オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

飲み疲れか・・・

2021-12-12 | 弁当

12/12(日)日曜日の今日、午後から家飲みの焼肉会。近所に住む長女と長男の一家が来て土佐赤牛で焼肉であった。部屋の中が焼肉の煙でモウモウ(牛だから!)になるも構わずに・・・。魚を焼こうが揚げ物をしようがお構いなしが我が流なのだ。

                

長男とこの第一子、男の子のようだが長女。四か月になります。

焼肉と云えばつい先日の木曜日の夕も焼肉だったが、この日は私の誕生日祝いとの名目で地元の焼肉店「東紅苑」にて今日と同じメンバーだった。この日は午後、上野でTAKAHASHI君と飲んでから。そう、KIYOTAさんがドタキャンした日だ。

金曜日は横須賀へ。京急線横須賀中央駅に三時ごろ着いた。先ずは、駅からほど近い台地の上に在る日蓮宗「龍本寺」の墓地に眠る横塚博允さんのお墓に詣でた。

横須賀は台地が多く坂の町なのだ。台地に建つ寺の墓地は風が強くて寒かった。仏花を供え、在りし日の故人の笑顔を思い浮かべた。眼下に横須賀の海、目の前の猿島、市街地を見下ろす地である。

      

横塚さんが逝かれたのは平成16年7月、行年65歳と早かった。胃がんだった。横須賀工業倶楽部に事務局長として自動車会社から出向されていた横塚さんと親しくなり、横須賀での生活は楽しかった。

17時、単身赴任をしていた三春町に在る「和心 天丸」(旧店名は埼玉家)さんでMITUHASHI君と合流して前店主夫妻と歓談するのだが、時間が早い。寺を降りてから三春町まで歩くことにした。中央駅からひと駅~二駅目の中間の処なのだ。

我らが暮らしたワンルームの単身者寮はもうない。跡地はコンビ二と中華幸楽になっている。古めかしい角のパン屋さんは昔のままで残っていた。

二時間程度で切り上げるつもりが、五時から八時まで飲み歓談、京急電車で帰路に就いたが途中眠りこけていた。横浜駅で東横線に乗り換えるつもりであったが気が付けば川崎を過ぎていた。結局品川を経由して、恵比寿、中目黒を経由しての帰宅で22時になった。三十分のロスである。

昨日の土曜日は木曜日の仕切り直し、KIYOTA大兄&TAKAHASHI君と14時に上野駅に集合。土曜日の所為か人出で駅前はごった返していた。KIYOTAさんは両手にストック?杖をついていた。頸椎を痛めていたのだが・・・。

訊くと、先日ゴルフに行ったところ急に全身が悪くなったとのことである。もうゴルフは辞めると、ゴルフ大好き人間がいうのだから相当きついのであろう。

障碍者同伴なので駅前の飲食店ビルに入ることにした。ところが一階、二階とも全店客が並んでいる。三階に上がり漸く中華店に席を取ることができた。

コロナの所為で再会は三年ぶりくらいか?中華と生ビール&紹興酒を飲りながら、近況や四方山話で大笑いをしながらに時間が経過した。 

中華店を出て、駅の脇にあるスペインバルで赤ワインで締めとなったが時刻は五時になっていた・・・。

この日、六時に料理研究家のJIN先生宅に伺う予定がある。TAKAHASHI君に大兄の送りを頼んで地下鉄駅に向かった。

先生宅に届け物があった。昼間に届ける旨をメールしたのだが夕刻の時間を指定されたのである。この時間となれば、先生があれこれと料理を用意して下さるのは自明。それを避けたかったのだが・・・。           

先生とJINパパの歓待で、田舎暮らしのあれこれを披瀝して歓談するうちに時間は経過し、お宅を辞したのは十時になっていた。このお宅はそれだけ居心地がいいのです。

              

帰京した翌週ということで、何かと?(酒場通いで)忙しいい週になった。これからは少し控えめに行きたいものだ・・・。

 

 

 

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