車椅子を使うようになり、皮膚の腫れ物からは汁がにじみ出ていました。
そして2月2日には、とうとう動けなくなりました。

目を開けることができず、歩くことはおろか、ベッドから出ることさえできません。
「ああ、ついにその時がやって来た。わたしは死ぬのだ」 と観念し、
完全に自分を手放しました。

どんな痛みも不快感もなくなりました。
この時わたしは何の薬物の影響下にもなく、完全な明け渡しの意識状態でした。
夫は急いでわたしを病院に運びました。

わたしを診ることになった癌専門医は、診察後、
「手遅れです。わたしにできることは何もありません」 と言いました。
それでも夫が懇願すると、彼女は渋々ほかの医師をつけてくれました。

それはたぶん自分で 「時間の無駄づかい」 をしたくなかったからか、
または、自分の経歴にわたしの死亡事例を残したくなかったからでしょう。
彼女はわたしの自然療法医にとても気を悪くしていて、
彼はもっと早くわたしを病院にまわすべきだった、
わたしが今死にかけているのは 「彼のせい」 だ、とはっきり言いました。

スキャンはリンパ腫がわたしの体全体に広がっていることを示し、
臓器は不全におちいっていました。
そして、手足が風船のように膨れだし、顔も膨れ上がってきました。

癌専門医は、「臓器がもう働かなくなっています。
患者さんは臓器不全で死にかけています」 と言いました。
そして彼女は夫の嘆願を聞き入れて別の癌専門医を呼び、
その医師は夫に、「何もお約束はできませんが、できるかぎりのことをやってみます。
しかしこれから24時間が山です。 患者さんの状態はあまりにも不安定で、
どんな薬を注射するか決めるための生検をやることさえ難しそうですから。
臓器の機能のテストも今すぐ始めます。
臓器不全のあらゆる徴候が出てますからね」 と言いました。

これは、わたしが寝かされている部屋から約12m離れた所で交わされた会話です。
わたしにはそれが見え、聞こえたたのですから、
そのとき体外離脱をしていたことは明らかだと思います。

それはともかく、次に気づいたことは、何本もの針が体に刺され、
何種類かの抗癌剤らしきものが注入されていることでした。
その混合薬が正確にどういうものだったかはわかりません。

そして、酸素を取り込む機械や、食物を取り込むチューブ、
心臓や脈や血圧をモニターする機械など、様々なものが取り付けられていました。

その夜、2つの世界をただよい、「生」に戻るという選択をしたわたしは、
翌朝になると、目覚めた感じが増してきて、あちらの世界よりもこちらの世界に
根を下ろした感じがやや強くなってきました。

そこへ医師たちが入って来て、
わたしの臓器が正常な機能を示すようになったことを告げました。
わたしはまだ少し頭がボーッとしていたのですが、「あら、そのことはもうご存知だと思ってました」
というようなことを言いました。

機内で一夜を過ごした兄が、到着していました。
そしてわたしは、その日の夕方までにははっきりと目が覚め、起き上がれるようになっていました。
わたしの家族みんなが集まって、お祝いを始めました。

それから4日間の回復ぶりは目覚ましく、
わたしは集中治療室 から普通の個室へ移されました。
その4日間に、リンパ節の著しい縮小があったのです。

わたしがすっかり回復しそうになってきたので、癌専門医はわたしの皮膚の腫れ物を
診察するために皮膚科の医師を呼びました。
最初その医師は傷を見て、皮膚が 「むしばまれて」 いるから手術が必要だと言いましたが、
もっとわたしの体力がつくまで待つことにしました。
けれどもわたしの傷は、1、2週間の内に奇跡的に癒えてしまい、
その手術 (首の所と脇の下) は必要なくなりました。

集中治療室 から出て1週間ぐらい後、骨髄生検を受けましたが、
何も見つかりませんでした。
そしてそれから10日ぐらい後、リンパ節生検を受けました。


<この③の記事にはまだ続きがありますので、つづきは、
引用元のゆうこさんの記事をお読みください。>

【転載終了】

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臨死体験!その2 私たちは何でも変えられる! 

2015-12-30 16:09:18 | 魂の法則Part2

臨死体験には、様々なケースがある・・・。
少なくはないといえ、
滅多に起こることでもない・・・。
それぞれに深い意味があるようである・・・。
今回のそれは、末期のしかも寸刻を争う絶命癌に、
時空間を超えて癒しをもたらした魂の真実である。

 

縁あって、「魂の法則」「愛の法則」を連載させていただいたが、

その縁を取り持って下さったスペイン在住の「人生、波瀾万丈」さんから、

アニータさんの臨死体験の話」を連載したいと思う。

 

人生全般についてもそうであるが、

物質次元での航路は、全くの闇である。

そして、その前途は虚しく儚い。

必ず、幻のごとく消え去る運命である。


 

又、

病気の原因は、どこまで追求しても追求しきれるものではない。

古より、病気は気からと言われるように、気が病むと書いてあるが、

気とは何ぞや? と言われても、物質次元での回答はない。

気とは、物質以外のエネルギーだからである。

 

そのエネルギーは、霊から注がれる。

直接人体に影響する気は、アストラル体からエーテル体に注がれ、

エーテル体に生じた現象は、肉体に顕現される。

別な言い方をすれば、病気の雛形は幽体に現れるということだ。

 

従って、

肉体次元(物質次元)で、その原因を追求しても確たる原因を突き止めることは出来ない。

霊である魂のメンタル体以遠(というか深奥の)真因があるのである。

この臨死体験は、そのことを示して余りある。

これは魂の法則「愛の法則から見た病気」編を、

再び、参照いただくとご納得いただけると思われる。


すべての現象は、魂の法則」「愛の法則に則って生じているのである。

物質界に身を置いているだけでは、中々理解し得ない。

一度、臨死体験するとその事が瞬時に了解されるという話である。

この事は、

誰しも未来に大いに希望を抱かせる。


現在、如何なる境遇に居ようとも、

闇の淵に彷徨うとも、未来は確実に明らかにされる世界がある。

本人が、素直に了解されるならという条件付きではあるが、

そのことをこの臨死体験は示しているのである。


人間は、必ず、死ぬ。

敢て、臨死体験が必要であるかというとそうでもないであろう。

死ねば、誰でも分かるはずだ。

しかし、

今生で絶望に苛まれたとき、

しばし肉の次元から多次元の見解に接するとき、

言い知れぬ癒しを感ずる時がある。

誰しも、そうであろうとの確信がある。

 

【転載開始】

私たちは何でも変えられる!

2013-07-01 05:16:58 | Cancer/Salud

今日で、6月が終わり。
2013年の前半が終わることになります。

というわけで、昨日、今日と、3ヵ月ごとの会計処理をしていました。
前回パスしてしまったので、今回は、6か月分まとめて・・・。
まだ、完成していませんが、ほぼ、めどがつき、ほっとしたところです。

それにしても、数字嫌いの私は、見るだけで頭が痛くなってしまいます。
嫌いなんですが、やり始めると、集中してしまって、なかなか切りがつきません。
さっき、大方終わったところで、休憩を取って、散歩へ行ってきました。

久しぶりに夕方のお散歩です。

先日の連続サラマンカ行きで、体力的にかなりきつかったので、
この数日、外に出る気力がなくて、家にお篭もり状態だったんですよ。。。(笑)

一番上の中学入学祝に神戸のじぃじとばぁばが、コンピュータを買ってくれたので、
今のコンピュータを下の2人の共有にするのですが、置く場所をどこにするか、
考えて、部屋の片づけをしてたから、寝込んでいたりしていたわけじゃないです。

それに、会計処理で、数字とにらめっこしてましたし。。。
請求書・領収書・レシートを計上するかしないか、分類が今回は大変でした。。。

とまぁ、前置きはこれくらいにして・・・。
一昨日書いた、『選択次第で、癒える・・・』の続きです。

【臨死体験で末期癌が消えた! ② アニータ・モージャニさんの臨死体験】
から、日本語部分だけ転載します。。。




【転載開始】

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▼ 下記の対訳は、2006年に書かれたアニータ・モージャニさんの公式サイトの
   英文記事 を、ゆうこが許可を得て和訳したものです。、
  上の動画のテキストではありませんが、内容は同じなので、参考にしてください。
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臨死研究協会のアンケートとアニータの回答 2006年8月  (和訳: ゆうこ )
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【問】こういう体験を言葉にするのは難しかったですか?

【答】 はい。あの体験は、言葉の表現領域をはるかに超えたものでした。
言葉にすると、体験内容が小さく限定されてしまいます。
わたしが見、気づき、感じたことや、人生に対する理解の明晰さは、
通常のわたしたちには到底想像もできないものでした。
言葉はそういうことを描写するようにはできていないのです。

【問】その体験をしていた時、何か生をおびやかすような関連事件がありましたか?

【答】 わたしは癌で死にかけていて、医師たちに、
あと36時間ぐらいしか持たないだろうと宣告されていました。
わたしがこちらとあちらの次元をさまよいだしたのは、その時でした。

【問】 あなたの意識レベルと覚醒度がいちばん高まったのは、
その体験の、どの時点でしたか?

【答】 たぶん、生か死かの選択を任された時だったと思います。

【問】 あなたの意識レベルと覚醒度がいちばん高まった状態は、
日常の意識や覚醒状態に比べて、どうでしたか?

【答】 普通より高い意識レベルと覚醒度でした。

【問】 あなたの意識レベルと覚醒度ががいちばん高まった状態が、
日常の意識や覚醒状態と異なっていたのであれば、それについて説明してください。

【答】わたしは昏睡状態にあったにもかかわらず、意識の間を出たり入ったりしていたようでした。
だから両方の「領域」を知覚していました。
また、病室の外の、声が届かない距離で交わされている会話も知覚していました。

【問】 ものの見え方は、普段と違っていましたか?
(明瞭さ、視界の広さ、色合い、明るさ、奥行感覚、物体の固さや透明感の度合い、など)

【答】はい。わたしはまだ病室にいることがわかっていましたし、
他の人たちからは、わたしの目が閉じており、目を覚ましていないように見えても、
わたしにはその部屋にいる全員が「見えて」いました。
そして、それと同時進行で、別次元の領域も体験していました。
それは同時に存在しているようでした。

【問】聞こえ方は、普段と違っていましたか?
(明瞭さ、音源を認識する能力、音の高さ、大きさ、など)

【答】 はい。病室の外の、声が届かない距離で、医師たちとわたしの家族が
話している内容が聞こえていました。

【問】意識が体を離れたという経験をしましたか?

【答】わかりません。

【問】 その体験中、どんな感情を味わいましたか?

【答】 圧倒的な愛の感情を味わいました。
それは、この世で味わったどんなものよりも強力でした。
ものすごく愛されていると感じ、わたしは何をしようと関係なく愛されるんだ、
そんなにも愛されるに値するようなことを何一つしなくていいんだ、
自分の値打ちを証明しなくていいんだ、と感じました。

【問】ほかの存在に出会ったり、姿が見えたりしましたか?

【答】 はい。大勢の存在に囲まれました。
その中には、亡くなった父や親友もいました。
ほかの存在たちが誰なのかはわかりませんでしたが、
とてもわたしを愛し、守ってくれていると感じました。
そして、その存在たちは、わたしが気づかない時も、
いつもそばにいてくれるのだということがわかりました。

【問】あなたはその体験中に、何か人やできごとに関して、後になって
事実確認できるようなことを見たり聞いたりしましたか?

【答】はい。病室の外の廊下の向こうで交わされている、
医師と夫の会話が見え、聞こえました。
兄がわたしに会うために飛行機に乗っているのも見えました。
どちらも後で事実確認されました。
医師と夫の会話は、わたしは一語一句繰り返すことができました。

【問】 時間と空間の感覚は変化していましたか?

【答】 はい。あちらの次元にいた時間は、現実よりもずっと長く感じました。
わたしが見たり学んだりしたような事をこちらの次元でやるとすれば、
ずっと長い時間がかかると思います。
また、色々な医学的な検査が行われましたが、
その検査結果は、わたしが「生」に戻るかどうかの選択にかかっていたんです。
この経験で、時間に対する観念がすっかり変わってしまいました。

【問】何か普遍的な法則とか目的といったような特別な知識を得ている感じはありましたか?

【答】はい。気づきの明瞭さは驚くべきものでした。
わたしがなぜ癌になったのかわかったし、人々が色々なことをする原因もわかったし、
人生は貴重な贈り物なのに、わたしたちはそれに気づかないでいるということもわかりました。
また、わたしたちは無条件に深く深く愛されているということもわかりました。
自分の正しさを神に証明するために何かをする必要もないし天国も地獄も実在しない。
「天国」や「地獄」は、わたしたちがこの世に自分で創りあげているのだと気がつきました。
そしてわたしは、この世に自分の天国を創りあげるための基本材料も学びました!

【問】物質世界の限界とか境界のような所まで行きましたか?

【答】はい。「生」に戻るか「死」に進むか選択しなければならないと感じた地点まで行きました。
そこには2年前に癌で亡くなった親友がいて、
わたしが行けるのはそこまでで、それ以上行くと戻れなくなると教えてくれました。
「ここが端っこよ。あなたはここまでしか行けないの。
さあ、引き返して、恐れのない人生を完全に味わいなさいよ」 と彼女は言いました。

【問】未来のできごとについての知覚はありましたか?

【答】 はい。自分の肉体が急速に回復するだろうという知覚がありましたが、その通りになりました。
また、検査の結果は驚くべきものになるという知覚がありましたが、その通りになりました。
わたしのスキャンにも生検にも、病気の痕跡が全く見つからなかったのです。
臓器は正常に働いているし、食欲も戻りました。
そういうことが起こることは、あの時に知らされていたのです。
臨死体験から6カ月しかたっていない今、わたしはあの時に見せてもらった
数々の贈り物が届くのをまだ待っています。
でもすでにわたしの人生は、こういうことが全く可能だという方向に向けて変化しているのがわかります。
あの時に見たヴィジョンの一つは、わたしの前途に待ち受けている長い長い人生でした!

【問】臨死体験以後、それまでになかったような霊感や超能力、特殊能力などが出てきたというこは
ありますか?

【答】はい。あの体験以来、直感の働きがずっとよくなりました。
一人でいると、あちらの世界で感じたのと同じ存在たちに囲まれているのがわかり、
深く深く愛されていると感じることがよくあります。
あの体験の時と同じ感覚です。

【問】 この体験を他の人たちに話したことはありますか?

【答】はい。体験から2、3日して話せるだけの元気が回復すると、
まずは親しい家族に話しました。
夫と、兄(飛行機に乗っているのが見えた)と、母です。
みんな感激で涙もろくなっていました。
3人は、わたしの話の内容にも、検査結果にも、
(「生」に戻る選択をしたのだから「異常なし」と出ることが、わたしにはわかっていましたが)
彼らの会話をわたしが「聞いて」いたということにも、ショックを受けていました。
そしてわたしの急速な回復ぶりを見、
癌の痕跡を見つけられない医師たちの驚愕を見て、
家族みんなが変わりました。

それから、わたしの親友にも話しました。
彼女は臨死体験をしているわたしに付き添ってくれていたのですが、
このできごとで彼女の人生も変わりました。
退院してからたくさんの人に会い、その人たちにも変化が起きました。
だって、その少し前にわたしに会ったり噂を聞いたりした時は、
わたしは死の床に就いていたのですから。

その時のわたしは、やつれはて、歩くことも、まともに息をすることもできなかったのです。
それなのに、もうすっかり健康になり、平常に戻っている。
わたしが退院して初めて、あるグループの集会に顔を出した時、
みんなはあんぐりと口をあけました。
まるで幽霊を見たとでもいう風でした。
わたしがそんなに急速に回復したのが信じられなかったのです。
みんな、わたしが危篤状態だと思っていたのですから。

そしてわたしが臨死体験のことを話すと、その部屋にいた全員が話を信じてくれました。
だって、わたしの「体験前」「体験後」を自分の目で見たんですからね。
その中には、「これで人生が変わった」と言った人もいました。

【問】臨死体験については、それ以前から知っていましたか?

【答】はい。本で読んだことはあります。でも自分がその体験をするとは思いもしませんでした。
わたしの臨死体験は、今まで読んだどれとも完全に違っているような気がします。
光も、トンネルも、宗教上の存在もなかったし、人生回顧のパノラマも見ませんでした。

それが起こっていたとき、わたしは臨死体験をしているのだとか、
体外離脱体験をしているのだとは、思いもしませんでした。
ごくあたりまえの感じがしていたからです。
後になって初めて、わたしは異次元に入り込んでいたのだと気がつきました。


<この②の記事にはまだ続きがありますので、つづきは、
引用元のゆうこさんの記事をお読みください。>
【転載終了】

 



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臨死体験を経て、悪性リンパ腫が一夜にして消滅!

2015-12-29 14:10:44 | 魂の法則Part2

2006年にそれは起こった・・・!
臨死体験には様々あるが、
アニータさんのそれは、
まさに、確定的証拠を生じさせる端緒となった・・・!
臨死体験ではなく、末期ガンの奇跡的消滅のエビデンス・・・!
その1

 

しかし、

本来の目的は、臨死体験を浮かび上がらせることに絶大な効果を示した。

つまり、

この世とあの世の仕組みを人間は知る必要があるのだ。

あの世とは、時間、空間を超えている。

過去も現在も、そして未来も同時進行の世界である。

そして、

空間の壁は存在しない。

存在しないとした魂は、容易にそれを超えられる。


 

そのことを知り、

現在の物質空間であるこの世を生きる目的と使命を、

正しく認識するためにアニータさんは、この世に復帰したのだと思う。

そして、それを伝える使命が始まっている・・・。

 

縁あって、「魂の法則」「愛の法則」を連載させていただいたが、

その縁を取り持って下さったスペイン在住の「人生、波瀾万丈」さんから、

アニータさんの臨死体験の話」を連載したいと思う。

折から、実母を亡くした傷は未だ癒えない。

そういう時、傷に逆らって燥ぐよりも、この「臨死体験」談は安らぎになった。


 

魂の法則を知っているとは言え、

現実の死別は、心を騒がせる。


「哀しいかな、哀しいかな、哀れが中の哀れなり。
悲しいかな、悲しいかな、悲しみの中の悲しみなり」

とは、あの空海(弘法大師)の言葉とされている。

「宇宙即我」の悟りを得たとされ、三界に通じている空海でさえ、

愛弟子智泉(ちせん)を失った時、こう嘆いたとあるから、

凡人が嘆くのは当たり前と開き直ることにしている。

 

この臨死体験は、誰にも手向けたい体験談である。


 

そして、

もう一つ、

今や、癌は半数の人間が罹る病気とされている。

そして、

30%はこの病が原因というか取っ掛りで亡くなる。

 

その病因は、はっきりとは知られていない。

遺伝子変異と言われるが、それは結果である。

物質的範囲では、それが原因とされるが、多次元的に見るとそうではない。

メンタル異常が、アストラル体(エネルギー体)異常を来たし、

エーテル体(幽体)に異常が生じるのである。

 

当然、それは肉体に反映される。

メンタル異常とは、感情的ストレスを含む、葛藤の総称だろう。

ストレスが癌を造る(遺伝子異常を招くのである。

細かくメカニズムを言うと、

ストレス⇒酸素不足⇒ミトコンドリア代謝不能⇒嫌気性細胞の賦活⇒癌化

というような事であるらしいが、これは物質的見解である。

 

それをも含めて、ストレスの原因をメンタル体から深奥の霊体で認識すれば、

たちどころにストレスはポジティブに働き、

奇跡的に末期ガンでも一夜にして消し去ると言う事例である。

おまけに、

使命発現の原動力となり、

臨死体験後はアニータさんの人生が世界展開を始めた。

不思議な話であるが、

本当の話である。又、深く頷ける。

 

5回に分けて、全転載をさせて頂く。

お急ぎの場合は、転載元から先を読み進められても結構であろう。

 

動画は、自動翻訳機能でどうぞ。

 

Anita Moorjani's Near Death Experience clears in 4 days, grade 4B lymphoma cancer

Anita Moorjani's Recovery from Stage 4 Lymphoma.mov

 

選択次第で、癒える・・・

2013-06-29 06:40:03 | Cancer/Salud

先日、「今、ここが、奇跡・・・」という記事の中で
ちらりというか、さらりと紹介だけしましたが、今日は
もう少し、つっこんで、書いてみようと思います。

【魂の法則】を日本語に翻訳してくれた友人が教えてくれた
「Dying to Be Me」という本。。。
まだ読んではいないのですが、検索したら、日本語で紹介
しているブログをいくつか見つけました。

【「私のガンはガンを怖れる意識が作り出した」■[シネマライフ]臨死体験をした女性の証言】
【Dying to Be Me】

そして、一番詳しくインタビューを日本語訳してあったのがこちら。。。
【臨死体験で末期癌が消えた! ① アニータ・モージャニさんの臨死体験】
から、転載します。。。



【転載開始】

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アニータ・モージャニさんは、2歳の時から香港に住んでいるインド人女性です。

2006年2月、全身を癌で侵された状態で臨死体験をし、
古今東西の聖者たちの悟りにも劣らぬ深い気づきを得た結果、
癌が奇跡的な速度で縮小していき、3週間後にはすっかり消えてしまいました!!!
このため、世界中の癌研究者や臨死体験研究者から注目を浴びています。

もしあなたが死への恐怖や癌への恐怖から解放されたいと思っておられるのなら、
ぜひアニータさんのお話に真剣に耳を傾けてみてください。
***********************************************************


▼ 下記の対訳は、2006年に書かれたアニータ・モージャニさんの公式サイト
   英文記事 を、ゆうこが許可を得て和訳したものです。
  上の動画のテキストではありませんが、内容は同じなので、参考にしてください。
  *転載者(私)の注・・・動画は英語で日本語字幕がないので、 
   最後にまとめてYoutubeのリンク先を乗せます。
   今見たい方は、転載元の記事からご覧ください。


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Anita Moorjani NDE Details
アニータ・モージャニ 臨死体験記          (和訳: ゆうこ )
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これは、2006年8月にアニータ・モージャニが臨死研究協会のサイトに投稿した臨死体験記の原稿です。
サイトの所有者ジェフリー・ロング博士(腫瘍学者)は、この体験記を受け取って数時間の内にアニータに
連絡し、追跡質問を行いました。 その質問と回答もこの体験記の後にあります。


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EXPERIENCE DESCRIPTION:
体験の詳細
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わたしは末期癌 (ホジキンリンパ腫) で、在宅療養をしていました。
酸素タンクにつながれ、フルタイムの看護師につきそわれていたのです。
けれども2006年2月2日のその朝、わたしは目覚めず、昏睡状態におちいりました。
夫はわたしのかかりつけの医師に電話し、医師はすぐにわたしを病院に運ぶようにと指示しました。

ベテランの癌専門医はわたしを見て、
「これはもうだめです。 臓器が活動を停止しかけています。
たぶん、もう36時間ももたないでしょう」 と夫に言いました。
できるかぎりのことはやってみるけれど、
もう臓器が機能していないから助からないだろう、その覚悟はしておくように、と言ったのです。
これは、わたしの体が膨れ始め、皮膚病変が口を開けていることからくる診断でした。

そして混合薬物の点滴が始まり、
栄養剤や薬や酸素を取り込むためのチューブやパイプがわたしの体に取り付けられました。
わたしは、そういうことが起こっている間、意識がなくなったり戻ったりしていたのだと思っていました。
なぜかと言うと、まわりで起こっていることすべてを知覚していたからです。

けれども後になって家族や医師たちと話してみると、
この時わたしはずっと昏睡状態だったことがわかりました。
でもわたしには、夫と医師たちが病室の外の廊下の約12m離れた所で話しているのが見え、
その会話が聞こえたのです。
後になって、わたしは夫にこの会話が実際のものだったことを確め、夫は驚愕していました。

それからわたしは ”境界を越えて” 別の次元に移行し、無限の愛の感覚に包まれました。
そして、 自分がなぜ癌になったのか、
そもそもこの世に生まれてきたのはなぜなのか、
大いなる観点から見れば、わたしの家族の一人一人はわたしの人生でどんな役割を果たしてきたのか、
人生というものはどのように機能しているものなのか、
ということが、一分の曇りもなくわかりました。

この意識状態で得た心の明晰さ、洞察力の深さは、とても言葉で表現できません。
言葉は経験を小さく限定してしまいます。

わたしは、3次元世界からは想像もできないことがどれだけあるかがわかる場所にいたのです。
そして、人生とは何というすばらしい賜物であるかに気づき、
わたしはいつも慈悲深い霊的存在たちに囲まれていて、
その存在たちは、わたしが気づかない時でさえ、すぐそばにいてくれるのだということも知りました。
わたしが感じた愛の量は圧倒的なものでした。
そしてこの見地から、わたしは自分がどんなにパワフルな存在であるかに気づき、
わたしたちが人間としてこの世で達成できることの可能性がどんなに大きなものであるかにも気づきました。

そして、今のわたしの目的は、この新たな気づきを用いて 「地上で天国を生きる」 こと、
そして、人々にこの知識を伝えることだということがわかりました。
でもその時わたしは、「生」 に戻るか 「死」 に進むかの選択をしなければなりませんでした。
そして、今はまだ 「死」 に進む時ではないけれど、いつでもそれを選ぶことができ、
もし 「死」 を選んだ場合は、
残りの人生のために用意されている様々な賜物を経験できなくなることにも気づかされました。

最初わたしは戻りたくありませんでした。
肉体はひどい病気だし、
臓器は既に機能を停止し、皮膚も腫れ物だらけ、そんな体の中に戻るのは嫌だったのです。

ところがそう思った途端、
もしわたしが 「生」 を選ぶなら、その体は急速に回復していく、という気がしました。
それも何ヶ月か何週間かではなく、ほんの数日で違いがわかるほど急速に!
そして、病気というものは、肉体に現れる前に、エネルギーのレベルで始まるのだということが
わかってきました。

わたしが 「生」 を選べば、
まずわたしのエネルギーから癌が消え、肉体はすぐにその後をたどるのです。
そして、普通の医療では、
体の症状だけ取り除いてエネルギーの治療はしないから病気が再発するのだということもわかったし、
もしわたしが 「生」 に戻れば、それは非常に健康的なエネルギーを伴うものになるはずで、
肉体はそのエネルギーの状態に急速に追いつき、いつまでも健康でいるだろうということもわかりました。

そしてこれは、病気のことだけでなく、
物理的状況、心理的状況など、何にでもあてはまることがわかってきました。
人生で起こるできごとのすべては、この自分のまわりのエネルギーによって起こり、
そのエネルギーは自分が生み出したものなのです。

実在するものは何もない。
自分のまわりの環境も、自分自身の状態も、みんな自分がこしらえたもの。
それは、このエネルギーがどこに働くかで決まるのです。
わたしたちは自分の行動の元をどこから得ているのか―そのことに対する気づきの明晰さは
驚くべきものでした。
それは、自分がエネルギー・レベルでどこにいるか、という問題なのです。

そして、もしわたしが体に戻ればそのことを自分で実証することになるだろう、という確信が
生まれていました。
わたしはこの世とあの世を出たり入ったりしているような感じがしました。
そして、あちらの世界に行くたびに深く入り込み、さらに多くの「場面」を体験しました。

その内の一つでは、わたしの人生がその中にいる人々とどう接触しているかが見えました。
それはちょうどタペストリーのようなものでした。
わたしが周りの人々の人生にどんな影響を与えているのかが見えたのです。

もう一つの場面では、兄が飛行機に乗っているのが見えました。
兄は、わたしが危篤だと聞いて、こちらに向かっていました。
(そしてわたしが意識を回復してみると、飛行機から降りたばかりの兄が側にいたことから、
これが事実だったことがわかりました。)

それからもう一つ、兄とわたしの姿がちらりと見え、それは前世の場面だと気づきました。
そこではわたしは彼よりずっと年上で、母親のような立場にあり、
彼を守ってやらなければという意識が強かったことがわかりました。
すると、途端に、彼がわたしに会うため飛行機に乗ったことに気づき、
「だめだ。 来てみたらわたしが死んでいた、なんていう目に遭わせてはいけない」 と感じました。

それからわたしは、夫の人生の目的がわたしの人生の目的とどうつながっているか、
どうやって二人でこの世に生まれ、一緒に人生を経験しようと決めたのだったかかわかりました。
もしわたしがこの世を去れば、彼もすぐに後を追うだろうということも。
さらにわかったことは、わたしの臓器の機能が検査され、
その結果はまだ出ていませんでしたが、
もしわたしが 「生」 を選ぶなら、検査結果は 「臓器の機能に異常なし」 と出るだろうし、
もしわたしが 「死」 を選ぶなら、「死因は癌による臓器不全」 と出るだろう、ということでした。

<この①の記事にはまだ続きがありますので、つづきは、
引用元のゆうこさんの記事でお読みください。>

【転載終了】


ブッシュとサウジアラビアの関係を暴露したトランプ

2015-12-29 09:27:10 | 9.11

ドナルド・トランプ共和党予備選候補は、
まさに、
アメリカ株式会社の獅子身中の虫になろうとしている・・・!
真実と公正を求めるアメリカ市民にとっては、
真実の暴露となる勇気ある行動であるが、
暗殺の心配がある・・・。

 

プーチンが褒め称えるのは当然だ。

9.11WTSテロは自作自演(Inside Job)と、

とっくの昔から見抜いているからである。

分かっている人からすれば、

今更感の話であるが、

ほかの大統領候補は、その事についてひとつも言及しない。


 

ブッシュ一族とサウジ関係は、夙に有名であるから、

9.11WTSテロ期間中、

どさくさに紛れてアメリカを脱出したのは誰でも知っている。

それを候補者のの口から発言したのはトランプ氏ただ一人だ。

この事については、

日本のどのメディアも流さない。

 

単なる、口さがのない、品のない、暴言候補ということで報道するばかりである。

暴言を吐いても支持率が下がらないのは何故か?

それが真実だからである。

大衆は、よくぞ言ってくれたと歓迎しているのだ。

メディアマスコミは、最も権力側(アメリカ株式会社)の繰り人形であるから、

決して触れてはいけない話なのだ。


 

はじめて、直言する大統領候補が顕れたということである。

本当のことを言われて、

一番困るのは、陰謀の張本人たちである。

この場合は、ジェブ・ブッシュである。

その次に、それを隠していた者たちだ。

メディアマスコミである。

 

だから、日本でもマスコミメディアは、報じないし、

単なる「悪態候補者としてのレッテルをトランプ氏に貼るのである。

これから予備選が本格化する。

面白い展開になるだろう。

暗殺するしか手がないであろうが、

ボディーガードにプーチン指し回しの要員が入っていると言うが、

それはなんぼなんでもガセだろう。

 

彼が、大統領にふさわしいかどうかは別にして、

こういう人間は絶対に必要だ。

銀河連邦でも守ってもらう他あるまい。


Trump Exposes Bush Bin Laden 9/11 Connection

 

 【転載開始】
ブッシュとサウジアラビアの関係を暴露したトランプ


 15日に開催された共和党予備選挙の候補者ディベートで、ドナルド・トランプと元フロリダ州知事ジェフ・ブッシュがISISの対応を巡り舌戦を繰り広げた。トランプ氏はISISメンバーの家族にも厳しく対応すべきと述べた。サンバーナディーノ襲撃事件を例に取り上げた後、20019/11同時多発テロ事件の当日に、当時の大統領であったジョージ・W・ブッシュが米国にいたビン・ラーディン一族を機密に国外に逃亡させたことを訴えた。これまで、陰謀説とされてきたブッシュとビン・ラーディン一族との関係を明らかにしたのである。

家族が事前に知っていた

 トランプ氏は2日に起きたカリフォルニア州サンバーナディーノ襲撃事件の容疑 者サイード・ファルークがテロ組織と関わっていたこと、攻撃を準備していたことを家族は事前に知っていたと指摘した。その証拠に母親や妹はアパートを訪れ た際、パイプ爆弾や銃弾が床にあったとテレビインタービューで答えている。実際アパートから12個のパイプ爆弾、爆弾を作る大量の部品や4000発以上の銃弾が見つかっている。そこで、テロ事件を防止するには、イスラム過激思考を持つ者やその家族に対しての厳しい対応が必要であると指摘した。

ビン・ラーディン一族の国外逃亡

 2005年にAFP通信は、”FBI flew Saudis Out After 9/11”の記事の中で、「新たに公表された資料によると、米 FBI捜査官たちは、アメリカからサウジアラビアの2つの著名な家族を空港まで付き添い、国外に護送した」と述べている。この情報は米国の非営利政府監視団体のJudicial Watch が米国情報公開法(FOIA)に元づき入手した非公開の報告書に基づいている。

 9/11テロ事件直後、連邦航空局(FAA)による全米における飛行禁止命令が出ていたにも関わらず、オサマ・ビン・ラーディンの家族24人が当時滞在していたロスアンゼルス、ボストン、ヒューストン、ワーシントンDCなどを含む全米10カ 所に、ブッシュ大統領の要望で飛行機が迎えに行き、国外に護送したのである。今回、トランプ氏はビン・ラーディンの家族は事前にテロ事件が起きることを 知っていたうえ、ブッシュ大統領が9/11に家族を国外護送したことから、ブッシュとビン・ラーディンとの関係を明らかにした。

 アメリカ国民にとって最も悲劇的なテロ事件が起きた11日から数日間の間に約140人のサウジアラビア国籍の王室メンバーやビン・ラーディンの家族がブッシュ大統領により国外に護送。9/11事件の詳細がまだ分からない時点、さらにその後19人のテロリストのうち15人がサウジアラビア国籍でテロ事件に関与していたことが明らかになっても、聞き取り調査が一切ないままサウジアラビア国籍の市民はアメリカ国外に出ることができたのである。

 9/11テロ事件後、ブッシュ政権はサウジアラビアにおける数十億ドルの軍事設備拡張の契約を結ぶことになる。【転載終了】


アムールとチムールがベジタリアンになった・・・?!

2015-12-28 11:20:44 | 動画

ヤギのチムールとトラのアムール、SNS開設!という、
注目の的になったアムールとチムールだが、

今度は、アムール(トラ)がベジタリアンになったという話・・・!

ヤギのチムールに触発されたのかな?

とにかく、仲良しであることは間違いない・・・。

 

将来どうなるかは分からないが、

この二人(二匹)は、新たな次元に生きているのかもしれない。

本人たちは自覚しているか否かは、分かりかねるが、

肉食獣と草食獣が、

些細なきっかけで、ともかくも共生しているのである。

 

 

それも互いに共有し合っているものがある。

それは、互いの命である。

まさかアムールがベジタリアンになりきることは到底無理であろうが、

少なくともチムールを餌としてではなく、

命ある存在として、認めてその(チムールの)食性にも関心を示している。

 

食性に関心を示すということは、

生き物としての共有関係を認識しているのであろうから、

チムールを同じ生き物として、認めている証左であろう。

既に餌ではない関係性が成り立っている。

 

 

ヤギのチムールもアムールを天敵とは認識していない。

恐れてもいないし、

警戒もしていない。

これはまことに不思議な関係である。

これは他の動物でも昨今見受けられる。

 

勿論、それは人間に飼われたペットの類であるが、

猫と犬との関係や、

鹿と犬、ゴリラと子猫、

猫と小鳥、

等、「ほんわか」動画が数多く出回っている。

 

 

ペットということで、人間に飼われた動物ということで、

あまり気にも留めず、只、可愛げを楽しむ認識しかなかったが、

何か、摂理が変わってきているのかもしれない。

異種同士の信頼が構築されつつあるのかもしれない。

それも、

肉食獣と草食獣という食物連鎖にある動物間の関係性が、

揺らぎ始めているのかもしれない。

 

 

そう書きながら、

明日にでもチムールがアムールに食べられてしまったと言う結末が、

飛び込んでくるかも知れないから、断言はできないが、

大いに気がかりな出来事である。

 

今の時代、

多くのことに揺らぎがある。

何故だか知れないが、

摂理と言われていた諸原則が、

大きく揺らぎ始めている。

世界を貫く摂理が、何を原則としているのか?

これが問われているのであろう。

 

Амур и Тимур - вегетарианцы

 

【転載開始】

ヤギのチムールと仲良しになったトラのアムール、一日限りベジタリアンになる

ヤギのチムールと仲良しになったトラのアムール、一日限りベジタリアンになる (動画) 

2015年12月27日 17:19(アップデート 2015年12月27日 17:20)

沿海地方サファリパークでヤギのチムールと仲良しになったトラのアムールがカトリックのクリスマスの日、ベジタリアンになった。土曜、パークが発表した。

「12 月25日、カトリックのクリスマスの日、アムールはベジタリアンになった。朝、いつものように、二頭は門の近くの砂利場で会い、一緒に森へ散歩に出かけ た。アムールは、自分の合流点を迂回して行くとき、興味深い草を発見、自分の歯でそれを試してみた。そばにねそべり、おいしそに茎をしがんだ」という。

ヤギはアムールの檻に餌として入れられたが、猛獣はこれを食べようとしなかった。チムールが反撃の姿勢を見せたからだ。ヤギはトラの寝床を奪った。 トラは定期的に生きた餌を与えられる。しかしヤギのことだけは襲おうとしない。この数週間、両者は別々に夜を過ごしているが、昼間は共用公園で一緒に散歩 する。チムールとアムールはロシアのインターネットの人気者になった。彼らの出演する動画はYouTubeで数百万回再生されている。

【転載終了】