ひまわりさんより(5月15日)悔い改めについて その2
エレン・ホワイトは、「悔い改めは、ゆるしと同様にキリストの賜物であり、
イエスが働いておられない心の中に見いだすことはできない。我々は、
キリストなしにゆるされ得ないのと同様に、キリストの御霊が良心を目覚めさせて下さらなくては、
悔い改めることもできない。キリストは、十字架の上で表されたご自分の愛によって罪人を引き寄せ、
それが心を和らげて、思いに印象を与え、魂に悔い改めを起させられるのである」と言っています
私は、家庭が崩壊し、絶望のどん底にあった時、破壊の原因は自分の自我だという事に気づきましたが、
その自我に死ぬことがわからず、どうどうすることもできない状態に陥っていました。
その時、自己に死ねない自分のかわりにイエス様が死んでくださったのだという思いになり、
十字架の中に自分が埋没するような思いがしました。
それ以来、これまで何をやっても汚れたことしかできなかった、
全く悪霊そのものの生き方しかしてこなかったのだという悔いがずっと心の中にありますが、
同時に自分ではない所から来た平安と感謝があります。
今までは、何をやっても神様に受け入れていただいたという確信はなく、
心にはいつも不安や恐れがあったのですが、神様がイエス様を受け入れてくださったように、
イエス様と共に死んだ自分を受け入れていて下さるという喜びがあるのです。
福音は勝利の力(デビット・カン講演10)
では福音とは何でしょう。福音とは神の力、私たちに勝利を得させる、救いを得させる神の力なのです。
誘惑がやってきたとき、私の肉が命じる時、「ノー」と言えるわけです。かたく「ダメだ」と言えます。
神様の恵みによって、私たちは、自分自身をコントロールできるようになります。
そのような時に、聖霊が不思議に働いてくださるわけです。そして、意志力が強められます。
そして、どういうわけか、私たちは、聖霊の働きによって、喜んで神様の命令に、戒めに、
進んで従いたいという思いになるのです。そして、イエス様に従うのを、好むようになります。
なぜなら、イエス様を知っているからです。
このあわれな魂を救うために、どれほどのことを彼がしてくださったかという事を、知っているからです。
そのようにイエス様を知るということが、皆さんの永遠の命なのです。