12/8(木) 昨夜は早目に家路について晩飯を作ることにした。食材を贖いに富山館と島根館を廻って、糀味噌・白味噌に昆布巻き蒲鉾と蜆と椎茸等を整へた。白味噌は来たるべきギンダラの味噌漬け用である。そして、コレド室町に売店を出したアナゴ料理の名店「玉ゐ」に寄って、一つだけ残っていた”太巻き”を所望した。買い物を終えて、日本橋から人形町まで戻ると、六時半になっていた。
帰るにはちょっと早い、そこで「ちょっぷく」で安ワインを二・三杯飲って行くことにした。店に入るなりYMAちゃん店長に『俺の帽子、買ってきたか?』声高に問うた。「其処に載ってるよ」と目の前で摘みを物色している客を指した。その客が、頭に載せているフェルトの帽子をチョイと上げて振り向いた。”なぎら けんいち”さんだった。
帽子と言ったのは、人形町通りのビルの一室で帽子のセールが昨日から始まっていたからのこと。夏場のセールで、YAMAちゃんが買った帽子を一つ貰っていたのだ。今度は冬用の帽子をと、云う意味である。が、丁度そこに何時も洒落たハット姿の”なぎらさん”が、居合わせたのだ。前に二度ほど、ここで飲んでいるので気安いと云えば気安い。
酒場をレポートして仕事になる”なぎらさん”から「毎晩飲んでるの?」と訊かれたので、控えめに『おおむねネ、安酒場で』と応えた。彼はひとあたりがいいので、居合せた客の求めに応じて写真を撮ったり、話をする。その姿を見て、芸人にならなくてよかった、ゆっくり酒も飲めねぇからなと思う私であった。
この夜は白ワイン、そして店長お奨めのボジョレヌーボを飲った。ボジョレの解禁日から、今年の良いと言っていたのが店長。それを聞いて、飲ませろと言ったが、漸く出てきたのだ。『どうせマイバスの安いのだろう」と云うと、ご名答だ。それでも、程々の渋みとこくがあって飲み易かった。
ボトルを持って行こうとするので『ケチケチしないで置いとけ』と、後は手酌で注ぎ飲むのであった。三週遅れのボジョレとなった。三年ほど前まで、毎年ボジョレとドイツのスパークリングワインなどを取っていたが、それも止めてしまった。三年ぶりのボジョレ、ほぼタダノミか・・・・。
「なぎらさん、きてるぜ」の一報を入れたので、マッチャンとHOYA兄いも参じたが、オイラは一足先に失礼した。今夜は飯を作るのだと!
九時に帰宅、そこから蜆の味噌汁を作った。酒の後の、蜆汁はいいのだ とばかりに。
今朝方の夢は面白いを通り越して魑魅魍魎の世界か。まったくもって妙な夢が最後にでてきた。このての夢を初めてみたように思う。で、簡単に紹介しょう・・・。
シーンはどこぞの河原か原っぱ、バーベキュのようなことをしていた。メンバーは私を含めて四人だったか。鉄板の上で焼いている肉らしきものを、誰がどこの部位を取るかでじゃんけんになった。勝った後輩が自分が食す部位を選んだのが、一番ふっくらとした部分で掌だった。一番最後になった私は指になった。
ナベ奉行ならぬ、焼き方奉行の私は『おーい焼けたぞ』と。声を掛けて、其々に分けた。指になっている私はそれを齧りながら「骨ばっかりだな・・・」と齧った。
食べているのは手、人間の手なのだ。それも私の左手なのだ。見ると、私の左手の手首から先は、なかった。が、痛くもなければ血も出ていない、手首から先がないだけ。尤も焼いている段階から自分の手であることを承知していたのだ。今、こうして自分の指先を見ても、たしかに肉はついてない骨っぽい。掌の方は豊かだねぇ~。
そんな夢から醒めて、弁当作りとなlった。今日は一人分、家人用だけである。今日の弁当も肉はなし、魚系が中心となった。余談ながら、明日は焼肉だぜ!
小さなブリの切り身が二つ。これを酒・醤油の出汁に漬け置いてから、衣をまぶして炒め焼きにする。が、焼くのはこれが一番最後となる。その前に冷凍イカをバターソテー、付け合わせのシメジ・エノキ・サヤエンドウを先に塩胡椒味でソテー。
冷凍の「ホタテシンジョウ」を捏ねて平たい団子状にし、これをフライパンで焼く。卵焼きを作り、ブリをソテーしてお仕舞。
開戦記念日の丸弁当?
菜は余る、飯は炊き立てのほっかホカ。これじゃ飯を喰えと言われているようなものだ。この米は、粘りと甘さがあって美味い、これをちょっと固めに炊くのが好みなのだ。上手い具合に炊きあがった飯、好みの味付けをした菜がある。ついつい喰っちまうのが人情と云うもんだ。そんな訳で、ニ杯もご飯を頂いちまった。夢の影響なんぞ、全くないね・・・・・。