ひまわりさんより(5月7日)
今日の日課の言葉をご紹介します。これは、旧約時代のダニエルたちの経験を書いたものです。
「神は常に正しい者に栄誉を授けられる。
偉大な征服者によって征服されたすべての地の最も前途有望な青年たちがバビロンに集められたが、
その中でもヘブルの捕虜にかなう者はいなかった。まっすぐな姿勢、しっかりとしたしなやかな歩きぶり、
血液が汚れていないことを示す血色のよい顔立ち、くもっていない感覚、清らかな息、これらはすべて、
自然の法則に従順な人々に自然が授けて尊ぶ高潔さという勲章、良い習慣の数多い証明書であった。
そして彼らの能力と技能が三年間の訓練の終わりに、王から直接試験を受けたが『ダニエル、ハナニヤ、
ミシャエル、アザリヤにならぶ』者は誰もいなかった」(キリストを映して)。
50代の後半になった今ではかなり遅いのですが、それでも、このダニエルたちのように、
自然の法則に従順であることを通して、自分の体をもって神様の栄光を表す生き方ができればと願っています。
(今日の写真は、私の家の庭のモッコウバラです)
その時我が名も呼ばれん (デビット・カン講演2)
そして、第一のアダムは、このかぶせられた冠を地面において、イエス様の前にひれふして、
「これはすべてあなたの恵みによるもので、私はこれを受けるに値しません」と言うのです。
「これは私にはもったいないものです。これはすべてあなたの恵みのおかげです」と・・・。
そのときイエス様は、アダムを抱きかかえられるわけです。
第一のアダムと第二のアダムが、顔と顔を合わせます。救われた者、私たちすべての前で・・・。
そのとき、「小羊こそ賛美を受けるにふさわしい」という歌声が、皆のものから上がっていくわけです。
それからイエス様が天使たちに命じて、すべて救われたもの、あがなわれた者、
全員の名前を一人ひとり呼ぶようにされるのです。
その中に、天使たちの呼ばれる名前の中に、私の名前もあることを確信しております。片手には金の立琴を持ち、
もう一方では、勝利を表すシュロの枝を掲げることでしょう。天使たちに名前を呼ばれるとき、
どれほどの喜びに満たされるのだろうと思うと、私の心はワクワクいたします。