オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

専ら野菜をベース

2018-07-23 | Weblog

7/23(月) 終末の土曜日、午後から出社して書類の整理を始めた。古のことに例えれば、松の廊下の刃傷沙汰で獲り潰しとなった播州・赤穂城の明け渡しのようなものか?、ちと、例えが大仰だが。

後、一週間で私の席を明け渡すことになるが、辛うじて切腹だけは免れている。刃傷松の廊下と云えば、AJIRO氏の唄が浮かぶ。氏の唄うこの歌は絶品だが、最頃のスナックでも聴いたことがない。明日、氏が人形町まで来てくれるはずで(忘れてなければのことだが)、となれば「セイジュ」辺りでこの名曲が聴けそうだ。なんといっても、セリフがいい ― 各々方 お出会いそ~らへ・・浅野どの刃傷でござる・・・放して下され梶川殿 武士の情けをご存知ならば その手放していま一太刀 討たせてくだされ梶川殿・・ ― なんて。アジィーとこの歌を唄ってから久しい。

土曜日の夜、出社していたYOSHIOを誘って「ローカーボ」で軽く飲んだ。ボートレースの話になり「今、平和島はG1レースが始まってるよ」なんて、YOSHIOが余計なことを耳元に吹き込んだのだ。遠ざかりつつある競艇だが、この一言で奈加野のオヤジに電話をしていた。ハイボールの酔いがほど良く廻っていたに違いない。

『オヤジ、G1レースが始まってるらしいよ。久々に行ってみようか ? 』なんて。オヤジのことだ、そう云えば行くというに決まっているが。そんな次第で日曜日の午後、クソ暑い中をオヤジの車に乗り平和島に向かった。出掛ける前は、失敗したなあんな電話しなきゃよかったと反省していた。

流石にG1レースだけあって、客の姿が多かった。最近はボートレース場に来ても全く燃えない、勝とうと云う気も起きないのだが。場内に入るなりオヤジとは別れ、夫々にレースに臨む。この日は7レースから始め最終の12レースまで遊んだが・・・。

 残念ながら二勝四敗と云う結果に終わった。勝負毎でレバタラは禁物だが、最終レースだけは惜しかったねぇ~。一着二着の読みはドンピシャだったが、三着が・・・・。賭け事ではしょっちゅうのことながら、もう一つ手を広げれば大金星でウハウハだったのに・・・。よくあることだ。二勝しかできなかったが、収支はプラスに終わった。トータルで負けない習慣がつくことが肝要也。

 

そして今朝、二度寝をして起床時間は七時前と遅かった。意味不明な夢を見て夜中に目覚め、汗に濡れたシャツを着替えてエアコンの設定を低くした。そのお陰で眠れたが、遅い起床になった。

今朝の弁当は「トンカツ」と「鶏肉と根菜の煮物」、「胡瓜の酢物」に卵焼き代わりのチジミである。私の朝飯は、この二十日余り野菜が中心である。ご飯は殆ど避けているが、食べたいと思わなくなった。菜の方だけはお味見程度に口にする。夜遅くに帰宅して飯を喰うのも止めた。お蔭でベルトの穴が二っ三っ短くなった。

               

この調子で、後3~4キロを減らすことが出来れば体の調子もよくなろう。そして、来月からは徐々にジムにでも行くようにしたい。なんといっても時間ができるのだから・・・・。

今日のランチは大井町で前監査役のKURAKAMIさんとご一緒した。といっても、私はシ―ザサラダとアイスコヒーに留めた。前監査役には十年ちょっと会社の財務などの御意見番や取締役・監査役をお願いした。挨拶状が届き、ご懸念があろうと、ことの経緯を含め説明をするために時間を貰った。

ここ三年ほどで体力が落ちたようで、歩きぶりがよくなかったが、毒舌と云うか苦言諌言は以前どおりであった。氏に見えるもの見ているもの、私に見えるもの見ているもの、この違いは致し方ない。歯がゆい思いをされたことであろうが、意見は意見として聞きながらも、私は私のやり方で行くしかない。全ての責任は私が負うのだから。

その結果、今期限りで会社を去ることになったが、それも自己責任である。悔いることも恥じることもない、新しい明日が始まるのだから・・・、こんな目出度いことはなかろう思っている。

前監査役との歓談後、横浜に事務所が在る某独立行政法人の理事長W氏を訪問した。かつての上司であり、サラリーマン時代の会社のVPまで務めた方だ。ほんの少しばかりだが、仕事でお世話にもなった。挨拶状だけで終わらせては義理が立たないと。

外の気温は39℃とか言われた暑さだが、白いジャケットに淡いピンクの長袖シャツ、黒いズボンに薄茶のツートンの靴、といういで立ちで伺った。「若いかっっこうだねぇ~」と、予想どおりに言われ。業界人ですからねぇ~と、これも想定どおりに応えた。

四月から理事長に就かれた、その独法の機能や役割などについて一通りの話を聞いた。講釈が好きなタイプの方なのだが、聞いているだけじゃ厭きる。年俸はどうなんですか?これまでの倍になったでしょう?とか。チャチを入れ、語り草になっていた『相変わらずビールはだめですか?マック食べてますか? 』とか、三十年も前のことでジャブを打っのであった。

人と人を比較してもしょうがない、夫々の人生と生き方があるのだから。されど、比較することで客観性が生まれる。炎天下の道を駅に向かいながら、何時しか今しがた会ってきた方と、この方の前任だった部長の違いを考えていた。

今しがた会った方は、目下には全て自分が全知全能であり、そうであると云う態度と言葉で向かう ― そうありたいと云う願望がそうさせるのか ―言いかえれば教師の立場で。仮に、前任の方をN氏と呼ぶが、N氏は一緒になって考える。先生じゃなくて、仲間として考え、共感共鳴する。この違いが距離感となり、慕うファンの数の違いなのか?そんなことが浮かんだのであった。これも、熱射の為せる白日夢かもしれぬが。

我が身を振り返ると、教師にも真の仲間にもなれぬ、半端な我が人生である。遅かりしの誹りは拭えぬが、我がこととして留めておきたい。

 

 

 

 

コメント (2)
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