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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

 黙示録の獣の刻印とは  第8回

2016年05月12日 | 日記

 新しい法王と獣の刻印

先日新しい法王が任命されましたね。南米アルゼンチンから選出された、始めての法王でした。彼はフランシスコ一世と名乗りました。そして、ローマカトリック史上最初のイエズス会出身の法王です。

聖書によると、「全地の人々は驚きおそれてその獣に従い」とあります。このことについて、以前の法王レオ13世は「我々は地上で全能の神の座につくものである」と宣言しました。これは神様への冒涜ではないでしょうか。その通りです。法王は罪を赦す権威があると主張しているでしょうか。その通りです。なぜ多くのカトリック信者が、直接キリストに行くのではなく、ローマ法王教の司祭たちに罪を告白するのでしょうか。こういった状態を考えてみて下さい。

獣の刻印とは何でしょうか。アメリカの社会保障制度であると考える人もいます。コンピューターのバーコードだと考える人もいます。クレジットカードだと考えている人もいます。運転免許証だと考える人もいます。マイクロチップと考えている人もいます。これは、非常に小さい物体ですね。ごまのタネよりも小さい者を人間の体を始め、いろいろなものに埋め込むというものです。

ローマカトリック教会から発行物されている『日曜日の訪問者』と言う印刷物の、1945年4月18日号に、興味深いことが書かれていました。法王の公式な名称は「ビカリウス・フィリ・ディ」であると言うわけです。聖書によると、先ほどの獣の刻印というのは人間の数字、名前の数字であると言われています。実は、聖書の預言の中の、書かれている特徴の全てがこのローマ法王教にあてはまるのです。では、そのローマ法王の公式名を見てみましょう。

歴史上大勢のローマ法王がいました。法王一人につき公式の個人名が一つありますが、法王の公式名は、ラテン語で「ビカリウス・フィリ・ディ(Vicarius Filee Dei)」ですが、こののラテン語は数字で表すことが出来ます。。これらのアルファベットがあらわす数字を足していくと、Vと言うローマ数字は5を表し、Iというローマ数字は、1です。Cは100、こうして全部を足すと、666になります。

「この数字とは、人間をさすものである」とあります(黙示録13:18)。非常に興味深いですね。この獣の刻印というのは、字義通りのものでしょうか、象徴的なものなのでしょうか。多くの人は獣は象徴で、刻印は字義通りであると考えています。頭や角は象徴だけれども、刻印は字義通り、それではつじつまが合いません。矛盾した解釈になります。獣の権力は霊的な象徴です。獣の像も、霊的象徴です。名前も霊的象徴です。数字も霊的象徴です。封印も霊的象徴です。それなら、当然、刻印も霊的な象徴と言うことになります。

この点を理解しなくてはいけないのです。獣の刻印の主な争点は、礼拝ということです。第2の獣はこのように言うわけですね。“お前たちは、第1の獣を伏し拝みなさい。礼拝しなさい。さもなければ私があなた方を殺す”と。“第1の獣を伏し拝まないならば、売り買いが出来なくなるぞと。経済活動が出来なくなるぞ”と脅かされるわけです。

なぜ私たちは神様を礼拝するのでしょう。礼拝する理由は何でしょう。黙示録4章11節によると、神様が私たちをお造りになったからです。創造主であられる神様だけが、私たちの礼拝を受けるにふさわしい方なのです。それは教会の権威によるものではなく、聖書の権威によるものです。

十戒にそのように書かれています。神様の指によって書かれた十戒ですが、その十戒を法王教は破壊しようとしました。

十戒第二条に、「刻んだ像を造ってはならない、拝んではならない」と命じられています。しかしローマ教会は、ありとあらゆる偶像を生み出して来ました。マリヤの像、赤ん坊イエスの像、まるで異教の宗教と、変わらないですね。異教の宗教にこういった偶像がたくさんあります。そして、ローマ教会に行っても、こういう偶像が至る所で見られます。