6/25(火) 五時ごろに目覚める。昨夜は渋谷「奈加野」から「mr.Kanso」で軽く飲んで帰宅した。相手は後輩のK氏であった。程々に切り上げたので体に酒は残っていない。
先週末にK氏から連絡を貰い、会いたいとのことであったが、生憎北へと旅立つ予定があり昨夜となった。一杯やりながら一緒に仕事をした当時のこと、最近の情勢などを話していた。が、K氏が話をし、訊きたかったのは人事異動に係ることであった。最近異動の話が出ているとのこと。
彼が悩むのは、現在の仕事に想いがあることのようだ。私にはどうしてやることもができないが、サラリーマン時代の経験などを話した。上司とよく話をし、自分の想いも伝え、心の整理ができたらいいね、と云った。
彼と一緒に仕事をしたのはふた昔も前になる、今じゃ私の方が仕事で世話になっている。幸せなサラリーマン人生を、納得のいく人生を歩んでほしいものである。
六時前から散歩に出た、近隣の呑川緑道などを一時間ほど歩いて帰宅。緑道のクチナシやカンナ、アジサイを撮った。アジサイ中でも、私が好きなのは額アジサイであるが、この花もそろそろ終わりか・・・。若き時代、鎌倉の明月院へと通ったものだが、近頃はご無沙汰だ。
散歩から戻り、弁当を作ることとなった。時間の制約もあるので、今朝は「オムライス」と云うことにした。
チキンを解凍し、タマネギ・人参・ピーマンなどを刻む。菜は無くてもよさそうなものだが、人参・ズッキーニ・ジャガイモ・アスパラなどで温サラダ、そして豚小間とキャベツの炒めものを添えた。
家人と長女、末娘の三人分を作ったが、オムライスが余った。今朝は久々にスムージーをと思いながら、弁当の余りを食してしまった。
稚内で・・・
稚内のことだが、昨秋情報誌の仕事で稚内。上勇知の農園「悠遊ファーム」を尋ねた。この時にシニアのボランティアを垣間見、オーナーの渡部さんの考えに共感した。
最近農業に関心を強くしているTugawaさんにファームのことを伝え、一度体験農業をするように勧めたのだ。そんなことから、Tugawaさんは今月中旬から二週間の予定で稚内へ行ったのである。
勧めた以、上元気でやれているのか、楽しんでいるのか気掛かりであった。それに札幌の友人、T女史やその軍団とも厚誼を結びたかった。それやこれやで、北に向かったのであった。
土曜日の三時前、ファームに着くと隣接する農場で鹿除けのポールを立てっている処であった。広い畑の向こうでTugawaさんは、他のメンバーと一緒に働いていた。
三時に仕事は終わり、渡部さんの案内でサロベツ湿原にエゾカンゾの花を見に連れて行ってもらう。戻ると風呂に入れと云う。懐かしきあの「五右衛門風呂」に浸かった。
その夜はバーベキュウとなった。手作りのバーベキューハウスで炭を熾し、マトンや生ラム、野菜を焼き酒を飲む。札幌在住の常連さん夫妻が現れた頃にはすっかり出来上がっていた。
日曜日、ボランティアスタッは休日となる。早朝、勇知駅の辺り散歩してから朝食。たっぷりの朝飯を頂いた。この日、朝から風が強くて肌寒かった。「稚内は風が強いのよ」と誰かが言った。
一日に五本しか電車が止まらない本線の駅「勇知駅」から、11:27分発で稚内へとTugawaさんと向かう。ここの駅舎は、古い列車の一両である。他には何もない駅。駅舎(と云える代物ではないが)の前に、小さな花壇が設えてある。見ると地域の老人クラブの名が冠してあった。
ホームから線路越しに見えるのはイタドリだが、これが四国辺りで見るのとは大違い。北海道ではイタドリを食す習慣はないようだが、さもあらん。身の丈3mにも及ぶ大きさで茎もやらた硬そうであった。イタドリというより竹だな・・・。
一両だけの電車に乗り、三駅目の稚内に着いたのは丁度昼であった。片側だけのホームと一本しかない線路、そこが最北端・終着の駅であった。
買い物を済ませた相棒と昼酒のやれる店を探す。アーケード街はシャッター街の様相で店を探すのに一苦労。相棒が先の休日に入ったという店にした。なんと中は満席に近い状態、観光客が多そうであった。
この店のカウンター(それしか空いてない)で、ビールをやりハイボールをやって、農場暮らしを尋ねる。「来てよかったよ」と、言ってはくれたが・・・。
五本しか電車はないので、私が空港に向かう前に出る電車に乗るように進めた。渋る相棒を無理やりホームに向かわせた。後ろ姿が侘しそうに見えたのは、私の考えすぎか・・・。
15:40稚内発、羽田行で機上の人となった。過ぎてみれば束の間のことだが、充実の束の間であった。