9.盗んだ甘いケーキ
再臨に対する個人的な準備不足や確信の欠如のため、多くのクリスチャンは、主の再臨について漠然とした理解しかしておらず、時には無関心な態度さえ見せるようになっています。多くの人は、自分が本当に主に会いたいのか、会いたくないのかさえも分からないのではないでしょうか?現代の教会が抱えている最も悲しい問題の一つは、多くの人が主を愛していると口では言っていても、主の再臨を切なる心で待ち望んでいないということです!なぜ私たちは、私たちを愛し、私たちのために亡くなられた方に会いたいと、切に願わないのでしょうか?全ての真のクリスチャンは、主の来臨を熱望しなくてはなりません。私たちはそれについて語り、歌い、説教しなければならないのです。パウロが言ったように、“救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むように”(テトス2:13)しなければなりません。それは、全ての神の子の“祝福に満ちた望み”(テトス2:13)であるからです。
私の母は料理が得意で、特にケーキは絶品でした。幼い時、母がパン生地を積み重ね、その上に美味しいクリームを塗る姿をよく見ていたことが、今でも忘れられません。一番わくわくする時は、母が「残ったクリームを食べていいよ」と差し出す時でした。あまり残らない時もありましたが、いつもひとさじ程度は残っていました。私は甘くておいしいクリームが、ケーキの周りに塗られていくようすをじっと見つめながら、時々クリームがこぼれ落ちるのを楽しみにしていました。そんな私の心が試される出来事がありました。母が大きくておいしそうなケーキをテーブルの真ん中に置き、私にケーキに触らないように言いつけて、私を一人家に残して外出したのです。出来たばかりのケーキの周りには、たっぷりとクリームが塗ってあります。しばらくして、ついに私は我慢できなくなり、スプーンで周りのクリームだけ慎重にすくって口に入れてしまいました。
その時です。突然扉が開き、母が帰ってきました。食べた痕跡を隠す暇もなく、急に母が部屋へ入って来たのです。母の言うことを聞けなかった私は、母が帰って来ないことを望み、心のどこかで母を恐れていました。これこそ、イエス様が来臨されることを恐れる理由なのではないでしょうか?彼らの手の中は、この世で盗んだ甘いものでいっぱいになっているのです。罪を犯している人ほど、キリストを恐れるのです。