昨夜、ブラタモリ萩の放映で、忘れていた伊豆「天城越え」を見て、天城隧道に感動して載せます。
4月に「ユネスコ世界ジオパーク」として認定され、世界から注目を集める伊豆半島。首都圏からの手軽なリゾート地として、年間4500万人が訪れる超人気観光スポットです。
天城越えの今では、伊豆の南北を結ぶ人気のドライブルートとなっており、昔から、伊豆を歩く旅人たちを悩ました交通の難所で東海道三島宿から下田を結ぶ下田街道の天城連山の山越えで、江戸幕府が推奨した南伊豆の薪・炭・木材移入に利用していた。
温泉街・湯ヶ島をスタート、伊豆の踊子(映画1963)川端康成、石川さゆり「天城越え」作詞吉岡治作曲弦哲也も滞在した温泉宿白壁荘、女将の案内で、巨石露天風呂の安山岩や女風呂に利用していた200万円前海底火山でできた凝灰岩、25mの浄蓮の滝52万人の観光客、溶岩から染み出す湧き水が12~13度の定温でワサビ栽培に不毛の傾斜地に光を与えた。
標高700mあたりにある『天城越え』の歌詞に、隠れ宿、浄蓮の滝、寒天橋、天城隧道が出てくる。わさび丼を頂いたタモリさん、明治22年に東海道本線が開通、南伊豆の人たちの悲願のトンネルが南北から掘り進んだ446mの天城隧道は明治38年に完成、起点の南に凝灰岩、北には玄武岩3万5000個の石が使われ4年で完成、91才の河津の男性が8才で初めて隧道を通ったと。大正5年には路線バスも走り、よりお伊勢参りも近くなったと鈴木雄介案内人から説明を聞いて、重要文化財の隧道を歩いた。写真は北入口、アーチ型の石積みで中央の微妙な角度の鏡石で完成、yahooより。
1978年の伊豆地震で、普段でも崩れやすい凝灰岩の山道が交通遮断、45mの高低差の河津七滝ループ橋が1981年に完成、タモリさん車で体験、降りてからループ橋を見上げて感動、難所の天城峠の人類の克服の歴史をかみしめた旅であった。
4月に「ユネスコ世界ジオパーク」として認定され、世界から注目を集める伊豆半島。首都圏からの手軽なリゾート地として、年間4500万人が訪れる超人気観光スポットです。
天城越えの今では、伊豆の南北を結ぶ人気のドライブルートとなっており、昔から、伊豆を歩く旅人たちを悩ました交通の難所で東海道三島宿から下田を結ぶ下田街道の天城連山の山越えで、江戸幕府が推奨した南伊豆の薪・炭・木材移入に利用していた。
温泉街・湯ヶ島をスタート、伊豆の踊子(映画1963)川端康成、石川さゆり「天城越え」作詞吉岡治作曲弦哲也も滞在した温泉宿白壁荘、女将の案内で、巨石露天風呂の安山岩や女風呂に利用していた200万円前海底火山でできた凝灰岩、25mの浄蓮の滝52万人の観光客、溶岩から染み出す湧き水が12~13度の定温でワサビ栽培に不毛の傾斜地に光を与えた。
標高700mあたりにある『天城越え』の歌詞に、隠れ宿、浄蓮の滝、寒天橋、天城隧道が出てくる。わさび丼を頂いたタモリさん、明治22年に東海道本線が開通、南伊豆の人たちの悲願のトンネルが南北から掘り進んだ446mの天城隧道は明治38年に完成、起点の南に凝灰岩、北には玄武岩3万5000個の石が使われ4年で完成、91才の河津の男性が8才で初めて隧道を通ったと。大正5年には路線バスも走り、よりお伊勢参りも近くなったと鈴木雄介案内人から説明を聞いて、重要文化財の隧道を歩いた。写真は北入口、アーチ型の石積みで中央の微妙な角度の鏡石で完成、yahooより。
1978年の伊豆地震で、普段でも崩れやすい凝灰岩の山道が交通遮断、45mの高低差の河津七滝ループ橋が1981年に完成、タモリさん車で体験、降りてからループ橋を見上げて感動、難所の天城峠の人類の克服の歴史をかみしめた旅であった。