北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

総務委員会視察3日目は千代田区へ

2016-06-03 | 珠洲市政
総務常任委員会視察の3日目、帯広からの帰路、最後の3か所目(視察テーマとしては5つ目)に訪れたのは東京千代田区。以下、一日遅れの視察報告を。

千代田区といえばあらためて紹介するまでもないが、国会のある永田町はじめ霞が関、皇居、東京駅、大手町のオフィス街などがあるまさに日本のど真ん中。
過疎・高齢化が進む珠洲市の議員がそんな千代田区に行っていったい何を勉強するのか、東京見物が関の山だろうと100人中100人の方は思われることだろう。

   

向かったのは千代田区の北の端、外神田にある旧錬成中学校。
現在は廃校となった校舎を活用し「アーツ千代田3331」となっている。
千代田区の文化芸術プランの重点プロジェクトと位置付けられた文化芸術活動の拠点であり、多様な文化芸術活動の担い手育成の拠点ともなっている。
珠洲市が来年9月に予定する奥能登国際芸術祭では空き校舎の活用も検討されており、そういった観点からの視察である。

   

プロポーザル方式で選ばれた会社(コマンドA)が千代田区と普通財産賃貸借契約(賃料は月額140万円)を結び、民設民営という方式で運営している。
校舎の中には至る所にアート作品があり(上の写真はエレベーター前)、かつての教室はギャラリーやアトリエ、ショップやカフェ、さらにアート関連の企業のオフィスなどに使用され、運営会社はテナント料収入を得ている。
地域のアート活動団体やアート関係の企業のネットワークも広がり、卒業生はじめ地域住民も参加しやすくなるような工夫が随所に凝らされている。

   

千代田区は昼間人口と夜間人口が大きく異なることでも有名。
働く人、学ぶ人、そして住んでいる人を合計すると昼間人口は80万人以上。
対する夜間人口は、一時期4万人を割り込み、近年は都心回帰の流れもあり5万人を回復しているそうだが、それでも昼の1割にも満たない。
年にわずか数回しか上京しない私にはそこに住んでいる人の姿がほとんど見えないが、実はこの5万人の住民の皆さんが400年以上にわたる千代田区内の江戸文化の守り手、担い手でもある。
ビルの谷間にこんなにたくさんの歴史絵巻が再現されていたとは 

   

   

今も引き継がれる祭りを様々な角度から紹介するここのギャラリー。
祭りそのものがアートだとあらためて実感するが、地域の人たちもこうした企画を通じて祭りを新しい視点から捉え直すきっかけにもなっているよう。

   

さすが千代田区の校舎で、グラウンドは屋上にある。
現在はイベントなどに利用しているそうだが、その一角には貸し農地が。
賃料は一坪で月7千円とのこと。
年間ではなく「ひと月」である。思わず聞き返してしまった。
それでも親子での農作業や収穫体験などの場を求める人は多く、「土地」はすっかり耕作希望者で埋まっているとのこと。

   

こちらははんだづけカフェ。
無料の工作スペースで、こちらもなかなかの人気コーナーとのこと。

   

   

   

あちこちにかつての学校の面影が。
少子化の進展で廃校にはなったが、それでも卒業生は地域に何人もいる。
坪ひと月7000円の家庭菜園を見るまでもなく、この辺りの土地はさら地にして売りに出せば、すぐに億単位の区の収入となることだろう。
他の区では大規模な学校統合を進め、空いた学校敷地を売却して歳入を増加させている例もあると聞くが、千代田区は地域の人の想いを受け止め、たとえ学校が廃校になっても校舎を残すことを基本にしているとのこと。
もちろん単に残すだけではない。
地域の人が再び集まれる場所であり、新しい創作活動の場でもあり、地域の住民の生活の質を高めることが大きな目的となっている。
その目的に沿って運営を任された会社が日々様々な知恵を出し、企画を打ち出している。

「大都会」千代田区の中に、江戸からの伝統文化を守る人たちがいて、現代芸術文化と出会う地域密着の場所として空き校舎が活用され、そこから新しい活動が生まれている。
空き校舎の利活用の具体例としてだけではなく、その運営手法も今後の珠洲市にとって参考になりそう。
何より珠洲の対極に位置すると思い込んでいた千代田区がグッと身近に感じられた今回の視察だった。


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