ひまわりさんより(5月11日)
今日は、たまたま午後から休みが取れたので、昨日気になった、
息子に会うために秋葉原まで出かけました。
もちろん、途中でジューサーと野菜、果物を買って行きました。
息子もちょうど、東北の被災地のボランティアに行って体力のなさを実感し、
体力づくりの必要を感じていたところだったので、
今日から早速ジュースを作って飲むと言っていました。
それにしても、東京は人が多くて何と息苦しい所かと思いました。
私が今いるところは、訪問の途中で、キジは出る、イノシシやタヌキは見かける、
時にはサルまで道路をチョコチョコ歩いているようなのんびりしたところなので、
あまりの違いに愕然として帰ってきました。
E.G.ホワイトは、終末の時代には、都会を離れて田舎に住むように勧めていますが、
ここが一番いいところだと、しみじみ感じています。
新しい契約、古い契約(デビット・カン講演6)
私たちは契約の民です。契約とは何ですか。契約とは言いかえれば約束ですね。
日本語では契約を交わす時に甲と乙といいますよね。
身分の高いものと低いものとの間で交わされる約束です。
そして、神様と私たちとの間には契約関係があるわけです。
今朝は二つの契約についてお話ししたいと思います。
聖書には、新しい契約と古い契約があります。
イエス様が印する働きをまだ終えておられない理由は、
多くのSDA が古い契約の民にとどまっているからです。
それは福音の力と関係があるのですけれども、ローマ1:16を読みたいと思います。
「私は福音を恥としない。
それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、すべて信じる物に救いを得させる神の力である」。
福音は信じる者に救いを得させる神の力、とありますね。
福音とは、良いおとずれにとどまらず、救いを得させる神の力なのです。
義は単なる概念や知識ではなく、力なのです。