今朝、11日のごごラジを聞き逃しで聞いた。
我が町四倉駅の西側のセメント工場、八茎鉱山の名がラジオから聞こえ、びっくりして聞き直した次第。本当に懐かしい話である。写真は、少しは昔の面影を残す現在の四ッ倉駅。
ごごラジ2時台、趣味の道・マニアの道鉄の世界へとして、鉄道雑誌元編集長の名取紀之さんの「乗れない鉄道」のお話であった。そのとき、福島のラジオネーム「菜の花咲いた」さんからのお便りで、四ツ倉駅から八茎鉱山までの鉄道で、石灰石を運んでいたという。そこで、名取さんは、玉山鉄道と言って廃線鉱山鉄道で、四ツ倉駅から八茎鉱山まで、3.何キロかの長さで、石灰石を運んでおり、運よく乗せてもらったという。
私も、趣味で、この廃線の後を辿り、玉山鉱泉を通り、八茎鉱山、そして奥の千軒平ダムから西の山道へ、二ッ箭山へ登ったことを思い出す。
我が町四倉駅の西側のセメント工場、八茎鉱山の名がラジオから聞こえ、びっくりして聞き直した次第。本当に懐かしい話である。写真は、少しは昔の面影を残す現在の四ッ倉駅。
ごごラジ2時台、趣味の道・マニアの道鉄の世界へとして、鉄道雑誌元編集長の名取紀之さんの「乗れない鉄道」のお話であった。そのとき、福島のラジオネーム「菜の花咲いた」さんからのお便りで、四ツ倉駅から八茎鉱山までの鉄道で、石灰石を運んでいたという。そこで、名取さんは、玉山鉄道と言って廃線鉱山鉄道で、四ツ倉駅から八茎鉱山まで、3.何キロかの長さで、石灰石を運んでおり、運よく乗せてもらったという。
私も、趣味で、この廃線の後を辿り、玉山鉱泉を通り、八茎鉱山、そして奥の千軒平ダムから西の山道へ、二ッ箭山へ登ったことを思い出す。