オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

弁当作りと酒場の日々

2021-12-15 | 弁当

12/15(水)今日の天気はいいとの予報。そんな日は酒場に向かう足取りも軽くなろう・・・。

間もなく外出するが「奈加野」にてT物産会長OKAZAKI氏と会う。氏の昼飯を横目に私はビールを飲む。店主と三人で雑談をし、店を出たら喫茶店でOKAZAKIさんと近況を語りあうことになろう。

困ったいるのは「奈加野」のオヤジから店を手伝いに来いと言われていることだ。「人手が足りないから俺とホールをやれよ」との要請があるのだ。然し夜は酒場廻りの方が楽しいに決まっている。それに、孫のSORAから「今日は居るの?」と訊かれる。家に居れば必ず一家で夕食に来る。

酒場廻りもSORAも大事だし、古い付き合いのオヤジのことも捨てがたい。ハムレットの心境だねぇ~。

 

OKAZAKIさんと別れた今夕は横浜に向かう。愉しみにしていたKISHIMOTO大兄との懇談が待っている。更に「メグスタ」に寄り、ダーナに「橋本葉子さんのお別れ会」を開催してくれた労いの一つも言わねばならない。どれも欠かすことができないし、楽しみである。

そんな日々ながら気掛かりもある。田舎の従姉サッチャンが一昨日、狭窄症で手術して二ヶ月は入院生活するとのこと。従兄の次男TOSHIYUKIが(長男は事故で亡くなっている)が急に腎臓や肺の病になりそれが重篤化、二度目のICUに入っていると・・・。働き者のTOSHIYUKIは醸造会社に勤めながら実家の農業を担ってきた。彼が快復しないと農家仕事をやれる者がいない。

ナチュラル時代から一番親しいとも云えるT・YOSHIOの母親が昨日の朝亡くなったと連絡があった。YOSHIOは半ボケの母の面倒見で大変だった。役にも立たぬアドバイスをしてきたが、彼は親身に母の世話をしていた。漸く入居施設が決まり一息付ける寸前だった。苦労は絶えなかったろうが、親を亡くす辛さは分かる。電話を貰った時「ご愁傷様、ご苦労様でした」と、だけ伝えた。

弁当作りと酒場を歩くだけの結構な日々ながら、諸事万端いろんなことがあるものだ。

お仕舞に月~水までの弁当を載せます。

         

         

相も変わらずのメニューだが、我が弁当、所詮こんなものでしょう・・・。

 

 

 

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