いや、777は少し嘘でして、ホントは767でした。
はい、それは本日の走行距離でありまして、朝にホテルを出てひこにゃん城に行き、北陸回りで帰宅するまでの距離であります。
前期高齢者なので一気に走りきるのはドーだろうと躊躇っていましたが、案ずるより産むが易し、でありました。
旅の顛末は明日から・・・うーむ、たぶん明日は暇なので一気に書き終えると思いますが、晩飯を食べて一杯やったら急に眠気が襲ってきましたので、本日は早く布団に潜る所存であります。
と、言いつつ彦根城について一言、語らずには眠れ無いのでチョットだけ。
数日前に大阪城を見てガッカリしたわけですが、彦根城は掛け値無しに素晴らしい本物の城でありました。
で、昨日、石垣とか石積みに興味を持つ自分は比叡山近辺や延暦寺に穴太衆の仕事の後を探して回ったわけですが、本日の彦根城の石垣にはえらく驚かされまして、ここは滋賀県、穴太衆のお膝元となればこの仕事は穴太衆と思い込んで眺めた次第であります。
眺めては、あまりの素晴らしさに溜息をつき、他の人はさっさと天守閣を目指すのに自分は石垣に見とれていたわけであります。
そして、石垣に付随する立て看板を読んでいくと、城の石垣を組んだのは福井県の職人、とあるではありませんか。
で、彦根城は石垣も含め、江戸の頃から何度も改修や補修がなされているそうで、石垣は昭和に入っても数度組み直しているそうなのであります。
が、そこに穴太衆の名は出てこ無いのであります。
自分が植木屋の学校に在籍し、その後世話になった親方からも石組みといえば穴太衆と教えられたので頑なに信じ込んでいたわけですが、どーもこの件は今一度検証するべきであるな、となった次第であります。
それにしても恐るべし彦根の井伊家の実力・・・ああ、殿様の家柄って凄いのね、と彦根城と博物館を見てしみじみ思った次第であります。
さて、旅の話は明日ということで、あれしますが、今日の帰り道は寒かったであります。
北陸道に入って海沿いを走り出したら途端に寒くなり、革ジャンの下にもう一枚裏フリースのジャンパーを着込みカッパのズボンを履き、手袋も冬用に変えた次第であります。
しかし、新潟県に入り日が傾き出すと気温はさらに下がり、とうとう股引とダウンジャケットまで着込んだ次第であります。
と、いうことで、凍りつきつつもなんとか耐え、帰宅してすぐ風呂に飛び込み身体を解凍したわけであります。
あれです、軽く一杯やりましたが、やっぱし一番美味かったのは味噌汁ですね。
旅先でいろんなものを食べてきましたけれども、家の白飯に味噌汁と梅干し、疲れた体にはこれが一番と思った次第であります。
では、もはや目も開けていられ無い感じなので寝ます。
おやすみなさい、と。
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