12/7(水) 記憶では明日の12月8日は、先の大戦が始まった日であるはずだ。軍民問わず、数多の犠牲者がでたが、既に七十余年もの過去になった。ニュースによれば、総理大臣として初めて真珠湾を訪れて献花をするとのこと。遅きに失する感はするが、私は歓迎する。過去は恩讐の彼方へ、相互平和の確たる礎になることを期待するのみ。
隣国とも斯様なことになればいいのだが、過去の歴史を蒸し返し相互不信の状況は未だ未だつづきそうである。諺にも、遠くの親戚より近くの他人と、頼りにし、なるのが隣近所のはずだが、そうならない例も枚挙に尽きない。半ボケの頭で考えるだけ無駄なことと、諦めるか・・・・。
個人的には、隣国の人々との友好親善、経済活性に些かの協力・支援をしてきたつもりであるが・・・・・。それも過去のことだ。
さて、今週のイベント第一回は昨夜であった。渋谷・宇田川町のとあるライブハウスに先週お会いしたアラフォ -情熱ドリームと云うチームだった- が、出演した。その前夜、ローカーボのカウンターでNAKAMURA大将からそのことを聞かされ『同伴しますよ』と、言った記憶が微かに残っていた。そして昨夕、大将から「何時に出ますか」と、連絡を貰ったのだ。
寒風の中を二人で渋谷へ、ライブハウスのある場所は宇田川町なので察しがついている。「奈加野」の前を通過しながら『何時も使う店ですよ、帰りにここで一杯やりましょう』と誘った。
肝心のライブの方だが、狭い会場には年嵩の面々が多かった。この夜の出演は四組か?情熱ドリームの出番は二番目、七時半からと予定されていた。チームの音楽&演出のSATO氏やリーダーのオネエサンに行き会い”こんにちわ”の挨拶を交わした。
暫くして最初の幕が上がった・・・・。どうみても小学の高学年、或いは中学生とおぼしきアイドルたちが、大音響のマイクを握って狭い舞台上でハネテ踊った。大将は「うちの孫もヒップホップをやるんだよ」と愉しげ(後から、あの音量と振動で腹が減ったと告白した)。大将の孫とさして変わらぬ年齢であろう。
それにしても、舞台の前で腕を振り、突き上げる客(ファン?)の年齢層はかなり高い。オイラは、こいつらはロリコンじゃねえかと思ったぐらいだ。まあ、ああして舞台にあわせて発散するのも、ストレス解消には役立つか。ストレスのないオイラには、無縁のことだが。
このステージの後が「情熱ドリーム」だった。アラフォチームの年齢は30代~60歳と紹介があったが、アイドル風の衣装が何かもの哀しく思えた。以前、TVや新聞の取材を受けたとのことなので、或いは覚えている方がいるかも。
歌と踊りを四曲だったか、三十分ほどのステージであった。前のチームとのコントラストか、もの悲しく思ったのはオイラだけだったらいいが。大将は、、このネタは三年使えると大喜びであった。 「おもしろうて、やがて悲しきアラフォかな」 詠み人知らず・・・・。
情熱ドリームの舞台が終わり、そくさくとここを後にした。目当ての奈加野まで、2~3分である。ここで、あれこれと話を聴きながら三時間近く居たか。稔りのある会話であった。帰宅は、23時を過ぎていた。
今朝の起床は6時丁度、今日は二人分の弁当ながら食材の方は乏しい。乏しい中で何を作るか?何時もコッテリしたものが多い、今日はシンプルにいこう!
そんな訳で先ずは煮物から。大根&油揚げに小松菜の煮物を一番先、じゃねぇ二番目に仕込む。一番は、土釜炊きのご飯だった。
ついで、日曜日に仕込んだサワラの粕漬けと鮭を焼く。そしてフライパンが出てきて、身が厚い椎茸とホウレンソウのバターソテーを。この椎茸がまっこと旨い、もっと買っときゃよかったと思ってるぐらいだ。
最後にオムレツ風の卵焼き。具は、シメジ&タマネギスライス&ベーコン少々をバターソテーしたもの。
以上であったが、昨日の残り飯をバター焼きめしと云う塩梅にした。チャーハンにしようと思ったが、卵が切れてしまったのだ。長女の弁当は、この焼飯と土釜炊き立て白飯の二色弁当にした。今日の菜はシンプルだが、味付けの方はかなりしっかりしているはずだ・・・。
今週のイベントは、金曜日のUSUI老の登場と、YOSHIO&MASANORIの合同大パーティin「ちょっぷく」かな?