石川県議会議員選挙の開票結果が出た。民主党の惨敗である。
金沢市選挙区、広岡立美の苦戦は聞いてはいたが、中谷喜和・民主党県連幹事長も落選するとは・・・。その他の新進石川系の民主党候補もそろって伸び悩み、上位は自民党が独占する結果となった。
白山市、能美市能美郡、石川郡、河北郡、鳳珠郡の各選挙区も、新人だけでなく現職も含め民主系の議員が涙を飲む結果となった。民主への逆風は誰もが予想したところだが、ここまで厳しいとは・・・。
民主党政権への批判と地方組織の弱さがくっきりと現れた形だ。
私にとっては、この間、ともに活動してきた金沢市選挙区の盛本芳久、小松市選挙区の山根靖則の両氏が再選を勝ち取ったことが何より朗報だ。特に山根候補は、再選出馬表明の遅れが懸念されたが、堂々の1万票超えである。自民復調の中、県政における対抗軸を明確に掲げ、今後のますますの活躍を期待したい。
さて、珠洲市選挙区である。
新人の平蔵豊志氏が初当選を飾った。
投票率は78.43%と珠洲市にとっては低い数字だ。
泉谷市長が4年前に押し上げた現職の塚崎康彦氏に対し、今回、平蔵氏を擁立したことで、有権者にとってはわかりにくい選挙となったことは否めない。さらに、両候補に対する批判、不満も渦巻き、良さを競うよりは、よりマシを競う選挙となったことから棄権も増えたと思われる。
開票結果であるが、平蔵氏6615票に対し塚崎氏は4906票。1709票差であった。私自身は告示前のブログでも表明したとおり、中立の立場で市内の情勢を眺め、選挙戦終盤は1500票前後の差で平蔵氏優位と見ていた。そういう意味では、ほぼ予想の範囲内の結果であった。
通常の選挙戦は、現職に対し新人が争点を掲げて挑み、どこまで追い上げられるか、そして抜ききれるかが焦点となるが、今回の選挙戦は逆であった。ある人が言っていたが、平蔵候補はゼロからのスタート、塚崎候補はマイナスからのスタートであった。
もちろん、塚崎候補はこの4年間、珠洲の活性化を目指し様々な活動をしてきた。
マイナスという意味は、その結果が形となって現れていないということだけでなく(それは現在進行形としてやむを得ない面もある)、それらの取組の経過報告、具体的にいえなければ基本的な考えだけでもいいが、それもせず、県政報告・議会報告をせず、後援会活動どころか組織化もせず、通常の議員活動である有権者との接触が極端に少なかったということである。有権者にとって、塚崎候補は4年間、何をしてきたのかよくわからないというのが率直な印象であった。4年前は無競争であったから、なおさら知名度不足は深刻であった。
こうした中、塚崎陣営は、年明けからパンフやチラシを精力的に配布し、地域振興への取組をアピールしていった。この取組は一定の期待を集め、さらに泉谷市長やその周辺の、半ば強引とも映る新人擁立の動きへの反発も加わって支持者を拡大していった。
しかし、泉谷市長ら平蔵陣営の塚崎候補批判はその流れを確実に打ち消していった。それは政策批判ではなく政治姿勢、さらに言えば時間にルーズで約束をすっぽかすといった次元の内容も多かったと聞くが、それが単なるデマや言いがかりではなく十分に「説得力」をもってしまったのである。ある意味、塚崎候補の自滅とも言える展開であり、結果的に「マイナスからのスタート」の遅れを詰め切れず投票日を迎えてしまった感がある。
私は先般、今回の選挙の争点は塚崎氏の4年間の活動への評価に尽きると書いたが、結果的に有権者は塚崎候補を評価しなかった(できなかった)のである。
唯一の起死回生策ともいえる現在進行形の活性化策についても、詳細な内容や今後の課題、進行状況、期待される成果など具体的な説明は聞かれなかったのは残念であった。いや、語っていたのかもしれないが、法定ハガキや選挙公報には一切触れられていなかったから、私も含め、多くの有権者にとっては知る術がなかったのである。
今回の県議選、一部には「塚崎vs.泉谷」のたたかいだという話もあったようである。現職塚崎氏と泉谷市長の対立(どちらが悪いかは知らないが)が今回の選挙の背景にあったのも事実であり、ある意味、的を得た表現かもしれない。
言い換えれば「平蔵候補」の存在感が薄かったのも否めない。
さて、この構図で言うならば、今回の選挙、泉谷市長の「勝利」だったのか?
市長に加え、現職市議13人中10人が支持する中で6割に満たない得票率。泉谷市長にとっても、政治的には手痛い事実上の負け選挙と言えるだろう。
それはともかく今回の県議選珠洲市選挙区、多くの有権者にとっては虚しい選挙戦ではなかったか。
最後の1ヶ月は東日本大震災発生の中での「選挙戦」だったのである。空前の自然災害に福島第一原発の「原発震災」が加わり、まさに明治維新、第二次世界大戦の敗戦に次ぐ大転換期の中で迎えた選挙だったはずである。
政治の役割はもちろんのこと、日本の経済や社会、暮らし方や価値観が大きく変わろうとしている。いや、変わらなければならない。
もちろん石川県政も大きな転換期に向き合うことになる。さしあたり、この災害や復興にどう関わるのか、さらには志賀原発をどうするのかも重大な課題となるはずである。
まちの中でも田んぼの畦道でも、二人よれば日本の将来、能登の未来、自分の生き方、そして脱原発のエネルギー政策が語られていたのである。
多くの市民の意識と比較し、あまりにも「小さな選挙」、「虚しい選挙」で終わってしまったと思えてならない。
金沢市選挙区、広岡立美の苦戦は聞いてはいたが、中谷喜和・民主党県連幹事長も落選するとは・・・。その他の新進石川系の民主党候補もそろって伸び悩み、上位は自民党が独占する結果となった。
白山市、能美市能美郡、石川郡、河北郡、鳳珠郡の各選挙区も、新人だけでなく現職も含め民主系の議員が涙を飲む結果となった。民主への逆風は誰もが予想したところだが、ここまで厳しいとは・・・。
民主党政権への批判と地方組織の弱さがくっきりと現れた形だ。
私にとっては、この間、ともに活動してきた金沢市選挙区の盛本芳久、小松市選挙区の山根靖則の両氏が再選を勝ち取ったことが何より朗報だ。特に山根候補は、再選出馬表明の遅れが懸念されたが、堂々の1万票超えである。自民復調の中、県政における対抗軸を明確に掲げ、今後のますますの活躍を期待したい。
さて、珠洲市選挙区である。
新人の平蔵豊志氏が初当選を飾った。
投票率は78.43%と珠洲市にとっては低い数字だ。
泉谷市長が4年前に押し上げた現職の塚崎康彦氏に対し、今回、平蔵氏を擁立したことで、有権者にとってはわかりにくい選挙となったことは否めない。さらに、両候補に対する批判、不満も渦巻き、良さを競うよりは、よりマシを競う選挙となったことから棄権も増えたと思われる。
開票結果であるが、平蔵氏6615票に対し塚崎氏は4906票。1709票差であった。私自身は告示前のブログでも表明したとおり、中立の立場で市内の情勢を眺め、選挙戦終盤は1500票前後の差で平蔵氏優位と見ていた。そういう意味では、ほぼ予想の範囲内の結果であった。
通常の選挙戦は、現職に対し新人が争点を掲げて挑み、どこまで追い上げられるか、そして抜ききれるかが焦点となるが、今回の選挙戦は逆であった。ある人が言っていたが、平蔵候補はゼロからのスタート、塚崎候補はマイナスからのスタートであった。
もちろん、塚崎候補はこの4年間、珠洲の活性化を目指し様々な活動をしてきた。
マイナスという意味は、その結果が形となって現れていないということだけでなく(それは現在進行形としてやむを得ない面もある)、それらの取組の経過報告、具体的にいえなければ基本的な考えだけでもいいが、それもせず、県政報告・議会報告をせず、後援会活動どころか組織化もせず、通常の議員活動である有権者との接触が極端に少なかったということである。有権者にとって、塚崎候補は4年間、何をしてきたのかよくわからないというのが率直な印象であった。4年前は無競争であったから、なおさら知名度不足は深刻であった。
こうした中、塚崎陣営は、年明けからパンフやチラシを精力的に配布し、地域振興への取組をアピールしていった。この取組は一定の期待を集め、さらに泉谷市長やその周辺の、半ば強引とも映る新人擁立の動きへの反発も加わって支持者を拡大していった。
しかし、泉谷市長ら平蔵陣営の塚崎候補批判はその流れを確実に打ち消していった。それは政策批判ではなく政治姿勢、さらに言えば時間にルーズで約束をすっぽかすといった次元の内容も多かったと聞くが、それが単なるデマや言いがかりではなく十分に「説得力」をもってしまったのである。ある意味、塚崎候補の自滅とも言える展開であり、結果的に「マイナスからのスタート」の遅れを詰め切れず投票日を迎えてしまった感がある。
私は先般、今回の選挙の争点は塚崎氏の4年間の活動への評価に尽きると書いたが、結果的に有権者は塚崎候補を評価しなかった(できなかった)のである。
唯一の起死回生策ともいえる現在進行形の活性化策についても、詳細な内容や今後の課題、進行状況、期待される成果など具体的な説明は聞かれなかったのは残念であった。いや、語っていたのかもしれないが、法定ハガキや選挙公報には一切触れられていなかったから、私も含め、多くの有権者にとっては知る術がなかったのである。
今回の県議選、一部には「塚崎vs.泉谷」のたたかいだという話もあったようである。現職塚崎氏と泉谷市長の対立(どちらが悪いかは知らないが)が今回の選挙の背景にあったのも事実であり、ある意味、的を得た表現かもしれない。
言い換えれば「平蔵候補」の存在感が薄かったのも否めない。
さて、この構図で言うならば、今回の選挙、泉谷市長の「勝利」だったのか?
市長に加え、現職市議13人中10人が支持する中で6割に満たない得票率。泉谷市長にとっても、政治的には手痛い事実上の負け選挙と言えるだろう。
それはともかく今回の県議選珠洲市選挙区、多くの有権者にとっては虚しい選挙戦ではなかったか。
最後の1ヶ月は東日本大震災発生の中での「選挙戦」だったのである。空前の自然災害に福島第一原発の「原発震災」が加わり、まさに明治維新、第二次世界大戦の敗戦に次ぐ大転換期の中で迎えた選挙だったはずである。
政治の役割はもちろんのこと、日本の経済や社会、暮らし方や価値観が大きく変わろうとしている。いや、変わらなければならない。
もちろん石川県政も大きな転換期に向き合うことになる。さしあたり、この災害や復興にどう関わるのか、さらには志賀原発をどうするのかも重大な課題となるはずである。
まちの中でも田んぼの畦道でも、二人よれば日本の将来、能登の未来、自分の生き方、そして脱原発のエネルギー政策が語られていたのである。
多くの市民の意識と比較し、あまりにも「小さな選挙」、「虚しい選挙」で終わってしまったと思えてならない。
自分の問題として考えてみたとき
能登の原発計画が凍結していなかったなら
毎日どんな思いで過ごすことになったのだろうと
思い始めました
そして、同じ日本でその大被害をまともに受けている方々のことを思いをはせる時
まだ原発を肯定している方々がいるという現実に心が痛みます
非難をしても泣き叫んでも怒鳴っても何も解決しない
そのエネルギーを新しい創造する力に変えていけばその一人一人の力が大きなものとなることを
人として信じていきたい
と思えるようなりました
故郷を守るために日本を守るために