参議院選挙が終盤を迎え、各陣営ますます熱くなっている中に申しわけないが、調べたいことがあり、事務局にお願いし倉庫にしまわれている昔々の議事録を紐解く。
合併で珠洲市制が発足した1954年(昭和29年)からの議事録の原本だ。
当時はご覧のように手書き
職員によって読みやすい字、癖のある字がある。
印刷もきれいなところ、インクがにじんで読みにくいところ、いろいろだ。
実は市政発足から昭和50年までの議事録を手にするのは約28年ぶり、2度目となる。
前回目を通したのは1991年。初めて県議選に挑戦する前のこと。
目的は2つあった。
一つは、私は珠洲市生まれではないので、選挙に臨むにあたって少しでも珠洲市の歴史を知っておかねばという思い。
もう一つは、1975年(昭和50年)以前の原発誘致の動きを調べること。
県議選への立候補を決め、選挙に向けた準備が進む中だったのでじっくり読む余裕はなかったが、市の建設時の課題や当時の雰囲気が質問の項目を通じてもかなり伝わってくる。
原発関係の一般質問は予想以上に興味深いものだった。行政が残す資料では珠洲原発の計画が公になった(公的な場に取り上げられた)のは1975年となっている。だけどいきなり公の場に登場するわけがない。水面下の動きはもちろん、議会でも様々な議論があったのではないかと思っていたが予想通りだった。
志賀原発の計画が公にされた1967年からしばらくして珠洲市議会でも複数の議員から過疎対策として原発を誘致してはどうかという提案が相次いでいた。
表向き慎重な市長に対して議会が論戦をリードし1975年の全協での調査要望決議に繋がっていた。
なるほど、なるほどと納得の展開で、75年以降の推進派の動きを理解する上でも大いに役立ったことを覚えている。
今回は少し目的が違うが、あらためてじっくりページをめくって読みだすと実におもしろい。
市政発足当時、「えっ!そうだったのか」という意外なことも次々と。
なにより議会の論戦は実に熱い。
現職議員の皆さんにもぜひお薦めしたい貴重な資料だ。
自分の町はもうない。今の○○市は故郷でもなんでもないから○○市出身と名乗る気にも一切ならないし、愛着もない。むしろ嫌悪感のみ。消滅可能性都市らしいが、「ふるさと」の町は消滅済みですのでどうでもいい。勝手に消滅したらよい。
こうならんよう、こういう思いの出身者を作らんようにに珠洲さん頑張って下さい。