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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

聖書に預言された世界の歴史  第24回

2016年04月19日 | 日記

4、国家的特性がある教皇権

「十の角はこの国から起る十人の王である」(24節)。十の角が十の王であるならば、小さい角も同じ角であることから国家としての機能がなければなりません。ピラミッド形の組織形態をもつ教皇権は強力な王権を連想させるに充分なものです。実際においても、バチカンは今も教皇が君主として君臨する一つの特立国家であると同時に、絶対君主国家の形態として存在しています。この世界には、バチカンを除いて、どこにも教会自体が国家として君臨する形態はありません。

 

5、とはなる属性を持つ教皇権

「十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり・・・」(24節)教皇権以前の帝国は、すべて政治的主権国家でしたが、教皇権は、政治的、絶対君主国であると同時に宗教的な主権国家という点で、それまでの国家と大きく異なります。それまでの帝国は、人のいわば身体を治めていましたが、教皇権は、人の魂まで治めます。それまでの帝国は、自国の領土内にある民だけ治めましたが、教皇権は、領土や民族を超えて治める世界的勢力です。小さな角には、「人の目のような目」(ダニエル7:8)がありますが、教皇権は世界に広がる情報ネットワークの目を通して、世界の政治と宗教界を監督し判断する役割を果たしています。

 

6、神様敵対して「きな持つ教皇権

「大きな事を語る口があった」(8節)「いと高き者に敵して言葉を出し」(25節)。第二部で注意して調べたように、小さい角は自分を神と等しいとし、人の罪を赦す権威を持つと語る「大きな事を語る口」すなわち「汚れたことを語る口」を持っていて、「いと高き者に敵対して言葉を出」す勢力です。しかし、果たして教皇権は自らを神様と等しいとしているのでしょうか?また、人間の罪を赦す権威を持っていると主張しているのでしょうか?バチカンから公式に発行された本の内容を中心に、この質問に対する答えを探してみたいと思います。

 

「教皇だけが最も聖なる者と呼ばれ・・・聖なる君主、至高なる皇帝、そして王の王と呼ばれることが出来る」。教皇はあれほど威厳と力を整えているゆえに、キリストと一つになって同一な裁きを構成できる。そして教皇が行うことは何でも神様の口から発せられたようにみなされる」。 (Pope, Perraris, Ecclesiastical Dictionary)

 

「我ら(注:教皇ら)はこの地で全能なる神様の座を占めている」。(Pope Leo XIII, Encyclical Letter, 7/20,1894)

 

「教皇は威厳があり、至高であるがゆえに彼は単純な人ではなく、神であると同時に神の代理者である。教皇は地上の神であって王の王であり、最高の権勢を持っておられれる」(Prompta Bibliotheca, vol. VI, p. 25~29)

 

「聖書で教会のかしらなるキリストを自称するあらゆる名称と、そのお方の至上権に関するすべてのものは教皇にも適用される」。(Bellarmin, On the Authority og Councils Vol. 2.)

 


聖書に預言された世界の歴史  第23回

2016年04月18日 | 日記

2、さい正体を明らかにするつの証拠

 宗教改革者たちは、ダニエル書7章の小さい角をどのように理解して、教皇権がまさしく偽キリストであるとの結論に達したのでしょうか?彼らは、私たちが第二部で学んだ小さい角の9つの特徴をどのように教皇権に適用させたのでしょうか?ダニエル書7章に出る小さい角の9つの特徴を満たすことのできる勢力は、他になかったのでしょうか?

こからは、これらの質問に対する答えを探してみることにします。この記事を最後までお読みになれば、読者のあなたも、小さい角を示す勢力は、一つしかないことを、聖書の言葉を通して、確信されることでしょう。そして、宗教改革者たちと同じ理解を持つことが出来るでしょう。

神様は、真理を知りたいという謙虚な心で小さい角の正体を研究するなら、誰もが同じ結論を得ることが出来るように、預言を聖書に記して下さいました。なぜなら、神様は、真理を求める全ての人が、偽キリストの正体を明確に理解出来ることを願っておられるからです。結論から申し上げると、ローマ教皇権以外にはこの世界に存在するどの宗教や政治勢力も、小さい角の9つの特徴を完全に満たすことは出来ません。

では、現代プロテスタント教会の先駆者たちである宗教改革者たちが、ローマ教皇権を小さい角の勢力として指摘した根拠となる9つの証拠を順序よく見ていきましょう。第二部で学んだ、小さい角の9つの特徴と、教皇権に関する史実とを比較検討してみましょう。

1、西部ロッパできた教皇権

「十の角を持っていた。わたしが、その角を注意して見ていると、その中に(Among them) また一つの小さい角が出てきたが」(ダニエル7:8)。この聖句では、ローマ帝国が十の国々として分断されることが分かりますが、その中から、小さい角が生じます。これは、小さい角が登場する地理的な位置が、西部ヨーロッパであることを意味しています。ローマ教皇権が誕生した地理的な位置は、一番目の特徴と正確に一致するでしょうか?そうです。ローマ教皇権は西部ヨーロッパで誕生しました。もう少し具体的に言うならば、ローマ帝国の心臓部であるイタリア半島のローマで生じたのです。

 

2、帝国分裂権力をもつ教皇権

「十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す」(24節)。ダニエル書7章8節でも、小さい角の勢力が「十の角」が現れた以降に、強力に起きるという事実が分かります。

 

ローマ教皇権はいつ起きましたか?ローマ・カトリック教会が強力な勢力で登場する歴史的な年代が、この二番目の特徴と正確に一致します。教皇権はローマ帝国が十の国として分裂した後の、紀元476年以降に強力な勢力として登場しました。 ユスティニアヌス皇帝は、ローマ教会に強大な権力(宗教、政治、軍事権)を与える調書を与えましたが、紀元538年には、この調書が実際的に効力を発揮できるようになりました。そして、ここから、教皇権が世界を支配する宗教暗黒の時代が始まるのです。このような歴史的な事実は数多くの歴史家たちの記録から確認出来ます。

 

3、つのからとした教皇権

  1. 「この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた」(8節)。ローマ帝国が分裂して形成されたきた十の国々の中で、三つの国は教皇権に対抗しました。その国は教皇権の信仰と相反するアリウス主義を信奉していた東ゴート族、ヘルーリ族、バンダル族でした。ユスティニアヌス皇帝が教皇権に強大な勢力を与える布告を出した後、ローマ教皇権の邪魔になっていたヘルーリ族、バンダル族、そして東ゴート族が 紀元 493年、 534年, そして 538年にそれぞれ教皇権によって滅ぼされ「三つがその根から抜け落ち」たという預言が文字通り成就しました。これによって、ローマ帝国の分裂後生じた十の国の中で、七つの国だけが今日のヨーロッパを形成している現代国家として存続することになりました。

聖書に預言された世界の歴史  第22回

2016年04月17日 | 日記

宗教改革者たちがかすさい正体

 

マルチィンルタ

2テサロニ人への手紙2章3、4節「だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する」と記録された存在がここにあります。偽キリストである 「‘不法の者、すなわち、滅びの子’がいるが・・・彼は神様の法を削除し、神様の戒めの上に自分が作った戒めを高めた…我らはここで教皇権が真に偽キリストの座に着いている事実を確信することが出来る」(『The Prophetic Faith of Our Fathers』, vol. 2, P.291,256)

 ジョンカルヴァン

「私は教皇がキリストの代理者という事実を否認する・・・彼は偽キリストである。私は彼が教会のかしらである事実を否認する‘キリストが教会のかしらであって’(エペソ5:23)」John Calvin Tracts, vol. 1, p. 219,220

 ジョンノックス

「数世代にわたって教会の上に君臨してきた教皇権がまさしくパウロが語った偽キリストであり、滅びの子である」

(The Zurich Letter, p. 199)

 フィッリプメランヒトン

「ローマ教皇権が巨大な組織と王国を持った偽キリストである事実は、全く疑う余地のない明白な真理である。・・・2テサロニケ2章4節で、パウロは罪の人が自分を神様より高めて教会を支配するようになると確実に言われた。」「Prophetic Faith of Our Fathers」, vol. 2, pp. 296~299

 アイザック・二トン

「教皇権は残り十の角とは異なる王国であった。・・・ローマ教会は預言者の役目をしており、同時に王であった。」(“「Observation on the Prophecies」 p. 75)

 ジョンウェスレ―

「ローマ教皇権がまさしく罪の人という事実を強調するのである」。( Antichrist and His Tem Kingdoms, 0. 110

 サムエル17世紀有名聖職者

「ローマ教皇権が偽キリストという事実は、イギリスにあるすべての重要教団たちの間で共通に受けられた教えである。 「The Cutting Off of Antichrist, p. 1」


聖書に預言された世界の歴史  第21回

2016年04月16日 | 日記

第三部さい正体

1、宗教改革者たちがかしたさい正体

第二部で、私たちはダニエル書7章の小さい角の9つの特徴を確認しました。小さい角の勢力が何なのかを知るためには、これら9つの条件を全て満たす勢力をさがす必要があります。私たちは注意深く、そして健全な方法でこの問の答えを見つけるべきです。第三部では、今日のプロテスタント教会を発足させ、ほとんどのクリスチャンから信頼と尊敬を受ける宗教改革者たちの見解をみてみましょう。

権威ある百科事典の一つであるブリタニカ百科辞典には、次のような記事があります。「これらの思想がルターと他の宗教改革者たちをして教皇権に対抗する運動を推し進めるうえでの、強力な力の源泉となった。」(1962年度版2巻61p)。どの思想が宗教改革者たちに、あれほど強力な力で宗教改革運動を推進させたのでしょうか?

それはダニエル書7章に出ている、小さい角の預言に対する理解です。千年間以上も続いた宗教暗黒時代に終わりをもたらした宗教改革運動は、なぜあれほど少数の改革者たちによって、すみやかに大衆や貴族にまで広がり、ローマ教皇権の千年にもおよぶ絶対的な支配を打ち壊す奇跡を起こしたのでしょうか?もちろん、その当時ローマ教皇権の深刻な腐敗が、宗教改革者たちの主張に説得力を与えたのも事実ですが、それだけでは、ヨーロッパ全体に強大な影響力を及ぼしていた、ローマ教会に対抗して反旗を上げるに足る十分な名分にはならなかったでしょう。

 中世期宗教改革成功した重要理由でしょうか

まず、宗教改革者たちが、人間の救いに対する新しい真理を発見したことです。彼らは行いと功績、儀式と形式によって救われると信じていた民衆の信仰を、ローマ書から輝きでる「信仰による義人は生きる」という光に導くために、自分の命と生涯を捧げました。改革者たちが紹介する救いに対する真理は、信者たちの良心に、力強い、衝撃ともいえる感動を与えました。

 次に、改革者たちはダニエル7章が言う小さい角の勢力が何であるかを、民衆に明確に解き明かしました。この二つこそ、千年以上に及ぶ暗黒時代の夜を終わらせ、宗教改革の朝を迎えさせる真理の原動力となったのです。

 ここからは、小さい角に対して宗教改革者たちがどのように言っているかをみてみましょう。


聖書に預言された世界の歴史  第20回

2016年04月15日 | 日記

5、結論

 

小さい角は以上のような9つの特徴をみなもっている勢力でなければなりません。まとめると、小さい角は、西暦476年以降にローマ帝国が十の国に分裂した西部ヨーロッパから出た、政治的で宗教的な勢力であるべきであり、その勢力は自分を神様と等しくし、自ら罪を赦す権威があると公然と口にし、神様の律法を変更させて、聖徒たちを「ひと時、ふた時、半時」の間迫害していた勢力であるということです。

「ひと時、ふた時、半時」の預言的期間に対する解釈は、以前の冊子〈第○○課〉で、扱いましたが、もう一度簡単に復習したいと思います。

 

6、ひととふた半時1260

 

「ひと時、ふた時、半時の間」がどれぐらいの期間であるかについて知る手がかりは、ヨハネの黙示録にあります。ヨハネの黙示録12章6節と14節には、女として象徴された神様の残りの教会が、地上にあるサタンの勢力が加える迫害から逃れて荒野に身を隠す場面が次のように表現されています。「しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた」(黙示録12:14)。「女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった」(黙示録12:6)。

この預言の正確な意味を知らない人でも、この二つの聖句が同じ事件を表わしていることは、容易に判断することが出来ると思います。ヨハネの黙示録12章14節では、女が荒野へ逃げている期間を「ひと時、ふた時、半時」と言いましたが、同じ事件に対して6節では女が荒野へ逃げている期間を「千二百六十日」と説明しています。従って私たちはここで「ひと時、ふた時、半時」が「千二百六十日」と同じ期間を意味するということを確認できます。

(ひと時とふた時と半時=1260日)

 「あなたはその期間を終ったなら、また右脇を下にして寝て、ユダの家の罰を負わなければならない。わたしは一日を一年として四十日をあなたのために定める」(エゼキエル4:6)

聖書で、預言的期間を表わすために使われる象徴としての「時(Time)」と「日(Day)」は実際にはどれぐらいの期間を意味するのでしょうか?

時(Time):「時」に対する意味を把握できる鍵がダニエル書11章13節にあります。「それは北の王がまた初めよりも大いなる軍を起し、数年の後、大いなる軍勢と多くの軍需品とをもって、攻めて来るからです」。「それは北の王がまた初め(Time)よりも大いなる軍を起し、 数年(Year) の後、大いなる軍勢と多くの軍需品とをもって、攻めて来るからです」この聖句で「時(Time)」は「年数(Year)」を意味する象徴的な表現であるという事実が分かります。従って「ひと時とふた時と半時」は、 「1年+2年+半年」として換算されなければなりません。それゆえ、ひと時とふた時と半時 = 1年+2年+半年 = 360日+720日+180日 = 1,260日になります(聖書で預言的な期間を象徴する1年はいつも360日として計算される)

 日(Day):聖書で期間を象徴する預言で : 1日は実際において1年として換算されなければならないという重要な原則を理解しなければなりません(1日=1年)。私たちはエゼキエル4章6節で期間的預言を解くもう一つのカギを発現できます。民数記14章34節でも同様の原則が適用されています。「かの地を探った四十日の日数にしたがい、その一日を一年として」。それゆえ1,260日という預言的な期間は実際において1,260年として換算されなければなりません。

● 時(Time) = 年(Year): ダニエル11:13

● 日(Day) = 年(Year):エゼキエル4:6、民数記14:34

 ひと時 =  1年   360日

ふた時 =  2年      720日

半時= 半年   +180日

 3年半           1,260日

  {  聖書で1年は360日として計数される }

 1,260日            1,260年 (1日 = 1年)

 結論的に、私たちは聖書に記された期間的な預言を解釈する、次のような等式を作り出せます。

ひととふた半時 12半年 1,260