いや「変態先輩と俺と彼女」・・・を読み終えたんですけれども,これの作者はたぶん,普通に普通っぽい小説も書ける筆力をもってこの様なジャンルを書いているんでありましょうね・・・トンでも無い展開に何の違和感も無く引き込まれ,とうとう最後まで一気に読んじまいました・・・しかも,ミステリー的小細工仕掛けなど施され,それが転になり決に持って行くと言う,素晴らしい構成力も見せられました・・・脱糞です・・・もとい,脱帽です。
まっ、たぶん,数冊読むとこの手の作品が持つ常套手段やら,仕掛けの哲学みたいなモノも読めて,ああ,定石か,と思えるのかもしれませんが、おっつさんはこれに対して免疫が無いので感染症を患っちまったと思うわけです。
で,少しおピンク掛かった描写もお下劣感が無く,とても爽やかなおピンク度でありまして,読んでると美少女の甘い香りが漂っちまう錯覚にさえとらわれる始末であります。
で,読書感想文としては・・・おっさんもこう言う美少女と交わりたい・・・いや,隣に座って臭い嗅ぐだけで良いんで,触ったり揉んだりしなくて良いんで,出来れば,風下に座り,美少女が掃き出した空気を鼻の穴をオッピロゲて胸一杯に吸い込みたいと思いました。
どんな高価なパヒュームよりも,美少女の屁の方が何倍も香しいだろう・・・ああ,妄想が尽きなくなっちまった・・・本日は午後にブックオフに行ってこの手のモノを少し多めに買い求めてみようかと思う次第であります。
いや,アレです・・・フランス書院の、例えば「新・凌辱女子学園1 宿命」 綺羅光著なんかはモロッとエロなんですけれども,アア言うのはどちらかと言うと鍋物的だと思うわけですが,このような、花の香りが漂う美少女のおピンクは,サラダ感覚とでも申しましょうか,それも,ドレッシングなんか使わず,少しの塩と黒胡椒で・・・ああ,この本の美少女たちのなんて瑞々しい事・・・言っときますけど,おっさんはスケベですけど変態ではありませんからね。
文章を「書ける人」と「書けない人」のちが
文章を書ける人・・・ですって・・・何でも良ければナンボでも書ける!!! しかし,読んでもらえるモノかどうかは分からない・・・そこなんですよねぇ~。
いや,どこかの直木賞作家も宣っていましたが,インプットが無いとアウトプットも無い・・・まっ、そうなんですけど、書くと言う事は,脳味噌の中で湧いて来るモノが有って,それが妄想でも幻想でも錯覚でも,ナンでアレ,湧いて出たモノの発露として文字があるわけだから,インプットとアウトプットが量とか質的に=と言う事じゃ無い,と思うわけですね。
週刊誌の記者なら煙の無い所から火を起こしたり,小さな火種から炎上させたりするわけで,インプットが微かでもアウトプットは爆裂的増大をしていなくちゃ仕事が成り立たないでしょうし・・・。
例えばコラムを書く人なんてのは,凡人なら見過ごす、ほとんどどうでも良い出来事を拾い上げ,やっぱし、ただ文字にしたんでは味も素っ気も無いので,修飾やら誇張なども含めて味付けし文字にするんだろうと思うわけで・・・やっぱし,インプットよりも質量ともにアウトプットが多くなるんじゃないのか? と,思うんですけど。
おっさん個人の感覚としては・・・書くと言う事は,脳内妄想の出口・・・じゃないかと思うわけです。
子供が円盤を見た,と騒ぐと嘘つきと言われたり,夢見やがって,と言われますけど,矢追順一が円盤やUFOを題材にテレビ番組を作ると,嘘つきとは言われずに金儲けが成立するわけです。
物書きもそれと同じなんじゃないかと思うわけですが・・・脳内妄想を巷で某かの行動にうつし、無関係な第三者にそれを見せちまった場合は、立派な変態と呼ばれますけれども,しかし,作家になってフランス書院のエロ小説でも,認められた立場で表現すると,お金に成るわけであります。
と,言う事で,根は変態で妄想の権化なのに,それの発露の場を与えられた作家などの表現者は認められ,お金にさえなるわけですね。
で,妄想の発露の場を与えられず、それでも我慢できずに,未公認のまま公の場に晒しちまった時には,元は同じ妄想でも,ひたすら変態と言う扱いを受けちまうわけですね。
アレ・・・ナニを宣ってたんだっけ?
おっさんって,コレなんだよねぇ~・・・脈絡が無くなっちまうと言う美徳があり過ぎるわけです。
まっ、たぶん,数冊読むとこの手の作品が持つ常套手段やら,仕掛けの哲学みたいなモノも読めて,ああ,定石か,と思えるのかもしれませんが、おっつさんはこれに対して免疫が無いので感染症を患っちまったと思うわけです。
で,少しおピンク掛かった描写もお下劣感が無く,とても爽やかなおピンク度でありまして,読んでると美少女の甘い香りが漂っちまう錯覚にさえとらわれる始末であります。
で,読書感想文としては・・・おっさんもこう言う美少女と交わりたい・・・いや,隣に座って臭い嗅ぐだけで良いんで,触ったり揉んだりしなくて良いんで,出来れば,風下に座り,美少女が掃き出した空気を鼻の穴をオッピロゲて胸一杯に吸い込みたいと思いました。
どんな高価なパヒュームよりも,美少女の屁の方が何倍も香しいだろう・・・ああ,妄想が尽きなくなっちまった・・・本日は午後にブックオフに行ってこの手のモノを少し多めに買い求めてみようかと思う次第であります。
いや,アレです・・・フランス書院の、例えば「新・凌辱女子学園1 宿命」 綺羅光著なんかはモロッとエロなんですけれども,アア言うのはどちらかと言うと鍋物的だと思うわけですが,このような、花の香りが漂う美少女のおピンクは,サラダ感覚とでも申しましょうか,それも,ドレッシングなんか使わず,少しの塩と黒胡椒で・・・ああ,この本の美少女たちのなんて瑞々しい事・・・言っときますけど,おっさんはスケベですけど変態ではありませんからね。
文章を「書ける人」と「書けない人」のちが
文章を書ける人・・・ですって・・・何でも良ければナンボでも書ける!!! しかし,読んでもらえるモノかどうかは分からない・・・そこなんですよねぇ~。
いや,どこかの直木賞作家も宣っていましたが,インプットが無いとアウトプットも無い・・・まっ、そうなんですけど、書くと言う事は,脳味噌の中で湧いて来るモノが有って,それが妄想でも幻想でも錯覚でも,ナンでアレ,湧いて出たモノの発露として文字があるわけだから,インプットとアウトプットが量とか質的に=と言う事じゃ無い,と思うわけですね。
週刊誌の記者なら煙の無い所から火を起こしたり,小さな火種から炎上させたりするわけで,インプットが微かでもアウトプットは爆裂的増大をしていなくちゃ仕事が成り立たないでしょうし・・・。
例えばコラムを書く人なんてのは,凡人なら見過ごす、ほとんどどうでも良い出来事を拾い上げ,やっぱし、ただ文字にしたんでは味も素っ気も無いので,修飾やら誇張なども含めて味付けし文字にするんだろうと思うわけで・・・やっぱし,インプットよりも質量ともにアウトプットが多くなるんじゃないのか? と,思うんですけど。
おっさん個人の感覚としては・・・書くと言う事は,脳内妄想の出口・・・じゃないかと思うわけです。
子供が円盤を見た,と騒ぐと嘘つきと言われたり,夢見やがって,と言われますけど,矢追順一が円盤やUFOを題材にテレビ番組を作ると,嘘つきとは言われずに金儲けが成立するわけです。
物書きもそれと同じなんじゃないかと思うわけですが・・・脳内妄想を巷で某かの行動にうつし、無関係な第三者にそれを見せちまった場合は、立派な変態と呼ばれますけれども,しかし,作家になってフランス書院のエロ小説でも,認められた立場で表現すると,お金に成るわけであります。
と,言う事で,根は変態で妄想の権化なのに,それの発露の場を与えられた作家などの表現者は認められ,お金にさえなるわけですね。
で,妄想の発露の場を与えられず、それでも我慢できずに,未公認のまま公の場に晒しちまった時には,元は同じ妄想でも,ひたすら変態と言う扱いを受けちまうわけですね。
アレ・・・ナニを宣ってたんだっけ?
おっさんって,コレなんだよねぇ~・・・脈絡が無くなっちまうと言う美徳があり過ぎるわけです。