オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

鉢形城&鮎飯

2016-12-26 | Weblog

12/26(月) 今年の業務も本日を含めて三日となった。その土壇場になってトラブル連発、それも同じ案件でとなると「社長呼んでこ~い」と言いたくなるが、その当事者が俺じゃ二進も三進もいかねえ・・・

年末も押し迫った中の昨日、埼玉県寄居町にある古城跡「鉢方城」に行った。特段の城マニアでもないし ― 古城跡に佇み古を偲ぶ ―なんて、懐古趣味は持ち合わせていない。が、嫌いでもない。

鉢形城のことはネットで検索して貰えばすぐにわかる。この城が最後の大舞台となったのは、豊臣秀吉が天下の覇を握らんとする最後の大戦小田原攻めの時だ。その時の鉢形城主は北条の四男が養子として入っていたそうだ。ここを七万の豊臣勢が囲み、一月余も抵抗の末に降伏。守った側の兵は三千だったとある。

余談ながら、この城を落としたのちに「忍城」攻めとなるとか。その忍城を水責めした土手跡や新築の忍城(模型だな)らしきものを見に行ったのは、昨年の夏だったか。この時は鴻巣・本庄から行田と廻り、食い物は「鰻」だった。今回の城跡を散策した後のお楽しみは?な・・・・。

家を出たのは日曜日の九時前。赤羽から高崎線に乗って着いた処は「熊谷駅」、10:30分前の到着。ここで待ち合わせたのは、前回の忍城&鰻と同じメンバーのYOSHIO&FUJIKURAの両名。前回同様にちょっと心配ながらも、埼玉人のFの運転する高級車であった。案内役はFである、後部座席は余計なナビゲーションをするY。大人しい小生は、事故った時の生存率が一番低い助手席へと促された。

熊谷駅南口ロータリーは、日曜日の午前の所為か空いている。否、何時もそうなのかもしれない。Fが慎重にハンドルを握る赤い車は、一路鉢形城址へと滑り出した・・・。とまあ、こんな具合に記していると明日まで書いてなくちゃならない。以下省略するが、後部席からのYの頓珍漢なナビの煩かったこと・・・。

              

寄居町を流れる荒川沿いの絶壁に残る城址に着いたのは11:20分。城周辺の案内が不十分で、右往左往してしまう。加えて、着いてみるとただの原っぱなのだ。そこに、発掘調査によるものだろうが、若干の段々や凹凸があるだけ。絶壁を背にした本丸の在った場所からほど近い処に、田山花袋の歌碑が建っているのだが、これを探すのにひと苦労した。

                      

                             城址から京亭が!

この城跡にひかれたのは、七万の大軍を三千の守備で一月も守ったところ。その要衝は荒川の絶壁を背後の建ち歴史の一ページを飾ったと紹介されているが、このことを知ったのは池波正太郎のことを書いた「男のたしなみ」とか云う本による。

                      

                            京亭の庭から望む

池波正太郎が執筆の為に訪れた際の宿が、「京亭」(ボートじゃないぜ)という、城跡から荒川越しに望める小さな料理旅館だった。ここの名物料理が”鮎飯”で、作家は大いに気に入り通いこの店を秘密にしろと言ったそうだ。それじゃ俺たちも行ってみようぜ、とこの日の遠征となった次第。

昨年につづき今回も、城と川魚(鰻から鮎だが)である。予約を入れた時間、13時丁度に京亭に着いた。荒川沿いのここは隠れ別荘の趣で、料亭らしくない。そうなんだ、ここを建てたのは「君恋し」や「祇園乞小唄」などを作曲した佐々紅華さんが、この地を気に入り昭和7年に建てたとある。 

戦後、後を継いだ姪が料亭をはじめて、料理が名物となった。その鮎飯を大いに賞した一人に池波大先生がおり、若輩の我も知ったと云うことだ。

建築当時のままの建物で、畳を歩くと根太が鳴るようなところもあるが、荒川と向かいの城跡を借景にした眺めは格別のものがあった。YもFも大満足で、名物の「鮎飯」を三杯も喰いやがった。俺は二杯で押さえましたよ・・・・。

料理は、「鮎煮浸し(甘露煮にちかい)」と珍味「うるか」が最初に供され、これで生ビールを・・・。小芋や煮こごりの先付、茶碗蒸しに刺身に小鉢、鮎塩焼きがあり、最後にお待ちかねの「鮎飯」が登場した。鉄鍋がでて、蒸れるまで暫し待つ。そして鍋蓋を取ると鮎が3匹乗っている。ご飯は3合とのことで、薬味の分葱と大葉の刻みを鍋に入れて混ぜ合わす。

              

出汁の利いた香りがたちのぼり、何とも食欲をそそる。鍋底のおこげもほど良い加減に焦げている。釜飯のおこげは何とも言えぬ味があるのだが、Yはこれを知らないと言う。おこげを知らないとは余程の金持ちか貧乏、どっちの生まれだ

両人とも朝飯を控えて、この鮎飯に備えていたと言う。道理で、よく喰うこと・・・。それだけ美味しかったのだ。食い物を誉めない吾輩も『ウ~ン、美味いね』と唸った。

 オイラも今年、鮎飯を四度ばかり作ったがこの味には脱帽した。それに鮎はシーズンが過ぎたので静岡産の養殖鮎という。道理で骨が柔い、鮎の身も柔いが、出汁の利いたご飯が美味いのだ。レシピを訊くと「昆布だしと酒・醤油だけです」、のこと。何処かに秘訣があるだろうが・・・、年末始に帰省するので、この味にチャレンジだ

景色よし、雰囲気善し、味よし、お値段良しの四拍子揃い踏み。因みにここではクレジットカードは使えない、勘定を頼みいざ支払いと財布をみると・・・なんとなんと、まったく足りない。お金が二万円足らずしかない  。私的には、四枚ばかり大きいのが入っていると・・・、何でだ?

請求書払いも出来ますと、最初に聞いてはいたが、予約客とは云え一見がそんなことは言えない。こうなりゃ、15:25分発走の有馬記念の結果を待つしかねえか?然し、この馬券も俺とYじゃ連敗街道だから期待はできない。こうなりゃFが頼みだ! 

流石だね、有りますからと財布から三枚、大きいのを取りだした。これで事なきを得たが、上手の手から水が漏れると云う諺があるが、俺の財布から札が漏れるとは知らなかったぜ・・・・。

お~い満腹だぜ、と言いながら京亭を後にした。行先は川越駅、Yとオイラはそこから電車で帰る。三連休の帰り、道路は渋滞気味がつづく、生ビールとハイボール、心地よい揺れにうつらうつらしていると、車が止まった。時計は、有馬記念の発走時間になっていたのだ。

さて今年の最後のチャンスや如何に…、ファンファーレが鳴り愈々ゲートイン。スターしました・・・・、一コナーを廻り予想道理の展開だ・・・ったが、最後の伸び足が、一着二着はいい、処が三着が違う。予想屋YOSHIOが指名した馬は四着に・・・・。今年最後の運試しも・・・、逃げた要望と運は帰っちゃ来ない。川越に向かう車内の声は、心なし低くなっていた・・・。

そんなこともあるさ、と気楽に言うが。こんなことばっかだぜ! どなんにしてくれるねん!(急に関西風だっせ)。と、楽しい一日を過ごしたのでありました。

 

今朝、年賀状をポストに入れた。あとは元旦を待つだけだ。これが終わるとホッとする。私的年賀状は350枚、この枚数はこの十年程変化なし。増える枚数分だけ減るのがある。そう、ご当人がなくなるのだ。今年も何人かを見送った、私の番はどうなってんかな?

 

さて今朝の弁当は二つ。今日は「トンカツ」と「粕漬け焼き」に卵焼きだが・・・。

                          

米二合を炊飯器にかけてから菜に移る。トンカツは豚ロース、これにタマネギとスナップ・人参薄切の素揚げ。粕漬けは、ギンダラとホタテ。卵焼きは、万能ネギを刻んだ味付けにした。食材だけは何種類かあるが、今日はこれだけだ。

                       

 

 

 

 

コメント
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