獣の数字は人間を指す
ローマ帝国時代に、刻印を入れた人たちと言うのは奴隷とか軍人たちだけでした。そういった身分の人たちには選択の自由はなかったわけですね。刻印、印が強要されました。
17節を読みます。「この刻印のない者は皆のものを買う事も売ることもできないようにした。この刻印はその獣の名、またはその数字のことである」。ここである単純なことを理解しなくてはいけません。
獣の刻印は何かと言う事です。この獣の刻印と言うのは666とありますから、コンピューターのバーコードだという人もいます。あるいは、人々の皮膚に埋め込まれるマイクロチップ、そういったものだと主張する人たちもいます。または、クレジットカードのことだと考える人たちもいます。しかし、聖書はそうは言っていません。これは間違った憶測なんです。聖書に書かれている通りに理解しなくてはいけないのです。人間の理論に耳を傾けないで下さい。神様の言葉に耳を傾けましょう。
ここに、刻印はその獣の名とあります。またはその名の数字のことであると書かれています。ここに大きなヒントがあります。獣の刻印がバーコードあるとするならこの記述に沿わないわけです。水から上がってきた第一の獣の権力の名前のことです。そしてその第一の獣の権力、名前から数字を出してゆく必要があるのです。18節に、さらなるヒントがあるんですけれど、お読みします。「ここに知恵が必要である」。知恵が必要なんですね。「思慮のある者は、獣の数字を解くがよい」。獣の数字とは何でしょうか。「その数字とは、人間を指すものである」。コンピユーターではありません。マイクロチップではありません。クレジットカードではありません。「人間を指す」数字である、とここに言われています。そして、その数字は666とあります。666とありますね。これは人間の名前の数字であると言われているわけです。コンピューターは人間ではありません。マイクロチップは人間ではありません。ですから、そういった解釈は人間の憶測なのです。それなのに、多くのクリスチャンが混乱しています。まさしく、南に向かっていながら自分は北に向かっていると真心から信じているような状態です。何かを真心から信じていてもそれが間違いであったならば、それは真心から間違っていることなのです。