ひまわりさんより(5月12日)
今日の午後は、ダニエル書の研究会を行いました。
昔からダニエル書の中で分からなかったのは、12章11節、12節の言葉でした。
「常供の燔祭が取り除かれ、荒らす憎むべきものが立てられる時から、1290日が定められている。
待っていて1335日に至る者はさいわいです」。
この数字は非常に大事な意味を持っているように思うのですが、
何を意味するのかぜんぜん理解できませんでした。研究では、
ここの、常供の燔祭の「燔祭」は原語になく、『常供が取り除かれ』であり、
「荒らす憎むべきものが立つ」というのは、天地創造の時から、
常に存在してきた安息日の戒めが廃され、
神様がお定めになったものではない日曜日の礼拝が強制されることではないか、
そして、国家的日曜休業令が出されてから1290日間の神の民の特別な恩恵期間があり、
その後、45日の『ヤコブの悩みの時』と呼ばれる神の民の試練の時が来て、
1335日目に神の民の救出、キリストの再臨を迎えるのではないか、という学びでした。
細かい論証は、ここでは紹介できませんが、
終末時代における神様のご計画が書かれたダニエル書が、
よりよく理解できるよう、祈りつつ学びたいと思っています。
脳の働きと信仰(デビット・カン講演7)
私たちの脳は三つの部分に分けられます。
前頭葉というのがありまして、ここに私たちの理性とか判断力とか良心とかがあるのです。
そして、前頭葉の真ん中の部分に、記憶力があります。
後頭葉、ここは、私たちの感情とか、激情とかいうものをつかさどるところです。
また、食欲とか性欲とかそういった欲情もこの部分はつかさどっています。
ですから、脳の中で、大争闘が行われているわけです。
後頭葉の部分で、食欲が叫ぶかもしれません。「肉が食べたい」とか、
「いろんな体によくないものを食べたい」と、叫ぶことがあるわけです。
後頭葉の真ん中の部分に、小さいのですが、私たちの習慣をつかさどっている所があるらしいのです。
そこに、自分の好む物、好まない物の記録が残されているのです。
その記憶が、後頭葉の部分と協力して働くのです。