さらに、聖霊の奇跡を行う人たちには、必ず聖霊の実が結ばなければなりません。彼らには愛、深く神聖な自己犠牲的な愛が現れるでしょう。ペンテコステの日に、豊かな聖霊の賜物が下ったのは、弟子たちが、互いに罪を告白し合って謙遜になり、真の兄弟姉妹の愛に一致した時でした。ですから、聖霊の豊かな賜物は、教会に真の果実がある時に与えられるのです。「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」(ガラテヤ 5:22,23)などの聖霊の実は、「神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている」残りの民の特性となるのです(黙示録 12:17)。
私たちは間違った奇跡を行う人たちを理解し、彼らの真剣さを認めることが出来ます。しかし、真理を離れたこのような形の礼拝は、結局、人々を恐ろしい破滅へと導くものであることを、きちんと指摘し説明しなければなりません。サタンによる偽りの賜物が教会に入ってきている時、自分たちでそれが偽りだと気づくことはとても難しいのです。
昔、トロイの住民たちは、町の門前に置かれた平和の贈り物を非常に喜びました。住民たちがその巨大な木馬を、城壁の中へ運び入れると、やがて、ギリシャの軍人たちがその木馬の中から出て来て、トロイの町を占領してしまいました。トロイの人々は、前にも何度か贈り物をもらっていました。ですから今回も外見だけ見て、素敵な新しい贈り物を大きな祝福と考え、受け取りました。不幸にも、彼らの敵の策略を過小評価したため、結局その贈り物のせいで滅亡してしまいました。トロイの人々とは異なり、私たちは聖書に記録されている十分な警告を持っています。「また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった」(黙示録 16:13,14)。
かえるのような霊が口から出てくるという言葉に注目してください。かつて、言葉の混乱によってバベルの塔は滅亡しました。しかし同じようなことが現代の私たちの時代にも存在します。この言葉の混乱は、ノアの洪水から間もなく、人々が自分たちを高め神様のようになろうとした結果起きたものです(創世記 11:4-9)。彼らの反逆と同じ精神が、異言という意味不明の言葉や混乱(バビロン)した偽りの教理という形で、今日でも繰り返されているのです。そして警告の言葉は今の時代にも響いています。「彼は力強い声で叫んで言った、倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。…わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ」(黙示録 18:2,4)。今日、神様の民はこの警告の声に注意を傾けているでしょうか?果たして彼らはこの警告を受け入れるでしょうか?