オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

小春日和・・・

2019-12-13 | 弁当

12/13(金) 天気予報とは裏腹に昼前まで曇り空であったが、畑に行った頃から晴れた。陽の陽ざしを受けて焚火。動き始めると汗ばむほどになり、上に着ていたトレーナーを脱いだ。

ポカポカ陽気の中を、秋芽が伸びたミカンの枝を切ったり、実りが乏しかった柿の枝の伸びが気になり剪定をする。切れの悪い鋸で、台の上や木の枝に上って伸びた枝を切る。

               

三時間程を畑で過ごし、ラジオ体操の有線放送が流れてから引き上げた。種を播いた野菜の芽が一向に出てこないので、水撒きをしてやる。剪定をしながら、種袋に書いてあった「種まきして一週間は水やり・・・」とあったのを思い出したのだ。

種まきをした夜、大雨が降ったので水やりのことをすっかり忘れていた。乾燥して芽ぶきが遅れたのかもしれない。天気がよさそうなので、忘れずに明日も散水しなければ・・・。

姪のAYUMIが来ると云うので、妹夫妻と一緒に夕食を摂る。食事の用意をするために陽があるうちに畑から引き上げた。

食材は買い置きがある豚肉、ひき肉に野菜だけである。この中で夕食の準備だが・・・。

出来たのは、「ハンバーグ&ピーマン肉詰め」「白菜の豚肉挟み煮」「豚ロースのステーキ」に、ポテトサラダである。何度目かのご飯を炊いた。

               

丁度出来上がった頃合いに三人が姿を見せ、久々の夕食となった。ビールで乾杯!。残念なのは、姪の旦那RYO君が仕事付き合いのゴルフとかで姿がないことだ。RYOは酒を飲むので、相手にいいのだが。

簡素な夕食であったが、久しぶりに妹夫妻たちと食事が出来、いい夜となった。後始末は、妹と姪がやってくれた。楽だねェ~。

私の干し柿を食べた姪は「美味しいね、色が黒いけど」だった。お土産に一袋、到来物のリンゴと一緒に渡した。

 

 

 

 

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失敗・・・

2019-12-12 | 弁当

12/12(木) 仕事はもとより、生き方さえも失敗ばかりであったが、今回の失敗は「干し柿」となった。

11月の半ばから渋柿を剥き続け吊るし続けて400個を超す数となったが、少なくとも前半に吊るした柿は失敗作が大半となった。表面は堅く、中はジューシーでバランスがとれてなく、おまけに黒ずんでしまった。

天候の所為か、柿の性質か、はたまた我が始末が悪かったのか。これまで何度も干し柿を作っているが、今年のような出来悪は初めてじゃなかろうか。何時までも干しても仕様ないと、70個ほどを取り込んだ。

                 

そんな出来栄えであるが、その中から選んで何人かの友人に送ることにした。なんだ、これやぁ、?と思われるかもしれないが。少しでも口にあってくれることを願うばかりだ。

                  

数多く作ればいいってもんじゃないと、反省である。後から干した柿に期待したい!。

取り込んだ柿の始末をしてから夕食となった。昨夜の残り物「ポタージュ」「大根煮」に、牛ハラミの焼肉、シラス豆腐にサラダの簡単なものになった。主食は、薩摩焼酎の湯割りである。

                

 

 

 

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満月と星空

2019-12-11 | 弁当

12/11(水)今日は朝から曇り空が広がり、陽が沈む姿を見ることなく日暮れとなった。そんな一日であったが、早い夕食を終えて玄関の鍵を閉めるべく外に出ると・・・。東の空に満月が輝き、中空の夜空は星が輝いていた。ちょっといい気分になったのは何故だろう!。

殆どを家の中で過ごし、部屋掃除をしただけであったが、午後遅くに従姉がきて散歩に行くと言う。それじゃ付き合うよと、手押しカートでゆるゆると歩む従姉に同行したのである。

曇り空ながら風はなく、寒さを感じない。ユズロードを行く従姉の歩みが遅いので先に行き、体操をしながら途中で待つことを繰り返す。荒れ田の脇にススキが穂を出し、山里に薄曇りの空が広がる。長閑なひと時がゆるゆると過ぎる。

            

畑に寄ると、いつの間にや小夏が色づいている。温州ミカンの一つを、ヒヨドリであろうかつついていた。お茶の花が未だ残り、枇杷が花を咲かせようとしている。

          

散歩から戻り、我が家の上を見ると干し柿が・・・。先週干したばかりの柿は未だ色は黄色、三週間も前に干した柿は黒ずんで見える。

            

 

従姉に「クリームシチュー」作るから取りに来てと伝え、夕食の準備を始めた。

他の献立は、根菜煮(大根・万願寺・インゲン・厚揚げ)、大根おろし、カマス焼き、胡瓜酢の物、ちりめんじゃこ、豚バラのチンゲン菜炒め、笹かまぼこ(届いたばかり)、サラダに味噌汁、主食は頂いた「赤飯」である。

            

今夜は些か品数が多すぎたきらいがある。貧乏人は数と量を欲しがるものらしいが・・・。友の酒は、肥前の「鍋島 特別純米酒」美味しゅうございます。  

 

帰京予定が早まった。当初、26日の予定であったが、横田氏を偲ぶ会が22日の夜と連絡を頂き、急遽日程を早めた次第。21日が従兄の家の改築祝い、これと重ならなくてよかった。帰京後は、正月明けまで東京です。年賀状は帰京してから用意するので、元旦には届かないかな~。

 

 

      

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お祝いメッセージが・・・

2019-12-09 | 弁当

12/9(月) 12月9日は我が誕生日。朝一番、友人からお祝いのメッセージが届いた。そして午後になり、知人友人とお祝いメッセージが来た。

ただただ生きてきただけの人生、お祝いをされる云われるほどの存在でなかったが、御礼を申しあげるばかりです。ありがとうございます。

母から聞いた話では、出産予定日は翌年の一月末だったそうだ。当時、田舎教師だった母が机にお腹をぶつけて急に産気づいて、安芸市民病院で今日の日に生まれたそうだ。月足らずで生まれ、小さくて長らく保育箱の中だったとのこと。

母の兄が見舞いに来て、「こんまいなぁ、モマの皮を剥いだばあしかないな」と言ったそうだ。モマと云うのは「ムササビ」のことで、猟に行く伯父の獲物である。

そんなチビが生意気に育って、こうなったという顛末である。未だ皆様のおかげで生かされている。全てのものに、ことに感謝するばかりです。

  重ねて、御礼を申しあげます。 令和元年十二月九日

 

USUI老が夕方のJALにて帰京。空港まで見送り、日暮れてから帰宅。今夜の一人飯は、野菜たっぷりの饂飩でした。ウドンに、缶ビールのお祝いとなりました。

 

 

 

 

 

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やまいも祭り

2019-12-08 | 弁当

12/8(日) 今日は地域イベントの「やまいも祭り」がある。1Kmほど上流の川沿いに旧中山小中学校の廃校で毎年開かれている地域活性化のお祭りで、地区で栽培している自然薯の収穫時期となる12月上旬の日曜日に開かれる。

ラジオのニュースでも事前に流れているだけあって、朝から会場に向かう車がひっきりなしであった。なにしろ我が家の角を曲がって会場に向かうのだから否応なく分る。

十一時過ぎにUSUI老を誘って会場に向かった。朝からの晴天、川沿いの道を進むと風もなく川面がキラキラと輝き長閑な田舎の風景が広がる。

                

地元で採れた自然薯の汁や鮎、田舎寿司、自然薯販売などの屋台を住人たちが運営し、体育館の中ではゴザを敷いた席には客たちで満席状態。くじ引きやステージ上で踊りやゆるキャラなどが披露される。

                 

生ビールと焼き鮎を楽しんでから、早々と引き上げた。

昨年のこのイベントには、来高した会社のNOBORUが一緒だった。来年は誰かな?老は居る可能性が高いかも。

そんな一日、夕食は早めに整えた。朝のうちに「肉じゃが」「大根&コンニャク&椎茸の煮物」を準備してあった。サラダとチキンソテー、鮎と鮭を焼いて食事となった。今夜の酒は「菊姫」となった。

             

老は、明日の夕がたの便で帰京する。差し詰め、二人だけの最後の晩餐ならぬ暫し別れの宴であった。

 

 

 

 

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老、奮闘す!

2019-12-07 | 弁当

12/7(土)気になっていた茶室の破れ障子を張り替えようと、外注にだすつもりでいた。それを聞いた老が「障子張なら毎年やってきたよ、やってやるよ」と言ったのは昨日のこと。外出中の妹に電話して、障子紙を買ってきてもらった。

そして、今日の昼前から障子の張替えとなったが、老に任せきりにして私は愛宕柿を剥いて吊るし柿に取り掛かる・・・。

作業を始めた老が首をかしげながら悩む。買ってきた障子紙は糊付きで、熱圧着する仕組みだった。この方式の張替えは初めてとのことで悩んでいたのだ。どうにか作業を始めた・・・『裏表間違いないの?』と言うと「そんなことはしないよ!」と応じる。

暫く作業つづけ、アイロンを当てて糊付けが始まる。「糊が浮いてしょうないな、布をあてるから頂戴」と云うので、手ぬぐいや半紙を渡す。それでも上手くいかない。あらためて説明書を読み返す老!。なんと裏表を間違え、糊の麺にアイロンを当ていたのだ。お疲れ様!である。

              

呻吟、四苦八苦したが最後は立派にやり遂げた。亀の甲より歳の功、戦前生まれは大したものである。

 

そんなことで、今夕の食事は早めに用意した。

帰郷してひと月近くになるが、ご飯を炊くのは三度目。菜は「チンゲン菜と豚肉の炒め物」「豚肉の生姜焼き」「アジの開き」「自然薯汁」にした。

                 

薩摩焼酎の「熟柿」の湯割り、佐賀の銘酒「鍋島」を友に、歓談しながらの食事。久々に炊いた飯が美味かったし、自然薯汁もよかった。

五時半から始まった食事は七時過ぎに終わった。珍しく早々と老が部屋に引き上げた。疲れたとのことだ。障子張の疲れが出たか・・・。

  

洗い物を終え、ひと休みしていると電話が・・・。吉村さんからであった。行政管理庁から理事としてN社に来られて、我らが職場の隣に単独で席を置いておられた。そんなことから、ことある毎に声を掛けて一緒に懇談をした。退任された後も、私たちの会がある時に声かけすると参加された。

フランクで捌けた人柄、若い人とも分け隔てなく話をされ、指導もされた。電話業務抜本改善の新組織が名古屋に出来た際に、そこのトップに就かれた。暫くして私のチームにいたKAWAI君をそこの係長に取ってもらった。

先日、その吉村さんを囲む会が名古屋であったとのこと。「三十年前のメンバーが二十名ほど集まってくれた会だったよ」と楽し気に話、KAWAI君も出席し、私のことが話題になった。「宜しく伝えてくださいとのことだったので、電話した」とのことだった。

ご様子を伺うと、ますます元気にやっているとのこと。私たちが集まる時は是非声をかけてくれと仰った。

元気な声を聴き、愉しくなって当時一緒だった久万高原町に在住のKATUTA君に電話をした。開口一番「四年半目の検診に行ったら、問題なしでした。半年後の五月には無罪放免になります」と、元気であった。吉村さんのこと、KAWAI君のことなどを伝え、奥さんと一緒に遊びにおいでよと誘った。

思い返せば、彼らと席を同じくしてから三十年余の年月が流れたことになる・・・。然し、声を聞けばあの頃と同じシーンが浮かぶ。

 

 

 

 

 

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猪のスキ焼

2019-12-06 | 弁当

12/6(金)早朝に目覚める、外はまだ暗い。布団の中で、ニュースなどを見ながら一時間程過ごしてから起床した。

八時過ぎたので、USUI老を起こして朝食を摂る。その後、先日に届いた渋柿を剥いて吊るした。

               

午後、USUI老をともなって畑に行き焚火。不要な紙箱や柚子の切り枝を焼いて一時間ほどを過ごした。その後、JA売店や支所、味工房などを老に案内した。

               

朝から曇り空で肌寒い一日。夕食は猪鍋にしようと提案し、鍋でもスキ焼風にすることにした。スキ焼風にするのは初めてだが食べやすい肉なので試してみることにした。

土佐風のニンニクの葉と糸蒟蒻を入れて、酒に砂糖・醤油で煮て味噌&生姜を少し。USUI 老は美味いと言って食した。他には、コンニャクと万願寺の煮物、ホウレン草の胡麻和え、サラダに大根下ろしと縮緬ジャコ、沖ウルメ焼きとなった。

           

食事の友達は「利八」という薩摩の芋焼酎で湯割りで頂く。老が送ってきたものである。

 

安穏な一日が終わろうと云う時刻、HOYA兄貴から電話が入った。マッチャンと飲んでいるとのことで、電話での人形町レポート。そして、一時間程して二度目のレポートが「ちょっぷく」から届く。

店長のヤマちゃん、客で居合わせたIMAEの小僧と電話談義がつづいた。IMAEは大阪の彼女を同伴しており、彼女とも話をする羽目になった。

人形町の面々は元気に飲んでいる。こっちは土佐の片田舎で、庶民たちに幸多かれと願うばかり。

 

 

 

 

 

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老来る

2019-12-05 | 弁当

12/5(木)今日の午後、USUI老が来高するので昨日につづいて布団を干す。老が我が家に来るのは六度目くらいなるか。今回の来高は、来春から予定されている老が我が家に同居する件で事前確認の意味合いである。

子供頃に疎開した岐阜の田舎暮らしから、我が田舎で暮らしてみたくなったと言う。何時までつづくか、はたまた、私自身の田舎暮らしが何時までになるか?ではあるが、誰かいても邪魔にはならない。それぞれのスタイルで暮らせばいい。飯つくりと、洗濯くらいはやる。

16時頃に着いたJAL便で来高した老を迎え、途中の安芸市内の魚屋で夕食用に魚を買っての帰宅。既に夕暮れていた。

帰宅後、老の居室として用意した奥の部屋に案内して電気製品などを教えた。これまで使っていなかった部屋なので、迎えるにあたって少々手入れをした。先ずは、泊まってみて落ち着けるかである。

直ぐに夕食の準備に入る。夕食は手軽に「鍋」、買ってきた銀フグと野菜の鍋。事前に用意した大根と蒟蒻の煮物、里芋の煮転がしであった。

                 

冷え込んできたので、土佐鶴の新酒を燗酒にして乾杯。最近の出来事など聴きながら新酒の味を堪能する。

明日から一人飯ならぬ二人飯となる。朝はパン食中心と伝えてある。

 

 

 

 

 

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悲報

2019-12-05 | 弁当

12/4(水) 午前中の部屋掃除を終えて、明日から来高するUSUI老の布団を干してから安芸市内まで買い物に出掛けた。たまたまラジオをかけて帰路に着いた。途中まで来たときに、アフガニスタンで活動する中村医師が襲撃され・・・とのニュースが耳に入った。

なんと云うことか、よりによって彼の地の人々から救世主の如くに慕われている中村さんが襲われたなど?ラジオのボリュームを上げると、同乗の五人は死亡、中村さんは胸を撃たれたが生命には別状ないとのこと。亡くなれたスタッフに哀悼しながらも安堵の思ひであった。

帰宅後、夕食の準備でもしようかとTVを点けて台所に立っていた時に、中村さん訃報のニュースが流れてきたのだ。そのニュースを見ながら、悲憤の思ひ沸く。

これ以上を記す術がない。Tugawaさんに電話を入れようかと思ったが留まった。彼の思ひも同様であろうし、今何が語れようかと。

中村哲さんの偉業を私が語る必要ない、それほどの偉人であった。数年前、福岡の地で中村さんの取材に立ち会った。インタビューはTugawaさんで、中村さんが中高と学んだ西南学院の教室を借りての取材だった。オファーを続けて二年越しに実現した企画だった、取材の合間に喫煙所で一緒に一服した。

その時の取材以来、中村哲さんのファン(生きざまに共鳴した)になった。ペシャワール会の維持会員として毎号の会報誌から現地での活動を、その限りなき苦難の道程と、共に汗を流す現地の人々の声を知った。

掛け替えのない人を失った喪失感を拭うことができない。ペシャワール会事務局で記者会見するFUKUMOTO氏の苦渋に満ちた、悲壮が、胸に刺さる。

アラー神の裁きを卑劣なテロリストに与え給え、そう願う。

アフガンにとって、我等日本人にとって、そしてNGO活動をする世界中の人々にとって、中村哲さんはなくてはならない人であった。その人を失ったことの大きさを知るべきだ。

 

そんな一日の終り、夕食でIWASEマスターから届いたばかりの加賀の銘酒「菊姫」で、謹んで献杯した。肴は隣県越中の「白エビの昆布〆」。

               

 

もう一つ、訃報とその偲ぶ会開催の連絡があった。サラリーマン時代の広報宣伝部門で同僚とも云うべき横田洋文氏が過日亡くなれ、その偲ぶ会を開くとの連絡である。ご冥福を祈る。

斯様な次第で、帰京予定を早めることになるかもしれない。

 

 

 

 

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独り鍋

2019-12-04 | 弁当

12/3(火) 今日から本格的に部屋掃除が始まった。スタートは遅く、昼頃から奥の座敷から始めたが、床の間や仏壇、障子の桟など気にかかり大した部屋でもないのに手間取る。

この日の一番面倒だったのが、両親が寝室として使っていた部屋だった。出窓の周りの不要物、カーテンレールの上に積もった埃、ベット周りの隅のワタ埃や落下物の始末、鏡台周りとチリと埃で手間取った。

掃除機をかけ、最後に大兄からプレゼントされた電動モップでブラッシングすると時刻は四時になった。廊下と三部屋が済んだだけである。押入れの中の衣類などは改めて廃棄するが、それにしてもガラクタ(私には)が多すぎる。それらをチェックしながらの掃除なので手間取る。

遅々として進まず、この調子だと何時までかかるか思いやられる。気長に取り組むことにして、今日の作業を切り上げた次第。

前日が遅くなったので、早々と夕食の準備に掛かる。メニューは野菜鍋にした。シメジ・白菜・ホウレンソウに大根の鍋、これに冷凍庫で眠っていた自然薯すり身を団子にした。KATUOから貰っていた冷凍の子持ち鮎を焼く。

食事の用意が整ってから風呂に入り、風呂上がりのビールで夕食を始めたのである。独り鍋の侘しさ?そんなものは一向にない。鮎の味に舌鼓しながら、自家製の柚子酢をメインにした出汁タレで鍋を頂く。

ビールからハイボールに変えて、食事が進むが用意した野菜の半分も食べきれない。大根と蒟蒻の煮物が味が滲みて旨い。鍋に入れた自然薯の団子も上々。かくして鱈腹になって食事を終えたのである。

             

デザート代わりに、ちっちゃな干し柿を味見したら美味しかった!。大きな柿の吊るし柿は、未だ出来が良くないようだが、最初に吊るした小さな柿の方は上手くいっているようだ。

そんな具合なので、あらためて渋柿をネットで注文した。先に吊るした小さい柿はそろそろ出来上がる。その後に、吊るすスペースができる。寒さも本格的になるので、いい干し柿に仕上がるだろうと期待をこめて追加の柿を吊るしたい。

 

 

 

 

 

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