いよいよ念願であった・・・んっ? 待てよぉ~・・・そんなに、死ぬ程安達美術館が見たくて島根に来たのかぁ~? ホントは違うよな!
二輪車での日本全国制覇が目的だったはず・・・と、言う事は、軽トラで高速使って来ちまった今回は本末転倒・・・ひっくり返ってアーコリャコリャ、と言う感じなんだけれども、エンジンは付いていないが自転車と言う二輪で島根の地は踏んだと言う我が身への言い訳を盾に、主たる目的は修行の為の安達美術館と言う事で・・・言ってみればこれは自分への免罪符なので有りました。
と、言う長い前振りから入って行く訳であります。
さて、最初に驚いたと言いますか、アレレェ~と感じのは、安達美術館が思いの外校外と言うか、田舎と言うか、まっ、ナンでアレ田んぼと山の中にあった訳であります。
しかし、流石に駐車場はだだっ広く、繁忙期にはこれが埋まるのか?と、驚いた次第で有りました。
さて、美術館の入場券も立派でありまして、その料金も破格の立派さでありました・・・2300円であります。
まっ、それだけの価値はある、と、断言出来ます・・・が、あまり美術とか興味ない方は近付かない方が懸命かも知れませんが。
美しい 赤松の配置など憎い演出です
踏み石の導線の先に庭の奥を見る 見事です
石 赤松 つつじ 囲む塀まで計算された美
遠くの山を借景にして完成した完全無欠の庭
遠近法が駆使され奥行きを演出する配置
遊び心で切り取ったのか 窓の奥の庭
完全無欠の庭とでも申しましょうか・・・
私如きシロートがアレコレ論評出来る庭ではありませんでした。
圧倒的な美しさは凄いの一言で有りました。
で、庭は完成した時から維持が始まる訳ですが、それを保っている手入れも凄いと思いました。
しかし、私の個人的な好き嫌いの評価では、相当嫌いな部類の庭であるなと思ったのがホントの気持ちであります。
この庭には何かが足りない・・・それは、侘びであり寂びとでも言いましょうか?
私はこの庭にものの哀れを感じないのであります。
いや、ロートの私が造園の技術的な事や造作の美的な部分を評する事は出来ないんですけれども、しかし、感じるモノが何かと言う感性の話になると、気持ちの芯に響くモノを感じないのであります。
私の嫌いなモノに「ああすればこうなる理論」と言うのが有りまして、簡単に言うと、こうしたら感動が呼べるとか、美しく見えると計算されたモノが嫌いなんであります。
まっ、だったら造園なんてどれも50歩100歩で、誰かがウケを狙ってああしてこうしたモノだろう、と言う矛盾も分かった上で言うのですが、安達美術館の庭には崩したと言いますか、逃げる場所が無く、全面的にさぁ~どーですか、と攻められている様な感じがしたのであります。
と、言う事で、余りにも圧倒的美しさが一分の隙も無く迫って来る圧迫感とでも言いましょうか、それに押し潰されそうになって見ていて疲れた庭で有りました。
この庭は何処へも立ち入る事が出来ず視点が定められ、さぁ~見ろ,と言う感じで見なくちゃならないのが私の感想を生むのだと思う訳です。
で、庭の主は勿論自由に踏み石を踏んで回遊したはずなのでありまして、庭の陰も陽も知り尽くしていたはずであります。
で、そんな事を思うと庭に踏み込めない自分は、安達全康に自慢されているようで悔しい・・・そんな貧乏人の僻み根性が湧いて出た感想なのかも知れませぬ。
さて、庭以外の美術品は撮影禁止なんで写真など一枚も無いんですが、展示されていた焼き物や絵は何も言う事が無い・・・いや、一言だけ言いたいのは、焼き物で展示されていた北大路魯山人の作は自分とは感性が合わない、でありましょうか。
で、同じ焼き物の「河井寛次郎」の作品はどれも唸っちまうモノでして、好きになりました。
と、言う事で、安達美術館と言えば横山大観・・・大観美術館と呼ばれる程な訳ですが、展示されている作品は、何も言うな黙って見て行け、と、大観の声を聴いたと言ったら大袈裟でありましょうか・・・まっ、作品の大小はナンの関係も無く息を呑む迫力を感じる作品で有りました。
アレです・・・迫力と言うと押しの一本と取られるかも知れませんが私の言葉が良く無いだけでして、悲しみの押し、喜びの押し、躊躇いの押し、と、作品の前に佇むと大観が描きたかったであろう喜怒哀楽の全てが押し迫って来る訳であります。
いや、年に四回入れ替わるんだそうでありますが・・・また行きたい。
庭はもう見なくて良いけれども・・・いや、四季折々で表情が違うし次に見たらもっと素直に見られるかもしれないのでやっぱしまた行きたい、であります。
しかし、また軽トラで行くのかと思うと一寸なぁ・・・しかし、仙台からだと近くに飛ぶ飛行機が無いんですよね。
その昔伊丹空港を良く利用していたとき、田舎便どうしで、ズーッと奥の方が仙台や高松や小松や鳥取空港だった記憶が・・・いや、実際以降と思うと遠いんですなぁ~。
最後にアレですが・・・庭のつつじ、ナニがナンでも刈り込んで丸ものに仕立てないと気が済まないその発想が大嫌い、で、序でに言うと、もっと丁寧に中を空かせよなぁ~刈り込み強くて赤茶けてるだろ、なんちゃって。
鳥取砂丘と美術館に つづく
二輪車での日本全国制覇が目的だったはず・・・と、言う事は、軽トラで高速使って来ちまった今回は本末転倒・・・ひっくり返ってアーコリャコリャ、と言う感じなんだけれども、エンジンは付いていないが自転車と言う二輪で島根の地は踏んだと言う我が身への言い訳を盾に、主たる目的は修行の為の安達美術館と言う事で・・・言ってみればこれは自分への免罪符なので有りました。
と、言う長い前振りから入って行く訳であります。
さて、最初に驚いたと言いますか、アレレェ~と感じのは、安達美術館が思いの外校外と言うか、田舎と言うか、まっ、ナンでアレ田んぼと山の中にあった訳であります。
しかし、流石に駐車場はだだっ広く、繁忙期にはこれが埋まるのか?と、驚いた次第で有りました。
さて、美術館の入場券も立派でありまして、その料金も破格の立派さでありました・・・2300円であります。
まっ、それだけの価値はある、と、断言出来ます・・・が、あまり美術とか興味ない方は近付かない方が懸命かも知れませんが。
美しい 赤松の配置など憎い演出です
踏み石の導線の先に庭の奥を見る 見事です
石 赤松 つつじ 囲む塀まで計算された美
遠くの山を借景にして完成した完全無欠の庭
遠近法が駆使され奥行きを演出する配置
遊び心で切り取ったのか 窓の奥の庭
完全無欠の庭とでも申しましょうか・・・
私如きシロートがアレコレ論評出来る庭ではありませんでした。
圧倒的な美しさは凄いの一言で有りました。
で、庭は完成した時から維持が始まる訳ですが、それを保っている手入れも凄いと思いました。
しかし、私の個人的な好き嫌いの評価では、相当嫌いな部類の庭であるなと思ったのがホントの気持ちであります。
この庭には何かが足りない・・・それは、侘びであり寂びとでも言いましょうか?
私はこの庭にものの哀れを感じないのであります。
いや、ロートの私が造園の技術的な事や造作の美的な部分を評する事は出来ないんですけれども、しかし、感じるモノが何かと言う感性の話になると、気持ちの芯に響くモノを感じないのであります。
私の嫌いなモノに「ああすればこうなる理論」と言うのが有りまして、簡単に言うと、こうしたら感動が呼べるとか、美しく見えると計算されたモノが嫌いなんであります。
まっ、だったら造園なんてどれも50歩100歩で、誰かがウケを狙ってああしてこうしたモノだろう、と言う矛盾も分かった上で言うのですが、安達美術館の庭には崩したと言いますか、逃げる場所が無く、全面的にさぁ~どーですか、と攻められている様な感じがしたのであります。
と、言う事で、余りにも圧倒的美しさが一分の隙も無く迫って来る圧迫感とでも言いましょうか、それに押し潰されそうになって見ていて疲れた庭で有りました。
この庭は何処へも立ち入る事が出来ず視点が定められ、さぁ~見ろ,と言う感じで見なくちゃならないのが私の感想を生むのだと思う訳です。
で、庭の主は勿論自由に踏み石を踏んで回遊したはずなのでありまして、庭の陰も陽も知り尽くしていたはずであります。
で、そんな事を思うと庭に踏み込めない自分は、安達全康に自慢されているようで悔しい・・・そんな貧乏人の僻み根性が湧いて出た感想なのかも知れませぬ。
さて、庭以外の美術品は撮影禁止なんで写真など一枚も無いんですが、展示されていた焼き物や絵は何も言う事が無い・・・いや、一言だけ言いたいのは、焼き物で展示されていた北大路魯山人の作は自分とは感性が合わない、でありましょうか。
で、同じ焼き物の「河井寛次郎」の作品はどれも唸っちまうモノでして、好きになりました。
と、言う事で、安達美術館と言えば横山大観・・・大観美術館と呼ばれる程な訳ですが、展示されている作品は、何も言うな黙って見て行け、と、大観の声を聴いたと言ったら大袈裟でありましょうか・・・まっ、作品の大小はナンの関係も無く息を呑む迫力を感じる作品で有りました。
アレです・・・迫力と言うと押しの一本と取られるかも知れませんが私の言葉が良く無いだけでして、悲しみの押し、喜びの押し、躊躇いの押し、と、作品の前に佇むと大観が描きたかったであろう喜怒哀楽の全てが押し迫って来る訳であります。
いや、年に四回入れ替わるんだそうでありますが・・・また行きたい。
庭はもう見なくて良いけれども・・・いや、四季折々で表情が違うし次に見たらもっと素直に見られるかもしれないのでやっぱしまた行きたい、であります。
しかし、また軽トラで行くのかと思うと一寸なぁ・・・しかし、仙台からだと近くに飛ぶ飛行機が無いんですよね。
その昔伊丹空港を良く利用していたとき、田舎便どうしで、ズーッと奥の方が仙台や高松や小松や鳥取空港だった記憶が・・・いや、実際以降と思うと遠いんですなぁ~。
最後にアレですが・・・庭のつつじ、ナニがナンでも刈り込んで丸ものに仕立てないと気が済まないその発想が大嫌い、で、序でに言うと、もっと丁寧に中を空かせよなぁ~刈り込み強くて赤茶けてるだろ、なんちゃって。
鳥取砂丘と美術館に つづく