昨夜、今春から大学4年になる息子の卒業研究のテーマを聞いた。理系で毎日パソコンと睨めっこし、ロボットを動かすプログラムづくりに四苦八苦しているが、映像情報と絡めてそんなことができるならすごいなぁというテーマだった。
高校時代に身長は追い越されたが、量的な違いは感覚的に理解できても、頭の中の質的な違いはなかなか理解できない。いつのまにかの成長に感心しつつも、本当に大丈夫?と心配も尽きない。
何事も自分の理解できないことに対しては不安も感じ、時には拒絶反応も出てくるものだが、自分の常識や固定観念に縛られず、まずは受け止める努力をしたいと思う。
ただ、それでも「理解しがたい」と河村名古屋市長の辞意について昨年11月26日のブログで書いたが(こちら)、今度はお隣、輪島市の梶文秋市長の辞職騒動である。
今春の石川県議会選挙輪島市選挙区の候補者調整の決裂、自民分裂選挙に対するに抗議とも憤りとも報道されている。合併輪島市の初代市長であり、地域の融和に誰よりも心を砕いてきた梶市長だけに、旧輪島市対旧門前町の地域対立の構図となりそうな県議選をなんとしても避けたいという思いからの行動かもしれない。
かつて、社民党の輪島市議として活躍し、誰もが勝てる見込みがないと言った輪島市長選に挑戦、激戦を制し、県政界に「輪島ショック」と言わしめた梶市長である。政治の常識や固定観念にとらわれない行動は今回に始まったものではない。
1回目の市長選は全力で応援させてもらった私だが、市長就任後の発言や行動では私の理解を超えた、あるいは支持しがたいことも多々あった。しかしそれは保守王国の中で市長の座についた梶市長ならではの苦労、苦悩の結果だと思いたい。
が、今回はそれでも理解しがたい行動である。
1つは辞職の大義が全くないということである。
輪島市民は市長に県議選候補の、それも自民党候補の一本化調整を果たすことを期待し、そしてその失敗の責任を取れと言っているのか。自民党石川県連・福村章幹事長が「わが党の問題で、市長に辞められては困る」とコメントしているように、筋違いもいいところだ。
2点目として、合併「輪島市」全体の発展に向けた政策論争を期待するのが筋ではないかということである。
現在、現職県議の宮下正博氏と輪島市議の上田義雄氏が自民輪島支部の推薦願いを出している。県政の発展の中で「合併輪島市」全体の将来ビジョンをどう語るのかが問われている。仮に両氏がいずれも地域エゴを持ち出し、地域の融和を逆行させるような主張しか展開しないようならば一本化こそ論外。地域融和を進めるなかで「合併輪島市」の発展を訴える第三の候補の擁立にきである。
3点目として、市民の選択の権利を市長が奪ってはならないということである。
大原則として選挙戦はやるべきだ。政治はよりマシの選択の積み重ねである。一時的にしこりが残っても、将来的には市民の政治参加がマイナスになることはない。
きれいごとと批判されるかもしれないが、かつて輪島市民の賢明な判断を信じ、市長選挙に臨んだ梶市長であるからこそ、市民の選択の権利を大切にしてほしいと思う。
梶市長が、市長の椅子にしがみつく人ではないことは十分承知しているが、逆にこのような形で20年にわたる政治活動にピリオドを打つようなことも、なんとしても避けてもらいたいと切に願う。
高校時代に身長は追い越されたが、量的な違いは感覚的に理解できても、頭の中の質的な違いはなかなか理解できない。いつのまにかの成長に感心しつつも、本当に大丈夫?と心配も尽きない。
何事も自分の理解できないことに対しては不安も感じ、時には拒絶反応も出てくるものだが、自分の常識や固定観念に縛られず、まずは受け止める努力をしたいと思う。
ただ、それでも「理解しがたい」と河村名古屋市長の辞意について昨年11月26日のブログで書いたが(こちら)、今度はお隣、輪島市の梶文秋市長の辞職騒動である。
今春の石川県議会選挙輪島市選挙区の候補者調整の決裂、自民分裂選挙に対するに抗議とも憤りとも報道されている。合併輪島市の初代市長であり、地域の融和に誰よりも心を砕いてきた梶市長だけに、旧輪島市対旧門前町の地域対立の構図となりそうな県議選をなんとしても避けたいという思いからの行動かもしれない。
かつて、社民党の輪島市議として活躍し、誰もが勝てる見込みがないと言った輪島市長選に挑戦、激戦を制し、県政界に「輪島ショック」と言わしめた梶市長である。政治の常識や固定観念にとらわれない行動は今回に始まったものではない。
1回目の市長選は全力で応援させてもらった私だが、市長就任後の発言や行動では私の理解を超えた、あるいは支持しがたいことも多々あった。しかしそれは保守王国の中で市長の座についた梶市長ならではの苦労、苦悩の結果だと思いたい。
が、今回はそれでも理解しがたい行動である。
1つは辞職の大義が全くないということである。
輪島市民は市長に県議選候補の、それも自民党候補の一本化調整を果たすことを期待し、そしてその失敗の責任を取れと言っているのか。自民党石川県連・福村章幹事長が「わが党の問題で、市長に辞められては困る」とコメントしているように、筋違いもいいところだ。
2点目として、合併「輪島市」全体の発展に向けた政策論争を期待するのが筋ではないかということである。
現在、現職県議の宮下正博氏と輪島市議の上田義雄氏が自民輪島支部の推薦願いを出している。県政の発展の中で「合併輪島市」全体の将来ビジョンをどう語るのかが問われている。仮に両氏がいずれも地域エゴを持ち出し、地域の融和を逆行させるような主張しか展開しないようならば一本化こそ論外。地域融和を進めるなかで「合併輪島市」の発展を訴える第三の候補の擁立にきである。
3点目として、市民の選択の権利を市長が奪ってはならないということである。
大原則として選挙戦はやるべきだ。政治はよりマシの選択の積み重ねである。一時的にしこりが残っても、将来的には市民の政治参加がマイナスになることはない。
きれいごとと批判されるかもしれないが、かつて輪島市民の賢明な判断を信じ、市長選挙に臨んだ梶市長であるからこそ、市民の選択の権利を大切にしてほしいと思う。
梶市長が、市長の椅子にしがみつく人ではないことは十分承知しているが、逆にこのような形で20年にわたる政治活動にピリオドを打つようなことも、なんとしても避けてもらいたいと切に願う。
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