仕事で使っていたメアドとか変えていないんで,メールでの連絡が全部ここに来ている・・・うひゃぁ~・・・放っておくわけにも行かないんで一度は転送するか?
で,後は勝手にメアド変更などしてくれ,と。
まっ、たいした物じゃない・・・佐川急便の請求書とか、放っておけば集金に来るでしょ。
しかし,今の世の中ナンでもカンでもメールですね。
便利っちゃぁ便利ですけど,気持ちのどこかにナンダかなぁ~・・・と、言う思いが残るのは否めません。
さりとて,今更切手はって郵便出して,黒山羊さんたら読まずに食べた,なんてのはダルい訳で・・・これはやっぱし、ナンダかなぁ~としか言いようが無いわけでありますね。
で,おっさんなんか振込もネットバンクなんでパソコンが無いと生きては行けない身体なわけで、パソコンがダウンした時の事を思うと背筋が寒くなりませんか? 風邪ですか?
そうだ・・・MRIって、高価なもんですね・・・いや,機械の値段なんか興味は無いわけですが,おっさんが支払った料金であります・・・わずか20分足らず寝ていただけなのに6900円ですぜ・・・保険負担でそれですから,全額払ったら40分の風俗より高いんですゼ。
で,もっと驚いたのは,何もかも自動なんですね・・・おっさん、歯医者とか田圃の中のローカル医院しか行かないんで,いつもの様に紙の診察券を窓口に出し,お会計は・・・オネェさんなりオバちゃんなりから・・・おっさぁ~ん、と呼ばれるまで椅子に座って本を読むと言うのを常としているわけで,何もかもが全自動だと戸惑っちまいます。
で,本日行った病院の診察券は20年くらい前に貰った事があって,物持ちの良いおっさんはそれを持参したわけです。
すると窓口のオバネェちゃんが、あらぁ~懐かしぃ~,とか言って,さっさと磁気対応のカードに変えてくれたわけです。
そして,後々それが物を言うと言いますか、それが無いと話しにならないわけであります。
それにしても、ずっと上の階では介護施設を併設しているんで,年寄りがわんさかと湧いて出るのは致し方ないんですけど,別途に寝せられたままCTとかレントゲンを撮りに来る老人は,殆ど息をしているだけじゃないか? いや,虫の息か? と,言う人も見受けられ,とても微笑ましい光景であるなと複雑でありました。
本日は病院の待合室で深く哲学してしまいました・・・深遠なる課題と言いますか,核心に触れる課題と言いますか,まっ,おいそれとは解けない問題を見つけちまいました。
さっきまで己の体内にあったアレが肛門から捻り出された途端に「ウンコ」と、本質は何も変わらないのに、名を変え、扱いは惨憺たる物になるわけであります。
その「ウンコ」は、口に入る前には食べ物として,とても大事にされていた物なのに,要するにカスになったが為に忌み嫌われる存在になったわけです。
いや,この程度の事は何度も考察を繰り返しているわけですが,本日は病院で,敢えて誤解を怖れずに言わせてもらうと,カスと言える老人の扱いを見て,同じカスでもその扱いはウンコとは比べるべくも無いな,と、思ったわけであります。
いや,そこで,虫の息の年寄りと言えども人間である・・・食い物やウンコと同列に置けるはずが無いじゃないか,と、言う常識的な答えはおっさんには無意味なわけであります。
単刀直入に言うと・・・虫の息の老人は,表向きの扱いはウンコとは全然違って人としての扱いを受けているんだけれども,その実と言いますか,精神的な部分ではドーなんだろうか? と,思ったのが,本日の哲学的思考の始まりであったわけです。
ホントは,ほとんど目玉以外動かす事もなく,鼻の穴に管を差し込まれ,酸素マスクを外すのも憚られる枯れた老人に向けられている意識はウンコと同じレベルなんじゃないのだろうか? と,思うのは浅はか過ぎるのでありましょうか?
ここで少し考えの筋道を変えてみるわけであります。
食べた物がウンコにならなかった場合,であります。
それは「ゲロ」じゃ無いかと思いつくわけでありますが,如何でしょうか?
皆さんは食べ物を口に入れる時,大抵は幸せ感とでも申しましょうか,まっ,悪く無い気分でいると思うわけです。
しかし,食い過ぎていたり,悪酔いしている時屋,他に何か身体的な不都合などあった場合には,祝福されて口から食道を滑り落ちた食べ物が逆流して「ゲロ」となって戻って来て,これもまた厄介な物として忌み嫌われちまうわけであります。
いや,元は同じ食べ物ですが「ゲロ」は「ウンコ」よりも嫌われ度合いは数段上かもしれません・・・いや,間違いない。
それは,消化して多少なりとも人の役に立ち、最後の形として得た「ウンコ」と言う存在と,全く予期せぬ結果をもたらし,目的の何もかもを放棄した形で存在する事になった「ゲロ」の成り立ちの違いによる結果でありましょうか?
さて,おっさんの中では既に思考は途切れ,書き始めに見えていた崇高な哲学的理念は脆くも崩れ,音しどころが見つからずに困っているわけですが・・・敗因は,最初から「ウンコ」と「ゲロ」で仕上げれば良かったのに,無理矢理枯れた年寄りを織り込んじまった事にありそうです・・・やっぱしなぁ、痩せても枯れても人間とウンコを同じ次元で語ろうと言う壮大な試みには無理があり過ぎたと,反省するわけであります。
で,一応締めてみたいわけなんですけど・・・食べ物が本分を全うして「ウンコ」として嫌われ,方や,食べ物の本分を何一つ全うする事無く世に出ちまって「ゲロ」として忌み嫌われるこの二つ・・・やっぱし、枯れた老人とだぶって仕方が無いわけでして,なんと申しましょうか,目の前の現実以外は評価されないと言いますか,人間って,勝手だよなぁ~・・・くぅぁ~・・・落ちに持って行けない・・・やめた。
で,後は勝手にメアド変更などしてくれ,と。
まっ、たいした物じゃない・・・佐川急便の請求書とか、放っておけば集金に来るでしょ。
しかし,今の世の中ナンでもカンでもメールですね。
便利っちゃぁ便利ですけど,気持ちのどこかにナンダかなぁ~・・・と、言う思いが残るのは否めません。
さりとて,今更切手はって郵便出して,黒山羊さんたら読まずに食べた,なんてのはダルい訳で・・・これはやっぱし、ナンダかなぁ~としか言いようが無いわけでありますね。
で,おっさんなんか振込もネットバンクなんでパソコンが無いと生きては行けない身体なわけで、パソコンがダウンした時の事を思うと背筋が寒くなりませんか? 風邪ですか?
そうだ・・・MRIって、高価なもんですね・・・いや,機械の値段なんか興味は無いわけですが,おっさんが支払った料金であります・・・わずか20分足らず寝ていただけなのに6900円ですぜ・・・保険負担でそれですから,全額払ったら40分の風俗より高いんですゼ。
で,もっと驚いたのは,何もかも自動なんですね・・・おっさん、歯医者とか田圃の中のローカル医院しか行かないんで,いつもの様に紙の診察券を窓口に出し,お会計は・・・オネェさんなりオバちゃんなりから・・・おっさぁ~ん、と呼ばれるまで椅子に座って本を読むと言うのを常としているわけで,何もかもが全自動だと戸惑っちまいます。
で,本日行った病院の診察券は20年くらい前に貰った事があって,物持ちの良いおっさんはそれを持参したわけです。
すると窓口のオバネェちゃんが、あらぁ~懐かしぃ~,とか言って,さっさと磁気対応のカードに変えてくれたわけです。
そして,後々それが物を言うと言いますか、それが無いと話しにならないわけであります。
それにしても、ずっと上の階では介護施設を併設しているんで,年寄りがわんさかと湧いて出るのは致し方ないんですけど,別途に寝せられたままCTとかレントゲンを撮りに来る老人は,殆ど息をしているだけじゃないか? いや,虫の息か? と,言う人も見受けられ,とても微笑ましい光景であるなと複雑でありました。
本日は病院の待合室で深く哲学してしまいました・・・深遠なる課題と言いますか,核心に触れる課題と言いますか,まっ,おいそれとは解けない問題を見つけちまいました。
さっきまで己の体内にあったアレが肛門から捻り出された途端に「ウンコ」と、本質は何も変わらないのに、名を変え、扱いは惨憺たる物になるわけであります。
その「ウンコ」は、口に入る前には食べ物として,とても大事にされていた物なのに,要するにカスになったが為に忌み嫌われる存在になったわけです。
いや,この程度の事は何度も考察を繰り返しているわけですが,本日は病院で,敢えて誤解を怖れずに言わせてもらうと,カスと言える老人の扱いを見て,同じカスでもその扱いはウンコとは比べるべくも無いな,と、思ったわけであります。
いや,そこで,虫の息の年寄りと言えども人間である・・・食い物やウンコと同列に置けるはずが無いじゃないか,と、言う常識的な答えはおっさんには無意味なわけであります。
単刀直入に言うと・・・虫の息の老人は,表向きの扱いはウンコとは全然違って人としての扱いを受けているんだけれども,その実と言いますか,精神的な部分ではドーなんだろうか? と,思ったのが,本日の哲学的思考の始まりであったわけです。
ホントは,ほとんど目玉以外動かす事もなく,鼻の穴に管を差し込まれ,酸素マスクを外すのも憚られる枯れた老人に向けられている意識はウンコと同じレベルなんじゃないのだろうか? と,思うのは浅はか過ぎるのでありましょうか?
ここで少し考えの筋道を変えてみるわけであります。
食べた物がウンコにならなかった場合,であります。
それは「ゲロ」じゃ無いかと思いつくわけでありますが,如何でしょうか?
皆さんは食べ物を口に入れる時,大抵は幸せ感とでも申しましょうか,まっ,悪く無い気分でいると思うわけです。
しかし,食い過ぎていたり,悪酔いしている時屋,他に何か身体的な不都合などあった場合には,祝福されて口から食道を滑り落ちた食べ物が逆流して「ゲロ」となって戻って来て,これもまた厄介な物として忌み嫌われちまうわけであります。
いや,元は同じ食べ物ですが「ゲロ」は「ウンコ」よりも嫌われ度合いは数段上かもしれません・・・いや,間違いない。
それは,消化して多少なりとも人の役に立ち、最後の形として得た「ウンコ」と言う存在と,全く予期せぬ結果をもたらし,目的の何もかもを放棄した形で存在する事になった「ゲロ」の成り立ちの違いによる結果でありましょうか?
さて,おっさんの中では既に思考は途切れ,書き始めに見えていた崇高な哲学的理念は脆くも崩れ,音しどころが見つからずに困っているわけですが・・・敗因は,最初から「ウンコ」と「ゲロ」で仕上げれば良かったのに,無理矢理枯れた年寄りを織り込んじまった事にありそうです・・・やっぱしなぁ、痩せても枯れても人間とウンコを同じ次元で語ろうと言う壮大な試みには無理があり過ぎたと,反省するわけであります。
で,一応締めてみたいわけなんですけど・・・食べ物が本分を全うして「ウンコ」として嫌われ,方や,食べ物の本分を何一つ全うする事無く世に出ちまって「ゲロ」として忌み嫌われるこの二つ・・・やっぱし、枯れた老人とだぶって仕方が無いわけでして,なんと申しましょうか,目の前の現実以外は評価されないと言いますか,人間って,勝手だよなぁ~・・・くぅぁ~・・・落ちに持って行けない・・・やめた。