オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

雨の部屋籠り・・・

2020-04-12 | 弁当

4/12(日)昨夜遅くから降り出したのか、朝から雨であった。朝食を摂りながら老に「こんな日は部屋に籠るに限る」と言って、洗い物を済ませてからは部屋に籠った。

花壇の草取りも、畑の焚火も、散歩もない日は時間がゆったりと流れる。久々にゆっくりとし? — 世間からすると毎日がノンビリ、ゆっくりであろうが ― 老から回ってきた大衆小説を手にして荒唐無稽な時代小説を読んで時間をすごした。

午後、渡辺一雄さんから電話を頂いた。八十四歳とのことであるが、その声は変わらず若々しく元気であった。「津川さんは元気ですか」と訊かれ「相応に元気ながら、この騒動で引き籠っているようです」と応える。日常が戻れば一献交わしましょうとの誘いに応じて電話を置いた。

閑に静かに山里の雨はつづく・・・。夕暮れとなり今夜の食事のメニューを何にするかと浮かべる。台所に入り食材をチェックするが、定番になった筍とタラの芽があり今夜も「筍煮、タラの天婦羅、タラ味噌炒め」を作ることに。鶏肉があったのでクリームシチューを、筍は鶏肉とスナップエンドウを一緒に煮る。そして敦賀のOKYOUさんから届いた自家製「小鯛の干物」を焼いた。

         

ご飯は「赤飯と海苔巻」に。この二品、近所のシズエお婆さんが今朝も玄関に置いてくれたものである。連日のように赤飯と何か一品が届く。赤飯は味工房で販売用に作っているのだが、他一品は味工房で買っているに違いない。こうも連日では、申し訳ないを通り越している!。私が不自由をしていると思い気遣ってくれているのか?。

湯割りの薩摩焼酎を飲りながら、最後の一品「タラの芽天婦羅」を揚げる。ジョッキの湯割りを片手に揚げ物とは・・・。先にテーブル着いて飲んでいる老には、小鉢などを出してある。

飲みながらの食事を終えて、コーヒーを淹れて明日の予定は?と訊く。結果、町での買い物ついでに「たのたの温泉」にて入浴することになった。なんとも優雅なことよ!。

洗い物を終え、一人でTVを眺めながら先輩方の様子伺いに電話をした。KISHIMOTO大兄、NAKANOオヤジの声を聞き、都会での日々の様子を伺う・・・。

NAKANOさんから「お前は運が良い人生だよ、そんな星に生まれているよ」などと言われる。NAKANOオヤジの店はランチ営業だけにしているとのことで、赤字が幾らになるか分らんとのこと。飲み屋商売の先行きが限りなくブルーであることは確かだが・・・。

そんな厳しい時に、田舎でノンビリと過ごしていることが良いのか?。運が良いと言えばそうかもしれぬが、自分的には割り切れぬものがある。厳しい時、苦しい時を共にせぬことに対して。

私的なこと、サラリーマン時代もビジネスにおいても、これまで何とか凌いできた。これたのは確かに運であろうが。人と天の配材でなんとか凌いでこれただけのことだ。

厳しい中を共に生きてこそ、共感や共鳴できるはずだし、其処から外れた処にいては共有する、したと云う連帯感を持たない。現場にいてこそなのだ。

今、こうして緩やかな田舎暮らしの中で疎外感があるのは、厳しい現実を共にぜず、緩やかな日々であるが故であろう。

 

 

 

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