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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

地球の歴史上、最も輝かしい日     私はすぐに来る  第1回

2016年04月24日 | 日記

  最も感動的な空中での出会い

アメリカのレッドブック(Red book)雑誌社が、米国で有名な8つの神学大学院で調査をした結果、1%の学生しか、イエス・キリストの再臨を信じていないということが明らかになりました。このような懐疑主義の主な原因は、アメリカの著名な牧師ドワイト・ムーディー(D.L. Moody)の経験によって説明できます。彼が教会に通うようになってから15年が過ぎたころ、やっとキリスト再臨に関する最初の説教を耳にしたのです。その説教を聞いた後、彼は次のように述べました。「なぜ悪魔がこの問題について説教することを望まないのか、私は今やっと分かりました。イエス様が間もなく再臨されるという教理ほど、教会を覚醒させるメッセージはないからです」。

 

ムーディー牧師の指摘こそ、現代のほとんどの教会が、その驚くべき出来事に対して、異常なほど沈黙している理由と原因を、最も明確に説明しています。サタンは今日、生ぬるいラオデキヤ教会を目ざめさせるほど偉大な真理の上に、そっと沈黙の布団を掛けているのです?これは否定できない事実です。新約聖書だけでも331回言及されている驚くべきイエス様の再臨に関して、教会とクリスチャンたちがあまり口にしないことこそ、その証拠です。聖書の記述の中で、これほど強力な証拠がある出来事はありません。イエス様は誰も疑念を抱いたり、混同したりすることがないように、確かな再臨の約束をされました。「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう」(ヨハネ14:2,3)。

 

人類のための神様の救いの計画は、私たちが神様が準備しておられる本当のふるさとに移されるまでは、完成しないという事実が聖書に明確に書かれています。私たちは、長い間救いの計画の実現を願ってきましたが、それは私たちが罪の汚染から永遠に解放されるまでは成就しないのです。それをもたらすものがキリストの再臨です。

では再臨はいつ、どのように起きるのでしょうか。この質問に答えるにあたって、私たちは今日の多くの福音主義クリスチャンの間に広がっている間違った教えについてはっきり理解し、聖書が教える正しい再臨の教えを知る必要があります。

 

イエス様の弟子たちがオリブ山で「あなたがまたおいでになる時や世の終わりには、どんな前兆がありますか」(マタイ24:3)と真剣に聞いた時、イエス様は「人に惑わされないように気をつけなさい」(マタイ24:4)と答えられました。主が明確に言われたことは、主の再臨に関して間違った方向に導いてしまう教えがあるということです。それからイエス様は、弟子たちに、再臨が起きる直前の重要な兆候を列挙されました。マタイによる福音書第24章には、サタンがこの問題について全世界を欺こうとする計略を警告する言葉がたくさんあります。イエス様によると、神様に選ばれた人でさえも、悪人の欺瞞的な出現によって攻撃と脅威を受けるというのです。

 

主は最後の時には、偽のクリスチャンや偽預言者たちが、否定出来ないほどの大きな奇跡を起こしながら現れることを語られました。「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう」(マタイ24:24)。現代のように、大きな宗教的欺瞞が起こった時代があるでしょうか?実際、世界の有名な新聞によって色々な奇跡が報道されています。また、自称キリストという人たちがあちらこちらで出現しています。そのような多くの嘘の主張は拒絶されてきましたが、この世はひそかに、超自然的な偽のクリスチャンの出現のために準備されているのです。実は、聖書についての知識不足により、数百万のクリスチャンが欺瞞的な主張を受け入れる準備をしてしまっているのです。

 

イエス様は、この地球上の、ある特定の場所に再臨されるとは言われませんでした。「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。…人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな」(マタ24:23-26)。聖書の言葉をよく理解している真のクリスチャンは、イエス様の再臨を真似ようと目論むサタンの欺瞞に惑わされることはありません。しかし、有名なTVニュースのアナウンサーたちが熱い口調で、ロンドン、ニューヨーク、ローマにキリストが現れたと報道するなら、多くの人々がそれを本物のキリストの再臨と信じるでしょう。


聖書に預言された世界の歴史  最終回

2016年04月23日 | 日記

3、結論     

 

第一部、第二部で学んだ記事も合わせて、私たちはダニエル書7章が言う小さい角の9つの特徴が、すべて教皇権の歴史と正確に一致するという事実を確認しました。ある人たちはこれが、ヒトラーやイスラム教、あるいはコンピュータだと信じていますが、その中のどれも、ダニエル7章に出てくる小さい角の9つの特徴を完全に満足させることは出来ません。地球上で存在するたった一つの勢力だけが、9つの特徴を完全に満足させますが、それは私たちが今まで注意深く調べてきたように、ローマ教皇権です。

マルチィン・ルター、ジョン・カルヴァン、ジョン・ノックスのような改革者たちは、ダニエル書7章に出てくる小さい角の預言が、ちょうど彼らの世代に適用されているという事実を悟りました。そして、誰も彼らが提示する預言的な解釈に反論することが出来ませんでした。なぜなら、彼らのこのような解釈は、完全に聖書的で、歴史的な事実にもとづいており、しっかりとした論拠を持っていたからです。

 

ダニエル書7章に出てくる「小さい角」の正体を暴いた改革者たちの解釈は、驚くべき光を神様の民にもたらし、宗教自由の精神、キリスト教的救いの喜び、宗教的迷信や偽りの教えから人々を解放しました。しかし残念なことに、その後の現代プロテスタント教会は、宗教連合運動の流れの中で、宗教改革者たちが持っていた預言解釈の光を見失っていく傾向にあります。しかし、私たちの状況がどのように変化しても、、神様の真理は場所や時間を超越して不変なのです。

最後に申し上げたいことは、今回の学びは特定の教派に属する人々を攻撃することを目的としていませんし、そうであってはいけません。私たちが信じることは、あらゆる教派の中で、聖書と自分自身の良心に忠実で、知的、霊的に自分が達しえた聖書の言葉に従って歩く人々こそ、真の神様の民であるということです。神様は、ダニエル書7章を、小さい角の欺瞞に対する警告の鐘として与えて下さいました。ですから、神様を愛する真実のクリスチャンは、このメッセージを通して真理に導かれることでしょう。そして、与えられた光を、どのように自分自身の信仰生活の中に生かしていくのかを個人的に悟られることでしょう。聖書を学ぶ中で、良心に語られる聖霊の小さな声に耳を傾けて下さることを心から願っています。それが最後の時代において、正しく信仰を持って生きる唯一の道だからです。

今回の学びを通して、読者の皆さんの中には、このような疑問を持たれた方もいるかもしれません。「『小さい角』というのは遠い過去の歴史ではないのですか?それが現代の私たちにどんな関わりがあるのですか?なぜ、過ぎ去ったことを持ち出して暴くのですか?』。

理由は明確です。なぜなら、小さい角に関する神様の預言はダニエル書7章で終わっていないからです。ダニエル書7章のいわば続編とも呼ばれるヨハネの黙示録13章には、獣として象徴される小さい角の勢力が、アメリカと共に地球歴史の最後の時代に、再び絶大な権力として浮上することが描かれています。

「その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、」(黙示録13:3)。私たちはやがて、この勢力との最終的な戦いを迫られるようになるのです。それについては、別のシリーズで学ぶことになります。


聖書に預言された世界の歴史  第27回

2016年04月22日 | 日記

9「ひとと、ふたと、半時全盛期えるロ教皇権

*「彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はま時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる」(ダニエル7:25 )

*「そのころ、この女の根から、一つの芽が起って彼に代り、北の王の軍勢にむかってきて、その城に討ち入り、これを攻めて勝つでしょう」(ダニエル11:7)

*「聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう」(黙示録11:2)

*「そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」(黙示録11:13)

*「女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった」(黙示録12:6)

*「しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた」( 黙示録13章5節)

*「この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた」( 黙示録12:14)

 

ここで紹介した7つの聖句は、すべて同じ時期に起きる同一の出来事を預言していることがよく分かります。7つの聖句はすべて、女として象徴された神様の民が、小さい角(獣)の権勢から逃れて、荒野(深い山や渓谷?)に行くことを預言しています。彼らは、そこで真理を保存するというのです。小さい角に対する9番目の証拠は、歴史的に成就したのでしょうか?実際に、中世期の歴史は、その事実を文字通り立証しています。私たちはこの事実を確認するにあたり、もう一度、中世期の歴史を確認するべきです。

1260年の期間はいつ始まっていつ終わるのでしょうか?まず、小さい角がいつどこで起きるかを調べてみなければなりません。明らかな事実は、ローマ帝国が十の国々として分裂された後、すなわち西暦476年以降に小さい角の勢力が盛んになるということです。それでは、476年以降のどのタイミングで、教皇権が権力を掌握する機会が訪れるのでしょうか?

 

紀元533年はとても意義深い年です。この年に、ユスティニアヌス皇帝はローマ教皇権に強力な権勢を与えると言う調書を出しました。これによって、教皇権が教会の頭としての権限が公に与えられました。私たちはこの事実を 紀元534年に編纂されたユスティニアヌスの法典から確認できます。しかし、この調書が完全な効力を発揮する事ができたのは538年であり、その年に教皇権は、ローマ教皇権の反対者であった最後の国を滅ぼすことで、三つの角を根もとから抜き去り、本格的な権力を確立することになりました。

預言された期間である1260年の後半期に入ると、ルネッサンスと宗教改革運動が起き、フランス革命の影響を通して、教皇権は決定的な打撃を受けることになりました。1798年には、驚くべき事件が起こりました。当時フランス革命政府の命令を受けたベルティエ将軍が、軍隊を率いてローマ教皇庁に攻め入り、ピウス6世を彼の権座から引きおろしました。教皇ピウス6世は耐え難い屈辱の中、ローマからフランスの牢屋に更迭され、そこで獄死します。結果として教皇のすべての財産は差し押さえられました。それが、ちょうど1260年の終点である1798年でした。このように紀元538年に教皇権が確立されることによって始められた1260年の預言は、1798年に教皇権とローマ教会が崩壊することで正確に成就しました!


聖書に預言された世界の歴史  第26回

2016年04月21日 | 日記

8、律法変更させた教皇権

8、律法変更させた教皇権

「彼はまた時と律法とを変えようと望む」(25節)。この預言を教皇権に適用させることが出来るでしょうか?教皇権は自分たちの教理問答と教理の本から、十戒の第二条を削除しましたが、その理由は十戒に記録されている「刻んだ像を造ってはならない」と言う第二の戒めは、彼らが崇拝するマリア像や各種の聖人像への崇拝を罪と定めるからです。第二の戒めを削除してしまい、数合わせのために、第十番目の戒めを二つに分けることにしたのです。

このように十戒を変更することによって、カトリック教理問答所が教える十戒には、愚像崇拝に対する戒めがなく、むさぼりについての戒めが二つに分けて書いてあります。同じく、第四条の聖なる第七日目の安息日を第一日目の日曜日に変更させて遵守し始めました。教皇権は、一千年以上の間、神様の戒めと時を変更させようと努力しましたが、神様はご自身の真実な民を通してご自分の戒めを保存してこられました。神様の戒めに対するサタンの執拗な攻撃にもかかわらず、「よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」(マタイ5:18)というイエス・キリストの宣言は今日までその輝きを失っていません。

 

ここでしばらく、教皇権が神様の戒めを変更させることになった歴史的な背景を学んでみたいと思います。前にもふれましたが、異教徒であったローマ帝国のコンスタンティヌス皇帝は、クリスチャンたちの支持を得て自分の政権を安定させるためにキリスト教に改宗しました。これにより、多くの異教徒が皇帝に従ってキリスト教会に深い悔い改めもないまま入り込むようになりました。そして、これ以降、教会はより多くの異教徒を教会員にするため、また国家の歓心を買うために、多くの点において妥協と変更が始まったのです。

 

次に紹介する教会史家フォン・モスハイムの証言は、その当時の教会の状況をよく表しています。

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教会の監督たちは、改宗前にギリシャとローマ異教の神々を信じていた人々が、その神々に尊敬と信仰心を表明するために設けていた制度などを、少しずつ修正しながら、教会に取り入れた。これによって、新しく改宗した異教徒たちは、自分たちの先祖伝来の礼拝様式に似たものをキリスト教会にも見ることができるので、キリスト教を身近に感じ、キリスト教を容易に受け入れることが出来るようになるというのが、教会の指導者たちの主張であった。・・・異教徒であったコンスタンティヌス皇帝がキリストの教に改宗することと共に、至る所で豪華絢爛な聖殿などが建築され、聖画や偶像が設置されると、教会の外観も内部も異教徒の神殿に似たものとなった。(J. L. Von Mosheim, Ecclesiastical History, I,p.369)

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実際、8世紀に至っては、ほぼすべてのカトリック教会が、様々な聖像で満たされ、これらに口づけをして、祈り、香をたいてその像にひざまずくことが一般的になり、むしろ偶像に仕えていないイスラム教から、「偶像崇拝者」と嘲笑を受けるに至るほどでした。背教の道を歩いていたローマ教会は、最終的に「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない」との第二条の戒めを神様の聖なる律法から削除したのです。

ローマ教皇は、自分たちに神の律法を変更したり、削除する権限があると信じる神学的背景をカトリック百科事典でこう述べています。

「次のような記録があります。ペテロと彼の後継者(注:教皇を意味する)は、禁止に関する法律を付加することができる力をもち、またこれらの制限から免除してくれる力もあり、必要であれば廃止する力もある・・・。このような司法上の権限と合わせて、罪までも許すことができる力が含まれている。」( Pope, The Catholic Encyclopedia, vol. XII, 265, col. 2.)

。同じく、第四条の聖なる第七日目の安息日を第一日目の日曜日に変更させて遵守し始めました。教皇権は、一千年以上の間、神様の戒めと時を変更させようと努力しましたが、神様はご自身の真実な民を通してご自分の戒めを保存してこられました。神様の戒めに対するサタンの執拗な攻撃にもかかわらず、「よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」(マタイ5:18)というイエス・キリストの宣言は今日までその輝きを失っていません。

 

ここでしばらく、教皇権が神様の戒めを変更させることになった歴史的な背景を学んでみたいと思います。前にもふれましたが、異教徒であったローマ帝国のコンスタンティヌス皇帝は、クリスチャンたちの支持を得て自分の政権を安定させるためにキリスト教に改宗しました。これにより、多くの異教徒が皇帝に従ってキリスト教会に深い悔い改めもないまま入り込むようになりました。そして、これ以降、教会はより多くの異教徒を教会員にするため、また国家の歓心を買うために、多くの点において妥協と変更が始まったのです。

 

次に紹介する教会史家フォン・モスハイムの証言は、その当時の教会の状況をよく表しています。

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教会の監督たちは、改宗前にギリシャとローマ異教の神々を信じていた人々が、その神々に尊敬と信仰心を表明するために設けていた制度などを、少しずつ修正しながら、教会に取り入れた。これによって、新しく改宗した異教徒たちは、自分たちの先祖伝来の礼拝様式に似たものをキリスト教会にも見ることができるので、キリスト教を身近に感じ、キリスト教を容易に受け入れることが出来るようになるというのが、教会の指導者たちの主張であった。・・・異教徒であったコンスタンティヌス皇帝がキリストの教に改宗することと共に、至る所で豪華絢爛な聖殿などが建築され、聖画や偶像が設置されると、教会の外観も内部も異教徒の神殿に似たものとなった。(J. L. Von Mosheim, Ecclesiastical History, I,p.369)

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実際、8世紀に至っては、ほぼすべてのカトリック教会が、様々な聖像で満たされ、これらに口づけをして、祈り、香をたいてその像にひざまずくことが一般的になり、むしろ偶像に仕えていないイスラム教から、「偶像崇拝者」と嘲笑を受けるに至るほどでした。背教の道を歩いていたローマ教会は、最終的に「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない」との第二条の戒めを神様の聖なる律法から削除したのです。

ローマ教皇は、自分たちに神の律法を変更したり、削除する権限があると信じる神学的背景をカトリック百科事典でこう述べています。

「次のような記録があります。ペテロと彼の後継者(注:教皇を意味する)は、禁止に関する法律を付加することができる力をもち、またこれらの制限から免除してくれる力もあり、必要であれば廃止する力もある・・・。このような司法上の権限と合わせて、罪までも許すことができる力が含まれている。」( Pope, The Catholic Encyclopedia, vol. XII, 265, col. 2.)


聖書に預言された世界の歴史  第25回

2016年04月20日 | 日記

教皇ヨハネパウロ6世の戴冠式の時、教皇の頭に三層冠をかぶらせながら奉げられた、オタビアニ枢機卿の祈りからも、これと同じ思想が変わらず継承されていることが確認できます。「三つの冠に飾られたこの三層冠を受けて下さい、あなたは君主たちと帝王たちの父であり、世界の司教であり、救い主イエス・キリストの地上の代理者であることを思い起こして下さい。主の名誉と栄光が永遠でありますように」。これ以外にも、「大きなことを語る口」または「汚れた言葉」を宣言する数々の主張が、教皇権の公な出版物の中から簡単に見つけることができます。

預言者ダニエルが描写した小さい角の姿について、パウロもさらに具体的にその正体を明かしています。「彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する」(2テサロニケ2:4).「この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した」(黙示録13:5,6)。ここでの四十二か月は42月×30=1,260年という期間を象徴します。第二部で学んだように、ひと時とふた時と半時= 1年+2年+半年 = 42月 =1,260日は、すべて1,260年という預言的な期間を表わす象徴的数字です。

 

7、神様聖徒たちを迫害した教皇権

「いと高き者の聖徒を悩ます」(25節)。私たちは過去の中世期に、教皇権が数百万のクリスチャンたちを迫害して殺した暗黒の歴史を容易に見つけることが出来ます。中世期の世界史に対する知識が少しでもある人であれば、数百万のクリスチャンたちが暗黒時代において、宗教裁判を通して異端との罪名のもと、拷問され無残に殺された事実を覚えていることでしょう。ローマ教皇権は、聖書の真理を良心的に守ろうとした人々を五千万人も殺害したとされています。殉教者たちは、ローマ教会の偶像礼拝を受け入れずに、命を捨ててまでも、真理を、真理のみを守ろうとしました。