ひまわりさんより(5月27日)
私はお花が大好きで、特に、ユリやバラは好きな花です。
プレゼントにしたり、自分で育てたりして、楽しんでいました。
でも、花の命は短いし、本当に花をよく育てようとすると、時間も費用もかかるので、
やはり、神様の愛を伝えることに専念したいと思って、今日、植木鉢や道具類を最低限にして、
他のものはほとんど処分してしまいました。
ところが、主人が、通勤途中の道路から少し奥に入ったところに、
個人のバラ園があるから行ってみようかと言われ、出かけてみました。
すると、本当によく手入れされたすばらしいバラ園がありました。
自宅の庭をオープンガーデンにして、道路には案内の掲示板が出ているそうですが、
毎日通っているのに全く気がつきませんでした。地植えのものが120本、
鉢植えが20本ということでしたが、全部に花の名前のプレートがつけられていて、
それはそれは色とりどりの、美しいばらがちょうど見ごろを迎えていました。
あたり一面、バラの香りが漂い、幸せな気持ちになることができました。
昼休みや、通勤の途中でちょっと立ち寄ることもできますので、
自分で育てるよりはるかにいいと思いました。5月9日に紹介した、通勤途中のユリにしても、
今日のバラにしても、自分で育てることをやめようと思ったとたんに、
もっと素晴らしいものを、神様は紹介して下さったように思い、神様の愛の深さに感謝しました。
(写真はサイトからとったものです)
信心の奥義(デビット・カン講演22)
私たちのこの堕落した性質を着て、イエス様は地上においでになりました。
そしてなおも、罪に打ち勝たれたのですね。
これこそ、聖書で「信心の奥義」と言われているものなのです。
これが福音の力であります。
そのような経験をして初めて私たちは新しい契約のもとで生きるようになります。
旧約聖書レビ記の1章において、燔祭をどのようにささげればよいか、
そのプロセスが示されています。この燔祭というのは、私たちの悔い改めの経験をさしています。
どうして新しい神学がセブンスデー・アドベンチスト教会に見事に入ってきたと思いますか。
なぜなら、私たちが聖所のメッセージの理解を失ってしまったからなのです。
この燔祭をささげる過程を覚えているならば、――ぜひ聞いていただきたいのですが、
罪人が犠牲となる動物を連れてきます。それから何をしますか。その動物を祭司に渡すわけですね。
祭司の仕事とは何でしょう。祭司は、動物を連れてきた罪人に、罪の告白をして、
罪を象徴的にその動物に移したあと、どのようにしてこの動物を殺すかその手伝いをしてあげます。
現在の牧師である多くの人々が、この働きをしていません。
もし皆さんの教会の牧師が、このことを教えていないならば、
いつまでもその教会に出席して間違った教えを聞き続けないでください。
真理によって皆さんが養われる、そのような適切なメッセージを探すのは、皆さんの義務であります。
私が言っていることは強すぎますか?きつすぎますか? そうは思いません。
皆さん、自分の魂をそのような異端的な教えにさらして、魂を危険にさらすべきではありません。