北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

低投票率・低得票数

2019-04-09 | ニュースコメント

北國新聞(4月8日・9日より)

今回の県議選、投票率低下の傾向が止まらず石川県でも過去最低を記録した。
そんな中、各候補者の得票数を見て驚いたのは5000票台の当選者が4人もいたことだった(ちなみに4年前は2人)。

かつて私が県議会にいた当時(1991~2003年)は、県会議員になるには8000票から10000万票は必要というイメージがあった。それが5000票台とはなんとも時代の変化を感じざるをえない。定数も削減している中、当選ラインが急降下している主な要因は投票率の低下に他ならない。

実は1991年、私が県議選に初当選したときの得票数は7,320票。その時の県議選の当選者の中では最も低い得票数だった。定数2で、自民党の現職2人を相手にかろうじて2つ目の議選を獲得したというたたかいだった。もっとも選挙区の数字に表れた票数は「7,320」でもその背後には選挙区外(県内外)の何倍、何十倍もの珠洲原発反対の声があるとの思いで、当然のことだが当選後の県議会では遠慮なくガンガン発言させてもらった。

今回の当選者の中で最も票数が少なかった岡野定隆志さんも、県内で唯一の与野党一騎打ちという選挙区の中での勝利ということで、おそらくは5,180票の背後にある多くの自民一強批判、非自民支持者の思いを背負って、活動をされることだろう。

ところで、5000票台の当選者がいる一方で、本日の新聞の見出しにあるように7,301票での落選者(白山市の吉崎氏)がいるとも報じられている。選挙区を分けての選挙なのでこうしたことは避けられないが、私が2003年の県議選で落選したときの得票数は9,132票。選挙区の人口減で定数が2から1になったためとはいえ、反原発という思いも込められた数字で、「死に票」というにはあまりに大きく、重い票数だった。私の得票数より少ない当選者が12人いたことも含め、釈然としない思いが残ったことを覚えている。
ちなみにこの年の県議選で最も得票数が多い落選者は能美郡選挙区の沢田ただし氏の9,874票。
大激戦で投票率が上がったことも要因だが、他の選挙区では上位当選となる得票数だった。

わずか16年間で様変わりの当選ライン。
政治離れ?選挙離れ?議員離れ?
一括りでは言えないが深刻だ。


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