ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

ブラタモリ酒田はなぜ日本の中心か

2018-10-26 05:31:40 | 旅行
ブラタモリ、山形・酒田は鳥海山と日本海を臨む年間290万人が訪れる港町。古くは西回り航路の起点となり、北前船の時代に繁栄を極めた場所で、どうして江戸から遠く離れた酒田が日本の物流の中心になったかを探る旅でもあった。

日本三大急流の最上川の橋からスタート。水運と豊富にとれる米、北前船がもたらす全国の産物の恵み、そして酒田港を風から強くサポートする沖合いの風よけ港のとびしまは自然の恵みをたくましく生かした酒田の人々の知恵に迫る旅でもあった。

最上川の河口域を屋形船に乗って川岸を観察していると、古い石垣と船はかつて川を使って行われていた水運の痕跡。上陸して巨大な倉庫の中の米、酒田は最上川流域の天領米を集め、西回り航路を通じて一大消費地・江戸に送り込む重要な場所だであった。

この航路を利用して発展したのが、北前船。米だけでなく日本海側の優れた産物を流通させていた。そこで、繁栄を極めた豪商・本間家の旧本邸は600mの屋敷の広さ。部屋数23の大邸宅と工夫を凝らしたインテリア、北前船の帰り船底に積んだ石が庭に集められた全国の名石。ご子孫も登場して徳川斉昭の掛け軸や加藤清正ゆかりの瓶もご披露されてタモリさんもびっくり!

では、酒田の繁栄を支えた港が一望できる公園に来ると、いきなり吹きつける強風10m以上は年間100日も、しかも海岸はほぼ直線で、風よけもない酒田の港の弱点を克服するところは、沖合39キロも離れた「飛島」。そこには高さ40メートルの垂直で巨大な流紋岩の舘岩は天然の風よけ屏風の風待ち港で、飛島は酒田の港に入れないときの避難港となっていた。

地形と農作物、人間の知恵と工夫があいまって生まれた酒田の港町は江戸日本を支えた港町であった。

ナンバープレース数字パズルに挑戦

2018-10-25 05:37:38 | 問題
福島民報Timeナンバープレース「数字パズル」に挑戦して下さい。

会津若松市では、霜降の前後から特産の会津身不知柿の収穫が始まった。今年は夏の少雨と9月の長雨で例年より3割ほど少ないが、色づきは良く大きさは平年並みという。昔ながらの焼酎で渋抜きして、今月末から11月上旬ころまで出荷されるという。福島のあんぽ柿もお店に並ぶ日が待ち遠しい季節になった。

ブラタモリ江戸に欠かせない宇都宮へ

2018-10-24 05:45:05 | 問題
ブラタモリ、栃木県の宇都宮へ! 東京から新幹線で50分とアクセスも良く、餃子日本一で、多くの観光客が訪れる人気の宇都宮は「江戸・東京にとって欠かせない 街」で、江戸時代から現代に至るまで宇都宮の中心街に、宇都宮の地名の由来になった二荒山神社がある。

神社から景色を見ると、関東が一望できる高台にあり、高い土塁が見事な宇都宮城(宇都宮城址公園)は町の北西部にあり、城下町を歩くと、普通はお城よりも低い場所に作られる「城下町」が、宇都宮ではなぜか城よりも高い台地の上にあった「城上町」であった。

日光東照宮への参道の宿場町で、 また、東北への前線基地で土塁や堀で固めた本丸、しかし、江戸の参道宿場町故に、城主は狭い二の丸に住んでいた。

さらに町なかを歩くと、全て高級石材「大谷石」で造られたカトリック松が峰教会は音響がよくコンサートホールにも利用されていた。この大谷石こそ、帝国ホテルや築地本願寺にも使われ明治以降の東京の町づくりを支えた。我が家の塀もこの大谷石でできている。震災で一部崩れているが倒壊は免れた。

私も大谷石の地下の採石場にも潜入しているが、タモリさんもゴムボートに乗って地底湖探検、地下空間の冷たさを生かして生まれた絶品は夏場のいちご栽培に適しており、とちおとめが美味しく頂けるのもそのためであった。


昨夜の十三夜

2018-10-22 05:52:30 | 祭り
昨日21日は十三夜の月栗名月であった。本格的な収穫祭は十五夜より、十三夜の月が見れるチャンスが多い。

昨日の福島市月の出15:26、入りが1:59で、写真の月はいわき市で16:30の撮影である。

栗ご飯は十五夜にお供えしたので、昨夜サツマで祝いました。運よく、20日登山仲間のO氏からサツマとブルーベリージャムが届き、お礼の返信で、いわきから3時間かけて、夕方7時半南会津の田島で、味噌カツ丼を頂き、明日21日南会津の山開きに参加するという。昨日は天気も良く、紅葉の登山を楽しまれたことでしょう。