7/25(水) 昨夕、三十年近くも前に職場を一緒にしたAJIROさんが人形町まで来てくれた。毎年手作りの七味を送ってくれるが、二年ほど前に新宿で会って以来である。今月末で会社を辞めると案内をしたので、急遽来てくれたのだ。先週末来てくれたSさんといい、かつての仕事仲間や友人が訪ねて来てくれるのは嬉しいものだ。
どの店にしようかと迷ったが、以前にも案内した「高松」に落ち着いた。遅れて、前夜も一緒だった佐賀のO氏も予定がないとのことで姿を見せた。二人を紹介し、金魚割をグイグイと飲った。摘みにはシロイカ・タコ・〆イワシや最近はまっているアスパラ&ベーコンなどであった。
来月の九日、現スタッフや辞めたスタッフの何人かにも声を掛け、高松で一席持つ予定をしている。常連さんが多い店を貸切にするのは気が引けるが、今回だけは勘弁願うしかない。
この夜の二軒目は、これも前夜につづいて「セイジュ」である。AJIROさんの唄を久々に聴こう、二人で「人情松の廊下」を唄おうという趣向である。暫くしてHOYA兄いが、上司のMAMIYA老を誘って現れた。愈々カラオケ大会の幕開けだ!。
アジー(AJIROさん)は、「座頭市~夜桜お七」と絶好調で唄いまくる。AJIRO節の炸裂に負けじと、MAMIYA老もO氏もマイクを握る。歌は当然、演歌縛りさ。HOYA兄いは皆の選曲に大わらわ・・・・。
「刃傷松の廊下」(真山一郎の唄)も勿論やったよ、滅多に唄わないママと「昭和枯れ芒」をデュエット、夕焼雲・港町ブルース・・・延々と唄がつづくのであった。
とうとうアジーがカウンターにもたれ掛った。何時もながらの居眠りが・・・・、と云うことでお開きにした。彼の住いが青梅線のあきる野市なのだ。遠~い。そんなことや、多忙もあってよく会社に泊まっていた。そんな良き時代にサラリーマンができて幸せだったいえる。
アジーをタクシーに乗せて東京駅に送り、三人は「ちょっぷく」で最後の仕上となった。8月4日、YAMAちゃんや常連のメンバーを案内し「うまし」「セイジュ」で、人形町ありがとうの小宴をやる。高松の女将や嫁は花火大会に呼ばれているとのことなので、十人程度の会であろう。お盆前までは、なにかと落ち着かぬ日々がつづこう・・・・。サラリーマンを辞めた時のことに比べれば、なにほどのこともないか。
帰宅は23時20分だったはずで、買い物もしなかった。シャワーを浴び、床に就いた。
今朝は六時前の目覚め、されど弁当の準備に入ったのは七時前と遅い。既にメニューは固まっていた、蒲団の中で考えていたのだ。
ミツカンの「五目釜飯の素」に、少し手を加えた釜飯を炊く。義母はこの手のご飯が好みのようだ。前日の鯛飯も平らげてあったようだし。菜の方は、出汁巻卵と、胡瓜の塩麹揉み、冷凍食品のハンバーグで温めるだけ。最後にメカジキのソテーであった。
明日から30日まで帰省する。母は輸血のために、安芸市の県立病院に入っていたが、明日の午前中には地元の小さな病院に戻る予定だ。輸血で少しでも元気になり食が進めばいいが・・・・・。
帰京後の翌日、31日は会社の34期の〆。そして、私とTUGAWAさんは辞任の日となる。