ひまわりさんより(5月2日)
今日の日課の言葉をご紹介いたします。「いっさいの生命は神から出ている。
生命の真の活動範囲は、神との調和の中にのみ見出される。
神によって造られたすべてのものにとって、条件は同一である。
すなわち生命は神の生命を受けることによって維持され、創造主のみこころとの調和の中に生命の営みがなされるのである。
知的に霊的に、あるいは肉体的に神の法則を犯すことは、自分自身を宇宙の調和の外に置くことであり、
不和と無秩序と破滅をもたらすことである」(キリストを映して)。ここにあるように、
「神様の法則を犯すことは、不和と無秩序と破滅をもたらす」というのは本当にそうだったのですが、反対に、
神様と調和していると、命と平安と活力があるということを、日々の歩みの中で、少しずつ経験させられています。
落ち込んだ日々(デビット・カン講演39)
医者は、私のけがを見て、「これはひどいけがだね」と言いました。
そして、私の横の方にレントゲンの機械をつけまして、麻酔の注射を打ってくれました。
それから看護師を呼びました。大きな看護師さんが入ってきました。大きな強そうな看護婦さんでした。
彼女に、私の肩を抱えるようお医者さんが指示したのですね。その時に、私の手を引っ張ったのです。
麻酔を打たれたので、あまり痛みは感じませんでしたけども、レントゲンのスクリーンを見ながら、手を引っ張ってるのです。
それから、電気ドリルのようなものを持ってきました。何か大工さんの作業場に入れられたのかと錯覚したほどでした。
次に、私の目の前で、私の骨に穴を4つも開けたのです。そして、私の骨を支えるために、
外から鉄で橋みたいなものをかけたのです。
それから2ヶ月間、薬を毎日4回服用しなければ耐えられないほどの痛みでした。
薬物を、ちょっとだけ味わう経験をしたわけです。町では多くの若者が違法で薬物を自分自身に入れてるわけですね。
私はある日、落ち込んでベッドに寝ていました。
「伝道のために、誰かに寄付のお願いをしなければいけない、誰が援助してくれるだろうか」。
「中国の伝道を助けなければいけない。韓国でもたくさんの本を印刷しなくてはいけない」。
それで、会計係に電話して、銀行にどれぐらいのお金が入金されましたか、と聞きました。