三月六日
どうやりゃ見えるように文書打ち込めるか
四苦八苦
さて 入院 手術の記録
3月20日に入院21日手術
最初に入った部屋は306
そこで夜中に次の手術のための準備で
荷物をまとめてたら隣の方に怒鳴られた
うるさい!って
移動した先は監視の効く病室
その中ではトイレに一番遠かった
手術中はもちろん麻酔だ
何もわからん
しかし終わって目覚めたのは激痛!!!
こんなすごい痛みなら死んだほうがましだ
耐えて生き延びる必要は自分には何もないと思った
点滴で体は水膨れ
イタイイタイには点滴の痛み止めは冷たさも気持ちよく効いた
手術前は尿はコップで測ってたが
飲んだ水分みな出てるか?
と思う量で
それで干からびてるのかと思った
しかし退院後かなちゃんたちとLINEでテレビ電話して
自分の顔見て仰天!
ひどい婆が映ってた
ともかく激痛で動けないからいろいろ荷物を見てもらうのも頼んでやってもらうが
話はなかなか通じず
来るのが医者なのか看護師さんなのか
まったく見当もつかない
一度女医さんに頼み事して怒られたそういうことはしません
って
後になって病院内の階級制度
すごいことに フン!
看護師さんの間にも階級があるようだけど
詳しくはわからない
お掃除してくれるおっちゃんたちは高齢者だった
友人が医者は見下されないトップにいる
というようなことを言ってたのを思い出した
ま
医者だけじゃないな
階級制度ってのは人間の属性なのだろう
茨城弁の特徴だろうが
アクセントが東京弁と違いすぎてわかりにくい
茨城も広いから
ここと病院のある笠間ではまた違うので
耳鳴りがひどくて聞こえる音が判明でないので
わかりにくいのと
怒鳴られてる感じに聞こえちゃう
三月26日
あまりにいたいのと胸の苦しいのでナースコールしたら
怒鳴られた
中にはこれからいじめっ子になります
という看護師さんがいて必ず守らないといけない事を
教えてくださってると思ったが
・・・・だ
心電図をとったが異常なしって
痛い痛いと苦しんでたら
痛み止めの点滴打ってくれて 冷たい感じで
少し楽になる
3月27日
トイレでおしっこするようになった
食事はほとんど食べられない
おかゆ一さじ おかず一さじ 果物は食べられる
味付けが同じでもううんざりだ
これで痩せればいいと思っちゃうが点滴のある間は
ずっとぶよぶよ
お通じも出ないので牛乳買ってきてもらった
一発で効いて 出た
こんなに痛くて暮らせるように戻れるか絶望的だが
みな順調だ 検査結果もいい
というけど激痛に苦しくて信じられない
武蔵も大丈夫 よくなるというけど
信じられん
もう死んだほうがいいと思い続ける
部屋が306からCTU(意味不明)306と移ったが
その間に荷物がどうなったか自分じゃ調べられないからわからない
痛いのも苦しいのも息が苦しいのも
数値から見て異常なし
と 叱られどおし
数値で見てて痛みも苦しみも関係ないみたいだ
呼吸が苦しいけど酸素の数値は問題ないって
でもマスクなんかできない
それでもマスクしなくちゃいけない
息がやたら苦しいのは
多分間質性肺炎のあるせいだろう
おなかのホチキス半分外してもらった
今はこういう切り裂く手術はホチキスで止めるものらしい
かなタンもホチキス痛がってたって
2月28日
疲れ果てて寝ていたら検査に来た看護師さんに叱られた
呼吸が苦しいのに寝てたらダメだって起きて座ってろと言われた
おならを待ってたがようよう出た
トイレは尿の量を測るので 行き来は見てもらえる
一日一回廊下の突き当りまで歩くのが運動だ