遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

概念的な絵

2013-05-08 19:07:13 | 教育

北国さんの尊敬なさっている先生についての記事に

概念的な絵 という言葉が出てきて

いろいろわかった気がすることがある

http://blog.goo.ne.jp/gaginn/e/b1ce2d237171b7832275263f10592590

概念的で気力のない絵

という書き方をすると

概念的な絵を否定的にとらえている気がする

私が学生の時新しい絵の会の学生支部みたいなサークルがあった

わたしはバイトが忙しかったのでサークル活動はできなかったが

その部室には入り浸っていた

そこで よく概念砕き という言葉にあった

子供が 決まりきったものの見方にとらわれてしまうことを

打破する手助けをしようというわけだ

例えば人間の顔を描くともう パターン化されて

記号化された絵を描く

だから 大声を出してみて お口の中の喉ちんこまで描いてみようかあ?

なんて働きかけをする

そうすると 今まで見なくたってかけちゃう人間の顔が

ええ!? どうなってるのオ?

と今まで考えたこともないことも考えないと描けないわけで

「お鼻の穴も見える?鼻くそついてない?」

なんて働きかけをすると 改めて鼻の穴なんか見つめちゃうわけだ

こういうのね

さて 私の指導教官は彫刻家だったが

ときどき いろいろなエピソードを通して

将来教師になる学生に考える視点を与えてくれた

「子供が 桜の花を見な正面に向けて描く時期がある

そういう時期は大切なんですよ

子供は ものの本質的なあり方を もっとも典型的なあり方で

把握する

それを大切にしなければいけない

そういう時期の子供に お花はあっち向いたりこっち向いたりしているでしょ

なんて アドヴァイスは

してはいけない

花 という言葉を通して 花という概念を獲得し

それから 花のなかにもいろいろな花があることを知っていく

子供はまずもっとも典型的な概念をもって世界を把握していくのです

なんて 教わった

も一つ

私の所属していた研究会では

発達の躓きから 発達理論の筋道を見出そうという傾向があった

そこで 9歳の壁 などという考え方も知った

その壁は 発達の質的転換期

そういう時期だというので

絵画で言うと

それまでは知的リアリズムの時代(知っているものをかく 概念を通して描く時期)

そのあと視覚的リアリズムの時代が来る(視覚的に比較したり検討したりして

世界を把握しようとする時期)

こういう風に習って

実際 なるほど 面白い

と思ったが

研究会で 私は思春期分科会の属していたので

高校の先生とも交流があった

そこで聞いた話

その高校は いわゆる東大コースといわれた名門校なんだが

(だから 普通よく言う 学力の高い子が多い)

概念的な絵しか描けない子も結構いる

というのだ

わたしは その原因は 高校生になるまで 

必要な働きかけをされてこなかったからか?

と思ったが

違うな (今回そのことに初めて気が付いた)

件の先生は そういう子にはその子の持っている

概念的な記号を思う存分使わせて絵を描いてもらう

描く内容はいろいろ子供の中にあるんだよ

とおっしゃっていた

あああ

懐かしいなあ おおか〇先生っていうんだ

素晴らしい先生だったなあ 

そうだ 大人もそうなのよ

それは 知覚的リアリズムと視覚的リアリズムを

発達の筋道と理解した私が間違ってた

バイパスがあるんだ

バイパスを行く人 ってのがいるんだ!

私の好きな↓ この方もそうだ

Img_2247

すごくいいことに気が付いた

わたしはバイパス派ではないよ

平凡なのだ

娘の超方向音痴も

空間把握術バイパス派

ああ

嬉しいな

いいことに気が付いた

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教師になろうという若者はいなくなるよ

2013-01-24 10:08:46 | 教育

 

絵はただの飾り

退職金を減額するというので

2か月先に駆け込み退職する教師が続出というニュース

これは

教師を国民の軽蔑の対象にする政策だね

150万円退職金を減額するなら

2か月早く退職して後は無給で働いても

そっちがいい

と思って当然ではないか?

月給は75万なんてないもん

そういうことをしたら 生徒は

先生ってそういう人だったのねと

侮蔑的視線の矢を浴びるだろうと武蔵が言う

そういう状態に教師を追い込んで

よい教育を進められると思ってるのか!

馬鹿じゃないか この国!

わからないけれど

中学三年の担任が一月で退職というのは

実際問題として

ありえない

でも

担任が学級途中で一身上の都合と言って

退職した例はいくつか知っている

これも

かなりありえない

教職に就いた資格はないと私は思うけれど

資格がなくて国の大事な職に就く人もいる国だから

ただのおばちゃんが偉そうなこと言えないけれど

 

私は中学三年の担任が1月でやめた

というニュースを聞いて

多分その人は三月まで働く

(無給であれ 臨時採用であれ)

そういう取り決めが背後にあるんじゃないかと言う気がする

ともかく 財政再建のためにこうしたのかどうか知らないけれど

世間の教師に対する風当たりと侮蔑は広がったと思う

教育現場も

理想に燃えて働ける職場じゃなさそうだし

意欲ある若者が教職を目指すかどうか

心配だ

第一意欲があればあるほど 叩き潰す

そういう風な風潮も広がってないか?

わが祖国の子供の未来が心配

なんて 孫もいない婆ちゃんが言ってもしょうがないけど

わたし 馬鹿連発のばかで すんません

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昨日かなりショックな話を聞いたんだ

2013-01-19 18:40:18 | 教育

体罰問題で揺れているけれど

日本の教育 危機じゃないのか?

知性の劣化が止まらない

という話も合って

私はもう老人だから

ここでなんか言ってもしょうがないんだけれど

体罰って・・・私が初めて体罰する教師に出会ったのは

それも運動部の顧問だった

全国一の戦歴を誇る部活を作るので有名だった人だ

その後もずいぶん出会った

 

そうだ!

もう一人

全国制覇ってのをする運動部の顧問が居て

その人は体罰はしないけれど

かなり変な先生で

指導が思うようにいかない

(生徒がたるんでいる)と

バカみたいに拗ねまくるんだ

もうお前らの面倒は見ない!と 切れるわけ

で 生徒の方も 対応は慣れたもので

部員一同先生に泣いて謝って

ちゃんとやるから許してくださいって

もう

茶番みたいな 愁嘆場を みんなで演技して

(演技して って子供もわかっているの)

また元気に練習に励むのよ

(ああやって 生徒が先生を あしらっている)

というのが大方の観察だった

ハハ ヘンなの

結果オーライだけれど。

体罰について何も言わないのか!見逃しているのか!と 

父兄に叱られたこともあった

体罰で子供を鍛えられるという信念を持っている教師って

私が反乱しても 手に負えないよ

って 気弱なこと言って

おまえ 保身かよ

と言われると ぐうの音も出ない

恥ずかしい。

差別をちらつかせて子供を叱咤激励する教育もあるでしょ

今じゃ

大学教授だって 学生に勤務評定させるような

そういう風潮だよ

学校間格差を意識させて

学校同士を競争させて

それで

ダメ学校は 廃校

ダメ教師は 首

そういう風潮で

子供が健やかに育つはずがない

人目を気にして言いたいことも言わない人間を作るだけだ

そういう人間観しか持ってない 「偉い人」が多すぎ

もう

本当に大変だな

子供よ頑張れ

何となく 優れた教師はすぐれた生徒を作り出す

みたいな妄想があって

部活が全国制覇するとその教師が優れているという風潮が

あるでしょうが

それと同じことが

進学率を誇ったり

名門校が好きだったり 

そういうのも同じよ

ショックな話は 美術に関して

地区の展覧会や 県展などに 優秀な作品を

子供に作らせることができることを目的に

特別指導をするのが当然という風潮があったんだって

という話だ

そんなことをして 恥じることもなく

それが自分の指導力

そういう意識らしいという話

そんなことが 自分の指導力だと思うような教師にしちゃうような

そういう空気なの?

と仰天したんだが

そんなずるみたいなことする人

これは

見たことも聞いたこともない

初めて聞いたよ

美術教育の研究会でも

うまそうな絵を描かせるのが指導研究じゃないだろう?

と思う研究報告って

あったよな

と思う

こんなこと

考えるの止めよう

脳が腐る

もうだいぶ危ないのに

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美術教育

2013-01-16 08:07:34 | 教育

いろいろ考えたが

美術教育をいつも教育者として考えてきたけれど

それって変だった

受ける側が決めるんだ

そうか!

と思った

私自身が受けてきた美術教育をまとめておくことにする

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生涯学習系美術教育

2013-01-15 18:01:04 | 教育

これは難しいなあ

いろいろ思ったこと

はばかりがあるのでこっちに書く

彩友会の友達が海綿がほしいと言い

どういうところで売っているんだ?

というので

買ってきてあげると買ってきた

それは

柳田さんの水彩の技法を使ってみようというわけだった

大人になってから絵を習う人って技法が解決策だと思うのかもしれない

武蔵も技法書を買った

何でこんなもん買うの!?と思ったがな

手がかりがないという焦燥に駆られるのかもしれない

生徒の

私が思い悩むことではないのだけれど

どうしても思い悩んでしまう

若者だと

自分には 基礎がないから

とかかける腕がないからなんて思わない

無くて当たり前だからだ

だから わからないことやうまくいかないと思うことに集中できるけれど

大人は

気が散るのだな

そうか

気が散るんだな

それをどうにかすればいいのかもしれない

どっちにしろ

私の知ったこっちゃないや

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私が言うのもおこがましいが

2013-01-11 09:42:12 | 教育

日本だか世界だかわかんないけれど

知性の劣化に歯止めがかからない気がする

http://togetter.com/li/434689#c922698

これを読んで↑

前進座の吉祥寺の劇場が閉鎖されることについて

ポチプレスさんのツイートを読んで↓

  1. Pochipress?@pochipress
  2. 前衛とかと一緒くたにしていたみたいだwww RT : うん rt 前進座って歌舞伎やってたの!

    1. そういえば左翼芝居なのになんで時代劇?とか思ったような。無茶苦茶な偏見だなあ。 RT : えぇー!pochiさんが、知らなかったなんて!

    1. えっ、前進座って歌舞伎やってたの!左翼芝居かと思ってた。 RT : 吉祥寺の「顔」として存在感…前進座劇場が閉場 (読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130109-OYT1T00949.htm

    テレビで バカみたいなママ友の話を聞いて

    教育制度改革の話で飛び級の話を聞いて

    なんか

    世も末だ

    と思った。

    そうだな 前進座とか劇団民芸とか築地小劇場とかって

    私が子供のころからある 左翼劇団 だったのね

    それは

    私が親父さんから聞いた

    浅草オペラぐらい

    古い話なんだ

    教員組合はどうなっちゃったの?

    権力の手先なんて言われているよ

    学者は御用学者なんて言われてるし

    権力の手先 というのが 常態なのだな。

    そう思うと

    私が育ったのは第二次大戦の深い反省のもとに

    大人たちが苦悩していた時代だったので

    それはもう60年も前の話なのだ

    学問の自由も教育の自由も

    ・・

    無いのが常態

    その結果

    ブランド物を買う仲間に引き入れられて

    詐欺にあった アホなママ友たちの話に結びついていくのだよ

    人との関係でも自由が亡くなっても汲々としている

    バカさに気づけよ ママ友と思ったが

    自力で人間関係を築けないで

    深みにはまる病は

    いろいろな社会でかなり深刻な問題になっているようなんだが

    英才教育なんかに現を抜かすと

    ますます そういう 

    アスペルガー症候群みたいな

    深みにはまる人間を大量生産することになる

    ともかく

    人のこと言えないけど

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    いじめのこと

    2012-12-27 09:05:26 | 教育

    命に係わるいじめ問題が深刻になって来てテレビがいろいろ言うが

    ちょっとおかしいと思う

    そのいじめはもはや犯罪であるということをどうして

    徹底的に教えないか

    という論法になっていくが

    子供のいじめは防御反応のことも多い

    大人だってそうだ

    自分のプライドを守るために信じられない行動する人も多いよ

    思春期の子どもなんてアイデンティティーの危機

    まっただ中

    ほとんどキチガイ沙汰なのが普通だと思う

    大人の理論で

    それをする前に相手のことを考えてみ?

    と言ったって

    大人だって相手のことなんか考えるのが苦手な人多いじゃないか

    或るいじめっ子が しつこく一人の子を攻撃するので

    それはまずいだろう!

    と詰め寄ったことがあるが

    その子は自分が正しいと思い込んでいて

    自分が正義だと思っているからそれを壊すのは至難の業だ

    だって あいつ そば行くと臭いんだぜ

    発言はもごもごしてて 分かんねえよ

    はっきり言えってんだ!

    こんな調子で頭は固いがしょうがない

    そいつのことは

    暫時ほっとくことにした

     

    いじめられた子はいじけてしまって

    家に引きこもってしまった

    家庭訪問してその子と色々話した

    おもにその子の小説を読むときの解釈が面白いというようなことや

    (当時女子の間で「宇宙の皇子」というのが流行っていて

    学級文庫に置いた本は次々に読まれていた

    何十巻もある本なのだよ)

    その子の辛辣な意見ぶり(それで余計男子から嫌われた)

    そこが面白いよ

    というような話だ。

    友だちとはあまりなじめる子ではなかったが

    その子としてのプライドもあり

    その子の奇妙な上から目線というのもあって

    それはそれで

    愉快な子だったのだ

    クラスの中の二人の優等生少女の一人は

    ひそかによくその子を配慮し

    もう一人は勝気前面に出る子なので

    火花が走る子だ

    さまざまな子供がいるアンサンブルの中で

    自分はこれでいいぞ

    というのをつかんで

    やっとの思いで自分を持ちこたえている

    思春期って

    そういう時期ではないのか?

    正義

    だとか

    成績(ともかく学業生成績・・ったって点取るのがうまいかどうかだけだろうが

    そういうものが学校を支配しすぎ)

    だとか振りかざして子供を追いつめて

    解決することじゃないと思うけど

    ・・

    でも現場の先生は大変だと思うよ

    命が縮む思いで子供と格闘しているものだと思うよ

    ・・

    だからねむの木学園の展覧会を見たとき

    あのように絵を通して自分を表現できる環境を作った意味を深く感じた

    絵だけじゃないよな

    スポーツも音楽も

    皆そういう気がする

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    臨界期

    2012-07-18 21:41:07 | 教育

    数日前まで

    ああ これなら大人にも美術教育は出来るかもしれないと思ったけれど

    今日は

    臨界期ってあるかもしれないと思った

    小石川高校の先生が高校生になって

    いまだ知的意リアリズムの域にいる子には

    その持っている概念的な表現を使って表現させる

    という話を思い出した

    中学生ぐらいに臨界期があるのかもしれない

    でも臨界期があるというのが脳の働きならば

    脳にはいろいろな回路があるから

    そこを使って行けばいいのだ

    という気もする

    大人の場合 経験が多いのだから

    意外な経験を 別の問題解決と結び付けてみればいいのではないか

    という気がする

    そういう柔軟性を 可能性を工夫すればいいのかもしれない

    絵を描いているときは

    比較をする

    価値判断をする

    というようなことが駆けめぐって決めていくので

    その時は とても狭い範囲でしか

    脳は働かない

    その人に見えるものしか見えない

    新しいものが見えるためには

    当の本人が !!!

    とならなきゃ 見えないのだなと思った

    !!!!をどう作りだひていくのかな

    大塚先生は分かっているのかな

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    操作

    2012-06-30 21:21:11 | 教育

    教育という名のもとに

    人を操作するようなことって結構多い

    それに我慢がならない

    耐えられない ということはよくわかる

    学校の中って そういうことが多すぎるとは言える

    アトリエインカーブが排除しているのは

    そういう操作的な教育的な働きかけだろう

    でも それは 環境だけ整えて自発性に全て任せるのがいいというのと

    違うな

    やっぱり

    と思った

    今日私が読んだ

    てん

    この本だって

    受け取り用によっては

    操作的教育者を育てることにもなる

    偏執的にモチベーションを持ち続けることができる人は

    それでいいと思うけれど

    そうじゃない人の方が多いよな

    芸術の才能って

    偏執的にモチベーションを持ち続けることができる

    っていうことじゃないかと思う

    今日のお話コンサートで

    子供たちの集中力のなさにはびっくりした

    ものすごく気が散る というのは

    病的でもあった

    私が座っている横を

    行ったり来たりしている幼児がいたけれど

    その階段を行ったり来たりすることに執着していて

    楽しくて仕方ないらしい

    子供って 結構偏執狂が多いのが普通じゃないかと思うけれど

    その手前でブラウン運動をしているような子供が多かった

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    美術教育について今頃思うこと

    2012-06-29 18:52:47 | 教育

    41v1kitq6l__sl500_aa300_

    この本のアトリエインカーブの理念

    そこに集うアーチストに

    決して何か教えたりしない

    著者自身100万人にひとりという障害を持っているのだけれど

    障害というものについていろいろ考えさせられる

    いわゆる 障害のない人が地球 星人

    なら 障害を持つ人は別の星から来たんだから

    地球のルールを当てはめるな

    という考え方

    脳の構造が別のしくみだとするなら

    何が普通とか 正常とか 障害とか

    そりゃおかしな話だ

    けれど この なにも (教育的)働きかけをしない

    ということで思い出した

    美術教育の考え方にはいろいろは 派みたいなのがあって

    私がたまたま参加するようになった研究団体の考え方

    私はしっかり染まっていた

    考え方として

    納得していたつもりだったけれど

    洗脳されていたな

    なんだよ!今頃気づいても遅い!

    創美というグループだったか

    余計な(教育的)働きかけはしない

    子どもの内側から出てくる意欲を大事にする

    そういう考え方だと思っていた

    (その内部にいたわけじゃないからわかんないけれど)

    自由に絵を描けるようにすることと

    発達の芽を摘むことは別のことだと思っていたけれど

    問題は 発達の筋道について えらい勘違いをしていたと思う

    障害児教育に携わる人たちの研究から

    人の発達が なだらかに行く 飛躍する 

    そういう段差きついところが障害のある人には

    引っかかるところで

    障害のない子たちの躓きもそこをよく分析すると

    段差をクリアできる働きかけができることに繋がると思い込んで来た

    発達の筋道はすべての子供が同じ道を通ると

    思い込んでいたからだ

    円のファンファーレ  ・・・

    あれ これ検索しても出てこない

    子供が最初に描く絵

    ぐちゃぐちゃ描き  身体感覚で描いているのと

    自分で描いたものを認識して統合出来たとき

    丸をやたら描きまくる一瞬がある

    と聞いて

    それを実際に自分の子供に見て

    それだけで

    そういう考え方は 科学的なんだと思い込んだけれど

    知的リアリズムから視覚的リアリズムへ

    9歳の壁

    というのも同じ筋道で考えていた

    でも 小石川高校の美術の先生から聞いた話

    ここに来る子の中に概念的な絵

    9歳の壁の手前にいる子がいる

    そういう子には その持っている概念を使って

    絵を描いてもらう

    という実践報告があったのを思い出した

    その時

    9歳の壁を意識しない先生も多いから

    中学や高校で 発達段階はいろいろな子が出てくるんだと

    思い込んでいたが

    違うんだな

    9歳の壁は壁じゃなかったんだ

    ああ 今頃気づいたって遅い

    でも 何も働きかけないということが 万能ではないと思う

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