ひまわりさんより(5月17日)
今日は私の勤めている老健施設に、韓国で結成されている『ゴールデン・エンジェルス』合唱団の皆さん、
男女8名が慰問に来てくださいました。このメンバーは、
1年間、学校や仕事を休んで、神様の奉仕のために献身している人たちで、韓国人ばかりでなく、
香港、モンゴル、フィリピンの人もいました。大きな機材も全部持ち込みで、英語の讃美歌8曲、
日本語の讃美歌2曲を歌いました。そのすばらしいハーモニーと、迫力で、聞いていた職員からは、
『歌唱力がすごいね』という声が上がり、お年寄りの人たちも、英語の歌なのに、しっかり聞いておられました。
本物は、言葉を超えて心に響いていくのだという事を感じました。
歌の間にはメンバーの証がありました。
韓国人の青年が、アメリカで医者になるために留学中、原因不明の病気にかかり、治療法がないと言われ、
やむなく韓国へ戻ることになりました。
韓国では、ソウル大学医学部の有名な先生に診てもらったのですが、現状を維持するのがやっとで、
治癒は難しいと宣告されてしまったのです。
青年は神様を信じて20歳まで生きてきて、一度も神様を疑ったりしたことはなかったのですが、
入院生活が2年も続き、神様を疑いそうになりました、でもその時、神様の希望の約束を信じ、
み言葉が自分の力になるように祈り続けたところ、医者が驚くほど、病状が回復し、
今はこうして、歌のグループに入り、神様の素晴らしさを証できて感謝です、という証でした。
青年を力づけた聖句は「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)でした。
罪に勝利する道は?(デビット・カン講演12)
ローマ人への手紙7章6節を読みます。
「しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、
その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである」
私たちが死んで、古い文字によってではなく、新しい霊によって、とあります。
ここでパウロは、古い契約と、新しい契約について述べているわけです。7章19節を読みます。
「すなわち、私の欲している善はしないで、欲していない悪はこれを行っている」
パウロは、自分は義人になりたいのに、なれないでいると叫んでいるのです。
善を行いたいのに、自分が行いたくない悪を行ってしまう、24節で叫びをあげていますね。
「わたしはなんというみじめな人間なのだろう、だれがこの死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」
わたしたちは、この死の体にとどまっていて、それを脱げないでいるわけです。
解決は何でしょうか。このような問題に、どのように勝利できるでしょうか。