律法の変更
この写真の左上の十字架についているのは、イエス・キリストではなくマリヤです。いろいろなこういった概念が教えられるのです。写真の洞窟の中に置かれているマリヤ像、これも異教の礼拝と何ら変わりがありません。次の写真では、多くの聖人の彫刻が飾られています。神様が彼らを聖人、聖徒として任命されたのではありません。神様は彼らを聖なる者として聖別するようにと言われませんでした。それは、教会の権威によってなされました。そして、教会員たちにその像を拝むように要求するわけです。
ローマカトリックは自らの権力について何と言っているでしょうか。1895年11月11日、ギボンズ枢機卿が次のように述べました。「むろん、カトリック教会は、変化は自らの行為によるものであったと主張するものである。他の方法では起こり得ないし、教会が行動しなければ、当時の人々が霊的な教会の宗教的事柄において何らかの行動を起こそうとは夢にも思わなかったであろう。そしてこの行為が、宗教の事柄においては、カトリックの聖職者に権威があることのしるし、または、印、または刻印なのである」と述べました。
何を言っているのでしょうか、ここで。ローマカトリック教会が自らの権威によって、第七日安息日から日曜日に聖日を変えたことについて述べているのです。そして、それが自らの権威のしるし、印であり刻印であると言っているのです。この地上では、教会に対して法王が神の権威と権力を振るうことが出来ると主張しているのです。ですから第二の戒めを破壊しました。「刻んだ像を造ってはならない、偶像を拝んではならない」、という戒めを破壊したのです。さらに、礼拝日を変えることによって第四条を犯しました。ローマカトリックの枢機卿が、このことがカトリック教会の権威のしるし、印だと宣言したのです。
1923年9月11日の、カトリック記録文書にこのように書いてあります。「教会は聖書の上に位置する」。とんでもないことを言っています。「そして、この安息日を日曜日に移したことが、その事実を裏付ける証拠である」と、そのようなことを言っているのです。「あなたが教会の権威を否定するならば、神の戒めの第三条、すなわち、プロテスタントの第四条に於ける土曜日を日曜日にとって代わらせたことを、適切に道理にかなって説明したり正当化したりすることはできない」。なんという大胆な主張でしょう。自分たちが神様の律法を変えたと言ってはばからないのです。
神様の律法に禁じられているにもかかわらず、偶像を建てて、それを拝ませることは、拝んでもいいと言っているわけです。自分たちが礼拝日を土曜日から日曜日に替えたと宣言しているわけです。戒めが教えている礼拝日は、もはや土曜日でなくて、日曜日である、われわれがそれを変えたと言っています。「今、見てみなさい。プロテスタント諸教会は我々に従って土曜日ではなく、日曜日に教会へ行っているではないか。我々の権威を彼らは受け入れているのである。そのことは、彼らは、「はい、あなたこそ、この神の律法、戒めを変える権威がありますと認めていることなのである。そして、これこそが我々の権威の印(しるし)であると言っているのです。
日曜礼拝を勧めている、教えている所は聖書のどこにもありません。しかし、聖書が預言している通り、彼らが礼拝の日を変えてしまいました。カトリックの1923年9月11日の記録文書によると、このように書かれています。そこには、「日曜礼拝こそ、彼らの権力の印である」と。しかし今もなお、神様の戒めは、聖書にこのように述べられています。
「安息日を覚えて、これを聖とせよ。……主は六日の内に天と地と、その中のすべてのものを造って七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」。
また、エゼキエル書20章12節にこのように書かれています。
「わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らの間のしるしとした。これは主なるわたしが、彼らを聖別したことを彼らに知らせるためである」。
私たちが、人間の戒めではなく神様の戒めに従うようにと、神様は私たちに求めておられます。イエス様が言われました。「もしあなたが私を愛するならば、私の戒めを守りなさい」と。神を愛するとはすなわちその戒めを守ることである。そしてその戒めは難しいものではない。神様の戒めの中央である第4条には、神の印が押されています。この印と言うのは権威を証明するものです。