じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

一乗谷朝倉氏遺跡 に行ってみた

2017-07-18 19:28:37 | 軽トラで行った 山陰の旅
ここへは突然行く事になった訳でありまして、時間的余裕が無く、無理してスっ飛んで行ったのであります。
と、申しますのは、先に訪れた養浩館で庭の手入れをしていた若い庭師と話し込み、他にお勧めは無いかと尋ねた所、石組みを見るなら価値有り、と勧められたのが一乗谷朝倉氏遺跡だった訳であります・・・しかし、その時既に5時少し前、有料施設は閉館して入れないだろうけれども庭や石組みは見られると言うので飛んで行った次第であります。


諏訪館跡庭園


低い石組みだが力強さが漲る


石は一つでも悪く無いが組んだ時に生きると思う


殿様が「今戻った」と言い、若い奥方が黙って頷く


門だけなのに安普請の我家より威厳がある

いや、勉強になりました。
この前に「静」の養浩館を見た事がそうさせたのか、この庭は「動」と言うか、力の漲る石組みが見事であるなと魅入った次第であります。

庭を見るのに必用な館は既に無く存在の意味を失った庭ではありますが、往時を偲ばせる石組みの力強さは少しも色褪せる事無く私を魅了したのでありました。
武将の館の庭と言いますか、実際は朝倉義景の妻の館でありますが、戦国の世を彷彿とさせる物でありました。

で、写真の他にもかつては水をたたえた池と石組みだったであろうと思われる「湯殿跡庭園」がある訳です。
こちらの石組みはもっと荒々しく,その気勢も鬼気迫る物を感じるんですけれども、惜しむらくは水が無いので鶴亀の岩と思われる中島も今一つ判然としない訳であります。

恐らく、館が健在であった頃の庭には滝があり水が豊富に走っていた物と思う訳です。
それを想像しても十分見応えのある庭でありましたが、本音は、水の流れが有ったらどれ程見事であったか、と思ってしまうのでありました。

余談ですが・・・石組みと石垣の違いはご存知ですか?
簡単に言うとキレイな表の中には大小の石が詰まっているのが石垣でして、石組み、若しくは石積みは単に石を積み上げただけ、と言う事になります。
なので排水などを考慮していない石積みは人の背丈程度が限界と言われている・・・らしいであります。

いや、やっぱし時間切れで武家屋敷や町人屋敷の再現村は見られなかった訳です。
残念ですけれども、素晴らしい石組みを見られただけでも若い庭師に感謝であります。


越前 丸岡城 へつづく





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御泉水屋敷 に行ってみた

2017-07-18 16:33:48 | 軽トラで行った 山陰の旅
天橋立を早々に立ち去り、目指したのは、割りと本命の福井市の養浩館庭園・・・旧御泉水屋敷でありました。

アレです・・・庭を見に行ったんですが福井市の歴史博物館とセットになってまして、しばし福井市の歴史など学んじまった訳であります。
いや、けっこう戦火にやられているんですね・・・こう言う歴史を見るといつも思うんですが、知られていない街でも普通に戦争の惨事は有ったのだな、と言う事で、日本人ってホントに終わった事に寛容と言いますか、大仰に蒸し返さない民族であるな、ナンて関心した次第であります。
いや、戦中の惨禍とその後の展示や写真を見ると終戦と同時にGHQと米軍を歓迎している笑顔には、毎度複雑な思いにさせられます。


石と池と水辺の草の調和は見事でした


建物が庭に対して主張しない、これも調和ですね


見事な仕立ての松と石の配置


石と岩で構成する人口とは思えない浜


殿様の座から眺める庭


水に浮かんで見える館

いや、この庭には何も言えません。
見事だとか美しいなんて言葉は無用でありまして、これこそが日本庭園のの真髄と言った感じでありました。
敢えて拙い表現をしてみれば・・・侘びと寂びが備わった静寂の庭、とでも申しましょうか。

静かであります、が、人気が無いからの寂びではなく、空間の広がりがそれを作り出しているのだと自分は感じたのでありますが・・・。

で、館と庭は来訪者にとても寛容でして、館は殿様の御座まで立ち入り、座り込んで庭を眺められるのであります。
閉館時刻まで、ズーッと眺めていたい気分で有りました。

庭は、石の配置や植栽の妙など見るべき物は多いのですが、そんな見方をしていたら、庭に些末な事に捕われて見るな、と笑われそうな雰囲気であります。
石も木も館も、全く主張する事無く全体としての調和で成り立っていると感じる庭でありました。
戦後再建された庭ですが、再現した庭師に感服であります。

最後に庭師見習いとして・・・極上の透かし剪定も素晴らしいもので、これ見よがしに刈り込んだ丸物仕立ても無く、何もかもが自然なのでありました。

いや、ホントーの本物に出会っちまうと多くは語れないと言いますか、ホント、何も言えねぇ~でありますね。

一乗谷朝倉氏遺構 へつづく





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天橋立 へ行ってみた

2017-07-18 15:50:36 | 軽トラで行った 山陰の旅
いや、日本三景であります。
我が郷土宮城県の松島と広島県の安芸の宮島と、この度の京都の天橋立で日本ガッカリ三景と讃えられたもんでありました。

で、この度、天橋立を見て思った事は、日本三景は終わった、と。
と、言いますか、日本三景なんて言っているのは宮城の松島くらいじゃないかと思う訳でして、特に宮島は世界遺産となって別格の存在だと思う次第であります。

さて、天橋立は・・・松島と似てるな、色んな意味で似てるな,と思った次第であります。
まず、景色的にガッカリなのが大いに共通でありまして、まっ、そう言う事な訳であります。


昼飯時 夏の炎天下 閑散としていました


日本三景には欠かせない 神社仏閣の文殊堂


天橋立 ナントぉ~ 橋はこれ一本でした


ふふふ、こう言うの好きです


特別景勝地で釣りをする人

いや、これも私の勘違いでして、天橋立と言うくらいだから橋が沢山連なって島を結んでいるんだろう、ナンて思って行った訳です。

あっ、始めに昼飯の話しを少し・・・流石に京都府ですね。
昼飯に刺身定食を食べたんですが、それの煮物と味噌汁がヤッパし東北と違って出汁が利いて旨い訳です・・・いや、それでいて薄味かと言うとそうでも無く、田舎者舌でも満足する物なのが良かった、と思う訳です。
と、言いますか、観光地の飯屋で1500円の定食を食って語っちまうな、と言う事ですけど。

で、昨日は昼飯を食べはぐって死ぬ目に合いましたので本日は用心して腹ごしらえを済ませてから行動した訳であります。
で、先ほどから気になっていたのがレンタルサイクルでありまして、飯屋のオバチャンに「観光には自転車が便利なのですかぃ?」と尋ねた訳であります。
するとおばちゃん答えて曰く「往復で6キロありますからね」と言うではありませんか。
私しゃ飯屋を出ると駐車場に戻り自転車を引っぱり出して天橋立観光に繰り出したのでありました。

いや、素敵な松林の中、小砂利の道を軽快に、コッチからアッチまで、往復20分程でありましたでしょうか。
一番驚いたのは、行き止まりではなく、あっち側は違う街に続いているんであります。
で、レンタル自転車でもここまで来る人は少なく人影も殆ど無しでありました。

で、松に色々な注釈がついているんですけれども、どう見ても松は唯の松でして、今一つ感動的ではなかったと言うのが偽らざる感想であります。

ところで、レンタル自転車の業者さんは日本は左側通行を教えてから貸さないと・・・中国人がアイヤァ~と叫んで突っ込んで来ちまうのであります・・・まっ、大きく誇張ですが、しかし、道一杯に広がって来るのはホントです。

福井市立強度歴史博物館と養浩館庭園 へつづく








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天岩戸神社 へ行ってみた

2017-07-18 14:06:59 | 軽トラで行った 山陰の旅
それは勘違いと無知から始まったのであります。

私は鳥取港のキャンプ地から・・・次はどこへ行こうかなぁ~と、漠然と帰り道方向へ軽トラを走らせていた。
まず、頭に有ったのは天橋立、と、金沢の兼六園程度の事でありました。
で、ヤフーナビに高速と有料道路を使わない設定で天橋立をロックオンしていた訳であります。
で、とある方面からご推薦の有った富浦海岸に軽く立ち寄って日本海の塩水を身体に感じ・・・いや、透明度の良さは凄いものでして、一晩くらい海岸でキャンプも良かったな、などと思いましたが後の祭りであります。
で、残念な事にのんびり過ごしている時間が無く、早々に立ち去りまして・・・国道九号をナビの言う通り進んだ訳であります。

で、軽トラはズンズンと海沿いから離れ山の方に入って行く訳です・・・看板に但馬、と言うのがやたらと多くなり、車のナンバーが兵庫県関係のモノになって行く訳であります・・・ふぅ~っ、また遠回りなのか?と、少し嫌な雰囲気になりました。
いや、自分の頭の中の地図では海岸線を行くものと思っていたのに・・・そもそも国道9号と認識していると言う事は、山回りであると気付いていなければならない訳ですが、なにせこっち方面は守備範囲外でして土地勘はゼロであります。
まっ、結果的にはこれが有ったから天岩戸神社に当たったので悪く無いんですが。
でも地図で確認したら結構な遠回りなんですよね・・・スキー場の在る峠も越しましたし。


これが天岩戸神社であります



正面の山が岩戸山であります


さて、私の無知と言いますか、まっ、加齢に拠るど忘れと勘違いなんですけれども「天岩戸神社」の看板を発見した時にはてっきりアレだと思ってしまった訳であります。

いや、ハッキリ言って度肝を抜かれました・・・これが天岩戸神社の本殿との説明書きと、心静かに参拝しましょうの言葉を読んだ時には、自分の心中を覘かれていたようであらたまっちまいました。
私の経験では、屋根だけの向こう側が透けて見える社は初めてでありました。
で、この時点で天岩戸は何処だとの疑念が浮かんだ訳ですが・・・まだ九州のアレは思い出さないのであります。

で、脇を流れる沢沿いの岸壁の何処かにアノ天岩戸があるのかと目を凝らした訳であります。
と、そこで発見したのが無料のパンフレットでして、読んだ訳であります・・・あぁ、そう言う事なのね、と、ようやく自分の勝手な思い込みと勘違いを悟った次第であります。

いや、あの神話の天岩戸では無いにしましても、神々たちが遊んだ天岩戸、その霊験灼かで厳かな佇まいは素晴らしいものでありました。
それにしましても、ホンモノの神様は決して立派な神殿など所望しないのがここで分かったのは大きな収穫でありました。


本殿へと登る参道の石は踏まれて丸くなっていた


古代の神秘 一直線の不思議 か?


天皇神道 祀られるのは当然 天照大神


御神木の太さからも歴史が伺えます

で、微笑ましい天岩戸神社に詣でた後は皇大神社(元伊勢内宮)でありました。

いや、神社と言うのはお寺さんよりデリケートな側面を持つと聞き及んでますので歴史的な事や名前の遍歴などはあんまし気にしないのが良いようでありますが・・・が、書いてあったのを鵜呑みにしますと、天照大神が伊勢神宮に落ち着く前はここに居たので元伊勢内宮と言うのだと書かれておりました。
しかし、何分にも2000年以上も前の事なので私には良く分かりません。

と、言う事で、私はいつものように目の前のものを見、心に響く波動を感じ取るのみでありました。

で、建物も樹木も旧いんでしょうねぇ・・・ハッキリ言ってこのまま手を入れなければそう遠く無い将来朽ちてしまうだろうな、と、感じる物が多々有った訳です。
まっ、形在る物の定めを忠実に全うしている様は清々しいモノでありますが、何処か勿体無いと思ったのもホントであります。

けっこう歩く神社でして駐車場から天岩戸神社まで一周すると1時間程度掛かりました。
静かですよぉ~・・・神社としては好きなタイプでありました。


天橋立 へつづく





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植田正治写真美術館

2017-07-18 12:50:12 | 軽トラで行った 山陰の旅
演出写真と言うのを最初にやった人・・・こんな雑な説明で良いのかな?
アレです、自分が子供の頃、高くて買えなかった写真雑誌ですが、植田正治の作品は沢山掲載されていたので結構見ていた訳であります。
いや、子供の頃は写真に興味が有るだけで作者はドーでもよく、名前は覚えないのであります・・・と、言うか、私は子供の頃少し知恵が足りなかったので人の名前は覚えられなかったのでありますけど。

植田正治の写真の幾つかは今でも鮮明に覚えているんですが、中でも衝撃的だったのは「小狐登場」でありました。
まっ、その後自分は写真とは「写実」であると、勘違いしまくって演出写真を否定して植田正治は興味なくなるんですけれども。

で、この度、自分が年齢的に熟れ視点が少し広くなって植田正治の作品を「群」として観ますと・・・いやぁ~演出云々の前に写真がしっかり写真だわ、ナンて当たり前の事に感動した訳であります。
私しごときが語ってはダメなのかも知れませんが、読んでる人も少ないので言っちまうと「間」と言いますか「空間」がナントもカントも、絶妙を通り越した上に有るなと感じた訳であります。

で、写真は他の古典的な芸術とは一線を画すると自分は思う訳ですが、それはガラス板の頃からデジタルの現在まで写真を支えたのは科学である、と思うからであります。
現像から焼き付けの手法が進化するにつれ写真の表現方法も変化した訳ですが、植田正治はそれも巧みに取り入れ被い焼きや露光時間の工夫などで背景処理をするなどして独特の作品を生む訳であります。

成る程なぁ~・・・在るものをあるがままに撮るのも簡単では無いけれども、目の前に在るものに演出と技法を加えて更なる高みに持って行くのは凡人には無い感性だなと溜息をついて見入った次第であります。

と、言う事で、写真は一つの詩を読んだときのように心に沁みて来る訳あります。
で、立ち止まるとどの作品からも囁かれ、見入ってしまう訳であります。
なので閉館時刻の迫る中ギリギリまで粘って観させていただいたのであります。


植田正治写真美術館 建物

いや、写真には文句一つ、ひねくれた論評も言えないのでありますが・・・けっこう評判の良い建物、美術館の建物には、一言言いたいのであります。
これは、設計者の自己満足が勝ち過ぎていないか?と。

もー入り口が分からない建物ナンてのは「ああすればこうなる理論」の権化に思え、面倒くせぇ雰囲気の漂う建築な訳であります。
アレです・・・建物と言うのは中に入れて当然だと思うんですが、そう簡単には入り口が分からないんですから参っちまいます。
デザインと言うのは使えてナンボ・・・説明しないと分からないコンセプトを前面に押し出した美術館の建物はナンだこりゃであります。
設計した会社の説明では自然との融合とか調和なんて言うんですが全体像なんて写真でしか見えないのにドーして確認出来るんだ,と。

と、最後に毒を吐きましたが、植田正治の写真群を見た感想は、今更なんですけど、写真ってこんな表現力を持つものだったのかとの驚きであります・・・写真の好きな人は勿論、そうで無い人も意味不明で入り難い建物を味わうなどの趣も含め是非立ち寄っていただきたい所でありました。

岩戸神社 へつづく









コメント (2)
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