北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

カネで切りくずし、選挙や議会へも介入 -関電元社員の証言ー

2020-07-28 | 珠洲原発


昨年発覚した関電の原発マネー不正還流問題は、電力会社と立地地域とのいびつな関係を浮かび上がらせている。
問題は高浜町だけでもないし、原発銀座の若狭地域だけでもない。
朝日新聞はかつての珠洲原発を巡る関電の立地工作をあらためて調査し、当時の珠洲事務所に配属された元関電職員らの証言も得て、珠洲における「いびつな関係」を7月25日、26日の紙面で描いている。
2回の連載記事の内容を紹介しながら、注目したい点と今後の課題を以下に述べたい。

全体を通じて、私にとってあっと驚く新しい事実が明らかにされているわけではない。
ただ、この間「たぶんそうなんじゃないか」「そうに違いない」と思いつつも、推測の域を出ないため公の場で語ったり、活字にしたりできなかったことが、今回、初めて関電元社員の証言で明らかになったことは大きな意義がある。

・保守系新人議員の議会質問にあたり「文案を自らの手で執筆した」と明かし、「議会でしゃべってほしいことは全部シナリオを書いて渡した」とのこと。
・現職市議の一人も「行政として原発を今後どう進めてくのか聞いてほしい、と内容を示された」と認めている。
・質問だけではなく、調査再開を求める請願書も書き、推薦議員まで手配している。
・99年6月議会で可決された「調査の早期再開」を求める決議も「私が書いた」と元社員は述べている。
・「冷静に考えれば自作自演、マッチポンプだった」と元社員は振り返る。

かつて、市の電源立地対策課長を務めたU氏(故人)は担当を外された後、私に対して次のように市内の情勢を分析してみせた。
「珠洲市には原発賛成派はいても原発推進派はいないんですよ」
「推進派議員」ですら、質問原稿を電力社員に書いてもらっているのである。
多くの(約半数の)市民は、原発誘致に賛成か反対かと聞かれれば、地域振興の起爆剤と市長も議員も言うんだから「賛成」はする。
では推進に向けて積極的に(反対派住民のように手弁当であっても)動くかというと、そんな積極的な市民はいない、残念ながらいなかったという嘆きが込められていた。

電力会社は行政と一体となってなんとか「推進派」を育成しようと、推進の住民組織を作ったり「オピニオンリーダー」の研修会を開いたりとそれなりに工夫をしてはいたが、そのための手段があごあし付きの視察旅行では、結果的には原発マネーにたかる住民を増やす悪循環に陥るだけだった。
原発問題はしばしば「住民を二分する激しい対立」と語られるが、電力会社による「自作自演」で対立が煽られた構図を忘れてはならない。

今回の記事では解明されていないことがある。
議会の質問原稿をときには電力社員が書いていたという証言はあったが、では議会答弁は市長はじめ市幹部と電源立地対策課のみで作成してたのか。電力会社とも綿密な打ち合わせの上、議場に向かっていたのではないかと私は推測する。
仮にそうであるなら原作・脚本・演出「関西電力」の珠洲市議会となる。
「そんなことはない!」と私の推測を否定する当時の市職員の証言を期待したい。

連載記事に戻ると、選挙無効でやり直しとなった96年の市長選でも、推進派(貝蔵治市長)当選に向け、関電としても積極的にかかわったことも紹介されている。
具体的には、
・反対派労組への揺さぶり
・立地事務所での電話作戦
が紹介されているが、「反対派の市長が誕生したら計画がつぶれます」という危機感の中、やったことがこれだけだとは誰も信じない。自治の根幹である選挙にどこまで、どんな手を使ってかかわったのか、全体像が明らかになることを期待したい。

連載記事に戻る。
・用地の確保についても、「反対派にしっぽをつかまれないように地面は買わずに借りた。相場よりうんと高い地代でな」とカネによる切り崩しを語る。
・事務所には住民の個人情報をまとめた「名寄せ帳」があったとも語っている。
・関電はいまだに認めてはいないが、大手ゼネコンと土地の買収工作を進め、東京の大物ブローカーの力も頼った、とも認めている。
・「安全と言っても信用してくれない。最後はカネで落とした」との証言がすべてを語っている。
このあたりは、私が入手している賃貸借契約書の写しでも確認しているし、ゼネコン等の介入もすでに裁判などでも明らかになっている。
私たち反対派にとって全く把握できず、また私がぜひ知りたいのは、関電が(あるいは中電、北電も含め)珠洲の立地のためにつぎ込んだカネはいったいいくらになるかというという点だ。カネの使途も、用地の確保だけではなく、視察旅行や日常的な住民の懐柔費(推進派住民のスナックの飲み代やタクシー代等々)も少なくはない。選挙では陣中見舞いを持って駆けつけてることだろう。多い時には関電だけで30人以上の社員が常駐したが、市内の旅館や民宿での長年にわたる宿泊費や事務所の維持費もある。
株主総会では、明細どころか総額も明らかにされていない。

今回、朝日新聞の記者の頑張りと元関電社員3人の貴重な証言もあり、「電力会社と立地地域のいびつな関係」の一端が紙面になったが、「いびつな関係」の全体像はいまだ明らかになってはいない。
3電力間では互いに不信感があり、傍目からみても連携は十分ではなく、統括する司令塔は不在だった。
関電社内でも「同僚とは飲み会の席でも互いに仕事の話は一切しなかった」とのこと。
おそらく立地工作の全体像を把握している人はいないのではないかと私は思う。
当時を知る一人でも多くの関係者の証言が積み重なり、全体像に近づくことを今後も期待したい。





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