一昨日告示された珠洲市議会議員選挙。
月曜の朝刊が休刊だったため、夕刊を見た、あるいは今朝の朝刊を見たという市内外の多くの知人・友人から「あんたの名前がない!どうした?引退?」という電話やメールなどをいただいた(このブログを書いている途中にも電話をいただいた)。
北國新聞 3月16日
今春の市議選に立候補しないという決断はすでに支援団体の会合や地域の集会で報告している。
加えて先の3月議会最終日の最後の登壇となった討論の最後にも触れ(3月15日ブログ「3月定例会最終日 活発な論戦が展開される」)、上のように地元紙でも紹介もされ、この時点でも何人かの方から電話をいただいた。
ただ、この間お世話になってきたすべての皆さんに事情を伝えきれていないし、「そんなの聞いてないぞ」という方もおられるだろうと思う。上記ブログでも「あらためてきちんと書かなければいけない」と書きながら、そのままになっていた。
ということで、引退を決断した理由を以下簡潔に報告させていただきたい。
きっかけはまさにちょうど2年前の今日4月16日の朝に発症した大動脈解離。
救急車を呼び、珠洲市総合病院経由で金沢医科大へ搬送された。日頃の不養生がたたったとしか言いようがないが、いくつもの幸運が重なり、また病院関係者の皆さんにも大変なお世話になり、45日間の入院生活後、痛めたところは治癒し、議員活動を再開することができた。
ただ、入院前と比べ明らかに体力が落ち、また再発防止のため、それなりに強い薬も服用し、なにより血圧上昇の要因となるストレス・過労、睡眠不足などを避けるため日々の活動をセーブし、実はこの2年間、自分としては「手抜き感」を感じながらの議員活動となってしまった。
もちろん、がんなど病気を発症しつつも闘病生活と議員生活を両立している方もいるし、障がいを克服しながら議員活動をされている方もいる。いわゆる「五体満足」でなければ議員活動ができないなどと言うつもりはさらさらないが、自分なりにこんな議員でいたい、こんな活動スタイルでやってきたいというイメージとは離れてしまったことだけは間違いない。
こんな状態でさらに4年間よろしく!と選挙戦で皆さんにお願いする気持ちにはなれなかったというのが引退を決断した一番の大きな理由だ。
とは言いつつも、結果的に後継者を育てることはできず、「次はこの人を是非!」とお願いできる候補者を擁立することもできなかった。
昨今の政治状況、あるいは山積する珠洲市の行政課題を前にし、何人もの方から「いったい誰に投票すればいいが」という声もいただく。
告示間際になってからも、「責任をとってもう一回やれ」という叱責もいただいた。
そこはただただお詫びをするしかない。
言い訳にしかならないかもしれないが、上記新聞記事でも紹介してもらったように、今後は一市民としてやれることを少しでも追求していきたい。
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