12/10(土) 前夜の賑わい大騒ぎから一夜明けた今日、二日酔だね~。昨夕、五時過ぎに越中のおじさんライダーMURAI君が、つづいてUSUI老が会社に来てくれた。二人を引き合わせ紹介した後、酒場へと向かった。
向かいながら、今日はオイラの誕生日でネ、明日が誕生日のYOSIOと二人で誕生祝をすることになってのよ、YOSHIOは仕事が終わったら来るだろうと今宵の計画を明かした。MURAI君が来てくれたので、彼と同郷で隣のHOSOKAWAも呼び出した。向かった店は「ちょっぷく」である。老がご指定する「高松」は、店主の同級会とかで貸切になっていたのだ。
この夜も「ちょっぷく」は満席状態が長くつづいていた。何時もなら、早めに切り上げて席を空けるのだが、この夜だけはそうはイカンザキ。老にシンちゃん(MURAIくんのことだ)、遅れてHOSOKAWA が参戦。富山組は田舎の中学校のことや知り合いの名前をだして、誰それがどうのや、実家や田圃の始末をどうこうと、田舎者どおしならではの話が尽きない。HOSOとシンちゃんの姉が同級生なので、シンちゃんはHOSOのことは少し知っていた。
昨年の秋、私はシンちゃんの実家に泊めて貰った。その折に、隣のHOSOKAWAの空き家になっている実家も見てきたのだ。二人とも立山町なので、平野部の田舎である。山の中の私の田舎とは趣がことなるが、過疎化は同じである。実家の始末、田畑の担い手と課題は同じだ。
そうこうするうちに、YOSHIOが到着。更に、HOYA兄いも参じた。騒がしく飲んでいると、常連のフナッシーとマッチャンも現れて「おめでとう」と云う。その頃には、相当酔いがまわっていたか・・・。今考えれば、フナッシ―も越中の産だった。確か、氷見だか高岡と聞いた。それにHOYA兄いも姐さん方から「しんちゃん」と呼ばれていたとのこと。いろんなことで共通点が有るのだが、飲んでいる間は全く思い出さなかった。
HOYA兄いが暫らく席を外した、戻って来ると小さいながらも花束を持ってきた。「きもちきもち」と言いながら、グラスを持ってきてそれに刺した。気働きとフットワークの良さは流石。姐さん方から「しんちゃん、しんちゃん」と、かわいがられたのも頷ける。YAMAちゃんが、新酒をサービスで出してくれたが、これが利いたネ!
二人のシンちゃんと、お花!
大いに盛りあがったが、そろそろ次の店に行かなくちゃ・・・、と「ローカーボ」に移動。この時は完全に出来上がっていたな。ローカーボのカウンターには、NAKAMURA大将・悪徳マッチャンと常連が、更に紅一点のチーちゃんの姿が。なんと、チーちゃんに奢ったもらった・・・ 。
この後から記憶が途切れているが、ローカーボから「セイジュ」へと六人で流れた。カラオケでも唄おうとなったようだ。セイジュのママさんには、私は一万円しか払ってない、六人で一万円じゃ、怒ってるかも・・・・。ここに一時間ほどかな?覚えてない。セイジュを出てから、YOSHIOと二人が残り、再び「ちょっぷく」に毎度った。
「ちょぅぷく」を出る時に「帰りに来いよ」と、YAMAちゃんとチーフからきつく言われていたんだ。それだけは覚えてたんだな・・・。
戻ると、またしても白ワインと新酒が出たようだ、写真を見るとだが。それに、ケーキが用意してあった。ご丁寧に、オイラとYOSHIOの名前まで付いている。ローソクに灯が点いて吹き消したようだ。記憶にないが写真で見るかぎりそうなっている。そしてこれを食べたとのことだ・・・、これは今日のYOSHIOの証言だ。
酔眼朦朧・・・・・・
とまあ、皆さんからお祝いをして頂き楽しく賑やかな宵から夜となったのである。人形町を離れられなくなるのも頷けよう・・・・。忘れていたが、昼間は誕生日ネタで悪徳チャンに、お茶と一人分のランチセットをYOSHIOと二人で馳走になっていた。
帰宅は当然午前さまであった。今朝は二日酔い、二日酔いながら朝飯を作り(オムスビ)、味噌汁とビールを飲んだである。鉄の胃腸か?