燃える火の中の自由
その獣の象の権威とは何でしょうか。彼ら自身が神様の律法の中の第4条を、土曜日から日曜日に変えたことが、自分たちの権威の印であると言っているわけです。これが獣の刻印なのです。多くのクリスチャンが、聖書に書かれている通りに預言を研究し、理解をしていないために、獣の刻印についての正しい理解を持っていないのです。多くのクリスチャンがあまりにも神学者や牧師たちの意見に耳を傾け過ぎるのです。
三人の青年が金の像を拝むことなく立っていた時に、他のユダヤ人の友人たちが彼らに向かってささやいたかもしれません。彼らは着物をつかんで、「言うことを聞け!!言う通りに伏し拝んだらいいじゃないか、でないと殺されちまうぞ、頭がおかしくなったのか、え、どうかしているんじゃないか!今回一回だけ王様の言う通りにしたら、無事に家に帰れるのだから!」。
シャデラク、メシャク、アベデネゴは、そのような勧告に従うことはできませんでした。神様だけに忠誠を尽くしていたからです。人間の制度、人間の王に、彼らは忠誠を尽くしていませんでした。「もし、死ななければいけないのなら死んでもいいです」と。「むしろ私は神様に死に至るまで忠誠であることを選びます。なぜなら、彼は私を救って下さったからです。神様だけが、私の命を救うことがお出来になり、私をよみがえらせることがお出来になる方だからです」。
火の中に投げ込まれたときに、イエス様が来られて、彼らと共に燃える火の中におられました。「あれ!」、王様が言いました。「三人を火の中に投げ込んだのではなかったか。なぜ中に四人いるのだ。しかも、第四の者は神の子のような姿をしている!」。王様は恐れおののきました。そこで、三人に「出て来なさい」と呼びかけました。火は彼らのどの部分も燃やしてはいませんでした。焼けていたのは、彼らを炉に投げ入れた時に縛っていた紐だけでした。燃える火の中にあって、彼らは真の自由を味わっていました。
神様の戒めに愛のゆえに従うとき、神様のみ心に従うとき、真の平安、幸福を味わうことができます。神様の言葉に従う時に、本当の意味で自由になれます。あらゆる誤りからの、誤謬(ごびゅう)からの自由です。世俗の権力から自由に解き放たれます。神様の言葉の内にとどまって、戒めに従うならば、本当の意味で私たちは自由になれるのです。