飄(つむじ風)

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すべては『シオンの議定書』にカギがある!!24

2008-01-22 07:36:22 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第二十四議定書注釈

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 【第二十四議定書注釈開始】ここからは、第二十四議定書(下記転載文書)の注釈に入る。

 これで最終回である。もはや、彼らの全貌をみた。

 それは、一見すると高貴で崇高な理念であるようでいて、それは思い上がりも甚だしい限りである。一言で糾弾すると、論理のすり替えである。善を行うと言いながら、悪を容認し、天然理法を実践するとしながら、それに従うことを拒否して、掠め取っているにすぎない。口では崇高な事を語りながら、奥では謀議をしている。故に秘儀などと言う闇の智恵を援用する。これは、盗み且つ謀る悪魔の所行であることに疑いがない。

 であるから、恰もバベルの塔をを打ち立て、天に届かんとする野望である。その意欲は買うが、詮無き野望は拒否する。何故なら、宇宙は広大無辺である。この宇宙は3次元においても果てなき無辺の広大さを誇る。しかならず、近頃では5次元以降の宇宙がこの3次元を包み込んでいるとの物理学上の新説がある。その5次元以降の宇宙も広大無辺であると言う。

 何処まで宇宙は広いのだろう。その中で、人間なんてちっぽけなものだ。地球だって宇宙のチリにしかすぎない。そんな中で、支配がどうのこうのと一生懸命、否、一生どころではない。数世紀、数千年間(彼らの言によれば...)も奮闘努力しているとは、敬服を通り越して、もののあはれを禁じ得ない。そういう意味では、彼らは精神障害者(パラノイア)である。

 大局的に眺めれば、彼らの偽善は破局する運命にある。しかし、小局においては彼らは現在、跋扈している。そのために無辜の魂を汚され、この幼気な地球を汚されることを看過できない。宇宙のチリにすぎない地球であっても、聖なる魂の修行場である。それ故『蛇のように賢く、鳩のように素直たれ』との聖句を軽んじることは許されない。

 これが、本稿の連続掲載趣旨である。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第二十四議定書
 次にダビデ王朝の土台を世界最後の段階まで一層強固にする方法に進もう。

 この方法は、何よりも第一に、今日まで世界の全問題を遂行し、全人類の思想教育を指導してきたわれらの賢人長老たちが積み重ねてきた伝統的な方法によるものである。

 ダビデ王の子孫のうちの数人が、相続権ではなく、優れた資質を基準にして王と後継者を選定する。その人々には、政治の最高機密と政府の仕組みとが伝授されるが、常に何びとにも極秘の知恵が漏れないように留意する。この方式の真意は、このような秘義を授けられたことがない者には、政府を委すことはできないということを徹底させることにある。

 これらの人々にのみ、何世紀にもわたる諸経験と比較しつつ、私がこれまでに述べたような計画の実際化や、政治経済運動や社会科学研究の全成果・・一言で言えば、人間関係を律する動かしがたい天然法則の大真理・・が伝授される。

 直系の子孫が王位継承から外されるのは、秘義伝授の過程で浅薄・軟弱その他、王の権威破滅となる資質が明らかになった場合である。そのような性向は統治者には不向きであり、王宮においては危険な人物となる。

 たとえ残忍であったとしても、無条件に断固たる人物のみが、われらの賢人長老たちから支配統治の手綱を渡されるのである。

 病気に罹ったり精神障害があったり、その他王たるにふさわしくないことがあった場合には、王は律法に従って統治の手綱をふさわしい者に譲らなければならない。

 通常の時間における王の行動計画と将来に関することはすべて、最も親しい助言者たちにも知らされない。

 王と三人の顧問のみが、将来の計画を知っている。

 断乎とした意志で自分と人類を律する王の人柄には、万人が神秘の宿命を認めるのである。何びとも王が何を行おうとしているのかを知らぬので、あえて知らぬ小路を遮ろうとする者はいない。

 王の頭の中には実行すべき政府計画を理解するに足りる知恵が貯えられていなければならない。王位に就く前に、前に述べた賢人長老たちが試験を行うのは、そのためである。

 人民が王を敬愛するのは、王が市場などで人民に意見を述べることを欠かさないからである。現在ではわれわれが両者の間に恐怖の溝を作って引き離しているが、双方を結びつける必要がこれで満たされる。

 この恐怖は、時が至るまでは、両者をわれわれの影響下に置くためには必要欠くべからざるものである。

 ユダヤ王は自分の感情、とりわけ情欲の虜になってはならない。王は自分の人格のどの一面でも、荒々しい本能に精神を凌がせることがあってはならぬ。情欲はいかなる精神的な欠点よりも、明晰に見る力を殺ぎ、思考を人間の性質中最悪の獣的なものに落とし込む。

 ダビデの聖なる子孫である全世界統治王その人は、人類の支柱であり、人民のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならない。

 われらが至高の王は完全無欠の権化でなければならない。【転載終了】


すべては『シオンの議定書』にカギがある!!23

2008-01-21 08:36:00 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第二十三議定書注釈

Img_6246_33 【第二十三議定書注釈開始】ここからは、第二十三議定書(下記転載文書)の注釈に入る。

 あと余すところ、この議定書を含めて2議定書のみとなった。お付き合いいただいた読者諸氏には、心から敬服する。もとより創作文書ではないし、注釈も独断の言いたい放題なもので歯牙にも架からぬ『たわごと』と思し召しなされた方もいるであろう。それはそれで結構である。こういう文書があるという事実、そして、その内容を咀嚼していただけたら、用心の1つになるとの思いだけである。

 さて、ここに至って彼らの王がどのように登場し、どのように振る舞うか明らかにしている。一言で言えば『救世主』として、登場するのである。それも真っ赤なウソの、『偽救世主』としてである。『救世主』がどのようなものであって、『偽救世主』がどのようにウソであるかはしかとは知らない。只、『救世主』という以上、そのような『救世の事情』が現出することを意味する。

 『偽救世主』たる所以は、救世の事情の現出が『自作自演である点だ。全く『自作自演テロ』と同じ構図である。自らが引き起こした混乱を鎮めんとして登場する『救世主』が本物であろうはずがない。明らかな偽物である。

 『救世主』はあろうと確信する。しかし、それはかかる偽善を謀る世から、子羊を守るべくして登場する。狼から子羊を守るのは牧童であるからである。牧童こそ『救世主』である。本物の牧童は、自らの子羊に狼をけしかけたりはしない。見間違ってはならない・【注釈終了】

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【転載開始】『シオンの議定書』第二十三議定書
 人民を服従に慣らすためには
謙遜ということを教え込む必要があり、従って奢侈品の生産を縮小すべきである。これによって贅沢を張り合う卑しい根性を改める。われわれは小さな親方製造業を再編成して、個人資本の工業家を倒すという狙いをもっている。大規模の製造業は必ずしも意識的ではないにせよ、政府に反対する考え方を群集に植えつけるので、この処置は欠かせない。小さな親方たちは罷業を知らず、既存の秩序にしっかり結び付いている。罷業は政府にとっては破滅的な一大問題である。(注: 罷業(ひぎょう)=(1)仕事をしないこと。業務をやめること。(2)「同盟罷業」の略。 )

 われわれは時の権力をわれらの手に移す時に、この手を使う。酩酊も法律によって禁止し、酒の力で野獣に変わる人間性に対する罪として処罰する。

 重ねて述べるが、臣民は自分たちとは絶対的にかけ離れた力強い手に対しては、盲目的に服従する。彼らはそこに自分たちを襲う社会的な鞭から守ってくれる防御の剣を感じて支持するのである……彼らは王者に天使の心を期待するのか?彼らが王者に見たいのは力、力、力の権化なのである。

 現存する支配者たちに代わるわれらが至高の君主は、何をしなければならないか。われわれが意気阻喪させた社会、神の権威すら失墜させた社会、四方八方から無秩序混乱の火の手に包まれている真中で、支配者たちはその存在を引きずって歩いているが、われらが王は何よりもこの燃え上がる炎を消し止める事に身を投じなければならない。それゆえに、王は、彼らを王の血の海で溺死させるけれども、これら現存する社会を根絶せざるをえず、改めて彼らをよく組織された軍隊に復活再編成し、ただれた国家を覆うあらゆる種類の伝染病に対して意織的に闘わせなければならない。

〝神に選ばれた者〟は、理性ならぬ本能によって、また人間性ならぬ獣性によって動くバカげた力を粉砕すべく天から下される。この力は今は自由の原理という仮面をつけて、略奪とあらゆる種類の暴力をはたらき、凱歌を挙げているが、この力が秩序破壊の跡にイスラエル王を王座に据えるのである。だが、彼らの役割は王が王国に入ったその瞬間に終る。王国の路からは、その残骸の一片すらも残さないように一掃される必要がある。

 その時、われわれは世界の人民に次のように言うことができるだろう。「神に感謝せよ。額に人類宿命の験(しるし)を付けた方の前にひれ伏せ。その験は神おん自らが星を導いてその方に付けられたのだ。その方を措いては生来の罪と悪から解き放って下さる方はいないのだ」。【転載終了】


すべては『シオンの議定書』にカギがある!!22

2008-01-20 10:38:06 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第二十二議定書注釈
 
<すでに準備されている北米共同体のコイン>
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 【第二十二議定書注釈開始】ここからは、第二十二議定書(下記転載文書)の注釈に入る。

 まことに神のように自らを崇め、権威あるものとしている。そこが、彼らの奢りの原点である。”金”を神のごとく権威と思っている。そして、それは万能の力を発揮する故、彼らの『正義』である人類の福利をコントロールする武器としている。目的が『正義』にあるから、『われわれが重ねなければならなかった悪』も、あたかもも許されると言っている。これは一つのパラドックスである。一方で悪と認め、許されるがごとき言説は、パラドックスである。自らが神のごときであれば、許すのは誰か。? ここにパラノイア独特の独断と矛盾がある。
 これ以上の奢りはない。一言で言えば、『盗人の言い訳』である。
 人類は、うまく騙されて彼らのシステムの上にいるから、”金”が神のごとく権威を放つ世界にいる。騙しに気づき、あるいはその虚構が虚構であると悟ったとき、”金”の権威が失墜する。金は手段・道具にすぎない。永遠の価値あるものなのではない。『地上の倉にいかに金を蓄えたとて、天の倉に宝を積むに足らず。』との真理を、彼らは知らない。否、認めない。光に与せず、闇に与する者達だからである。
 しかし、ここでよく思考しなければならないことは、彼らの魂胆が成就すると言うことは、単に騙されているばかりであろうか。そうではない。心根に於いて、その魂胆に追随するものがあるからである。いかなる悪波動も、共振するから伝わる。共振する側も同根である。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第二十二議定書

 これまで長々と述べてきたことをもって、私は、将来、過去、現在の秘密を注意深く明らかにしようと試みたが、残るは近い将来、洪水のように起こるであろう大いなる事件と、われわれとゴイムとの関係、その経済関係の秘密に入ることにしよう。が、この件に関しては、私が付け加えることはごく僅かである。

 われわれの手中には、現代、最も威力を発揮するもの・・〝金〟がある。われわれは二日間あれば必要な量の金をわれわれの貯蔵庫から集めることができる。

 この事以上に、われわれの支配は神の思召しであることを証明する必要があるだろうか。かような富があればこそ、何世紀にも渡ってわれわれが重ねなければならなかった悪がすべて、真実の福利を最終の最終にもたらす・・万物に秩序をもたらす・・ために役立つことが疑いもなく明らかであるだろう。たとえ暴力を用いたとしても、全く同じ結果となるだろう。われわれが引き裂かれねじ曲げられた地球に、真実の善と個人の自由をも回復する大恩人であることを、われわれは証明するだろう。そうすることによって、もちろん、われわれが確立した法をきびしく遵守する限りにおいてだが、われわれは地上に平和をもたらすことができるであろう。そうすることによって、われわれは明白にする。

 自由とは放縦ではないことを。人間の品位とか力とかには自堕落が含まれていない以上に、自由とは抑制の利かない権利は含まないことを。良心の自由や平等、その他これに類するものは人間の本性にある破壊的な原理であることを万人に公表し、個人の自由とは決して無秩序な群集の前で言語同断な言説を弄して煽動することではないことを。真実の自由とは、社会の法律には敬虔に厳しく従う人の不可侵性にあること。人間の尊厳とは権利意織に包まれてはいるが、同時にいかなる権利意織ももたぬものであること。そして自分勝手な空想を実現しようとすることは決して許されないことを。

 われわれの権威は強力なるがゆえに栄光に満ち、支配し、指導し、自分では大真理と思い込んでいるが中味は何もない無意味な言説を声高に上げる夢想家に過ぎない指導者や弁舌家の後塵を拝するのではなく、正直に話す……われわれの権威は秩序の王冠であり、その中に人類の   。この権威の後光の前では、すべての人民が神秘のあまり平伏し、畏怖の情にとらわれるのである。真実の力はいかなる正義にも、神にさえも譲歩しない。何びともあえてこの力に近付いて一毫たりとも毀損することはできないのである。【転載終了】

<戦争民営化:イラクのペルー人戦争請負契約社員> </object>


すべては『シオンの議定書』にカギがある!!21

2008-01-19 07:09:46 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第二十一議定書注釈
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 【第二十一議定書注釈開始】ここからは、第二十一議定書(下記転載文書)の注釈に入る。
 国債・公債の仕組みは、前議定書で詳しく書かれていたが、本議定書では、内国債について、結局は外債と変わらないと言っている。それは、彼らがグローバルに影の政府であるからだとしている。それは穿ち(うがち)得る。
 それは、内外にネットワークを張り巡らしているから出来ることである。分かり易く注釈しよう。
 「親父が失業して、金に困ったとしよう。息子が3人いる。それぞれが仕事をなし、それ相応の収入があるとする。親父が金を息子たちに所望する。息子たちは、金はやらないが、貸し金なら了承する。証書を書き、低いながらも利息を付ける。
 長い時に、息子の一人が、経済的に窮余の状態になる。別の息子に相談をする。別の息子は、親父の証文を担保に金を融通する。その融通した息子は、事業をやっていて羽振りがいいが、
その友人にずる賢いのがいて、その事情を知り、資金提供を申し出る。担保は親父の証文である。友人は3人の息子のうち2人分の親父の証文を担保に資金提供をする。」
 こうなると、親父の家庭を国家とみて、
内国債が外債化したことになる。結局、どうにでもなるのである。もしも、融通した息子の羽振りが悪くなると、友人は担保とした親父の証文を楯に債権代位権を主張し、親父の資産(家・屋敷)を差し押さえるであろう。息子たちは、親父への買付金はおろか、相続資産をも失う。
 
貸すな。! 貸しても返済を求むな。! この真理が生きてくる。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第二十一議定書

 前回の集まりで述べたことに、今回は内国債について細かい説明を付け加えたい。外債については、重ねて申し上げることはない。外債のおかげで、われわれはゴイム政府からたんまり稼がせて頂いたが、われわれの政府においては外国人がいない、すなわち、国外というものがないのである。

 われわれは行政官の腐敗と支配者の怠慢に乗じて、ゴイ政府には少しも必要でない金を貸して、その二倍、三倍、さらに数倍をわれわれの金庫に収めた。いったい誰がわれわれをそんなにしてくれたのか?……そこで、私は内国債について詳しくお話ししようと思う。

 政府が政府の為替手形すなわち利付き債券の購入者を公募したとする。額面は小口大口いろいろ設けられ、早くから申し込んだ予約者には額面よりも割引いた金額で売る。が、翌日になると、小細工を弄して、何しろ購入者が殺到したので、という口実で値上げする。数日後に大蔵省の金庫はあふれんばかりで、予定額をはるかに超過したと言う(それなら、なぜ国債を発行したのか?)。 予約額は債券発行額の数倍にも達したと発表される・・国債に対する信用を示そうというのである。

 こんな芝居は芝居ですむが、新たに発生した債務をどうするのかという問題が起こる。途方もない額の債務が生じたのである。利子を払うには、その財源に新たな債券を発行する必要がある。新たな債券は元利を清算するのではなく、ただ単に新たな債務を上乗せするだけである。政府の国債発行の限度を超えたら、新しい課税で取り立てる必要が生じる。それも国債整理のためではなく、ひたすら利払いのためである。新税はひたすら借金のための借金となる……

 そのうち債券書替えの時期がやってくる。だが、これとても利率を下げることはできても、債務をなくなしてしまうわけではない。それだけではなく、債権者の同意がなくては書替えはできない。書替えにあたっては、同意しない人々には金を返済すると公告する。もしも誰も彼もが、書替えは嫌だ、金を返せと言ったら、支払い不能に陥ることは火を見るよりも明らかであり、政府は自ら墓穴を掘ったことになる。幸いにもゴイ政府の臣民は経済のことはとんと事情にうといから、金を新しい事業に投資して利が落ちるよりも書替えで利が薄くなる方がまだましだと思って同意する。かくして臣民は数百万という政府の債務を穴埋めすることに協力してやる。

 今日では、ゴイムといえども外債でこんな芝居を打つことは、ごまかしが利かないことが判ってきた。われわれが全額払戻しを請求することが判ったからである。

 このようにして明らかな破産倒産状態が生じ、人民の利益と支配者のそれとは一片も共通する所がないことが明々白々となった。

 今お話したこと、これからお話することには格別の留意を払っていただきたいのであるが、内債は今日ではいわゆる短期公債、すなわち、多かれ少なかれ期間の短いものに整理されているという点である。これらの借金は貯蓄銀行に収納され資金として確保される。政府はこの資金を外債の利子支払いに当て雲霧消散させてしまい、その穴埋めに同額の公債を当てているのである。

 ゴイムの国庫からの資金漏出をとりあえず穴埋めしているのは、実にこれらの短期国債なのである。

 われわれが世界の王座に昇る時は、われわれの利益に反するかかる財政上の窮策を痕跡も残さず一掃し、併せて金融市場をすべて廃止する。われわれの権威は価格変動に左右されるべきではないから、価格上昇も下落もできないように、法令をもって価格というものを固定してしまう。(価格を吊り上げるのは落とすためであり、実にこの方法によってわれわれはゴイムとの関係の初期に彼らを弄んだのである)。

 われわれは金融市場に代えるに政府による大規模な国立信用取引所を設ける。その目的は、政府の意図する通りに産業生産物の価格を設定することにある。この組織は一日に五億の産業証券を出してやり、また同額を買い取ることができる。この方法により全事業がわれわれに従属するようになる。このことがいかなる力をわれわれに与えるか、諸氏は御自分で想像していただきたい。【転載終了】


すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑳

2008-01-18 08:17:34 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第二十議定書注釈

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 【第二十議定書注釈開始】ここからは、第二十議定書(下記転載文書)の注釈に入る。

 この第二十議定書は、心して読まなければならない。彼らも言っているように『最高かつ決定的に重要』な問題である。人間を奴隷にするのは、金力であると言うことは現代に於いて決定的である。人間に止まらず、自治体、国家も同様である。

 消費のために、金を借りると言うことが、その諸悪の根源であると言っているのに、どれだけの消費クレジットが横行していることか。その企みは彼らの策略である。そう見て間違いなかろう。それと同じ事が、国家財政においても行われていること自体、彼らの指摘は図星である。しかし、それらが彼らの指南によって行われていると言うことは、誰も言わない。

 どうか、本第二十議定書を熟読玩味していただきたい。出来れば、逆読みして早急に対応策を構築するべきである。特に、我が国においては、郵政民営化が何を意味するのか、ビッグバンが何を意味するのか。三角合併が何を意味するのか。逆読みすれば、魂胆が見えてくる。日本の国債が、内国債であるからという安心は禁物である。上記政策が、内国債でありながら、その債権代位権で外債化する一歩手前である。現在の銀行株主比率を見よ。民間引き受け国債ももはや外債化の一歩手前である。
 即刻、郵政民営化凍結、外資の持ち株比率規制、三角合併禁止が必要である。同時に増税、しかも、累進課税による金持ち増税が国家財政を救う。とりわけ、金融投資課税?を強化すべし。浮かれた金持ち思考を廃止して、国家救済の緊急処置税を実行すべし。

 考えても見よ。彼らの思うつぼで、奴隷国家となった暁には、彼らのためにそうさせられる運命にある。それは読めば分かる。それなら、そうならない前に日本の民の為に、果敢に実行するのが賢明であると思うのであるが、いかがなものであろうか。..........

【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第二十議定書

 今日は財政計画の諸問題を取り上げる。この問題は扱いが最も難しく、われわれの計画の中では最高かつ決定的に重要なので、私の報告の中では最後に述べることにしておいた。本論に入る前に想起していただきたいのは、私がすでにヒントとして提示しておいたこと、われわれの活動の総括は数字の問題として現わせるということである。

 われわれの王国が実現した時には、われらの専制政府は、自衛のために賢明にも、人民大衆には税の負担をかけないようにする。これは、われわれの政府は父親や保護者の役割を果たすということを想起していただきたい。さりながら、国家組織には莫大な金がかかるのであるから、必要な資金は確保する必要がある。ゆえに、格別細心の注意を払って、この問題に関しては適切な課税方式を定めなければならない。

 われらの王は、法的な形では国の資産はことごとく王が所有者であり(形だけでなく実際にも容易にそれが適用できる)、国内流通を規制するためにはあらゆる資産の総額から合法的に徴収することができるのである。このことから、課税は累進課税方式で徴収するのが最もよろしいという結論になる。そうすれば資産総額の何パーセントという形で支払うべきものが支払われ、何びとも困窮したり破産したりすることがない。富める者は、税金を払えば残りの金は国家が財産不可侵権で保障してくれ、なおかつ正直な利益を保護してくれるのだから、余分な金の一部は国家に御自由にお使い下さいと差し出すのが義務であると考えなくてはならないのである。私は今、「正直な」と言った。これは財産をしっかり監督すれば、法律でいう泥棒を駆逐するということを意味している。

 社会改革は上記のことから始めなければならない。その時は熟している・・それは安寧の印として不可欠なことである。

 貧しい者に課税することは革命の種を蒔くことになって、小を追って大を逃し、国家の損害となる。そんなこととは全く別に、資本家に課税するのは、個人の富の増加を防ぐことになる。われわれが昨今資本家の手に富を集中させたのは、ゴイム政府の力・・国家財政・・が強くならないように、平衡力をつけるためであった。

 資本の高に対して累進課税を課すると、現行の個人課税や資産課税よりも遥かに大きな収入となるが、現在の課税方式はゴイムの間に不満と反抗を起こさせるという理由でのみ、われわれには必要なのである。

 われわれの王は、均衡を保つことと安寧を保証することに強みがある。それがためには、資本家たちは国家機関を正常に動かすために自分の所得の何分の一かを投げ出すことが絶対に必要なのである。ゆとりのある人々は公共の必要を賄わなければならない。

 そういうことが行われると、貧民は富豪を怨まなくなり、富める者は国家維持にはなくてはならない財政的支柱であり、国家に必要なものを支払っているからには、安寧福利の守り役であるということが解ってくるのである。

 知識階級の納税者に新体制の納税方式にあまり不平を言わせないようにするには、公費の細かい支出を見せてやるが、王室費と行政費とは例外である。

 すべてを支配する王には、国家のすべてが王の財産であるから、王個人のものと称する財産は何もない。と言うと矛盾があるが、実はある方法で、実際には普通の意味で国家のすべてを所有するということは出来ないようになっている。

 国家資産で扶養する王の妻子は別として、統治者の親族は国家公務員になるか、資産を得るべく働かなければならない。王の血族だからといって、国庫に属するものを私する権利があってはならない。

 販売、所得、相続には、累進課税印紙を支払わなければならない。所有権を移転するときには、動産であろうと不動産であろうと、姓名を記載した印紙による支払の証拠がなければ、最初の所有者は移転の宣告が発覚した日からの利息を支払うのである。売買物件登録は、新旧の所有者の住所・氏名を付して、毎週大蔵省地方支所に届出しなければならない。この姓名付き登記は所定の金額を超える場合から始め、通常の日常品売買には一定単位ごとの所定パーセンテイジの印紙税を支払えばよろしい。

 このような方法だとゴイム政府の収入の何倍になるか計算してみていただきたい。

 大蔵省は一定額の予備金を確保し、それを超える徴収額は全額流通に還元しなければならない。その還元額は、公共事業に当てる。国庫から資金が出るこの種の事業は、国家が企画実施するのであって、これにより労働者階級の利益と彼らを支配する国家の利益とが固く結び付くのである。この資金の一部は、事業の発案者や施行者に与える報償金にも当てる。

 国庫には、たっぷりと確保した所定の予備金のほかには、たとえ少額であっても決してよけいな金を置いておいてはならない。金というのは流通させるべきものであって、およそ流通を妨げることはすべて国家機構の運営には支障を来たす。それは潤滑油のようなものであり、潤滑油が滞った日にはよどみなく活動すべき国家機構が齟齬を来たす。

 貨幣の代用に紙幣を使うことが、確実に流通を阻害した。この状況が続いてどういうことになっているかは、すでに明らかでる。

 われわれは王が直轄する会計検査院を設ける。そこでは王がいかなる時でも、まだ決算されていない当月分と、まだ発生していない翌月分は別として、前月までの国庫の収入支出状態を親しく検査できる。

 国庫から盗んでも何の利益にもならない唯一の人間は、その所有者であり、王である。これによって紛失や浪費の可能性を封じることができる。

 支配者の代表的な行為に、儀礼のための宴会というのがあるが、これは貴重な時間を浪費するものであるから、王に統括と熟慮の時間を確保するために、宴会は一切廃止する。王の力は、きらびやかな王位を取り囲み、自分のことしか考えず国家の問題なぞ念頭にない取り巻き連中にかしづかれ、取るに足らないことに時間を割かれるべきではない。

 われわれがゴイムの間に作り出した経済危機では、流通貨幣の引上げほど効果のあるものはなかった。国内から貨幣を引き上げると巨大資本は停滞し、不足した資本は借金に頼らざるをえなくなる。この借金というのが利息が嵩むものだから、これらの資本は国債の奴隷となる……小さな親方たちの手から資本家の手に産業を集中すると、全人民が、そして国家も活力を失ってくる。

 一般的に言って、現在の通貨発行は国民一人当りの消費に相応していないので、労働者の必要を満たすことができない。通貨発行人口増加に相応すべきであり、子供は生れたその瞬間から一人前の消費者であると計算しなければならないのである。通貨発行量の変更は世界中どこの国でも重大問題となっている。

 御存知のように、金本位制を採用した国々は危殆に瀕している。われわれが流通している金を出来る限り引き上げるものだから、通貨の必要を満たすことが出来なくなっている。

 われわれは紙でも木でも構わないのだが、労働力の価値に見合う通貨を作らなければならない。われわれは国民の必要に応じて、つまり、人が生れれば通貨発行額を増加させ、ねば減少させる。

 各官庁各地方(たとえばフランス行政部)の財政は、それぞれが運営管理する。

 国費の支払に遅延を来さないようにするためには、支払日と支払額とは王の命令で一定に定める必要がある。これにより、ある省の大臣だけが便宜を得て、他の部門は迷惑するというようなことが起こらないようにする。

 収入予算と支出予算とは、両者が隔絶することがないように比較点検しつつ実施する。

 われわれが計画したゴイムの財政制度と原理の改革案は、誰も肝を潰さないように衣をかぶせてある。われわれは、ゴイムがしでかした不始末によって財政に撒き散らした混乱の結果、改革が必要であることを指摘する。われわれが指摘する第一の不始末は、次々と起こる原因で年々膨れ上る年次予算に初めから仕込まれている。その予算は、上半期まではダラダラと行われ、それから補正予算を要求し、三ヵ月ぐらいかかって補正予算を作ると、もう清算予算を出さなければならない時期になって終りである。だが、翌年の予算は前年の総支出に基くので、経常の必要よりも年間五〇パーセントにも達し、十年もたつと三倍に膨れ上る。ゴイ政府の無頓着なやり方のお蔭で、国庫はついに空になる。ここで国債時代が始まるのだが、国債は国庫以外のものまで呑み込み、かくてゴイ国家全部がご破産となるのである。

 先刻御承知であろうが、かくのごき財政管理法は、われわれがゴイムに授けた方法であって、われわれがこれを実行することはできない。

 国債はどんな種類であろうとも、国家が脆弱であり、国家機能を理解することすら欠如している証拠である。国債は支配者の頭の上にぶら下っているダモクレスの剣のようなもので、支配者は国民から税金を取る代わりに、われわれの銀行家に掌をさしのばして憐れみを乞うようになる。外債は国家の体に取りついているであって、蛭の方で自然に落ちるか、国家が叩き潰しでもしない限り取れるものではない。だが、ゴイの国家はこの蛭を払い落とさない。行き着く先は減亡というところまで、ますます取りつかせ太らせ、最後は失血して自ら死を招くのである。 細かい点は別として、国債とは、とりわけ外債とは何であるか?国債とは・・発行総額に比例して利息が上って行く、政府発行の手形である。かりに国債に五分の利息が付いているとすると、二十年間に国家は国債総額と同額、四十年間にその二倍、六十年間に三倍の利息を払い、なおかつ借りた分だけが未払のまま残るのである。 この計算を見れば明らかなように、どういう徴税方法かで一人当りから徴税すれば、国家は富める外国人に利息を払うために、貧しい納税者から最後の小銭まで巻き上げずにすむのに、余計な利息など払わずに必要な額を調達すべく小銭をかき集める代わりに、富める外国人から金を借りてしまったのである。

 国債が内国国債であるうちは、ゴイムは貧民の懐から集めた金を富豪の懐に収めただけだったが、われわれが特定の人間を買収して、国債を外国に売らせるようにしてからは、国家の富はすべてわれわれの金庫に流れ込み、ゴイムというゴイムはわれわれに国民を貢物として差し出したのである。

 ゴイの王者たちの国務に対する浅薄な態度、大臣たちの腐敗、国政を預る者たちの財政問題に対する理解の欠如が、彼らの祖国をわれわれの金庫に対する払い切れないほどの巨額の債務者にしてしまったが、それはわれわれの側の労力と金銭の多大な出費なしには容易にできることではなかった。

 われわれは貨幣の流通にはなんらの障碍も許さないから、1%ものを除いては利付き国債は発行しない。従って、国家の力を吸い取る吸血の蛭どもに利息を払うことがない。利付き公債発行権はもっぱら、利益から利息を払うことが無理でない工業関係の会社に与える国家は、会社のように借りた金で利益を収めるのではない。国家は消費のために金を借りるのであって、運用資金として借りるのではない

 政府もまた工業公債を買うけれども、政府の立場は現在のように配当を払う債務者ではなく、利息を受ける債権者の立場になるのである。この方法ならば、貨幣の流通停滞奇生資金遊休資金をなくせる。これらはいずれも、ゴイムが勝手にやってわれわれの支配に従う気がない限りは、ゴイムに対する有効な手だてだったのである。

 ゴイムの頭というのは、思考力の発達していないことにかけては、全く野獣並みであることが明々白々ではないか!彼らは、われわれから利子付きの金を借りている。その元利を返そうと思えば、国庫から取り出す以外に手はなく、結局またわれわれから借りなければならず、どうあってもわれわれの懐に戻るということを考えても見ようとしないのである。彼らが必要とする金は、人民から取り立てた方がはるかに簡単であったのに!

 だが、ここにこそわれら選ばれたる民が天才であることの証しがある。われわれは、その方法ならば彼らの利益になるかのように彼らに持ちかけて来たのである。

 時至り、われらが会計を提示する場合には、われわれがゴイ政府に対して幾世紀にわたって行ってきた経験にかんがみて、明白かつ決定的な内容とし、われわれの新制度の利益になるものであることが万人に一目で判るようにする。その予算は、われわれがゴイムを従属させるために多用した方法はすべて打ち切り、われわれの王国においてはかかる方法は微塵も許さない。

 われわれは王であろうと最下級公務員であろうと、いかなる些少な金額でも、あらかじめ決められた支払先以外の所には支払われぬように会計方式を立て厳重管理する。

 明確な計画なしには、統治は不可能である。英雄や半神といえども、どこへ行くかも解らない道を、十分な金の準備もなしに旅立てば、失敗するほかはないのである。

 ゴイの支配者たちは、かつてわれわれが助言したとおりに、国務を怠って各国代表たちとの宴会や儀礼、歓楽にふけっていた。彼らはわれわれの支配が目に見えないようにする衝立に過ぎなかった。王たちに代って寵臣たちが書いた回顧録なるものは、実はわれわれの代理人が書いたのであるが、そこには決まって将来の経済と繁栄が約束されていたので、皮相的にしか物を考えない人間たちを満足させた……が、何の経済のことか?どんな新税を?・・われわれの回顧録や計画を読めばそういう問が出てくるはずなのに、誰一人として質問しなかった。

 彼らの人民は驚くべきほど勤勉なのに、彼らが途方もない財政的混乱に陥った原因が、そのうかつさにあったことは、諸兄はよく御承知のことと思う。【転載終了】