遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

だんだん憂鬱になって来た

2014-04-22 08:45:54 | 教育

高級な水彩画の描き方を教えてください

こういわれたのがすごくむかつく

・・・

温泉で前の彩友会の仲間に会ったが

彼女は劣等感が強く

皆と同じようにわたしはとても書けないからいやになった

というのだ

絵は上手に描かなくたっていいのだよ

というと

その時の反応から

上手に描けないことで相当

頭に来たことがあったのだなと思う

自分のサークルの人にそういうってやる!

と意気込むので焦った

ここらの空気は 上手なのがいいという空気なのだもの

また余計なことを言ってしまった

学習センターの人もそういう考え方だ

だから高級な

なんてつければ子供が集まると思ってるんだ

全く!下らん!

ことごとくそういう風に 人と比べて

自分が抜きんでるのを求める風潮

それは相手を貶める風潮でもあるのだもの

全く

それでますます

プライドと劣等感の強い人間を育てることにつながるのが何でわかんないのか!

全く!

あああ

でも募集の文言に

子ども大学 学校では習えない高級な技術や知識を学べます

みたいな

そういうキャッチコピーをつけるんだろうなあ

そういうことに組する羽目になるかと思うと

うんざりだ

なんてかっこいいこと言うけれど

私も美術史の授業で

子どもに これって大学生級の授業だよ

って言ったことある

あああ 自己嫌悪で

どうかなりそう自分だけでほくそ笑むならいいのだ

徒党を組んでやりたくないのだ

き~~~~!!!

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デッサン

2013-12-16 04:44:05 | 教育

昨日の忘年会で

男のYさんが

先生にさんざんデッサン力がないと言われた

そのくせ チットも教えてくれない

それで水戸に先生の先輩に習いに行くようになった

というように言ってた

女性のNさんと同じ先生についている

今二人はセザンヌ風の絵を描いている

Nさんの方が 頭が柔らかそうだ

5,6歳若いからかな?

わたしが生涯学習系で デッサンってこだわると

絵は上手じゃないといけないっていう弊害があると思う

と言ったら

じゃあ 婆と爺は 絵は下手でいいってことかよ!と

怒らせた風

Yさんは 上手に絵が描ける方なので余計そう思うけれど

先生はいつも デッサン力が足りない

っていうんだそうだ

狙いは何だ?

デッサンというと だいたい訓練を積んでない人は(積んでても)

正確に形を取れることだと思いがちだ

視覚的リアリズムってやつ

これを身に着けるのは思春期だと思うけれど

多くの美術教師はそこに着目して教えてない

という話も出た

そうだね 私も中学も高校も先生は課題を出すだけで

教えたりしない

わたしは教えてきたけれど

それでいいと思ってきたけれど

どうなんだろう?よかったんだろうか?

絵は上手じゃないといけないという子供を育てちまったかもしれない

・・・

生涯学習系のデッサンというものをちゃんと自覚してもらうのがいいのだ

多分

だいたい 形を正確にとらえるなんて

なんの意味もない言葉なのだから

最早大人になった人々はimpression とexpressionn両方を追求するように

それは人によってとらえ方が違っていいので

自分のものを探せるように誘導するのがいいのかもしれない

WIKIで見たら

デッサンは基礎である的な描き方がしてある

それで木炭デッサンだの鉛筆デッサンだののことが書いてあり

デッサンはもう必要ない という癖に自分は若いころ精進したではないか

と書いてある

・・・

しょうがないな・・・

実際問題として若いとき精進したとして 多くの天分のないものは

多分石膏デッサンだけで50枚は描いているだろう

一枚に掛ける時間は平均すると12~15時間くらいだろうけれど

試験の時は6時間くらいで描くんだっけ?

そういうことが 爺婆に必要か?可能か?

それでいてそれは結局私が大学に入ったら

脳みそ洗って出直して来いと言われるような 垢がつくだけの話で

そこからまたデッサンの修行が始まるので

生涯学習系にとっては意味ないと思うけれど

男のYさんなんか 多分優等生タイプだから 未練があるんだろう

ゴーギャンも日曜画家だったものな

あれでアカデミックな訓練に明け暮れたら

あの魅力ある世界は 出なかったのだろうもの

今度うまく男のYさんと話せるだろうか

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大学教育

2013-12-02 07:05:26 | 教育

昨日ラジオで天文学者になる素質に

謎解きに食いついて生き続けられるかどうかが肝心という話が合った

そのために待ち続けられるとか

待つ間も追求し続けられるとか

そういうことがないと

ただ宇宙観察が好き星が好きでは持たないという話だった

そう考えると

友だちがバルバラ発掘に費やした努力は

しつこい女探偵という感じで

彼女は私ってこういうことに根気があるのよねえといってた

まさに学者に向いた素質だな

さて

わたしはよく大学時代の授業が何だってあんなにくだらなかったのだろうと

我が出身大学のレベルの問題かと思ったが

違うな

大学生はみんな外で勉強するんだよ

と島田章三のプロフィール見て思い至った

芸術って科学とは違うしなとか

美術教育学って科学的に体系づけられてないからな

とか

学問として遅れているせいのような気がずっとしてきた

ハハハ

可笑しい

科学だって 科学的に体系づけられているって幻想ジャン!!ネ!

1たす1が2みたいな そんな 行き止まりの学問って

実はないのだよね

1+1は2ではない世界は確かにあるんだし

一見ニュートン力学ユークリッド幾何学の世界にいるように見えるのは

おうおう ルネサンス以来の線遠近法の世界にいるようなイリュージョンと

そっくりだ

どの学問も謎解きに熱中できないと行き止まりよというのは同じか!

多分だから大学生は指導教官を通してかもしれないし

サークルを通してかもしれないし

外の世界に出て行っていろいろやるわけで

それが大学というものだ

だから 大学にはいかなかったって

大学教育を受けたのと同じような人がいっぱいいる

久子さんもそうだし武蔵もそうだ

ゴーリキーが 労働は大学だ

と言ったのは真実だよ

どこを でも大学にできる そういう力を初等教育で教育するのが大事だな

と 思った

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アートセラピー続?

2013-10-12 15:30:08 | 教育

介護の場でのアートセラピーのネガポジがは

脳トレと考えれば

ありだ!と気がついたただ

アートセラピストたちの描きようも

テレビの紹介の仕方も 絵を描く方法論みたいに

それを紹介したからちょっと違うと思ってしまった

テレビの番組を作っているがわも

セラピストも 方法論にはなるよな

何事もそうだし・・・

介護の場では 介護対象者が主人公だからな

と思った

そう考えると

ネガポジがは

脳みそのマッサージ効果を狙ったものだと

あ  そうか と思った

面白いし

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アートセラピー続きの続き

2013-10-11 13:47:30 | 教育

考えてみると

生涯学習系のお絵かき教室は

アートセラピーなのよね

でも 芸術家になりたい という人もいるだろうし

微妙だけれど・・・

でもいろいろな描法があるな

とか

心地よく表現できるなという解放感って いいよな

でも 艱難辛苦を好きな人もいるけれど

根が勉強家の人はそういう感じだけど

ともかく写実的な描写否定というのは

なんかいろいろなものと共通している

偏っている

それで思い出すのだけれど

美術教育研究会では

子供の発達の道筋は一本の道に例えていた

結局同じ筋道 一本の道をたどるという考え方

運動感覚で絵を描いていたとき

意味づけ期

知覚的リアリズム

それから視覚的リアリズム

って

これは発達の筋道としては

単一の順を追った筋道みたいな考え方があって

そういう風に脳が発達していくみたいな考え方だったが

それは 違うかもしれない

視覚的リアリズムの転換期は

ルネサンスもそうなんだけれど

それを一回疑うところから近代美術が始まるみたいに

今度はそれが金科玉条

そういう感じが

写実的に描けないと絵が下手みたいな押しつけがましさがある

だから写実路線はダメなんだ

みたいな

・・・

介護の現場で

アートセラピー と考えるとき

それは大事な視点だと思うけれど

KINU洋画会を考えてみると

視覚的リアリズムのところで悶々としている人は多いし

それを好き そこを何とかして!という感じの人もいるモンな

そういう発達要求って 老人になってもあるのだろうし

一概に否定はできない

・・

然し 抽象画を描かせる実践は面白いな

アナログ画っていうんだって

何だろうと検索したら

抽象画じゃないのもあったけれど

線だけ使ってね 感情表現とか

色を使ってとらえようのない

雨だとか風だとか

表してみようだとか

そういう働きかけで

出来た絵の 素敵なところを 指導者は 制作者に見えるようにしていく

こういうの

いいんじゃないかなあと思った

・・

思い出すのは

おばさんに砥部焼での絵付け

おばさんは 素人だから絵は描けないとしり込みしたが

丸や三角でも絵になるものだよ 素敵になるよ

と言ったら

本当に素敵なのを描いたもの

わたしはあの時は立派な

アートセラピストだったと思う

・・・

オートマチック描画技法 というのも

いろいろやってみると楽しいだろうと思うよ

一日一作 描くか!

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アートセラピー続き

2013-10-11 11:23:21 | 教育

概念砕きの続き

量感画というのは

見るだけではなく5感を使って描くみたいなことを言ってた

リンゴは持って触って食べてにおいをかいでと

まずその中身を描き始める

という描き方で 参会者に描かせるというもの

↓のおばあちゃんは認知症で絵を描いてもすぐ書いたことも忘れちゃう人だが

結構リアルに上手に

量感あるリンゴを描くので

この方法が素晴らしいみたいに見えるつくりの番組だったが

このおばあちゃんは

病気になる前は絵を描く人だったよ 多分

テレビって そうとうう加減

然し 中身を中身の色を想定して描いてから

絵を描き進めるって

上手くいく方法だな

茄子で考えればそうだな

これはパソコンで描いたへたくそな茄子

水彩やクレパスでさ

淡い緑の下地があったら

いい色になるよ

リンゴやお芋皆そうだ

かぼちゃも

じゃあ

人間は?

血の色で描いてから描く?

これはローカルカラーというか 色の概念を 知らず知らず

砕くやり方

新しい絵の会の実践にはそういう考え方のものが多かった

概念を砕くことが必要な場合 必要じゃない場合

これは

Kさんと話し合ってみよう

彼女はご自分の概念的なとらえ方について

いろいろ言われたって固執する気持ちがあるのだと

訴えておられて

概念 というものについて 話は途中だったのだ

でも

これで思い出すのは

色をうまく使えないことについて

ある先生が 補色で下地というお話を下さって

こういうの

結果は 今は分かる でも K

さんもだ 私も 頭が理解できないとちょっと抵抗があったりする

臨床場面ではそういうことはないのだろうか?

も一つ

ネガポジ画という方法もあった

例えば柿を描くとき オレンジの紙に描きじゃないところから描き始める

そうやって 発想と視点の転換をさせ

(だいたい柿を描くと牡蠣しか見ないで周りの空間を意識しないから

というのだ)

新しい発見があるでしょう?という手法なのだけれど

わたしは周りから規定するようなもののとらえ方は嫌いだから

これは嫌だ

続く

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アートセラピー

2013-10-11 06:13:09 | 教育

アートセラピーの考え方にいくつか特徴があるとわかった

● 写実の否定

今の学校教育の美術教育は 写実的に描けないとへたくそみたいな

固定観念を植え付け

絵を描けないっ人をたくさん作りだしてきた

こう決めつけている考え方が支配的だ

もっと自由に って

これはたぶん創画の考え方が横滑りして入ってきている

● 概念砕き

量感画 と呼んでいる画法がテレビでも出てきた

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風景

2013-08-14 05:53:46 | 教育

今日は里山に行く

里山を描こうと思ったのは

風景画で写真を使って描く人がすごく多いのだが

写真を使ったら形が確かめられると思ってそうするのだと思うけれど

実は

それでは ドツボにはまる

気付いた

写真が風景をとらえることができるのは

透視図法的な写し絵でしかないわけで

(素人写真は という意味)

何を読み取ればいいのか

考えているか?と思うことが多い

〇〇法ってそこが問題だ

東洋の遠近法には空気遠近法というのがあるけれど

わたしはこの頃 初心に帰って 空気 描きたいのだ

だから 里山  テーマもいろいろあるし。

子供のお絵かきの時 風景画を描きたい

という子が居て

そこに来る時見て来た きれいな 田園風景を描きたいと言って

山や木立や 田圃 描いていた

Yさんは 遠くの木立は小さく描いて 近くの木立は大きく描くといいよ

と 教えた といってた(子供は小学校4年生)

透視図法を子供に教えるとき

(それは 中学三年生の課題)

週2時間の授業時間があったときは

廊下の写生をしてから

透視図法を教えた

三年生の授業が週1時間に減らされてからは

時間配分が難しく 写生してから図法を教えるのはできなくて

いきなり透視図法を教えざるを得なくて

すごく悩んだり腹を立てたのを思い出した

透視図法は 癌でもあるのだもの

それを説明したつもりだけれど

通じてなかったよなあ 多分

でも

その子のお母さんは色を塗るときはどこから塗るといいのですか?と聞いてた

やっぱり

聞きたいのは方法論ね

空を水色で塗り絵していた子に

帰るときに お空を見てね

上の方と 地面に近い方と

色が違うはずだからね

どういう色か見てみてね

おうちに帰ったらそれを色に描くと

空の広さが 表せると思うよ と話しかけた

小学校4年生に遠近感の表現

これは ポイントではあるのだよな

方法として 遠くは小さく でいいかなあ やっぱり遠くのものは

小さく見える

というのに気付かせてからではないのか?

と思った

大人もそうなのだ

子供たちが来る前 大人が絵を描いて遊んでいたとき

ほおずきを描いて居たNさんが 形が取れないとじれていて

鉛筆で長さを測ったりしていたので

植物は 栄養が通る道筋を軸に見るといいのだよ

と 見方の一つを話したら 早く教えなよ!と怒られた

教える立場じゃないモン

それって日本画の先生に教わったものの見方なので

日本画の中では常識か?と

調べたら 南画の大家が書いた技法書の電子書籍が出てきた

読んだんだが

そんなこと書いてなかった

方法論ばっかりだ

日本画の授業は 一回2単位取っただけで

大して何もできないままだが

植物のものの見方は 体にしみこんでいるのだが

その先生独特の教えだったのかもしれないけど

それって リアリスムだよなあ

風景のことを書くはずだった

風景を描くのに写真じゃだめよというのに気がついたのは

写真って 素人写真は空気は表現できない

空気じゃないか

と思ってみると

風景は全く別の様相で見えるので

それが面白いのだ

これは田舎の風景独特

都会は?

ほれ

空気と塊 と思うともっと違う表現が出来る

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日本画はなぜ世界的には認められないのか

2013-07-29 12:00:29 | 教育

平山郁夫の遺族の脱税騒動を巡って

外国が助けの手を伸べる ってないな

日本で評価が高くても世界的には・・・という話を耳にした

耳にしただけだからホントかウソかわかんないけど

私の親ぐらいの世代まで

お絵描きと言えばお手本を真似して描くみたいな

そういう絵画の修行の歴史みたいなのってあって

そういう没個性的な制作物と受け取られているのかもしれない

そう考えると海外で評価の高いのは

はみ出し者の絵が多いのかもしれない

西洋と東洋 お互いに刺激を受け取りたいのか・・

北斎などもそうだ非常に個性的に見えるし

確かに個性的だけど

元絵のある絵も結構あるし

北斎自身あの有名な漫画はお手本として描いて出版したのよね

弟子たちにお手本を提供する という教育手法って

ごく当たり前 という 長い歴史があるんだろう

中華思想とも関係深いかも

お手本をなぞって描くって

そういうこと権威主義と結びつくと なんか硬直して

形式化して生き生きとしたものが無くなる

って 図式的に思っていたけれど

違うな

お手本としてなぞって描く側の問題でもあるしな

と 思った ともかく北斎は粋でかっこいい

それは 崋山の持っていた叡智とは別の種類のものだな

と思って

いろいろ 人は いろいろだなあ とワクワクする

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自分の求める答えしか聞けないということ

2013-07-20 09:05:01 | 教育

原発を巡って

あるいは政治問題について

私の考え方が 偏ったところで決めつけていないか?という話になったとき

人は 自分の求める答えを引き出そうと情報を漁る

という話をしていて

自分もそうだ

ということを指摘されて

目が見ひらいた

異常な事態になっていろいろな学者の意見を漁った

でも

学者だからと言って

解明できるような問題ではないわけだし

ネットで発信する情報は

全て発信者のバイアスがかかっている

・・

そりゃそうだな

だから

自分が集めた情報が偏っている と

あまり自覚はしなかった

が いいんだ偏ってて

それをわきまえたうえで また考える

それはいいのだが

美術について 同じことが言えると

で より深い知識があったとして

それを語っても 相手は自分の結論が決まっていて

それに合わせてしか話の中から情報を引き出さない

というのだ

!!!!!!

そうだよなあ

そういうことを大塚先生も 感じているか?

感じているんだろうなあ

それでもどかしいことはいっぱいあるだろう

私自身も 過去の作家から

何を読み取るかって

その時の自分の甲羅に合わせてしか読めなかった

ということは気がついてはいた

こういうことは

大人の中の教育関係では 大事なことなのだろうと思った

大塚先生が

この頃 自分がパワハラになりそう

と言ってたのは

それにかかわる話かもしれない

若い学芸員を教育するのは大変だろう

大学の中での教育というのも

だいたい教育者がそこまで考えるかな?

思うように意を汲めない学生を 馬鹿かこいつと思い

あとは学会なり 画壇なりの力関係で

ごり押しをする

そういう構図なのだろう

大学における教育学とか大人の教育学とか

そういう学問ってあるのかしら?

ある学力の高いと言われる大学から大学院に来た人の作品のデッサン力のなさに驚いたことがある

なぜだろうと思っていたが

その人は

デッサンなんか必要ない感性で描くような絵に変って

あら

いいんじゃない?

と思った

デッサンが苦手という人の中に

ある性格的な傾向があるらしいというのもあるんだ

普通訓練すれば 誰でも 一定のデッサン力が身に付くというのは嘘だ

ある種の人には  合わない

そういうパターンが あるのだなたぶん

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