飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その115

2012-09-02 07:00:00 | 物語

イエス人々に救援を訴える。人々惜しみなく救助の手を延ばす。一律法学者の問いに答え災難の哲理を説く! 


 うるわしき言葉というのは、こう言うことであろう。真実を一矢で射抜くものだ。即ち、福音とはそう言うものである。  


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<記事に無関係:色修正された火星風景・・Kazumoto Iguchi's blogより>


 

 しかし、聖書に斯くまでズバリ直言したものこの目で見たことはない。ここで、イエスは因果律、そして、永遠の生命、就中、輪廻転生を明言している。 


 これは物語であるから、そう書かれているだけだという人も多いであろう。そうであるなら、この物語こそ、真実のイエスに近いと断言する。だが、強要することはしない。それぞれの自由に判断すればよいのだ。


 只言えるのは、この物語を書いてきた中で、頭から偽書だと決めつける方もいた。偽書でも何でも良いのである。書いてあることが正しいと感ずるから、連載している。それは聖書以上のものである。


 聖書以上だとか余計なことを言うから、聖書奴隷の批判を受けることは承知している。何事も自由であらねばならない。自由と言うことは魂として自由と言うことであって、考え、探求する自由である。そして、当然ながら、判断する自由もある


 そうして、長い長い時を旅を続けるのである。それは魂としての旅であるから、今生など一瞬にしか過ぎない。過去もそうであったし、これからそうである。そして、自らの原因と結果をメビウスの輪のように糾いながら、旅は永遠に続くのだ。


 イスカリオテのユダの描写も良い。まさしく、彼はすぐれた経理担当の小心者であったのだ。だから、イエスの全体像が見えず、神を試す愚かさを為してしまう。原因は分からないが、一つは自己顕示であり、嫉妬であったであろう。 



海上の大嵐多数の人命奪う。イエス人々に救援を訴える。人々惜しみなく救助の手を延ばす。一律法学者の問いに答え災難の哲理を説く。


 イエスが教えていると、ひとりの人が来て言った。「先生、申しあげてもよいですか。」


 イエスがよろしいと言ったので、その人は語り出した。


 「昨日海上で嵐が起こり、多くの漁船を沈め、多数の溺死者を出して、その妻子が困って居ります。この悲惨な人々を救うにはどうしましょうか。」


 イエス、「尤もな訴えだ。あなたがたガリラヤの人々よ、注意せよ。死んだ人を生き返らすことは出来ないが、毎日のパンを求める人々を助けることが出来る。


 あなたがた神の財産の管理人よ。好機が来た。倉庫を開き、蓄えた黄金を出し、惜しみなく施すがよい。この財産は丁度このような時のためにたくわえられたものだ。入用のない時は、見よ。あなたがたのものとしてた<わえておいた。


 しかし今はあなたがたのものでなく、困った人々のものだ。もしこれを施してやらなければ、単に神の怒りをあながたの頭(こうべ)に加えるだけだ。困っている人々に施すことは慈善でなく、これは正直と言うもので、人々の所有物を戻してやるだけだ。」


 それからイエスは自分たちの仲間の会計係である十二弟子の一人ユダに言った、「われわれの金箱(かねばこ)を出すがよい。今は金はわれわれのものでない。こんなに困っている人々を救うために一文も残さず出してよい。」


 さて、ユダはこまった人々に金をみんな出してやるのが惜しいと思った。そこでペテロ、ヤコブ、ヨハネと相談した。


 ユダは言う、「見よ、わたしは幾分か貯えておいて残りを与えてやろう。それでわれわれのやることは十分だ。こまっている者は全くの他人で、名も知らない人々だ。」


 しかし、ペテロは言った、「まあ、ユダ、君は良くも正義の力をもてあそぼうとしている。主の言うことは正しい。この財産はこの災難を前にしてはわれらのものではない。それを与えないなら盗むことになる。心配するな。われわれはこまらないよ。」


 そこでユダは金箱をあけてみんな金を出してやった。


 これで金銀、食品、衣類など沢山あったから、十分遺族たちの要求を満たしてやった。


 或る律法学者は言った、「先生、若し神が世界とそのなかのすべてのものを支配されるなら、神がこんな嵐を起しはなさらないだろうし、またこの人々を殺さなかったではありませんか。神はここのこれらの人々にこんなひどい災難を下さなかったでしょうか。これは罪を犯した罰のためでしょうか。


 今でもよく覚えて居りますが、一団の熱心なガリラヤのユダヤ人がエルサレムで饗宴中、ローマの律法に背いたと言う想像に過ぎない犯罪のために、ポンテナ・ピラトによって場所もあろうに外ならぬ宮の庭で殺害され、その血が彼らの血祭となったが、これは彼らが人一倍不良であったので、神がこんな殺戮を加えたのでしょうか。


 また想い出しますが、嘗(か)つてエルサレムを守る光栄を担っていたシロアムと言う塔が、見たところ何の原因なしに崩れて地上に倒れ、十八人が殺された。これは彼らが大罪人であったので、その罪の罰として殺されたのですか。」


 イエス、「短い世の歳月の出来事だけを見て、物事を判断することは出来ない。人が認めなければならぬ法則なるものがある。それは結果は原因次第と言うこと。


 彼らはほんの暫(しば)しの間空に浮ぶ塵のように消えて無くなるものではない。彼らは神に似た自己を展開するばかりに、幾度も地上と大空に去来する永遠不滅の生命の全体の一部分である。


 或る原因は一つの短い生命の一部分であり、その結果は次の生命までは気がつかないかも知れない。あなたがたに起こる結果の原因はわたしの一生に見つからないし、わたしに起こる結果の原因はあなたの一生に見つからないだろう。


 わたしは播かなければ刈り取れないし、すべて自分が播いたものは、何でもこれを刈り取らねばならない。すべての永遠の法則は達人には分かる。


 すべて人々が他人になすことは、裁判宮や事務執行官が代わって彼らに行う。われわれはこの法則の行使を、人の子らのなかでは気がつかない。弱者が強者と言われる者に恥かしめられ踏みにじられ殺されることを見ている。


 木石にひとしい頭脳の持主が、国家の要織につき、或は帝王や裁判官となり、上院議員や祭司となり、却って非凡な大能の人が街頭の掃除人となっているのを見る。


 あるかなしかの常識だけで、ほかに何の取柄(とりえ)もない婦人が厚化粧して女王の美服を着飾り、何か美貌を備えていると言うわけで、人形芝居の王様の宮仕えになって羽振りをきかしているが、これに反して神のまことの娘たちが奴隷となり、或は野外で一介の労働者となっているのを見る。


 公正な心は叫ぶ、これは権利の茶番狂言であると。


 それだから世の一端しか見ない人々が神がないとか、神があっても暴君であるから死んでしまうがよいと言っても不思議でない。


 もしあなたがたの人生を正しく判断したいなら、時の頂点に立ち上がり、過去幾歳月に亙(わた)って行われた人間の思想行動を見なければならない。それは、人間とは粘土で出来て再び粘土になって消えるような生きものでないことを知らねばならない。


 人間は永遠な総合体の一部であって、人間の居なかった時はなかったし、またこれから人間の居ない時は来ないだろう。今これを見れば、今奴隷である人々は嘗(か)つて暴君であったし、今暴君である人々は奴隷であった。


 今苦しんでいる人々は嘗つて高くとまって、他人がその手で苦しんでいるのに、悪魔の歓喜で叫んでいた。病気、びっこ、ちんば、また盲人などは、嘗つて完全な生活の法律にそむいていたから、神の法則は悉く成就されなければならない。


 人間は現世に於いて行った非行に帰せざるを得ないと思われる罰を免れるかも知れないが、行動、言語、思想にはみな応報の限界があり、原因であり、それ独特の結果である。若し悪事をすれば、これを犯した人はこれを正さねばならない。


 そして悪事がすべて改められれば、人問は立ち上がって神と一つになろう。」


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百十四章 海上の大嵐多数の人命奪う。イエス人々に救援を訴える。人々惜しみなく救助の手を延ばす。一律法学者の問いに答え災難の哲理を説く。

1) イエスが教えていると、ひとりの人が来て言った。「先生、申しあげてもよいですか。」

2) イエスがよろしいと言ったので、その人は語り出した。

3) 「昨日海上で嵐が起こり、多くの漁船を沈め、多数の溺死者を出して、その妻子が困って居ります。

4) この悲惨な人々を救うにはどうしましょうか。」

5) イエス、「尤もな訴えだ。あなたがたガリラヤの人々よ、注意せよ。死んだ人を生き返らすことは出来ないが、毎日のパンを求める人々を助けることが出来る。

6) あなたがた神の財産の管理人よ。好機が来た。倉庫を開き、蓄えた黄金を出し、惜しみなく施すがよい。

7) この財産は丁度このような時のためにたくわえられたものだ。入用のない時は、見よ。あなたがたのものとしてた<わえておいた。

8) しかし今はあなたがたのものでなく、困った人々のものだ。もしこれを施してやらなければ、単に神の怒りをあながたの頭(こうべ)に加えるだけだ。

9) 困っている人々に施すことは慈善でなく、これは正直と言うもので、人々の所有物を戻してやるだけだ。」

10) それからイエスは自分たちの仲間の会計係である十二弟子の一人ユダに言った、

11) 「われわれの金箱(かねばこ)を出すがよい。今は金はわれわれのものでない。こんなに困っている人々を救うために一文も残さず出してよい。」

12) さて、ユダはこまつた人々に金をみんな出してやるのが惜しいと思った。そこでペテロ、ヤコブ、ヨハネと相談した。

13) ユダは言う、「見よ、わたしは幾分か貯えておいて残りを与えてやろう。それでわれわれのやることは十分だ。こまっている者は全くの他人で、名も知らない人々だ。」

14) しかし、ペテロは言った、「まあ、ユダ、君は良くも正義の力をもてあそぼうとしている。

15) 主の言うことは正しい。この財産はこの災難を前にしてはわれらのものではない。それを与えないなら盗むことになる。

16) 心配するな。われわれはこまらないよ。」

17) そこでユダは金箱をあけてみんな金を出してやった。

18) これで金銀、食品、衣類など沢山あったから、十分遺族たちの要求を満たしてやった。

19) 或る律法学者は言った、「先生、若し神が世界とそのなかのすべてのものを支配されるなら、神がこんな嵐を起しはなさらないだろうし、またこの人々を殺さなかったではありませんか。

20) 神はここのこれらの人々にこんなひどい災難を下さなかったでしょうか。これは罪を犯した罰のためでしょうか

21) 今でもよく覚えて居りますが、一団の熱心なガリラヤのユダヤ人がエルサレムで饗宴中、ローマの律法に背いたと言う想像に過ぎない犯罪のために、

22) ポンテナ・ピラトによって場所もあろうに外ならぬ宮の庭で殺害され、その血が彼らの血祭となったが、

23) これは彼らが人一倍不良であったので、神がこんな殺戮を加えたのでしょうか。

24) また想い出しますが、嘗(か)つてエルサレムを守る光栄を担っていたシロアムと言う塔が、見たところ何の原因なしに崩れて地上に倒れ、十八人が殺された。

25) これは彼らが大罪人であったので、その罪の罰として殺されたのですか。

26) イエス、「短い世の歳月の出来事だけを見て、物事を判断することは出来ない。

27) 人が認めなければならぬ法則なるものがある。それは結果は原因次第と言うこと。

28) 彼らはほんの暫(しば)しの間空に浮ぶ塵のように消えて無くなるものではない。

29) 彼らは神に似た自己を展開するばかりに、幾度も地上と大空に去来する永遠不滅の生命の全体の一部分である。

30) 或る原因は一つの短い生命の一部分であり、その結果は次の生命までは気がつかないかも知れない。

31) あなたがたに起こる結果の原因はわたしの一生に見つからないし、わたしに起こる結果の原因はあなたの一生に見つからないだろう。

32) わたしは播かなければ刈り取れないし、すべて自分が播いたものは、何でもこれを刈り取らねばならない。

33) すべての永遠の法則は達人には分かる。

34) すべて人々が他人になすことは、裁判宮や事務執行官が代わって彼らに行う。

35) われわれはこの法則の行使を、人の子らのなかでは気がつかない。

36) 弱者が強者と言われる者に恥かしめられ踏みにじられ殺されることを見ている。

37) 木石にひとしい頭脳の持主が、国家の要織につき、

38) 或は帝王や裁判官となり、上院議員や祭司となり、却って非凡な大能の人が街頭の掃除人となっているのを見る。

39) あるかなしかの常識だけで、ほかに何の取柄(とりえ)もない婦人が厚化粧して女王の美服を着飾り、

40) 何か美貌を備えていると言うわけで、人形芝居の王様の宮仕えになって羽振りをきかしているが、これに反して神のまことの娘たちが奴隷となり、或は野外で一介の労働者となっているのを見る。

41) 公正な心は叫ぶ、これは権利の茶番狂言であると。

42) それだから世の一端しか見ない人々が神がないとか、神があっても暴君であるから死んでしまうがよいと言っても不思議でない。

43) もしあなたがたの人生を正しく判断したいなら、時の頂点に立ち上がり、過去幾歳月に亙(わた)って行われた人間の思想行動を見なければならない。

44) それは、人間とは粘土で出来て再び粘土になって消えるような生きものでないことを知らねばならない。

45) 人間は永遠な総合体の一部であって、人間の居なかった時はなかったし、またこれから人間の居ない時は来ないだろう。

46) 今これを見れば、今奴隷である人々は嘗(か)つて暴君であったし、今暴君である人々は奴隷であった。

47) 今苦しんでいる人々は嘗つて高くとまって、他人がその手で苦しんでいるのに、悪魔の歓喜で叫んでいた。

48) 病気、びっこ、ちんば、また盲人などは、嘗つて完全な生活の法律にそむいていたから、神の法則は悉く成就されなければならない。

49) 人間は現世に於いて行った非行に帰せざるを得ないと思われる罰を免れるかも知れないが、行動、言語、思想にはみな応報の限界があり、

50) 原因であり、それ独特の結果である。若し悪事をすれば、これを犯した人はこれを正さねばならない。

51) そして悪事がすべて改められれば、人問は立ち上がって神と一つになろう。」

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


CHAPTER 114

A great storm on the sea destroys many lives. Jesus makes an appeal for aid,
and the people give with a generous hand. In answer to a lawyer's question,
Jesus gives the philosophy of disasters.

AS Jesus taught, a man stood forth and said,
Rabboni, may I speak?
2) And Jesus said,
Say on.
And then the man spoke out and said,
3) A storm upon the sea last night wrecked many fishing boats, and scores of men went down to death, and lo, their wives and children are in need;
4) What can be done to help them in their sore distress?
5) And Jesus said,
A worthy plea. You men of Galilee, take heed. We may not bring again to life these men, but we can succor those who looked to them for daily bread.
6) You stewards of the wealth of God, an opportunity has come; unlock your vaults; bring forth your hoarded gold; bestow it with a lavish hand.
7) This wealth was laid aside for just such times as these; when it was needed not, lo, it was yours to guard;
8) But now it is not yours, for it belongs to those who are in want, and if you give it not you simply bring upon your heads the wrath of God.
9) It is not charity to give to those who need; it is but honesty; it is but giving men their own.
10) Then Jesus turned to Judas, one of the twelve, who was the treasurer of the band, and said,
11) Bring forth our treasure box; the money is not ours now; turn every farthing to the help of those in such distress.
12) Now, Judas did not wish to give the money all to those in want, and so he talked with Peter, James and John.
13) He said,
Lo, I will save a certain part and give the rest; that surely is enough for us, for we are strangers to the ones in want; we do not even know their names.
14) But Peter said,
Why, Judas, man, how do you dare to think to trifle with the strength of right?
15) The Lord has spoken true; this wealth does not belong to us in face of this distress, and to refuse to give it is to steal.
16) You need not fear; we will not come to want.
17) Then Judas opened up the treasure box and gave the money all.
18) And there was gold and silver, food, and raiment in abundance for the needs of the bereaved.
19) A lawyer said,
Rabboni, if God rules the worlds and all that in them is, did he not bring about this storm? did he not slay these men?
20) Has he not brought this sore distress upon these people here? and was it done to punish them for crimes?
21) And we remember well when once a band of earnest Jews from Galilee were in Jerusalem, and at a feast and were, for fancied crimes against the Roman law,
22) Cut down within the very temple court by Pontius Pilate; and their blood became their sacrifice.
23) Did God bring on this slaughter all because these men were doubly vile?
24) And then we bring to mind that once a tower called Siloam graced the defenses of Jerusalem, and, seemingly, without a cause it tottered and it fell to earth and eighteen men were killed.
25) Were these men vile? and were they slain as punishment for some great crime?

26) And Jesus said,
We cannot look upon a single span of life and judge of anything.
27) There is a law that men must recognize: Result depends on cause.
28) Men are not motes to float about within the air of one short life, and then be lost in nothingness.
29) They are undying parts of the eternal whole that come and go, lo, many times into the air of earth and of the great beyond, just to unfold the God-like self.
30) A cause may be a part of one brief life; results may not be noted till another life.
31) The cause of your results cannot be found within my life, nor can the cause of my results be found in yours.
32) I cannot reap except I sow and I must reap whate'er I sow,
33) The law of all eternities is known to master minds:
34) Whatever men do unto other men the judge and executioner will do to them.
35) We do not note the execution of this law among the sons of men.
36) We note the weak dishonored, trampled on and slain by those men call the strong.
37) We note that men with wood-like heads are seated in the chairs of state;
38) Are kings and judges, senators and priests, while men with giant intellects are scavengers about the streets.
39) We note that women with a moiety of common sense, and not a whit of any other kind, are painted up and dressed as queens,
40) Becoming ladies of the courts of puppet kings, because they have the form of something beautiful; while God's own daughters are their slaves, or serve as common laborers in the field.
41) The sense of justice cries aloud: This is a travesty on right.
42) So when men see no further than one little span of life it is no wonder that they say, There is no God, or if there is a God he is a tyrant and should die.
43) If you would judge aright of human life, you must arise and stand upon the crest of time and note the thoughts and deeds of men as they have come up through the ages past;
44) For we must know that man is not a creature made of clay to turn again to clay and disappear.
45) He is a part of the eternal whole. There never was a time when he was not; a time will never come when he will not exist.
46) And now we look; the men who now are slaves were tyrants once; the men who now are tyrants have been slaves.
47) The men who suffer now once stood aloft and shouted with a fiend's delight while others suffered at their hands.
48) And men are sick, and halt, and lame, and blind because they once transgressed the laws of perfect life, and every law of God must be fulfilled.
49) Man may escape the punishment that seems but due for his mis-doings in this life; but every deed and word and thought has its own metes and bounds,
50) Is cause, and has its own results, and if a wrong be done, the doer of the wrong must make it right.
51) And when the wrongs have all been righted then will man arise and be at one with God.

 【続く】


不思議な少年!! その114

2012-08-31 22:00:00 | 物語

イエス、ラマースの質問に対して、平和の支配と、反抗を通ってこれに達する道について教える! 


 『死んだ平和と言う言葉ほど、今に新しい言葉はない。 


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<記事に無関係:色修正された火星風景・・Kazumoto Iguchi's blogより>


 

 まさしく、今がそうだ。正義が廃れ、人々は貪欲と安易さに放縦している。これが平和だとしても意味がない。人間は退化する一方である。 


 正義の貫かれた平和が求められる。


 信仰とは、只縋り、助けを求める姿勢では打ち立てられないのである。信仰とは魂の進化のために求められる。魂の進化とは、神の属性に近づくこと意味する。公正・正義・無所得の愛・・・・・。


 しかし、イエスは見抜いていた。それを説けば、多くの人々の反感と怒りを買うことを見抜いていたのだ。それはその人々が不正を抱いた安穏の平和に執着していたからである


 今がまさにそれに当たるとは言えないであろう? 福音は時として、厳しい試練を期待する性質のものである。ましてや、それを伝える者達にはその覚悟が求められる。


 忍耐と愛、それは分けて論議することは出来ない



イエス、ラマースの質問に対して、平和の支配と、反抗を通ってこれに達する道について教える。時の象徴(しるし)。聖気の指導。キリスト者ベッサイダに行く。


 さて食事が済むと、イエスと客人一同はマリヤの家の大広間に行った。


 その時ラマースは言った、「先生、承わります、今は平和のあけぼのでしょうか。わたしどもはもう戦争のない時代に来たでしょうか。あなたは本当にこれまで聖なる人々が現われるだろうと言っていたその平和の君でありますか。」


 イエス、「今は平和が世を支配しているが、これは死んだ平和だ。よどんでいる水溜まりに平和がやどっている。水の流れが動かなくなれば、すぐ死の種子を背負い込んで一滴一滴がみな腐敗している。


 流れる水ならいつも春の小羊のように飛んだり跳ねたりする。


 国民は腐敗している。死の腕に抱かれて眠っている。おそすぎぬうちに目をさまさせなくてはならない。世には反対者が働いていることがわたしに分かる。神がここにわたしを送ったのは、生命の海の水をどんどん底までかきだすためである。


 平和は闘争(あらそい)の後に来る。わたしが来たのはこの死の平和を打ち倒すためである。平和の君先ず闘争の君でなければならない。

 わたしが人々に携えて来た真理のパン種は悪魔がさわがし、民族、町々、家族などに内輪もめを起こさせるだろう。これまで平和な家庭に住まっていた家族五人は今は分かれて二対三で争う。


 息子は父にそむき、母と娘が争い、すべての家庭が闘争の場となろう。


 自我と貪欲と疑惑が大荒れに荒れて、熱狂的になり、そしてわたしのために世は人間の血の洗礼を受けるだろう。しかし正義は王である。煙が晴れれば、民族はもう戦争を学ばず、平和の君が来て世を支配するだろう。


 見よ、わたしの言うことのしるしは空に現われていが、人々はこれを見ることが出来ない。人々は雲が西に現われれば時雨(しぐれ)が来ると言う、その通りになる。南風が吹けば天気が暑くなると言うがその通りになる。


 人々は地と空のしるしは読めるが、聖気のしるしは分からない。しかしあなたがたは知るべきだ。


 怒りの嵐が吹いて来て、肉の人はあなたがたを無理に裁判所に引きずろうと口実をさがし、そして牢獄の中にあなたがたを投ずるだろう。かかる時代が来たら智恵に指導され、憤慨してはならない。慣概すれば却って悪人の怒りを増すばかりだ。


 世の極悪な者にも、少しは公正、憐憫の心がある。


 あなたがたが自分の言行に注意し、聖気の指導を信じて居れば、このような思想を励ますことが出来よう。そうすれば、人々の怒りを変じて、神を讃美することになろう。


 キリスト者はそこから進んでベサイダで教えた。


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百十三章 イエス、ラマースの質問に対して、平和の支配と、反抗を通ってこれに達する道について教える。時の象徴(しるし)。聖気の指導。キリスト者ベッサイダに行く。

1) さて食事が済むと、イエスと客人一同はマリヤの家の大広間に行った。

2) その時ラマースは言った、「先生、承わります、今は平和のあけぼのでしょうか。

3) わたしどもはもう戦争のない時代に来たでしょうか。

4) あなたは本当にこれまで聖なる人々が現われるだろうと言っていたその平和の君でありますか。」

5) イエス、「今は平和が世を支配しているが、これは死んだ平和だ。

6) よどんでいる水溜まりに平和がやどっている。水の流れが動かなくなれば、すぐ死の種子を背負い込んで一滴一滴がみな腐敗している。

7) 流れる水ならいつも春の小羊のように飛んだり跳ねたりする。

8) 国民は腐敗している。死の腕に抱かれて眠っている。おそすぎぬうちに目をさまさせなくてはならない。

9) 世には反対者が働いていることがわたしに分かる。神がここにわたしを送ったのは、生命の海の水をどんどん底までかきだすためである。

10) 平和は闘争(あらそい)の後に来る。わたしが来たのはこの死の平和を打ち倒すためである。平和の君先ず闘争の君でなければならない。

11) わたしが人々に携えて来た真理のパン種は悪魔がさわがし、民族、町々、家族などに内輪もめを起こさせるだろう

12) これまで平和な家庭に住まっていた家族五人は今は分かれて二対三で争う。

13) 息子は父にそむき、母と娘が争い、すべての家庭が闘争の場となろう。

14) 自我と貪欲と疑惑が大荒れに荒れて、熱狂的になり、そしてわたしのために世は人間の血の洗礼を受けるだろう。

15) しかし正義は王である。煙が晴れれば、民族はもう戦争を学ばず、平和の君が来て世を支配するだろう。

16) 見よ、わたしの言うことのしるしは空に現われていが、人々はこれを見ることが出来ない。

17) 人々は雲が西に現われれば時雨(しぐれ)が来ると言う、その通りになる。南風が吹けば天気が暑くなると言うがその通りになる。

18) 人々は地と空のしるしは読めるが、聖気のしるしは分からない。しかしあなたがたは知るべきだ。

19) 怒りの嵐が吹いて来て、肉の人はあなたがたを無理に裁判所に引きずろうと口実をさがし、そして牢獄の中にあなたがたを投ずるだろう。

20) かかる時代が来たら智恵に指導され、憤慨してはならない。慣概すれば却って悪人の怒りを増すばかりだ。

21) 世の極悪な者にも、少しは公正、憐憫の心がある。

22) あなたがたが自分の言行に注意し、聖気の指導を信じて居れば、このような思想を励ますことが出来よう。

23) そうすれば、人々の怒りを変じて、神を讃美することになろう。

24) キリスト者はそこから進んでベサイダで教えた。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


CHAPTER 113

In answer to a question of Lamaas, Jesus teaches a lesson on the reign of peace
and the way to it through antagonisms. The signs of the times.
Guidance of the Holy Breath. The Christines go to Bethsaida.

NOW, after they had dined, the guests and Jesus all were in a spacious hall in Mary's home.
2) And then Lamaas said,
Pray, tell us Lord, is this the dawn of peace?
3) Have we come forth unto the time when men will war no more?
4) Are you, indeed, the Prince of Peace that holy men said would come?
5) And Jesus said,
Peace reigns today; it is the peace of death.
6) A stagnant pool abides in peace. When waters cease to move they soon are ladened with the seeds of death; corruption dwells in every drop.
7) The living waters always leap and skip about like lambs in Spring.
8) The nations are corrupt; they sleep within the arms of death and they must be aroused before it is too late.
9) In life we find antagonists at work. God sent me here to stir unto its depths the waters of the sea of life.
10) Peace follows strife; I come to slay this peace of death. The prince of peace must first be prince of strife.
11) This leaven of truth which I have brought to men will stir the demons up, and nations, cities, families will be at war within themselves.
12) The five that have been dwelling in a home of peace will be divided now, and two shall war with three;
13) The son will stand against his sire; the mother and the daughter will contend; yea, strife will reign in every home.
14) The self and greed and doubt will rage into a fever heat, and then, because of me, the earth will be baptized in human blood.
15) But right is king; and when the smoke is cleared away the nations will learn war no more; the Prince of Peace will come to reign.
16) Behold, the signs of what I say are in the sky; but men can see them not.
17) When men behold a cloud rise in the west they say, A shower of rain will come, and so it does; and when the wind blows from the south they say, The weather will be hot; and it is so.
18) Lo, men can read the signs of earth and sky, but they cannot discern the signs of Holy Breath; but you shall know.
19) The storm of wrath comes on; the carnal man will seek a cause to hale you into court, and cast you into prison cells.
20) And when these times shall come let wisdom guide; do not resent. Resentment makes more strong the wrath of evil men.
21) There is a little sense of justice and of mercy in the vilest men of earth.
22) By taking heed to what you do and say and trusting in the guidance of the Holy Breath, you may inspire this sense to grow.
23) You thus may make the wrath of men to praise the Lord.
24) The Christines went their way, and came unto Bethsaida and taught.

 【続く】


不思議な少年!! その113

2012-08-13 11:15:13 | 物語

イエス弟子たちを「小さき群」と呼び、神の事に愛情を抱けと命ずる! 


 人それぞれに、対応がある 


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<記事に無関係:火星>


 

 と同じように、神もまた人それぞれに対応するであろう。その中で、最善の備えを求められる。そのことを教えられる。 


 そして、


 十二弟子には、その対応を説く。


 『多く与えられた者は多く求められ、紗(すく)く与えられた者は少ししか求められない。』と言う言葉に、それは尽きるであろう。まことに神は、おおらかで強いることはない。誰が多く、誰が紗(すく)いかは、それぞれの自覚を待つ他はない。


 いずれにしても、常に用意している者は幸いだ。何が必要かは、自ら知る必要がある。それが悟りというものであろうか。



マグダラのマリヤの家のキリスト者。イエス弟子たちを「小さき群」と呼び、神の事に愛情を抱けと命ずる。内なる生命について教える。


 イエスは群集と別れて弟子だちと共にマリヤの家に行き、食卓について食事しながら、言った、「わが小さき群よ、恐るるな。あなたがたが魂の国をつかさどることはあなたがたの父の聖意(みこころ)である。


 神の家の司は万軍のエホバの僕(しもべ)である。人は人に仕えるにあらざれば神に仕えることは出来ない。神の僕は財産家の僕であることは出来ない。また物質の会堂の僕であることも出来ない。


 もしあなたがたが土地、株券、或は世の事柄につながれて居れば、心は地上のものにほだされる。あなたがたの宝のあるところに、心もあるからだ。


 あなたがたの財産はすべてこれを処分するがよい。貧しい人々にこれを頌(わ)け与ええなさい。神を信頼するならば、あなたがたも家族も決して困ることはないだろう。これは信仰の試験(ためし)である。神は不信仰な人の奉仕を受け給わない。


 時は熟している。あなたがたの主は雲に乗って来る。東の空は今やその存在で輝いている。


 接待の礼服を付け、帯をしめ、ランプを整えて十分これに油を注ぎ、そしてあなたがたの主を迎える準備をするがよい。それが出来たら主は来るであろう。


 自分たちの主を迎える備えをしている僕は甚だ幸福である。


 見よ、主は身仕度をし一同にぜいたくな饗応(ごちそう)を用意して、自分自ら給仕するであろう。彼がいつ来るか問題でない。夜中の二時か三時かも知れない。しかし迎える用意をしている者は幸福である。


 戸口をあけたままにして寝こんでしまい、過ぎ行く時を気楽にかまえて待っていてはならない。盗賊がきっとやって来て、あなたがたの家財を奪い取り、みんなを縛りつけて、その巣窟(そうくつ)に連れて行くかもしれない。


 よしやあなたがたが連れ去られないでも、主人が来て睡眠中の番人を見ては、友と思わずに敵と思うかも知れぬ。


 愛する者よ、今は誰もが目をさまして部署についている時である。誰もいつ人が現われて来るか、その時も日も知らないから。」


 するとペテロは言った、「主よ、これはわたしたちにする譬(たとえ)話でありますか、或は民衆のためですか。」


 イエス、「なぜ尋ねるか。神はひとりの人を顧(かえり)みて、ほかの人を顧みないようなお方ではない。誰でも心ある者は元気を出し、ランプを用意して、見張りが出来る生命の塔の櫓(やぐら)をさがし、そして主を迎える準備をするがよい。


 しかし、あなたがたは光の子として来て、宮の言葉を知っているから、立って行って案内することが出来るだろう。


 しかし待つがよい。主を迎える用意が出来ていると思っても、主はまだ来ない。それがため、あなたがたは辛抱しきれないで、再び肉のことにあこがれ、また今までのやりかたを示し、家の僕たちをむち打ったり虐待したりし、また酒食にふけったりするかも知れぬ。


 そこに主が来たら、何と言うだろうか。


 見よ、主は不忠実な僕を家から追い出すだろう。それから身を清めて、主を迎えるに足ると思われるまてには長い歳月がたつだろう。」


 光に来て主の聖意(もこころ)を知りながら、これを行わない僕、または生命の塔の櫓(やぐら)の中で眠っているような無責任な番人などは、何度も正義の鞭に触れるだろう。しかし、主の心を知らずにこれを行わない者は、それ以上の重い罰は受けないだろう。


 機会の戸が開く前に来て立ちながら、中に入らずに立ち去る者は、再び来ても戸はすっかり閉じている。呼んても戸は明かない。


 番人は言うだろう、『前にあなたの合言葉があったが、それを棄ててしまったから、今は主はあなたを知らない。去って行くがよい。』


 まことにあなたがたに言う。多く与えられた者は多く求められ、紗(すく)く与えられた者は少ししか求められない。」


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百十二章 マグダラのマリヤの家のキリスト者。イエス弟子たちを「小さき群」と呼び、神の事に愛情を抱けと命ずる。内なる生命について教える。


1) イエスは群集と別れて弟子だちと共にマリヤの家に行き、食卓について食事しながら、言った、

2) 「わが小さき群よ、恐るるな。あなたがたが魂の国をつかさどることはあなたがたの父の聖意(みこころ)である。

3) 神の家の司は万軍のエホバの僕(しもべ)である。人は人に仕えるにあらざれば神に仕えることは出来ない。

4) 神の僕は財産家の僕であることは出来ない。また物質の会堂の僕であることも出来ない。

5) もしあなたがたが土地、株券、或は世の事柄につながれて居れば、心は地上のものにほだされる。あなたがたの宝のあるところに、心もあるからだ。

6) あなたがたの財産はすべてこれを処分するがよい。貧しい人々にこれを頌(わ)け与ええなさい。神を信頼するならば、あなたがたも家族も決して困ることはないだろう。

7) これは信仰の試験(ためし)である。神は不信仰な人の奉仕を受け給わない。

8) 時は熟している。あなたがたの主は雲に乗って来る。東の空は今やその存在で輝いている。

9) 接待の礼服を付け、帯をしめ、ランプを整えて十分これに油を注ぎ、そしてあなたがたの主を迎える準備をするがよい。それが出来たら主は来るであろう。

10) 自分たちの主を迎える備えをしている僕は甚だ幸福である。

11) 見よ、主は身仕度をし一同にぜいたくな饗応(ごちそう)を用意して、自分自ら給仕するであろう。

12) 彼がいつ来るか問題でない。夜中の二時か三時かも知れない。しかし迎える用意をしている者は幸福である。

13) 戸口をあけたままにして寝こんでしまい、過ぎ行く時を気楽にかまえて待っていてはならない。

14) 盗賊がきっとやって来て、あなたがたの家財を奪い取り、みんなを縛りつけて、その巣窟(そうくつ)に連れて行くかもしれない。

15) よしやあなたがたが連れ去られないでも、主人が来て睡眠中の番人を見ては、友と思わずに敵と思うかも知れぬ。

16) 愛する者よ、今は誰もが目をさまして部署についている時である。誰もいつ人が現われて来るか、その時も日も知らないから。」

17) するとペテロは言った、「主よ、これはわたしたちに対する譬(たとえ)話でありますか、或は民衆のためですか。」

18) イエス、「なぜ尋ねるか。神はひとりの人を顧(かえり)みて、ほかの人を顧みないようなお方ではない。

19) 誰でも心ある者は元気を出し、ランプを用意して、見張りが出来る生命の塔の櫓(やぐら)をさがし、そして主を迎える準備をするがよい。

20) しかし、あなたがたは光の子として来て、宮の言葉を知っているから、立って行って案内することが出来るだろう。

21) しかし待つがよい。主を迎える用意が出来ていると思っても、主はまだ来ない。

22) それがため、あなたがたは辛抱しきれないで、再び肉のことにあこがれ、また今までのやりかたを示し、

23) 家の僕たちをむち打ったり虐待したりし、また酒食にふけったりするかも知れぬ。

24) そこに主が来たら、何と言うだろうか。

25) 見よ、主は不忠実な僕を家から追い出すだろう。それから身を清めて、主を迎えるに足ると思われるまてには長い歳月がたつだろう。」

26) 光に来て主の聖意(もこころ)を知りながら、これを行わない僕、または生命の塔の櫓(やぐら)の中で眠っているような無責任な番人などは、

27) 何度も正義の鞭に触れるだろう。しかし、主の心を知らずにこれを行わない者は、それ以上の重い罰は受けないだろう。

28) 機会の戸が開く前に来て立ちながら、中に入らずに立ち去る者は、

29) 再び来ても戸はすっかり閉じている。呼んても戸は明かない。

30) 番人は言うだろう、『前にあなたの合言葉があったが、それを棄ててしまったから、今は主はあなたを知らない。去って行くがよい。』

31) まことにあなたがたに言う。多く与えられた者は多く求められ、紗(すく)く与えられた者は少ししか求められない。」

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


CHAPTER 112

The Christines in the home of Mary of Magdala. Jesus calls his disciples, "Little Flock,"
and charges them to place their affections on divine things.
He teaches them regarding the inner life.

AND Jesus left the multitudes and went with his disciples up to Mary's home; and as they sat about the board to dine he said,
2) My little flock, fear not; it is your Father's will that you shall rule the kingdom of the soul.
3) A ruler in the house of God is servant of the Lord of Hosts, and man cannot serve God except by serving men.
4) A servant in the house of God cannot be servant in the house of wealth; nor in the synagogue of sense.
5) If you are tied to lands, or bonds, or wealth of earth, your hearts are knit to things of earth; for where your treasures are there are your hearts.
6) Dispose of all your wealth, distribute it among the poor, and put your trust in God, and you nor yours will ever come to want.
7) This is a test of faith, and God will not accept the service of the faithless one.
8) The time is ripe; your Master comes upon the clouds; the eastern sky is glowing with his presence now.
9) Put on reception robes; gird up your loins; trim up your lamps and fill them well with oil, and be prepared to meet your Lord; when you are ready, he will come.
10) Thrice blessed are the servants who are ready to receive their Lord.
11) Behold, for he will gird himself, and will prepare a sumptuous feast for every one, and he himself will serve.
12) It matters not when he shall come; it may be at the second watch; it may be at the third; but blessed are the servants who are ready to receive.
13) You cannot leave your door ajar and go to sleep, and wait in blissful ignorance of the fleeting time;
14) For thieves will surely come and take away your goods and bind and carry you away to robbers' dens.
15) And if you are not carried forth, the Master when he comes will not regard a sleeping guard as friend, but as a foe.
16) Beloved, these are times when every man must be awake and at his post, for none can tell the hour nor the day when man shall be revealed.
17) And Peter said,
Lord is this parable for us, or for the multitudes?
18) And Jesus said,
Why need you ask? God is not a man that he should show respect for one and cast another off.
19) Whoever will may come and gird himself, and trim his lamp, and find a turret in the tower of life where he may watch, and be prepared to meet the Lord.
20) But you, as children of the light, have come, and you have learned the language of the court, and may stand forth and lead the way.
21) But you may wait, and think that you are ready to receive the Lord, and still he does not come.
22) And you may grow impatient and begin to long for carnal ways again, and may begin to exercise your rule;
23) To beat, and otherwise maltreat the servants of the house, and fill yourselves with wine and meat.
24) And what will say the Lord when he shall come?
25) Behold, for he will cast the faithless servant from his house; and many years will come and go before he can be cleansed, and be thought worthy to receive his Lord.
26) The servant who has come into the light, who knows the Master's will and does it not; the trusted guard who goes to sleep within the turret of the tower of life,
27) Shall feel the lash of justice many times, while he who does not know his Master's will and does it not, will not receive the graver punishment.
28) The man who comes and stands before the open door of opportunity and does not enter in, but goes his way,
29) Will come again and find the door made fast, and when he calls, the door will open not,
30) The guard will say, you had the pass-word once, but you threw it away and now the Master knows you not; depart.
31) And verily I say to you, To whom much has been given, much is required; to whom a little has been given, a little only is required.

 

 【続く】


不思議な少年!! その112

2012-08-12 07:00:00 | 物語

イエス神聖な律法、審理の力、所有物の普遍性を明らかにす! 


 まことにこの章は教訓がある 


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<記事に無関係:今こそ、頭を冷やして考えるべき時だ!>


 

 欲に目がくらんでいる者は多いが、その欲を剥がすのはめいめいの正義感だというのである。強いることは出来ない。又、イエスはそれをしないし、神もそれを欲しない。 


 そして、


 十二弟子に語る言葉は、まるで法華経のようだ。真理は普遍であることの証左である。


 さて、今日的に観れば、経済危機が叫ばれているが、まるでこの譬えの富者の悩みが生き写しに見えるのは、私だけであろうか。経済的大恐慌が危惧される。その時、右往左往している小金持ちが多い。


 どこかに安全な倉を探して、その富の移動に腐心している。明日、昇天するかも知れないのにである。ましてやその大富豪となると、天文学的富は、一瞬にして紙くずになるかも知れないとして、あれやこれやの工作に奔走している。


 それがもろもろの紛争、大混乱の兆しである。そして、それで現在のシステムをご破算にして、新たな支配システムを再構築しようとしている。そうすれば、価値の基準を自ら勝手に構築できるからだ。


 つまり、


 譬えの富者が、新たな穀倉を建てるのと違いはない。


 それがどれほどのものか、考えてみれば愚かしいことが分かる。その富者もやがては朽ち果てるのである。その魂は、何もその富から得ることが出来ようか?


 魂は、その富を自由には出来ない。のみならず、思いのみを重荷して、執着するのが関の山である。これがせっかくの魂を枯らすことになると言っているのだ。


 富は神の財産であると断言している。至言だと思う。


 そして、人間はその管理者に過ぎない。その管理責任を如何に果たすか? 今問われているのだ。


 そう考えると、経済大恐慌も神の計らいであると考えることが出来る。恐るるに足らない。富めるものは、その責任を問われているのだ。ご苦労だが頑張ってほしい。


 一部の人間は、あまりにも多くの収穫を得、そして、倉を建てすぎた。その利用の手段をあぐねている。それに過ぎない。それならばまだ良いが、正義感という魂の光を利己主義がベールでくるんで、右往左往しているのが現状である。


 イエス教える。ひとりの人が兄から正当に待遇されるようイエスに乞う。イエス神聖な律法、審理の力、所有物の普遍性を明らかにす。富者とその豊かなろ収穫の讐えを語る。


 イエスが民衆に教えていると、ひとりの人が立ち上がって言った、


 「先生、わたしの訴えを聞いて頂きます。父が死んで多いな財産を残しました。ところが兄がみんなこれを奪いとって、今わたしの分け前を呉れません。 どうか、兄が正しく処分して、わたしの分け前を渡すように説きつけて下さい。」


 イエス、「わたしはこういう事件の裁判宮となるために来たのではない。わたしは裁判所の下役(したやく)ではない。神がわたしを送ったのは、人に正しきことを強いさせるためではない。


 人にはめいめい正義感がある、しかもこれを顧みない者が多い。


 利已主義から起る煙幕は、その正義感の周囲にうす皮を張って、なかの光を蔽(おお)うから、他人の権利を理解することも、認めることも出来なくする。このべールを腕力沙汰で引き裂いてはならない。このうす皮を溶かすものは、知識と神の愛の外には何もない。


 人々が泥沼の中に居れば空は遜か遠く見え、山の頂上に登れば空は近い。星にも手が届くようだ。」


 それからイエスは振り向いて十二弟子に言った、「肉の生活の泥沼のなかに居る多くの人々を見よ。真理のパン種は泥土を変じて堅い一岩となし、人々は歩いて行って、山の頂上に行く道を見いだすことが出来る。


 急ぐことは出来ない。惜し気もなくこのパン種を播き散らすことが出来る。人々が正義の掟をあらわに示す真理を学べ、彼らは誰にでも当然払うべきものを急いで渡すだろう。」


 そう言ってから、イエスは人々に言った、「気をつけよ、むさぼってはならない。人の富は土地や金銀のような所有物のようなものではない。このようなものは、借りた財産である。誰も神の賜物を独占することは出来ない。


 自然界のものは神のもの、神のものはひとしく万人のものである。


 魂の富は純潔な生命と、天からくだった智恵にある。


 見よ、或る金持ちが自分の土地から沢山の収穫を挙げた。穀倉が狭すぎて穀物が収まらない。そこで彼は考えた、


 『どうしようか。穀物を棄てることは出来ないし、廃物にしてしまうことも出来ない。』それからまた言う、『こうしよう、今ある小さな穀倉をみなとりこわして、もつと大きなものを建て、そしてそこに穀物を納めて言おう、わが魂よ、さあ安心せよ。これで多年の食糧は十分だ。安心して食って飲んで満足するがよい。』


 ところが神は彼を見おろし見て言う、


 『おろかな者よ、今夜お前の魂がその肉の家を棄てるだろう。そしたらお前が折角貯えた財産はどうなるか。』


 あなたがたガリラヤ人よ、世の金庫に宝を貯えるではない。蓄えた財産はあなたがたの魂を枯らしてしまう.だろう。神が人々に財産を与えるのは秘密の金庫に貯えておくためではない。人々は単に神の財産の家令であるから、これを一般の利益のために用いなければならない。


 そして自分に対し、人々に対し、いまあるすべてのものに対して忠実な家令に向って、神は、よくやったと言うだろう。」


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百十一章 イエス教える。ひとりの人が兄から正当に待遇されるようイエスに乞う。イエス神聖な律法、審理の力、所有物の普遍性を明らかにす。富者とその豊かなろ収穫の讐えを語る。


1) イエスが民衆に教えていると、ひとりの人が立ち上がって言った、

2) 「先生、わたしの訴えを聞いて頂きます。父が死んで多いな財産を残しました。ところが兄がみんなこれを奪いとって、今わたしの分け前を呉れません。

3 どうか、兄が正しく処分して、わたしの分け前を渡すように説きつけて下さい。」

4) イエス、「わたしはこういう事件の裁判宮となるために来たのではない。わたしは裁判所の下役(したやく)ではない。

5) 神がわたしを送ったのは、人に正しきことを強いさせるためではない。

6) 人にはめいめい正義感がある、しかもこれを顧みない者が多い。

7) 利已主義から起る煙幕は、その正義感の周囲にうす皮を張って、なかの光を蔽(おお)うから、他人の権利を理解することも、認めることも出来なくする。

8) このべールを腕力沙汰で引き裂いてはならない。このうす皮を溶かすものは、知識と神の愛の外には何もない。

9) 人々が泥沼の中に居れば空は遜か遠く見え、山の頂上に登れば空は近い。星にも手が届くようだ。」

10) それからイエスは振り向いて十二弟子に言った、「肉の生活の泥沼のなかに居る多くの人々を見よ。

11) 真理のパン種は泥土を変じて堅い一岩となし、人々は歩いて行って、山の頂上に行く道を見いだすことが出来る。

12) 急ぐことは出来ない。惜し気もなくこのパン種を播き散らすことが出来る。

13) 人々が正義の掟をあらわに示す真理を学べ、彼らは誰にでも当然払うべきものを急いで渡すだろう。」

14) そう言ってから、イエスは人々に言った、「気をつけよ、むさぼってはならない。人の富は土地や金銀のような所有物のようなものではない。

15) このようなものは、借りた財産である。誰も神の賜物を独占することは出来ない。

16) 自然界のものは神のもの、神のものはひとしく万人のものである。

17) 魂の富は純潔な生命と、天からくだった智恵にある。

18) 見よ、或る金持ちが自分の土地から沢山の収穫を挙げた。穀倉が狭すぎて穀物が収まらない。そこで彼は考えた、

19) 『どうしようか。穀物を棄てることは出来ないし、廃物にしてしまうことも出来ない。』それからまた言う、

20) 『こうしよう、今ある小さな穀倉をみなとりこわして、もつと大きなものを建て、そしてそこに穀物を納めて言おう、

21) わが魂よ、さあ安心せよ。これで多年の食糧は十分だ。安心して食って飲んで満足するがよい。』

22) ところが神は彼を見おろし見て言う、

23) 『おろかな者よ、今夜お前の魂がその肉の家を棄てるだろう。そしたらお前が折角貯えた財産はどうなるか。』

24) あなたがたガリラヤ人よ、世の金庫に宝を貯えるではない。蓄えた財産はあなたがたの魂を枯らしてしまう.だろう。

25) 神が人々に財産を与えるのは秘密の金庫に貯えておくためではない。人々は単に神の財産の家令であるから、これを一般の利益のために用いなければならない。

26) そして自分に対し、人々に対し、いまあるすべてのものに対して忠実な家令に向って、神は、よくやったと言うだろう。」

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


CHAPTER 111

Jesus teaches. A man requests him to compel his brother to deal justly.
Jesus reveals the divine law, the power of truth and the universality of possessions.
Relates the parable of the rich man and his abundant harvest.

AND Jesus taught the multitudes; and while he spoke a man stood forth and said,
2) Rabboni, hear my plea: My father died and left a large estate; my brother seized it all, and now refuses me my share.
3) I pray that you will bid him do the right, and give me what is mine.
4) And Jesus said,
I am not come to be a judge in such affairs; I am no henchman of the court.
5) God sent me not to force a man to do the right.
6) In every man there is a sense of right; but many men regard it not.
7) The fumes that rise from selfishness have formed a crust about their sense of right that veils their inner light, so that they cannot comprehend nor recognize the rights of other men.
8) This veil you cannot tear away by force of arms, and there is naught that can dissolve this crust but knowledge and love of God.
9) While men are in the mire, the skies seem far away; when men are on the mountain top, the skies are near, and they can almost touch the stars.
10) Then Jesus turned and to the twelve he said,
Behold the many in the mire of carnal life!
11) The leaven of truth will change the miry clay to solid rock, and men can walk and find the path that leads up to the mountain top.
12) You cannot haste; but you can scatter forth this leaven with a generous hand.
13) When men have learned the truth that bears upon its face the law of right, then they will haste to give every man his dues.
14) Then to the people Jesus said,
Take heed, and covet not. The wealth of men does not consist in what they seem to have - in lands, in silver and in gold.
15) These things are only borrowed wealth. No man can corner up the gifts of God.
16) The things of nature are the things of God, and what is God's belongs to every man alike.
17) The wealth of soul lies in the purity of life, and in the wisdom that descends from heaven.
18) Behold, a rich man's ground brought forth abundantly; his barns were far too small to hold his grain, and to himself he said,
19) What shall I do? I must not give my grain away; I must not let it go to waste; and then he said,
20) This will I do; I will tear down these little barns and build up larger ones; there I will store away my grain and I will say,
21) My soul take now your ease; you have enough for many years; eat, drink and fill yourself and be content.
22) But God looked down and saw the man; he saw his selfish heart and said,
23) You foolish man, this night your soul will quit its house of flesh; then who will have your garnered wealth?
24) You men of Galilee, lay not up treasures in the vaults of earth; accumulated wealth will blight your soul.
25) God does not give men wealth to hoard away in secret vaults. Men are but stewards of God's wealth, and they must use it for the common good.
26) To every steward who is true to self, to other men, to every thing that is, the Lord will say, Well done.

 【続く】




【再掲】

泡の立たないのは、洗剤(界面活性剤)でない証!!

それでも汚れが落ちる!! 
洗剤による泡は・・・洗剤による表面張力の低下で出来る
それにイオン特性が加わり、
持続性が高まるからだが、
洗浄力には直接に関係しない!!


 しかし、慣れというのは恐ろしいもので、泡が立たないと汚れが落ちたように感じない人は、驚くほど多い。


 泡が汚れを浮かす・・・


 泡が優しく包み込む・・・


 あるいは、


 泡が細かく振動することで、汚れを引きはがす・・・


 それもあるであろう。


 しかし、その泡が洗剤(界面活性剤)特有の現象であって、そうでなければ汚れが落ちないという理由にはならない。クレンジングは溶剤として油であるから、泡は立たないが厚化粧は石けんよりも良く落ちるであろう。


 シャンプーなどの操作性は別にして、泡が直接汚れを落とすことはない。旧来の陋習(ろうしゅう=悪い習慣)を見直すべきである。


 洗剤(界面活性剤)は、いやでも泡が立つ。それが濯(すす)ぎに時間がかかり、無用の水資源を浪費する。水質汚染を促す。ハード型の合成洗剤ABSが廃止され、ソフト型合成洗剤LASに変更したのは、何時までも河川が泡立つからであった。生分解性が低い(20%)ABSは、排水後も洗剤機能が持続するからであった。

Index

<インド・ニューデリー(New Delhi)にある排水で汚染されたヤムナー(Yamuna)川で、

客を待つ渡し船の船頭たち。>


 最近では、台所洗剤などにはAE(ポリオキシエチレンアルキルエーテル)に変わってきているが、生分解性は格段に良くなったとはいえ、界面活性剤には違いがない。


 宣伝というものは、常に長所を強調し、短所を言いくるめる方向性を持つ。


 洗浄剤で泡の立つものは、すべからく界面活性剤である。逆に、泡の立たないないのは、界面活性ではないひとつの側面だ。証と言っても良い。


 ママプレマというスキンケア用入浴全身洗浄料がある。

Mamapurema


 前回に引き続き、つむじ風ねっとショップ-バジャン専用サイト-で紹介している商品であるから書いているわけであるが、これは全く泡は立たない。当然の事ながら、界面活性剤0(ゼロ)であるからだ。


 これが一番分かりにくいであろうと思うから、書くのである。


 又、その姉妹品であるママプレマシャンプーもそうである。蛇足であるが、勿論、界面活性剤0(ゼロ)である。

Shampoo


 界面活性剤は、肌に大なり小なり良くない、とりわけ、肌の弱い人、アトピー性皮膚炎の方は厳禁という立場で出来た商品だ。繰り返しになるが、皮膚のバリヤーである皮脂膜を破壊するからである。すると本来のもち肌は、やがて、乾燥した砂漠に変身するからだ。


 現代人は、ほとんどが乾燥肌で、保湿剤入り化粧品の天下である。


 それは乾燥肌を作り続けているシャンプー、洗顔にあると言うことは疑いはない。それが洗剤(界面活性剤)の真骨頂だと言えば、ほとんどの化粧品会社を敵に回すことになろう。


 が、敢えて書く。


 泡が立たなくても汚れは落ちる。


 そして、その方が界面活性剤で皮膚のバリヤーを破壊し、乾燥肌に向かわせるよりも遙かに安価で美しさを保つことが出来る事を知って頂けると信ずる。


 現代はパラドックスな事が多すぎる。敢えて傷め、高価な化粧品を購入し、その化粧品がさらに浸透性を高めると謳いながら各種の界面活性剤を多用している。そして、挙げ句、保湿剤を注入すると称して、異物を真皮までに到達させ、時にはアレルギーまでも発症させるとはいかがなものであろうか?


 そして、高い治療代を支払うのである。


 業界は結構なことであろう。丁度、医業薬業が必要でない疾病を引き起こし、多額の治療費・薬代を稼ぐのに似ている。これは一種の罠である。本来は、本物の医業薬業が発達すれば、病人は少なくなるのが当然だが、今は逆だ。


 つまり、パラドックスというのは、一方で肌荒れを促進し、一方で保湿化粧品を販売する。あるいは、医原病を促進し、治療費・薬価を稼ぐ。極端に表現すればこう言うことである。


 それと同じで、今は、化ける化粧は高度に発達したかも知れないが、日本の女性の肌は間違いなく昔のそれとは違い、美しくなくなったのは何故だろう。本物の化粧ではないからだ。


 まあ、あんまりこう言うことを書くと各業界に棹さすことになろうから、この辺で止めておこう。そして、こう言う表現をしよう。化粧とは冒険である。美への挑戦である。しかし、それも肌の健康を取り戻してこその挑戦でなければならない。


 とにかく、本当の肌を取り戻そう。その方が絶対無駄がない。それにはママプレマは画期的な洗浄剤となるだろう。


 健康な肌を取り戻すことが重要だ。その後で、少しぐらい冒険も出来よう。しかし、病んでまで冒険することは取り返しのつかない愚行である。


 界面活性剤0(ゼロ)であるから、決して泡は立たないが、バジャンと一緒で、水に溶かすとイオンとなって、優れた洗浄効果をもたらす。使い方は簡単で、適量をお風呂の湯船に溶かし込むだけだ。

Bathroom


 しばらく経って、十分に溶けたらその中に浸ればよい。浸って暖まればよいだけだ。十分に暖まったら、湯船を出て手桶にそのお湯をくみ取り、タオル手ぬぐい、ひょうたんタワシ、何でも良いが、浸して身体を擦るだけだ。要するに垢すりだ。みるみる垢が落ちる。勿論、汗も油もだ。そして、さらっとした肌が蘇る。ついでに匂いも消える。

Mistuse


 一人住まいなら、一人風呂だから、湯船の中で擦るのも良いだろう。みるみるうちに湯船が垢で濁ってくる。後は流すだけだ。多人数風呂の場合は、そうはいくまいから、出て湯桶にとって擦る。そして、シャワーで流す。それでおしまい。


 すすぐシャワーなど一分とかからない。


 湯船で擦った場合は、すすがなくても差し支えないが、気分の問題だろう。


 シャンプーも理屈は同じである。基本的にメカニズムは同じだが、頭髪は表面積が広い。だから、濃度を濃くして使うだけだ。そのための専用ケースがある。それに適量溶かし、良く濯いだ頭に通常のシャンプーのように注いで、頭皮を中心に洗う。

Img4_01

Img4_02

Img4_03_2


 泡が立たないので、慣れるまで違和感があろうが、違和感と汚れ落ちには関係がない。泡がない分きしむが慣れるしかあるまい。2度洗いが原則、そして、頭皮のマッサージだ。頭皮マッサージ用のブラシを使うのも良いだろう。

Img4_04

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 ここだけの話だが、抜け毛を気にする人はこの中にフルボ酸を数滴加えても良いだろう。これはこのブログ主たる私の提案で、製品元に照会しても応え様にとまどうかも知れないのでくれぐれも・・・

Chelate

驚異のキレート作用物質
フルボ酸

体外排出の可能性・・・・?!

Miyamonte_5

 


 さて、


 その使用感は?


 それは使ってのお楽しみで、人にはそれぞれの好悪があろうから、感想もそれぞれとしておこう。ただ言えることは、無闇の洗剤洗浄剤は、皮脂を取りすぎるので、リンスインと称して保湿剤を混入してあるだけだから、見かけ上はしっとりすべらかになるが、本当の地肌感覚をほとんどの人は忘れているのである。


 私自身について言えば、汚れは完全に落ちる。そして、肌は間違いなく、風呂上がりのさらさら感は上等だ。そして、髪はリンスなしでしっとりさらさらだ。因みに私はヘアーダイはしていない。白髪も目立ってきたので、時折、自分でヘアーマニキュア(市販品)をする。


 近以前から、リンスはしない主義だ。だから、余計分かるかも知れないが、市販のシャンプー剤を使っていたときと比べて、ずっとヘアーはパサつかず、しっとりと落ち着いている。


 念のために書いておきたいが、若いときはリンス・トリートメントは欠かさなかった。男でもいち早く率先使用した。と言うのも美容業界近傍に職を得た時期があるからである。一般人より、美容には詳しい。が、盲信はしていないし、寧ろ、懐疑派でもある。


 今回、詳しく書くこととしたのは、一般的概念に遠いママプレマというスキンケア用入浴全身洗浄料は書いて説明をしないわけにはいかないと考えたからだ。そして、肌の弱い人、乾燥肌の人、何よりもアトピー性皮膚炎をお持ちの方は、こうした全身洗浄について検討を加えないと問題の解決にはならない。


 一概に、石けん・洗剤(界面活性剤)を使うな! と言っても、水(お湯)だけで洗うことは、日常の生活状態では、特定の数寄者以外には到底無理だろう。そして、これさえ使えば、洗剤なしの生活が可能なのである。断言する。


 これは、別にことさら宣伝するのではない。言わばレポートしたまでだ。そうしないと、分からない。情報そのものであるから、後は使って自分で感覚を研ぎ澄ませれば分かるであろう。判断は、好きに自由判断したら宜しい。


 もう一度だけ、次回、ナンナミストという世にも不思議な水について書こうと思う。ご精読に感謝する。


 何な? このミスト(水)は? (次回をお楽しみに!)

Mutenka_k_2


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不思議な少年!! その111

2012-08-11 16:49:58 | 物語

イエス、イスラエルがエジプトからカナンに旅行した象徴的意義を示す! 


 ここは軽く行こう 


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<記事に無関係:胎内で蹴る胎児の足>


 

 詩(うた)は味わうものである。


 ただ、


 エジプト脱出の象徴的意義は、重要だ。仮に事実にせよ、譬えにせよ、それは重要ではない。重要なのは、そこに見いだす意義をつかみ取ることだ。


 紅海が真っ二つに割れて、道を拓き、遁れて再び閉じたと聖書(旧)にはある。それは事実かも知れないし、譬えかも知れない。


 とにかく、そのことの意味する意義を考えたことがあるだろうか? 


 肉の・・・、ということは、物質的欲望を表している。ロゴスとは神の囁きのことだ。その言葉を聞くことが出来るものは、肉の心を空しくせねばならぬ。


 つまり、


 謙虚であれと言うことだ。


 
ミリアム勝利の歌を歌う。その歌。イエス、イスラエルがエジプトからカナンに旅行した象徴的意義を示す。


 ミリアムは押し寄せてくる群衆の前に立ち、天を仰いで、新しい勝利の歌を歌った。


  竪琴(たてごと)、瓢箪琴(ヴィナ)、七絃琴(ライア)とれ、

  高鳴るシンバルを持ち来たれ

  天のすぺての合唱隊

  ともに歌わん新しき

  あらたな歌を歌わなん

  万軍のエホバ身をかがめ

  人の叫びを聞きたもう

  見よ、ベルゼブルそのとりで

  風に震える木の葉のよう

  ギデオンの剣また鞘(さや)払う

  エホバ手ずから、夜の幕を

  おろせば真理(まこと)の太陽は

  天地にみなぎるその光

  やみの悪魔ども、死と無智は

  とっととにげて走り去り

  朝日の下の露のごと

  消えてあとなく失せてゆく

  神はわが 歌わが力

  わが救い わがのぞみ

  あらたに建てん その宮を

  心をきよめ 部屋を.きよめ

  清浄無垢の 身とならん

  みな聖霊の 宮なれば

  荒野の幕に 用はない

  手にて造れる 宮いらぬ

  聖地エルサレム 今はない

  われらは神の 幕屋なり 

  われらは神の 宮なれば

  刃物道具の音もなき

  神の建てたる 宮なれば

  われらは聖地 新たなエルサレム

  ハレルヤ ハレルヤ 神をほめよ

  歌が終われば、一同は神を讃美せよと叫んだ。



  イエスは言った、「道を見よ、人の子らは長い歳月エジブトの夜の暗闇(くらやみ)をさまよった。肉のパロは鎖で彼らをつないでいた。


 しかし神は時の霧の中にて囁(ささや)き自由と愛の国を告げた。

 かくて神はロゴスを遣わし道を開く。

 紅海は約東の地とエジプトの砂漠の間に浪を打つ。紅海は肉の心

 見よ、ロゴスは手を延ばし、肉の心を二つに分かつ。

 人の子らは足ぬらさずにみな歩む。

 肉のパロ遁(のが)るる者を留めたが

 水戻り来てパロは消え、

 人はみな自由の身となる。

 ただしばし人は罪の荒野を踏み行けど、

 ロゴスはいつも道案内

 やがて人みなヨルダンの岸に立つ

 海水動かずみな歩みやがて郷里に立ち帰る。」


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百十章 ミリアム勝利の歌を歌う。その歌。イエス、イスラエルがエジプトからカナンに旅行した象徴的意義を示す。


1) ミリアムは押し寄せてくる群衆の前に立ち、天を仰いで、新しい勝利の歌を歌った。

2) 竪琴(たてごと)、瓢箪琴(ヴィナ)、七絃琴(ライア)とれ、

  高鳴るシンバルを持ち来たれ

  天のすぺての合唱隊

  ともに歌わん新しき

  あらたな歌を歌わなん

3) 万軍のエホバ身をかがめ

  人の叫びを聞きたもう

  見よ、ベルゼブルそのとりで

  風に震える木の葉のよう

4) ギデオンの剣また鞘(さや)払う

  エホバ手ずから、夜の幕を

  おろせば真理(まこと)の太陽は

  天地にみなぎるその光

5) やみの悪魔ども、死と無智は

  とっととにげて走り去り

  朝日の下の露のごと

  消えてあとなく失せてゆく

6) 神はわが 歌わが力

  わが救い わがのぞみ

  あらたに建てん その宮を

  心をきよめ 部屋を.きよめ

  清浄無垢の 身とならん

  みな聖霊の 宮なれば

9) 荒野の幕に 用はない

  手にて造れる 宮いらぬ

10) 聖地エルサレム 今はない

  われらは神の 幕屋なり 

  われらは神の 宮なれば

  刃物道具の音もなき

  神の建てたる 宮なれば

11) われらは聖地 新たなエルサレム

  ハレルヤ ハレルヤ 神をほめよ

13) 歌が終われば、一同は神を讃美せよと叫んだ。

13) イエスは言った、「道を見よ、

  人の子らは長い歳月エジブトの

  夜の暗闇(くらやみ)をさまよった。

16) 肉のパロは鎖で彼らをつないでいた。

17) しかし神は時の霧の中にて囁(ささや)き

  自由と愛の国を告げた。

18) かくて神はロゴスを遣わし道を開く。

19) 紅海は約東の地とエジプトの

  砂漠の間に浪を打つ。

20) 紅海は肉の心

21) 見よ、ロゴスは手を延ばし、肉の心を二つに分かつ。

  人の子らは足ぬらさずにみな歩む。

22) 肉のパロ遁(のが)るる者を留めたが

  海水戻り来てパロは消え

  人はみな自由の身となる。

23) ただしばし人は罪の荒野を踏み行けど

  ロゴスはいつも道案内

  やがて人みなヨルダンの岸に立つ

  海水動かずみな歩みやがて郷里に立ち帰る。」


 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


CHAPTER 110

Miriam sings a song of victory. The song. Jesus reveals the symbolic
character of the journey of Israel from Egypt to Canaan.

AND Miriam stood before the surging crowd, and casting up her eyes to heaven she sung anew the song of victory:
2) Bring forth the harp, the vina and the lyre; bring forth the highest sounding cymbal, all ye choirs of heaven. Join in the song, the new, new song.
3) The Lord of hosts has stooped to hear the cries of men, and lo, the citadel of Beelzebub is shaking as a leaf before the wind.
4) The sword of Gideon is again unsheathed.
5) The Lord, with his own hand has pulled far back the curtains of the night; the sun of truth is flooding heaven and earth;
6) The demons of the dark, of ignorance and death, are fleeing fast; are disappearing as the dew beneath the morning sun.
7) God is our strength and song; is our salvation and our hope, and we will build anew a house for him;
8) Will cleanse our hearts, and purify their chambers, every one. We are the temple of the Holy Breath.
9) We need no more a tent within the wilderness; no more a temple built with hands.
10) We do not seek the Holy Land, nor yet Jerusalem.
11) We are the tent of God; we are his temple built without the sound of edged tools.
12) We are the Holy Land; we are the New Jerusalem; Allelujah, praise the Lord!
13) And when the song was done the multitudes exclaimed,
Praise God.
14) And Jesus said,
Behold the way!
15) The sons of men have groped for ages in the darkness of Egyptian night.
16) The Pharaohs of sense have bound them with their chains.
17) But God has whispered through the mists of time and told them of a land of liberty and love.
18) And he has sent his Logos forth to light the way.
19) The Red Sea rolls between the promised land and Egypt's sands.
20) The Red Sea is the carnal mind.
21) Behold, the Logos reaches out his hand; the sea divides; the carnal mind is reft in twain; the sons of men walk through dry shod.
22) The Pharaohs of sense would stay them in their flight; the waters of the sea return; the Pharaohs of sense are lost and men are free.
23) For just a little while men tread the wilderness of Sin; the Logos leads the way;
24) And when at last men stand upon the Jordan's brink, these waters stay, and men step forth into their own.

 【続く】