飄(つむじ風)

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すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑲

2008-01-17 08:42:11 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第十九議定書注釈

<統一協会? カルト? セクト? とにかく造られたデモ>
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 【第十九議定書注釈開始】ここからは、第十九議定書(下記転載文書)の注釈に入る。
 本議定は、注釈までは必要ないだろう。刑務所の看守心得のような言辞を弄しているにすぎない。
 そこで、本議定の注釈からは離れるが、今日の言論風発の根本原因について記す。それは明らかに、推進され、奨励され、創られたものである。そのための工作員まで用意された工作された作為的なものである。
『ああいえば、上祐.....』ではないが、かつての全共闘の独特の言い回しなど、どうにも不自然で奇異に感じていた一人として、痛感する。
 学説(経済学説、法律学説、政治学説、医学説、薬学説....)すべて見直さなくてはならない。最近では、地球温暖化学説など実にいい加減きわまる。イデオロギーなど明らかな捏造である。本来、全き民は
『鳩のように素直である』はずのものである。『幼子のごとくならずんば、天国に入らず』とのイエスの言葉をもう一度かみしめてみよう。言辞を弄し、言葉多きものに真実は少ない。偽善者がそれである。
 また、
個人主義という主義は、本来、なきものである。主義は本来ない。究極はセクトでありカルトである。それらは創られ納れられた誤った思想である。気づかなければならないときにきている。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第十九議定書

 われわれは個人が政治に口出しすることは全く許さないけれども、政府が人民の状態を改善すべく仔細に検討するに値する提案、報告、請願は奨励する。このような提案は、われわれの臣民が何を空想しているかをわれわれに明らさまに教えてくれるからであり、それらに対しては実現できるものはその旨を付し、そうでないものは起案者の誤りを指摘し反論して応える。

 反政府活動屋は象に対してキャンキャン吠え立てる小犬以外の何ものでもない。組織的に活動している政府にとっては、警察の見地からではなく公共の立場から見ても、小犬が象に吠え立てるのは、象の強さや力を全く知らないからであると見做す。これには両者の力関係を一度だけ見せてやる以外は何もする必要はない。そうすれば小犬は吠え立てるのを止め、次からは象を見ると尻尾を巻いて逃げ出すであろう。

 政治犯罪者が主義に殉ずるものとして尊ばれることをなくすためには、裁判の際に、彼らを強盗、殺人犯、その他言語同断破廉恥極まる犯罪者と同じく扱うのである。そうすると世間は、政治犯をその種の犯罪と同種の不道徳な犯罪と見做し、軽蔑の眼差しで見下げるようになる。

 ゴイムが反政府活動を圧殺するのに同じ手段を用いないよう、われわれは極力努力してきたし、今後もその努力は継続したいと思う。新聞や演説講演・・間接的には巧みに編集した歴史教科書・・を通じて、われわれは反政府屋を公共の福利のために殉じた殉難者として宣伝してきたのは、以上の理由からである。この宣伝がふくれ上って、リベラルたちが増加し、何千というゴイムをわれわれの家畜群に引き込んだのである。【転載終了】


すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑱

2008-01-15 07:54:38 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第十八議定書注釈

 【第十八議定書注釈開始】ここからは、第十八議定書(下記転載文書)の注釈に入る。
 実に巧妙、用意周到、深謀遠慮とというべきか。ところが、それが偽善の企みである点が嘆かわしい。兵法としては孫子に並び立つものであろう。違いは、天下武布の大儀が何れにあるかとということ。

 彼らのそれは似て非なるものである。まず、一貫して大儀を謳っているようでいて、大儀ではない。単に彼らが唯一選民であるとの自惚れと、これまで受けてきたであろう迫害に対する怨念を動機とする反逆思想が原点となっている。そこに読む手をして、爽快を感じ得ぬおぞましさが伴う。よく考え込まれているにしても、所詮は犯罪計略にしか見えない。兵法とは相容れぬ奸計を感じて余りあるのは、私一人ではない筈だ。

 でも、あえて言おう。よろしい、思うがままにやってみせるが良い。遣らねば気が済まぬであろう。しかし、大儀なき野望は、所詮、三日天下も満たさないであろう。それはそれで好都合である。毒麦が刈り取りまで待たれて、束ねられ、まとめて焼き払われたように、その時まで主なる実在の神が、容認しておられるという真理に、私は与する。【注釈終了】

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【転載開始】『シオンの議定書』第十八議定書
 われわれが秘密の護衛措置の強化を講ずる必要が生じた際には、見せかけの秩序混乱、すなわちうまい弁舌家に協力させて不平不満をぶつけさせる。こういう弁舌家の回りには、その発言に共鳴する輩が皆集まってくる。それがあまたのゴイムの中から選んだわれわれ側の人員によって、家宅捜査や監視をする口実となる。

 大多数の陰謀家というのは勝負事好きでおしゃべり屋であるから、そこで、彼らが明白な行動を起こすまでは、われわれは指一本触れずに、ただ彼らの中に監視員を入れるだけにとどめておく……銘記しておくべきことは、陰謀摘発が度重なると当局の威信が落ち、弱みがあるからやっているんだろうとか、もっと悪いことには不正不法であるとか、余計な憶測邪推を生じさせるということである。御存知のように、われわれは代理人を通じてゴイの王たちの生命を脅かして権威を失墜させたのであるが、この代理人たちはわれわれが飼っている群の中の盲目の羊であって、少々政治色をつけた自由主義的な言辞を弄して犯罪を攻撃すると、たやすく乗せられてしまう連中である。われわれは秘密防衛措置を公然と暴いてやって、支配者たちに彼らの弱点を思い知らせてやってきた。これによって、権力を打倒する保証を手中にしたのである。

 われわれの支配者は目に見えない護衛だけに守られる。反政府暴動があるやも知れず、王にはそれを抑える力がなく逃げ隠れているという考えは断じて与えてはならない。

 ゴイムがやったように、また、現在もやっているように、そんな考えをはびこらせたら、われわれの王ではないにしても、とにかくその王朝に対して遠からず死刑宣告に署名しているようなものである。

 われわれの王は威厳のある風貌の力を国民の福利増進のためにのみ用いるのであり、間違っても自分自身や一族の利益のために用いることはない。それゆえに、この威信が保たれることで、王の権威が尊敬され、国民そのものに守られ、市民全員の福利と固く結びついて神のように崇められるのである。まさに王の威信によってこそ、多数の通常生活における秩序すべてが保たれるのである。

 公然と護衛することは、強そうに見える王者の政治組織の弱さをさらすことになる。

 われわれの王は人民の中に行くときは常に、見た目には全く偶然そこに居合せた物見高い男女の群集に取り囲まれたかのように見せる。それらの男女は王に近い前の方の数列を占め、後の列を制止する。他の者は尊敬の念からよく秩序が保たれているように見える。これは他の場合でもそうすることに慣れるように種を蒔くことになるのである。もし群集の中から請願人が現われて、王に請願書を手渡そうとし、列を分けて進んできたら、最前列の者が請願書を受け取って請願人の目の前で王に取り次がなければならない。そうすれば誰の目にも直接請願書が王の手に届き、王自身が国政を監督していることが知れ渡る。人民が「王様がこの事を御存知だったらなあ」とか「王様が聞いて下さった!」と言えることが、権力の後光となるのである。

 公然たる護衛警察は王者の神秘的権威を失わせる。少々大胆さを持ち合わせていれば、誰でも自分は護衛を自由に操れると思い込み、暗殺者は自分の力に自信を抱き、時至れば官憲に一撃を加える瞬間をうかがう……ゴイムには、われわれは正反対のことを教えてきたが、目立つ護衛策がどんな結果をもたらしたかを、事実そのものによってとくと見ることができた。

 われわれは、犯罪者とあれば根拠が十分であろうと不十分であろうと、まず逮捕する。万一間違えるといけないということで、政治的堕落や犯罪を犯した疑わしき者に逃亡の機会を与えるとは、とんでもないことである。政治犯の場合は、文字通り峻厳でなければならない。単純犯罪で動機の再審議を許可し、特別扱いをすることが可能な場合でも、職権を持った者の他には何びとといえども事件に介入する口実は存在しない……すべての政府が真実の政治を理解するものではないのである。【転載終了】


すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑰

2008-01-14 12:14:21 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第十七議定書注釈

 【第十七議定書注釈開始】ここからは、第十七議定書(下記転載文書)の注釈に入る。
 

 これは既に崩壊した、共産主義国家で実験された事実であろう。この書が書かれた当時、世界には1つの共産国家もなかった。ソ連が登場するのは、この後である。
 共産国家が崩壊したことにより、彼らの企てが失敗に終わって、現在があると思うのは早計である。何故なら、その制度は全世界に及ぼしたのではなく、限定的であった。あくまでも2極対立がその目的であった。全世界に遍く及ぼす王国は、やはり、
かつての共産主義国家に似て閉鎖的社会であろう。が、それ以上である。
 似ているが、加うるに
彼らの提唱する宗教がある。単なるイデオロギーの強制とは訳が違う。面従腹背は許されない世界が、そこには現出する。まさに地獄である。地獄には実際行ったことはないが、あるとすれば、まさしく、彼らの描く王国であろう。
 そう、彼らの言う王国とは、彼らを長とした地獄の王国のことである。美辞麗句をどう駆使しようとも、正義を語ろうとも、徳性を唱えようとも地獄の王国である。欺されてはいけない。追従してはいけない。一時の保身の為と、言い訳をしても、
追従したら魂の破滅を意味する。地獄(ヘゲナ)に魂を売って、なんの保身があろう。【注釈終了】
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【転載開始】『シオンの議定書』第十七議定書

 弁護士活動は人間を冷酷、非情、頑固、破廉恥にする。弁護士はどんな場合にも、人間ではなく、ひたすら法律の観点からのみ問題を論じる。彼らはどんなことを取り上げるにしても、弁護する価値があるかどうかと考えるのが習慣になっていて、弁護した結果、公共の福利がどうなるかは考えない。なんでもかんでも弁護を引き受けて断わることをしないというのが普通であり、無罪を目ざして極力奮闘し、法律上の細かい所にこだわって片端から難癖をつけ、挙句のはてに正義を地に落とす。であるから、われわれは他の行政公務員と同様に、この職業の範囲を狭く絞り込んでおこうと思う。
 裁判官と同じく、弁護士が訴訟当事者と
直接接触する権利は剥奪する。彼らは法廷からのみ仕事を受け、訴訟書類や報告を調査し、法廷で被告が尋問を受け、事実が明らかになった後に被告を弁護する。どんな弁護をしたかという内容に関わりなく報酬を受け取る
 このことは、弁護人は告訴のための審理記録人である代訴人に対して平衡を保つための、正義のための
法務の単なる記録人に過ぎなくさせる。こうすれは、個人的な興味関心からではなく、確信に基づいた、偽りのない公平な弁護活動が可能となるのである。また、この方式にすれば、現今横行しているような、金をよけい出さなければ裁判には勝てないという弁護士の腐敗堕落を除去することにもなる。

 われわれは過去長い時間をかけて、ゴイム僧侶の信用を落とし、それによって、放っておいたらわれわれの大きな脅威となったやも知れぬ地上における彼らの伝道を凋落させるようにして来た。今や日一日と、世界の人民に対する彼らの影響力は低下しつつある。信教の自由ということが至る所で喧伝されたので、今やキリスト教が完全に破壊されるのはここ数年のうちに過ぎなくなった。ほかの宗教に至っては、骨抜きにするのは更に容易であるが、今この問題を論ずるのは時期尚早であると思う。

 われわれは聖職者重視の教権主義や聖職者たちの力を、以前、彼らが華やかなりし頃に持っていたのとは比べものにならないほど狭い枠に押し込めるであろう。

 決定的に法王庁を破壊する時が来れば、見えざる手の指が各国民に法王庁を指さすであろう。しかしながら、国民がそれに襲いかかろうとしたら、あたかも過度の流血を防がんとするかのように、われわれは法王庁の擁護者を装って進み出る。この転換によって、われわれは彼らの深奥にまで足を踏み入れ、間違いなくかの最強部を腐食し切るまでは二度と出て来ないであろう。

 ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。

 だが、一方で、われわれが青年層を過渡期の新しい伝統の宗教に、後にはわれわれの宗教で再教育する間、われわれは明らさまには既存の教会には指一本触れないけれども、教会内部の軋轢を目ざし批判を加えて宗教人と闘う

 その場合、一般的には、われわれの現代の新聞は、ゴイムの国家問題、宗教、ゴイムの無能さを断罪し続けるが、常に、わが民天与の才能を振い、あらゆる手段を駆使して彼らの威信を剥奪すべく、罵詈雑言を浴びせ百方中傷する……

 われらが王国はインドのヴィシュヌ神になぞらえ擬人化すると・・われらが百本の手の一本一本は、社会という機械のバネを握っている。警察というのは、われわれがゴイムのために入念に作り上げ、しかも政府は覗けない望遠鏡であるが、その警察の力を借りずともわれわれは何もかもが解るのである。われわれの計画では、われわれの臣民の三人に一人が、国家への無料奉仕義務として他の二人を監視する。かつてのようにスパイは恥ずべきことではなく、評価すべきことなのである。しかしながら、根拠のないことを密告した者は厳罰に処し、密告権の乱用を慎ませる。

 このわれわれの代理人は、社会の上層からも下層からも、さらに暇な時間を娯楽に費す管理層、編集者、印刷業者や出版人、書店業、店員、販売業者、労働者、御者、従僕等々からも採用する。この組織は職権を持たず、目撃したことについてなんらかの行動を起こすことは許されず、なんら権限のない警察であって、唯一観察し証言するのみである。供述を確かめたり逮捕を決定したりするのは、警察の責任ある取締官の仕事であり、実際の逮捕には憲兵隊や都市警察があたる。警察担当の事件で、見聞したことを報告しない者は、隠匿罪で告発され、その責を負い、それが証明されれば有罪となる。

 今日でもわれらの兄弟たちは、自分の責任において、自分の家族の背教者や結社に反対する行動をとった結社員を告発する義務をもっているが、それと同じことを全世界を支配するわれらの王国においても、わが臣民全員に国家に対する奉仕として義務づけるのである。

 このような組織こそが、権威権力の乱用や贈収賄や、われわれの機密計画を使い、人間についての超人類的な理論を駆使し、われわれがゴイムに植え付けた悪習のすべてを根絶させるであろう……だが、彼らの政治の中に混乱を植え付け増大させるのに、果たして他に方法があっただろうか?……あまたあるこれらの方策の中でも、最も重要なるものの一つは、彼らの悪の偏執性・・どうしようもない自惚れ、権力の無責任な乱用、そして、何よりもかによりも賄賂・・を拡張発達させ、彼らを破滅させるのに都合のいい位置にいる秩序回復の代理人である。【転載終了】


すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑯

2008-01-13 07:50:03 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第十六議定書注釈 

  <三浦朱門氏>

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【第十六議定書注釈開始】ここからは、第十六議定書(下記転載文書)の注釈に入る。

 特にこの議定では、教育問題について語られている。教育によって、大多数の人間は方向性が決まるからである。中でも一般教育と英才教育の魂胆が透けて見える。一般教育とは、統治されるにふさわしい従順な人間を教育により創り出すことを目的としている。それは、真実を教育に盛り込むことではなく、計算され、選別された情報、思考を停止する実物教育、統治に都合のいい徳育、倫理社会教育。何か、現代の文科省の教育指導要綱のようでもある。
 英才教育、別名、選民教育・差別教育である。日本の作家、第7代文化庁長官。教育課程審議会会長である三浦朱門氏は語る。
 
『(前略)学力低下は予測しうる不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、出来んものはでっきんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、出来るものを限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼等が国を引っ張っていきます。限りなく出来ない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。……(中略)……今まで中以上の生徒を放置しすぎた。中以下なら”どうせ俺なんか”で済むところが、なまじ中以上は考える分だけキレてしまう。昨今の十七歳問題は、そういうことも原因なんです。(後略)』
 言っておくが、17歳問題は創られた事件である。マインドコントロールは既に高度に実施されている。バージニア・コロンバン....サカキバラ.....。『三浦大先生』は知らないだけだ。
 英才教育に隠された、奴等のもくろみを見逃すな。また、『世渡りがうまく出世第一主義』で要領のいいその手先も見極めなければならない。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第十六議定書

 われわれ以外の結束力をすべて根絶するためには、集産主義の第一段階・・大学・・を、新しい方向で再教育して去勢するのである。職員や教授連を精密な秘密教育計画に従って再訓練するが、断じてその一部分たりとも免除することはない。彼らの任命には格段の注意を払い、一人の例外もなく政府が掌握して配置する。

 われわれは全教育課程から政治と同様に法律も排除する。政治法律に関しては、予め許された者の中から、さらに卓越した人物を選び、数十人という少数の人物にのみ教える。大学はもはや、喜劇や悲劇を書くようなつもりで法案や計画をこね上げたり、父親たちでさえも理解できなかった政策問題にかかずらう青二才を世の中に送り出してはならない。

 大多数の人間がもっている政治問題に関する頓珍漢な知識が、ユートピアを夢見る人間や不良市民を作るのである。諸氏は実際の大学教育がゴイムをこの方向に導いてきた実例をよく御存知であろう。われわれは彼らの教育の中に、完膚なきまでに彼らの秩序を破壊する原理を持ち込まなければならなかった。しかしながら、われわれが権力を掌握した時には、秩序破壊の種になるようなものはことごとく教育課程から駆逐し、青年を権威に従順な子供にし、平和安寧の希望として統治者を頼みの柱とするように育成するのである。

 どんな形の歴史研究も皆そうであるが、範を過去に求める古典主義で行くと、良い例よりも悪い例の方が多いのであって、われわれはそれに代えるに未来研究をもってする。われわれは、われわれにとって好ましくない過去何世紀かの人類の記憶を一切消去し、ゴイム政府が犯した誤ちをことごとく叙述する。実際生活、秩序に対する義務、人民相互間の関係、悪を伝染する利己的な実例、その他教育の本質に関わる類似の問題の研究、これらが教育計画の最前線に置かれるだろう。その実施にあたっては職業ごと、あるいは生活状態によって別々にし、教育は決して画一的に行ってはならない。この処置は、特に重要である。

 社会各層の教育は、それぞれの階層の本質と実際の仕事に応じて厳格に制限を加えなければならない。稀に天才的人物が出てうまくやって行くことがあったし、上の階層に滑り込むことが常であるが、このような極めて稀にしか出ない天才のために、生れや職業に特有であるべき階層に、その価値もない人間を入れてやるなどということは、愚行もはなはだしい。こんな目に余ることを許したゴイム社会はどうなったか、諸氏はよく御存知のはずである。

 われわれは私学という私学をことごく廃止する。教育施設の中では、あたかもクラブのように、親たちとの集まりを持つことは許す。休日には、そういう集まりに教師が参加して、人間関係、見せしめの罰則、神の選民ではない者のいろいろな制約等々の問題、とどめには、まだ世界で明らかにされていない新たな哲学原理について、課外講義で読んで聞かせるだろう。その原理は、最終的にわれわれの信仰に従わせるための移行期の教理として、われわれが提起するのである。現在ならびに将来の行動計画を説明し終えたら、私は諸氏にその学説の原理をお話しする。

 一言にして言えば、何世紀にもわたる経験に鑑みて、人間は思想に生き思想に導かれるものであり、思想というのは人間成長の各段階にふさわしい教育を初め、さまざまな手段によって人間に浸透するものであるから、思想の支配を受けない最後の火花を、われわれが押収し呑込み、自分自身のものとして利用するであろう。この、思考力を人間から切り離すということは、過去長い時間をかけて、われわれが導入してきた極めて有益な手段である。思考力を抑制する手段はすでに、いわゆる実物教育という方法で実行されている。この方法によりゴイムは、目に見えるものだけを頼りにして理解し、物を考えない従順な動物にさせられている……フランスでは、われわれの最良の代理人であるブルジョアジー諸氏が、すでに実物教育の新しい計画を実地に移している。【転載終了】 

<戦争民営化:イラクのペルー人戦争請負契約社員></object>


すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑮

2008-01-12 10:02:06 | シオンの議定書

『シオンの議定書』第十五議定書注釈
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 【第十五議定書注釈開始】ここからは、
第十五議定書(下記転載文書)の注釈に入る。 

 悪党の正体見えたりである。この当時からすると、今が丁度 一世紀後。いよいよ、計画目的達成のの瞬間に遭遇していることになる。その兆候には、One World Orderがこれほど叫ばれ、世界政府樹立と云う言葉までが、国連にロックフェラーに依る書簡で明らかにされている。その意味では、『シオンの議定書』が 真正な悪党どもの『犯行計画書』であるとの証左である。その一味は、明らかにロックフェラーである。
 同時に、その正体は、表向き美辞麗句でごまかそうとも、この書に語られている内容を精査すれば、彼らが驕り高ぶり
世界市民を支配するというパ ラノイア的誇大妄想狂犯行計画にすぎない。そして、その暁には、強権発動、独裁恐怖政体を目途している気違い計画書である。それに飽きたらず、自らをもっ て、選民として驕り高ぶり、『荘重高潔』なる原則などと、到底、『盗っ人猛々しい』としか捉えようのない言説まで弄している。
 結局は、詐欺師の通例で、欺して利用し、利用済みは抹殺し、詐欺師王国を『荘重高潔』なる原則で圧政確立すると云うだけの話ではないか。ここまで読み進んで頂いた読者諸氏は、もう、
正体見えたりとして、ご判断頂いても良いのではないかと思う次第である。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第十五議定書
 世界各地に同時にクーデターを勃発させ、遂に決定的にわれらが王国に突入し、現存する政府という政府が誰の目にも没落したことが明らかになった 時(
これが実際に起こるには少からぬ時間、恐らくまるまる一世紀はかかるだろう)、われわれに対する陰謀の類いは絶対に存在を許さないように監視する仕事 がある。このためには、われわれの王国到来に反対し、いやしくも武器を執る(手にする)者は一人たりとも容赦なく殺戮する。秘密結社に類するあらゆる種類 の新団体結成もまた、死をもって処する。

 われわれが認めている現存秘密結社は、役立つものも役立ったことのあるものも、
一率に解散させ、欧州から遥か離れた地方へ追放する。あまりにも 事情をよく知り過ぎたゴイのメーソン員にも、同断の処置を執る。なんらかの理由でこの処置を執らなかった者に対しても、追放の恐怖で脅迫しておく。われわ れの支配の中心地である欧州からは、秘密結社員全員を追放に処する法律を作成し公布する。

 この決定は変更できず、これに対する控訴は許さない。

 ゴイの社会には、
根深く対立抗争の種を植え込んでおいたので、秩序を回復するには権威の力を直接見せつけた容赦ない手段を執るよりほかはない。 苦しむ者に一顧だに与えてはならない。未来の幸福のために苦しみを引き受けさせるのである。いかなる犠牲を払ってでも福利を達成することこそ、どんな政府 でも自分たちの存続を忠実に考え、特権維持ではなく職責完遂を顧みるならば、断じて遂行しなければならない義務である。支配を揺ぎないものとする原則は、 権力の後光を輝かせることにあり、その後光というのは、その表に神秘的なもの・・神に選ばれた・・から来る不可侵性を顕現する紋章を帯びるというような、 不退転の威厳に満ちた力を発揮していることが要諦である。近年までは世界中では、ローマ教皇を数に入れなければ、帝政ロシアがわれわれの唯一の競敵であっ た。記憶に留めていただきたいのは、イタリアである。流血にまみれたイタリアであるが、その血を注いだスッラに対しては、髪の毛一筋も手を触れることがで きなかったのである。彼は人民を虐げていたにもかかわらず、大胆不敵なイタリア帰還をやってのけ、不可侵性の網に囲まれ、人民の目には神と崇められたので ある。人民は大胆勇敢な者には催眠術をかけられて、指一本触れないものなのである。

 しかしながら、われわれの
王国を実現するまでの期間は、われわれは正反対のことを行う。フリーメーソン支部を世界各国にどんどん増設し、そこへ 名士になりそうな人物、現に名士である人物を引き入れる。それというのも、それら支部は重要な情報集積所であり、情報を流す出口でもあるからである。メー ソンの全支部は、われわれだけが承知していて他には絶対に誰も知らない中央管理機構の下に置く。その機構を構成するのは、われらの学織ある長老たちであ る。支部には代表者がいるが、彼らは上記のメーソンの真の管理機構を覆い隠すために置かれるものであり、標語や計画は蔭の管理機構から発せられるのであ る。これらの支部に、革命的分子やリベラル分子をすべて集めてしっかり結び合わせる。この中には社会の全階層が含まれるのである。極秘の政治計画なるもの もわれわれは熟知しているし、計画が立てられたその日のうちにわれらの指導部の手に入手される。国際警察や各国警察の代理人は、ほとんどこれら支部に参加 しているが、彼らは不法な者に対して特殊な措置を講じるのみならず、われわれの活動を隠蔽し、しかも不平不満を起こさせる口実を提供してくれるので、われ われにとってはかけがえのない存在である。

 秘密結社に喜んで入ってくるのは、
世渡りがうまく出世第一主義で、一般人の中では軽薄に属する人物が多いので、彼らを御してわれわれが仕組んだ ことを片付けさせるのは、さして苦労のいることではない。その世界で何かゴタゴタめいた事が起こったとすれば、あまりにも強固になった団結を破るべく、わ れわれが少々撹乱しなければならなかった場合である。だが、計画遂行の中心には、これ以上信頼できる人物はいないというわれらの下僕が先頭に立っている。 われわれだけがメーソンの活動を指導し、他の誰にも当らせないのは、極めて当然のことである。ゴイムに至っては無知蒙昧であって、どこへ行くべきか、活動 の一つ一つの最終目的は何であるかを知っているのは、われわれだけだからである。ゴイムは、通常、彼らの考えを実行する際に、やたらと自分の説に固執し、 自説の一時的満足にしか頭が回らない。しかも、その自説たるや、われわれが彼らに吹き込んだものであって、本当に自分が考え出したものではないことに気が 付きもしない。

 ゴイムは、物好きからか、あるいは、
大きなパイに一口あずかる手段としてメーソンに入ってくる。中には、実現不可能な根も葉もない夢想を実現さ せるために、耳よりな情報を仕入れようとして入ってくる者もいる。彼らは成功と拍手喝采に飢えているが、その成功や拍手喝采こそは、われわれが気前よく振 る舞ってやつているのである。われわれがそういう大盤振舞いをするのは、彼らが持っている鼻持ちならぬ自惚れを利用するためである。その自惚れというのは 何が原因かというと、自身が口に出している思想は絶対的に自分のものてあり、借り物などということはありえないと自信満々で、われわれが示唆したことを丸 呑みにする傾向に起因する……諸氏の想像を越えることであるが、ゴイムの最も賢い者を無邪気に自惚れさせたり、ちょっとした不首尾で意気消沈させたりする のは、いともたやすいことである。同時に、拍手が止まったに違ぎないといった些細な不成功であっても、彼らは簡単に落ち込みもするし、次の機会には成功さ せてやると言えば、すぐ奴隷のように卑屈になってくる……際立ってわれわれは計画を実行さえできれば成功不成功を問わないのに、際立ってゴイは成功さえす れば計画はどうなっても構わない。このような彼らの心理のおかげで、われわれは大いにやすやすと思うがままに彼らを操れる。彼らは見た目には虎だが中味は 羊であって、風が通り抜けて行く頭の持主なのである。われわれは彼らに〝集産主義〟という一種の思想のおもちゃをあてがって、個性の違いをそのおもちゃに 吸収同化させてやった。

 彼らは、このおもちゃが最も重要な
自然の法則を真向うから冒涜するものであることを、一度も考えたことがなかったし、これから先も考えようともしないだろう。天地創造の初めから、自然は明白な個性の違いを弁えさせるべく、あれとこれとを違うように作ったのである……

 こんなにもわれわれが彼らを明きめくらにさせられるというのは、ゴイムの頭がわれわれと比較してお粗末である証拠、それも明々白々の証拠ではないだろうか。われわれの成果が約束されているのは、主にこのためである。

 それにつけても、なんとわれらの古代の賢者長老たちには先見の明があったことか。長老がたは言われた、
大事に達せんとせば手段を選ぶなかれ犠 牲を厭うなかれ、と……われわれはゴイという家畜の群にいかほど犠牲が出ようともさらさら厭うものではない。さりながら、わが民の犠牲も数多くに上った が、今日われわれはこの地上で夢見ることのできなかったような位置を獲得した。われわれ全体の数から言えば、われわれの犠牲者の数は比較的少ないが、彼ら のおかげで民族の破滅は免れたのである。

 何びとも避けられない
終局は死である。どうせ避けられないものならば、新秩序の建設者であるわれわれよりも、建設の邪魔をする人間に早く回して やった方がよろしい。われわれは、同胞のほかには誰も気付かないように、本人自身でさえも死刑宣告されたことが判らないように、巧みにメーソンを処刑す る。必要とあれば全員あたかも自然死のごとく息を引き取るのである……そのことが解っていても、同胞はあえて抗議はしない。かような方法を用いて、われわ れはメーソンの中から作戦計画に敵対する者を根こぎにしてきたのである。われわれはゴイムにはリベラリズムを説くけれども、同時に一方では、わが民やわれ らの代理人たちにはひたすら恭順に服させる。

 われわれの力が及ぶところでは、ゴイムの法律は最小限度にしか適用しないようにしてきた。法の尊厳威信なるものは、その分野に流し込んだ
リベラ ルな解釈を駆使して存分に失墜させてきた。最重要かつ根本的な事項や問題は、われわれの口をはさんだとおりに裁判官が決定し、われわれがゴイムの政府機関 に示したことに従って事を裁定する。もちろん、われわれが直接彼らと接触するのではなく、われわれの道具である人士・・新聞その他の意見として・・である が……上院議員や内閣の中にもわれわれの助言を一も二もなく聞く者がいる。ゴイムの空っぽ頭には、分析したり考察したりする能力、ましてや事態がどういう 結果になるかを予測する能力はさらさらない。

 ゴイムとわれわれの間のこの能力の差違こそが、ゴイムの空っぽ頭と対比して、われわれが神の選民として、また、高い人間性をもつ運命が定められ ているゆえんが明白に証明される。ゴイムの目は開いていても何も見ていないし、何も創造しない(恐らく物質的なもの以外は)。このことをもってしても、自 然は
われわれが世界を導き支配するように創造したことが明白である。

 われわれが公
然と世界に乗り出し、恩恵を施す折には、われわれの法律はすべて、いかなるよけいな解釈をする余地もなく、何びとにも完璧に解る、 簡潔、明白、確固としたものであるだろう。そこに貫徹させておくべき原則は、官憲に対する服従であり、この原則によって荘重高潔なものとなる。こうして最 高権力者の権威の前には最下層の者に至るまで責任を負う結果、権力の乱用は行われなくなる。次席以下の権力乱用は、一人の例外もなくとうてい再犯ができな いほど容赦なく峻厳に処罰を受けるであろう。われわれは国家機構の円滑な運営をはかるために、官憲に対しても事細かに点検するであろう。一部分の腐敗はあ らゆる所での腐敗を惹起する。一片の不法行為、一片の権力乱用といえども処罰の見せしめを免れさせはしない。

 犯罪の隠蔽、行政の怠慢・・この種の悪事はすべて、最初に
峻厳な処罰を課すれば以後は影をひそめるであろう。われわれの政権の後光は適切な罰則 すなわち、至高の威信に対しての侵害は軽微なものであっても、とりわけ私利と結びついた場合は、厳罰を課することでなければならない。厳罰を蒙る者は、た とえ過失の度合いに比べて罰が重過ぎるとしても、主権、政綱ならびに法を擁護する行政の戦場で倒れる兵士と見做して然るべきであり、公共乗合馬車の手綱を 執る人間が、公道を外れて私用に馬を走らせたら、どんな人間であろうとも許されないのである。たとえば、裁判官たちは寛容なところを見せたくなるが、それ は法の正義を破ることになるということを弁えなければならない。法は逸脱堕落に罰を課して見せしめにするために作られたのであって、裁判官の徳性を引けら かすためのものではない……そんなに徳性を引けらかしたければ私生活でやればいいのであって、人間生活教育の公共の場を使うべきではない。

 われわれの法曹人は五十五歳に達すれば現職を退くのである。第一の理由は、老人は年をとるほど先入観に囚われ易くなり、新しい方向にはなかなか 向かなくなること。そして第二には、人事刷新によって弾力性を確保するのに役立つこと、それによってわれわれの強制力が更に容易に働くようになるからであ る。自分の椅子に留まりたい者は、
留まるに値するように盲目的に服従しなければならないだろう。概して言えは、われわれは次のような人々の中からのみ裁判 官を選ぶ。すなわち、自分の役割は法を執行し違反する者を処罰することであって、当今のゴイムが空想するように、国家の教化的な仕組みを犠牲にしてリベラ リズムの夢のまにまにさまようことではないということを完全に理解している人間からである……この人事刷新の方法は、同じ業務に携わる人間の妙な結束心を 噴き飛ばし、人民の運命がかかっている政府の全問題に彼らの関心を結び付ける。若い世代の裁判官には、人民の間に確立したわれわれの秩序を乱す畏れのある ことは、どんなものでも見逃さないように訓練する必要がある。

 当今ゴイムの裁判官は、自分の職責に対する正しい認識が欠如しているので、犯罪といえば
情状酌量する。今日の支配者が裁判官を任命する際に、義 務の観念と裁判官に要求される職責に対する自覚を叩き込まないから、こういうことになるのである。野獣が餌を探しに子どもに出してやる時のようなもので、 ゴイムは職務の性質や目的を説明もせずに高い地位に就けてしまう。それで彼らの政府は、自分の行政を通じて自分自身の力のせいで、滅亡の道を歩んでいるの である。

 彼らがやっていることの結果を、
われらの政府の教訓としようではないか。

 われわれの国家体制のためには、服従する訓練が必要な政府機関の重要位置からは皆、
リベラリズムを一掃する。かかる位置にはもっぱら行政支配の ためにわれわれが訓練してきた人間のみを据える。古い官吏を解雇したら大蔵省の負担増加になるのではないかと案ずる向きがあろうかと思うが、その問題に対 してはこうお答えしよう。第一に、解雇した職員には職を失った代わりにいくつかの民間企業に回してやる。第二に、世界中の金はわれわれの手中に集中したの であるから、経費が嵩む虞れはないのである。

 われわれの絶対主義は万事にわたって論理が貫徹しているので、どの判決一つをとってみても、われわれの最高意志は尊重され一点の疑念もなく遂行される。あらゆる種類の不平苦情を無視し、あらゆる種類の
示威抗議には制裁を加えて見せしめにする。

 われわれは控訴権のような、
決定を覆す権利を廃棄する。そういうことはもっぱらわれわれの一存・・支配する者の判断に預けられる。われわれが任 命した裁判官が誤った判決を下すことがある、というような考えを人民に与えることは断じて許してはならない。しかしながら、万一判決に変更を加える必要が 生じた場合は、われわれ自身が決定を廃棄するが、直ちに裁判官に二度と同種の過誤を犯さない旨の約束をさせ、自己の義務過怠に懲罰を課して見せしめにす る……重ねて申し上げるが、われわれの行政においては一段階ごとに、一応はわれわれを満足させてくれている人民に密着してよく監視する必要があり、善良な る政治は善良なる官吏を要求する権利があるということを銘記していただきたいのである。

 われわれの政府は、支配する側からいえば
族長父権的保護という外観を呈するだろう。われわれ民族とわれらの国民は、王という人物に、王との関係 はもとより、国民が望むこと、国民がやっていること、国民間のいろいろな関係などの何もかもを気使う父の姿を見るだろう。安穏無事に生きたいと切に願うな らば、国民は完全にこの考えにとらわれ、この方の保護と指導なしには何もやって行けなくなり、とりわけ、われわれが任命した者たちが私利私欲のためにでは なく、ひたすら誠実に命令を実行しているだけであることを知ったときには、われらが王を神と崇めて帰依献身し、その専制に従うであろう。彼らは、わが子に 義務と服従を植え付けるべく訓育した賢明な両親がなすように、われわれが彼らの生活万般を取り締まることに欣喜雀躍するであろう。われわれの秘策という視 点から眺めると、世界の人民たちはまだまだ成年にも達しない子供の類いであり、各国政府もまたまさにその段階である。

 先刻御承知のように、私は
権利と義務に対する絶対支配についてお話し申し上げた。義務を実行させる権利は、臣民に対する父たる政府の第一の責務 である。人類を天然が定めた秩序すなわち服従に立脚させることは、強者の権利である。この世の万物は、人間でないものでも環境か、そのもの自身の本性か、 いずれにしてももっと強い者に服従させられている。であるからこそ、善を実現するためには、われわれはさらに強い者になろうではないか。

 われわれは確立した秩序に違反する者は
何びとでも、躊躇なく犠牲にせざるをえない。見せしめに悪に懲罰を加えることは、一大教育課題である。

 イスラエル王がヨーロッパの捧げた王冠を神聖な頭に戴くときは、
世界の族長となるだろう。そこに達するまでに王が供する犠牲は、ゴイム政府が何世紀かにわたって強者を競った狂人じみた張合いが供した犠牲の数に比べれば物の数にも入らない。

 われらの王は絶えず人民と接し、特使を通じて演説させ、その名声は全く
同時間に全世界に報道されるだろう。【転載終了】